2017年09月

海釣り

アーチェリーの常連仲間と海釣り。

横浜ベイサイドマリーナから出航して東京湾でアジとサバを狙う。

前回、7月に海釣りに出たときは熱中症になりそうだったが、

今回は涼しくなって、半袖ではちょっと肌寒いくらいの感じ。

まず、アジが釣れそうなポイントで釣り糸を垂らす。

すぐに当たりがあり、前回より大きいアジが次々と釣れる。

金鯵という金色がかったアジで美味い。

この金鯵というのは東京湾のブランドらしい。

一匹だけだったがサバも釣れた。

周りを見渡すと釣り船が結構集まっている。

今日は風が強いので釣り船があまり沖の方に出ないらしい。

しばらく釣って場所を移す。

もう少し大きいのを狙おうということで八景島の沖の方に移動するが波が強い。

かなり揺れて、最近、船酔いに強くなってきたというアーチェリーの常連S氏、

ひさしぶりに船酔いが出たのか言葉少なくなってしまった(^^;

波が強いので仕方なく沖は諦めて堤防に近いところで釣る。

しばらく当たりがなかったが、そのうちぽつりぽつりとアジが釣れる。

船の後ろの方にカモメが何匹も浮いて、こちらを見ている。

魚を放ってくれるのを待っているみたいだ。

25cmくらいのアジが釣れるのだが、波が強いとアジって当たっているのに

気が付かなかったりする。なんとなく巻き上げてみるとアジがかかっていて、

船長に「釣れてるのに気が付いてもらえないなんて可哀そうなアジだなぁ~」などと

笑われたりするのである。

三時過ぎまで釣ってマリーナへ戻る。

結局、今日の釣果はひとりあたりアジ20匹ぐらいと、あとはサバとヒイラギが一匹ずつ。

なかなか楽しかった。次は太刀魚を狙おうということで散会し、
帰宅してからは魚を捌くことに専念。サバの味噌煮とアジの刺身と酒が旨かった(^^

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 東京湾をゆく
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 今日の釣果

矢部の湯

アーチェリーの常連仲間からメールがあって、

矢部の湯が廃業するという。

戸塚の矢部の湯。

昭和そのままの銭湯で、

夏の暑い盛りにアーチェリーでひと汗もふた汗もかいたあと、矢部の湯で熱い風呂に

入ってさっぱりし、それから暑気払いに繰り出したりしたのだが、

それも出来なくなる。

築何十年経っているんだろうかという風呂屋で、なかに入ると番台におばちゃんが

座っていて、入浴料は450円だっただろうか、昔懐かしい富士山の絵のある風呂場で、

湯は結構熱かった。もう、風呂屋のペンキ絵を見る機会もなくなるかもしれない。

子供の頃は銭湯に行くと、風呂あがりにコーヒー牛乳やフルーツ牛乳が飲みたかった

ものだが、大人になるとそれはぐっと辛抱して風呂上りのビールへ流れていったのだが、

もう廃業してしまうのなら、風呂屋のフルーツ牛乳、もう一度飲みたかった(^^

廃業の理由は客の減少と、煙突から出る煙に周囲から苦情が出ていたということも

あるらしい。矢部の湯は薪でお湯を沸かしていたが、工務店とかが持ってくる廃材には

合板が多くて、どうしても煙が出るのだそうだ。

周囲にマンションが建ったりして、昔は問題にならなかった風呂屋の煙突の煙も

問題になるようになったのだろう。これも時代。

矢部の湯がなくなって、アーチェリーのあとでひと風呂浴びてから一杯飲むという

楽しみがなくなってしまった。ま、仕方ないか(^^

また昭和がひとつ減ってしまった。

矢部の湯さん、長い間、御苦労様でした。

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   矢部の湯 2年前の写真

モンゴル ホスタイ

今日はウギー湖からホスタイを経てウランバートルへ戻る。

ホスタイは日本のガイドブックではフスタイとなっているが、

野生馬のタヒがいるところ。

ウギー湖からは270k

キャンプを出て草原のダートな道を走る。

ちなみに、モンゴルでレンタカーを借りて走ろうなんて思わない方がいい。

草原の道には標識も立っていないところが当たり前にあるので、道を知っていないと

走りようがない。カーナビが使えるとも思えない。

都会は都会で凄い運転である。あるいはモンゴルの人は動体視力がいいのかもしれない。

しばらくダートな道を走り舗装された幹線道路に出る。

その道をひたすら東へ。

周囲は相変わらず広大な草原。

たまに草原に大きな鷲が佇んでいたり、牛や羊の放牧があり、馬に乗ってその群れを

追っている人がいたりするのだが、見慣れてしまうと目に入っても反応しなくなる。

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  モンゴルの草原を走る
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 遥かに遊牧の群れ
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 こんなふうに牛や羊が道を塞ぐのは当たり前

かなり走ったところで再びダートな道に入りホスタイに着く。

ここはウランバートルから90kぐらいのところなので、

日帰りで動物を見にくる観光客も多いらしい。

ただ、公共交通機関はないのでタクシーをチャーターするか現地ツアーを使うしかない。

ここで昼食を摂ってから野生馬タヒを見にゆく。

タヒは20世紀に一度滅びたらしいのだが、世界各地の動物園に飼われていたのを野生に

戻すプロジェクトをやって、現在では100頭ぐらいまで復活しているらしい。

しはらく緩やかな草原の谷のなかを走っていると左の尾根の上の方に何かが見えた。

運転手も気が付いたようで、それがタヒだった。

車を停めて登ってゆく。

途中、草原に穴が開いている。

タルバガン、モンゴルマーモセットの巣である。

使われていない古い巣かと思ったが、

ガイドのソハリさんの話では巣の奥に隠れているという。

タルバガンはペストを媒介した動物で、中世ヨーロッパのベスト大流行の大もとである。

モンゴル帝国の拡大と交易の発達がモンゴルの草原からヨーロッパへペストを運び、

当時のヨーロッパの人口の3分の1ともいわれる大量の死者を出した。

ちなみに、モンゴルでは今でもペストが発生する。

尾根まで登り、少し離れたところからタヒを見る。

近づきすぎるとタヒは逃げてしまうそうだ。

我々に背を向けて悠然と草を食んでいた。

かつてユーラシアの草原には野生馬が沢山いて、それを人間が家畜化していったのが、

ユーラシアの騎馬民族の始まりである。

振り向くと、草原がそのまま緩やかに盛り上がったようなホスタイの山なみが続いている。

野生の山羊もいるらしいが、昼は山の方に行ってしまい、朝か夕方でないと下の方では

見られないらしいので、ホスタイに来るなら日帰りでなく、下のキャンプのゲルで

一泊した方がいろいろ見られそうである。

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 ホスタイナショナルパーク
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 尾根の上に野生馬タヒの群れ
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 あまり近づくと逃げてしまう
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 ホスタイ
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 ホスタイ
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 タルバガンの巣
 
カラコルム、ウギー湖、ホスタイと800k
を走ってウランバートルに戻る。

4時くらいにウランバートル到着、例によってスリリングな市街の道路を走る。

道に立って手を少し下に伸ばしている人を何人もみかけるのでソハリさんに聞いたら、

白タクを探しているのだという。白タクは安全かと聞いたら、

「モンゴル人は大丈夫です。観光客は使わない方がいい」とのことだった。

観光客だと、ぼったくられることが多いようで、

体の大きいモンゴル人とトラブルになるのが嫌なら使わない方がいいだろう。

実際、モンゴルの人は体の大きい人が多い。

子供の頃から毎日、羊や牛の肉を食べているのが体を大きくするのだろう。

黄色人種で一番大きいのがモンゴル人じゃなかろうか。

宿泊するカイザーホテルに送ってもらい、二人に礼を言って別れる。

別れ際、ソハリさんが、運転手が明日、仕事が空いているので、

空港まで40000トゥグルグで送ってもいいというので、それを頼んだ。

40000トゥグルグが空港から市内へのタクシー代の相場だそうで、

到着したき、ホテルに頼んだシャトルサービスは20ドルだったから、

タクシーの方が少し安いみたいだ。

ホテルの夕食で旅を終える祝杯をあげ、

夜、酔った勢いで治安が悪いから夜は出歩かない方がいいというウランバートルの街中を

ほっつき歩いてみたが、やはり、街の中心部を歩いている限りは特に問題はなさそうだった。

翌朝、約束の時間より運転手が早く来てくれて思ったより早く空港へ。

北京経由で6日間のモンゴルの旅を終えて帰国した。

今回は航空券とウランバートルの宿泊を個別に取り、二泊三日の現地ツアーを利用した。

普段、ツアーはあまり使わないのだが、カラコルム以外は公共交通機関のないところだし、

ウランバートル以外でタクシーを捕まえるのはまず無理だろうから、やはり、

現地ツアーを使わないと限られた日程でモンゴルの複数の場所を回るのは難しいだろう。

ちなみに使った現地ツアーはジュルチン旅行社(ソハリさんはジョルチンと言っていた)

面白いと思ったのは、このジュルチンあるいはジョルチンとは女真のことである。

日本では女真は満州族という認識だが、モンゴルでの認識はちょっと違うのだろうか。

ま、その辺はよく分からないが、ソハリさんといつも笑顔の初老の運転手のおかけで

いい旅ができた(^^

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  ウランバートルが見えてきた
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  最後の夜、ホテルでモンゴルウォッカを飲みながら羊肉入りのモンゴルのうどん
 カイザーホテルは食事が美味しかった。

モンゴル ウギー湖

現地ツアー2日目、カラコルムからウギー湖へ向かう。

カラコルムのあたりはモンゴルの草原のなかでは降水量があり草原自体が豊かな

ところであるらしい。そのため、古来、遊牧民の勢力の中心になったようで、

草原をしばらく北へ走ると、昔このあたりに勢力を張っていた突厥の遺跡があり、

そこにトルコの協力で建てられたホショーツァイダム博物館がある。

ガイドのソハリさんは、「突厥の博物館」と言っていた。

ここに行く途中の草原で道をオオカミかキツネのような動物が横切った。

ソハリさんに聞くと「オオカミではない、キツネではない、キツネに似たもの」と

なにやら謎かけのように言う。

ちなみに帰国してから調べてみると、モンゴルに棲んでいる犬型の哺乳類で、

オオカミとキツネ以外だとドールがいる。

アカオオカミともいわれるキツネに似た野生の犬であるらしいが、

ただ、ドールだとしたら結構希少な動物を見たことになるのだが、どうなんだろ?

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  キャンプを出て草原の道を走る
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  突厥の博物館

「突厥の博物館」はこの近くで発見された突厥の王の兄弟の墓から発掘されたものを

中心に展示している。

ソハリさんに聞くと突厥はモンゴル語ではトゥルクというらしい。

現代のトルコ人はトゥルクの子孫だが、

中国の史書に記載された古代のトゥルクはモンゴロイドで、

現代のトルコ人は西アジアでコーカソイドと混血して容貌などはかなり異なっているはず

なのだが、民族の遠い先祖ということで、

トルコ政府が博物館の建設などに協力しているらしい。

ちなみに、昨日行ったカラコルムの博物館は日本のJICAが建設に協力しているので、

展示物の案内に日本語表記があったりする。

そういえば、カラコルム博物館には匈奴に関する資料もあり、

ソハリさんに聞いたらモンゴル語では匈奴のことはフンヌというそうで、

ヨーロッパに現れたフン族は同じ民族かと聞いたら、そうだと言っていた。

やはり、モンゴルの人は匈奴を民族の先祖として捉えているのだろう。

博物館を出、さらに草原を北へ。

馬の放牧された草原をゆるやかに登ってゆき、峠を越える。

地図を見ると1420mぐらいの峠で、峠を少しくだったところにオボがあり、

向こうに青いウギー湖が見える。

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 草原の道をゆるやかに登ってゆく
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 峠の少し下にあるオボと遠くウギー湖

ソハリさんに聞いてモンゴルの人の慣習に従い、まず小石を拾い、

オボを左から三回まわりながら小石をオボに投げて積んでゆく。

こうやって祈る。

ウランバートルからの道の途中途中にもオボは結構見かけた。

それにしても雄大で美しい風景である。

峠から下るのだが、この道をプリウスで下るのかというようなダートな道。

ま、日本人の常識は世界では非常識だったりするわけで、
プリウスはしっかり
くだっていった。

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  写真だと、プリウスでここをくだるのか!?という感じが伝わらない

ウギー湖は草原のなかの美しい湖。

それにしてもこれだけ淡水があっても、湖の回りに木が生えていないということは、

モンゴルの草原は土地としてはかなり痩せているということだろうか?

ウギー湖の湖畔のキャンプが今日の宿泊地、ゲルでひと休みしていたら、

ソハリさんが馬乳酒を持ってきてくれた。

モンゴルでは子供も飲むそうで、アルコールの度数は1%未満、

酒というより乳酸飲料だが、ちょっと生臭い感じがした。

これを飲んで酔えるわけがなく、チンギスや彼の部下の将軍達は、

馬乳酒を蒸留してもっと強くした酒を飲んでいたのではなかろうか。

ひと休みしてから馬に乗ってみる。

サラブレッドと違い体の小さいモンゴル馬は楽にまだがることが出来て、

短足の日本人には嬉しい(^^;

馬上からモンゴルの草原とウギー湖を眺めていると気分がいい。

ゲルに戻り、しばらく湖の畔を歩いたりする。

だんだん日が暮れていった。

その日の、湖を染める夕陽と草原に登る大きな月、

満月が照っていても鮮やかに広がる星空は素晴らしかった。

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  ウギー湖と草原
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  茫洋としている
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  ウギー湖畔のキャンプ
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  このゲルに宿泊
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   前日、馬乳酒を飲んでみたいと話していたら、
  運転手の親戚が差し入れしてくれたものを持ってきてくれた
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  泊まったゲルの入り口からウギー湖と草原
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  馬に乗る
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  湖畔のオボ
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  草原にのぼる月 日本に帰国してから、日本の月が小さく見えることに気付いた。
 なぜ草原では大きく見える?
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   夕食 モンゴルの焼きうどんツォイワン モンゴル料理は総じて日本人の口に合う気がする

モンゴル カラコルム

モンゴル三日目、カラコルムへ向かう。

13世紀、モンゴル帝国の首都があったところ。

カラコルムへはウランバートルから長距離バスが出ているが、

これだと他のところへは回れない。

で、今回は効率的に回るために現地ツアーを使った。

朝、ホテルをチェックアウトして待っていると、トヨタのプリウスが来た。

ワゴン車で他のグループと一緒なのだろうと思っていたのだが、

客は我々2人だけで、運転手と日本語の出来るガイドの4人で出発。

ウランバートル市街は例によって凄い運転、市街地から出るとすぐに草原である。

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 日本人なら覚悟決めないと運転できないようなウランバートル市街を抜けてゆく
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 市街地から出ると草原  向こうに黄色い花が咲いている

最初は広大な草原に見とれているのだが、すぐに飽きる。

走っても走っても草原。

ウランバートルからカラコルムまで370kをひたすら走る。

草原って、ただ緑なのかと思ったらそうではなくて、

黄色い花や紫の花が一面に咲いていたりして、結構いろどりがある。

黄色い花の咲いているところには縞模様があって収穫している様子があるので、

ガイドに聞いてみると、「ミズの花です。オイルをとります」という。

菜の花のようなものらしい。

ときどき鳥が群れているのも見える。アネハヅル、ヒマラヤを越える鶴である。

鷲の類も多い。牛や羊、馬もいるが、放牧されているのか自分達で勝手に生きているのか、

分からない感じである。途中、馬の頭が落ちていて鷲がつついていたが、

たぶん、オオカミにやられたんだろう。

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 アネハヅル ヒマラヤを越えるツル
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 クロハゲワシ? ただ頭が禿げていない、若いときは禿げてないのか? ソウゲンワシ?

だいぶ走ったところで、舗装された幹線道路を外れ、草原のなかに続くわだちの道に入る。

かなりダートでついには川を越える。まさかプリウスで川を越えるとは思わなかった。

ちなみにこのプリウス、スタットレスを履いていた。

川を越えた先にゲルの並んだキャンプがあり、そこで昼食。

このキャンプの向こうには砂丘が見え、

ガイドの話ではその砂丘は70k続いているのだそうだ。

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  昼食を摂ったキャンプの向こう、砂丘が続いている
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  ラクダもいる

食事を終えてさらにダートな道を走って再び舗装された道に出る。

それを延々と走った向こうにカラコルムがあった。

13世紀、モンゴル帝国2代目のハーン、ウグデイの時代、ここは世界の中心だった。

マルコ・ポーロもここを訪れている。

今は草原に戻り、

16世紀にアブダイハーンによって建てられたエルデニ・ゾー寺院があるだけである。

最初にカラコルム博物館に行き、

そのあと、エルデニ・ゾー。

世界遺産になっているチベット仏教の寺院だが、ここも共産主義の時代に弾圧され、

かつて大勢いた僧侶はもういない。

今は広い敷地の一角に新しい寺が建てられそこで僧侶が修行しているらしいが、

エルデニ・ゾーの建物の傷み具合からして、僧侶が大勢いればもう少し手入れが出来て

いそうな気がするから、たぶん、そう多くはないのだろう。

アブダイハーンの王宮のあった場所は下を囲む石が残っているだけで、

ただただ広々とした草原の敷地を白い108の塔を列ねた壁が囲んでいる。

ここが世界の中心だった時代があったのだということが信じられないような草原と

そのなかの寺院遺跡、それが現代のカラコルムである。

廃墟というより、自然に還ったという感じがする。

ここから少し離れたところにやはりゲルの並んだキャンプがあり、

今日はそこで泊まる。

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  カラコルム博物館 立っているのはガイドのソハリさん。日本語と韓国語が出来る
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  この紫の花が草原に結構咲いていた。多いところは草原が一面の紫
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  ちなみに乗っていたプリウス、ダートな道で前輪の部分に破損
 運転手さんが応急修理。動かなくなれば大草原の真ん中で一蓮托生(^^;
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  エルデニ・ゾー
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  なかはこんな感じ
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  広い
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  チベット仏教の寺で世界遺産だが、あちこち傷みが目立つ
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  アブダイハーンの王宮跡、ゲルの形の二百人が入れる木造の王宮があったらしい。
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  カラコルムのキャンプ このゲルに泊まった
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  ゲルの内部、真ん中にストーブ 
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  ちなみにモンゴルの草原の電柱はこんな感じ、コンクリートの杭に木の電柱を継ぎ足している
 全部木だと土のなかの方が腐るのか、あるいはマーモセットのような動物に齧られないようにか?


モンゴル ウランバートル

モンゴルの人口は300万、その半分くらいがウランバートルに住んでいる。

遊牧民が都市に流れ込んでいるのかもしれないが、

この人口の集中の仕方は少し異常である。

人口増加と資源価格の下落による経済の悪化もあって、

ウランバートルの治安は悪化しているらしい。

ということで、ちょっと用心しながら街を歩く。

後ろからバッグを切り裂かれないようにバッグは背中ではなく前に持ったり、

ぼんやり歩かず時々、後ろを振り向いたりする。

もちろん、人前で財布を出すような間抜けな真似はしない。

しかし、結論から言えば昼間のウランバートルの中心部分を歩いている以上は、

そんな心配することもないようだ。

ただ、人の多い市場とかではスリに気を付けた方がいいし、

暗くなって裏の路地を歩くのなら覚悟を決めた方がいいのだろう。

カイザーホテルから歩いて15分くらいでスフバートル広場。

その手前に銅像が立っていて誰だろうと思ったらマルコ・ポーロだった。

なぜかモンゴルの武人のような恰好をしている。

考えてみればマルコ・ポーロはモンゴルの帝国をヨーロッパに紹介したので、

モンゴルではしかるべく評価されているのかもしれない。

ただ、マルコ・ポーロはウランバートルには来ていない。

なぜなら、マルコ・ポーロの時代、ウランバートルは存在しない。

マルコ・ポーロの銅像を作るならカラコルムじゃなかろうか。

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  マルコ・ポーロの像

そんなことはどうでもいい、マルコ・ポーロの立っている交差点の向こうが

スフバートル広場。結構、広い広場である。

広場の真ん中にスフバートルの像があり、手前にはテントの売店が並んでいる。

スフバートルはモンゴルの社会主義革命の指導者で、中国の支配からモンゴルを

独立させた。ただ、ソビエトの事実上の保護国としてではあるが。

手前のテントの売店は土産屋ではなく、子供達が学校で使うものを売っているらしい。

どうして、ここで売っているのかは分からぬ。

モンゴルには手近なところに文房具屋がないのか?

広々とした広場の向こうが政府宮殿すなわち国会議事堂だが、

そこにも銅像がある。というか、今はむしろこちらが主役。

チンギス・ハーンである。

共産主義の時代は否定されていたが、共産主義のモンゴル支配が終わり、

民族の英雄として復権した。

政府宮殿に向かってチンギスの左にある騎馬像は、

チンギスが少年テムジンであった時代からの盟友ボオルチュ。

右の騎馬像は建国の功臣ムカリ。

いずれもいい顔をしている。

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  スフバートル広場 右にあるのがスフバートルの像
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 政府宮殿
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 チンギス・ハーン
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 チンギスの盟友ボオルチュ
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 建国の功臣ムカリ
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 広場からウランバートルの街

スフバートル広場を見て広場から西の方に行くと、民族歴史博物館がある。

そこに行きたいのだが、とりあえず両替に行く。

昨日、空港で両替しなかったのだが、カイザーホテルで聞くと両替は出来ないという。

どうも、ウランバートルで両替できるホテルは高級ホテルだけらしい。

で、両替できるところを探すのだが、ちょうど週末で銀行は閉まっている。

ノミンデバートのツーリストインフォメーションで両替できるというので行ってみるが、

なぜか開いているはずの時間なのだがインフォメーションは閉まっている。

ま、外国に来るとこういうことはある。

仕方ないので、スーベニアショップを探す。

『地球の歩き方』に両替できるスーベニアショップが載っているのだが、どうもおかしい。

そもそも本に載っている地図が変で、現実のそれと一致しない。

で、スフバートル広場とノミンデバートの中間の交差点にあるスーベニアショップに

入って聞いてみたら、そこの二階で両替できた。

これはたぶん、『地球の歩き方』の地図が間違っている。

で、民族歴史博物館。

ここはあまり期待していなかったのだが、案外見るものがあった。

ウランバートル観光では外せないところだろう。

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 民族歴史博物館に展示されていたパイザ。モンゴル帝国の通行手形。実物は初めて見た
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 モンゴル軍が使った弓と矢
 
そのあと、自然史博物館に行ってみたが、ここは閉まっていた。

一年前の資料で改装中となっていたので、もう終わっているかと思ったが、

改装がまだ始まっていない感じだった。

民族歴史博物館で案外時間を取ったので、昼食を摂ってからチョイジンラマ寺院博物館へ。

ここはチベット仏教の寺院だが、共産主義の時代に迫害され、寺院としての機能は

失っている。今は博物館として存在している。

都市のなかの荒れた寺院。

その建物のなかにチベット仏教の仏像などが集められて保管されているという感じで、

信仰の対象をあまり写真にばちばち撮るのは気が引けるので撮らなかったが、

髑髏とか、逆さに吊るされた死者らしき布の造形とか、

日本の仏教とはかなり違和感のあるものがある。

建物の外に出て、高層ビルの間に静まっている廃墟に近い寺院を見たとき、

イズムによって否定された信仰の悲しさみたいなものを感じた。

ネットに書かれているような危ない目に合うこともなくウランバートルの街を歩き、

ホテルに帰りひと休みののち夕食を摂った。

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  チョイジンラマ寺院博物館
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  都市のなかに埋没している

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