2017年05月

短歌人 

短歌結社の「短歌人」から結社誌が送られてきた。

会員ではないのだが、本の批評の関係で送ってくれたようで、

せっかく送ってきてくれたので、ぱらぱらと読ませてもらった。

「同人」という欄があり、「会員1」「会員2」という欄がある。

全体のなかで割りと「同人」のスペースが広いので、結社である程度活動していると

「同人」になるようなシステムなのだろうか?

それぞれの選歌欄には選者の名前は出ていない。

どの選歌欄を担当するとか、そういう感じでは決まっていないのか、

短歌人のことはよく知らないので、
どういう感じなんだろうと誌面をぱらぱら捲りながらそんなことを考えた。

ま、それはそれとして、ちょっと気になった記事がひとつ。

「自作自解の可能/不可能」という記事で、斎藤寛が書いている。

角川短歌に出た

 

  水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水

                     

という歌について、作者の服部真理子がラジオ番組で

「『水仙』には暗い所で匂いだけが伝わってくるイメージやナルキッソスの

エピソードなどがあり、何かあやうい感じがする。『盗聴』にも禁じられたことを

するというあやうさがある。この二語をぶつけて、そこへ、あやうさで傾いた自分の

中で動くモヤッとした不思議なものを配したら、何かいい雰囲気が出せるかなと思った。

だが私の意図は決して『正解』ではない。読者が自由に読んでくれればよい」

という自解をしたという話があり、

これに続いて斎藤寛の自作自解についての話があるわけだが、なかなか面白かった。

「水仙と盗聴」の歌、いわゆる「分からない歌」である。

しかし、およそ短歌について、分かる必要はないと思っている。

もちろん、短歌を始めた頃は「分かろう」と思った。

しかし、やがて思うようになった。

短歌は「分かる」ものではなく「感じる」ものだと。

だから、分からない歌は分からないまま鑑賞しようと思っている。

斎藤寛の文章のなかで、

「俳句における二物取り合わせにおいて最も深いのは『潜在意識の暗やみの中で

つながっている』場合だと寺田寅彦は述べていたが、それに倣うなら・・・の

作品は潜在的連想系の中での多物取り合わせなのではないかと思えてくる」

というあたりは納得がいった。

「潜在的意識の暗やみ」「潜在的連想系」、

この辺が「分からない」歌の鑑賞という点で重要なことである気がする。

いずれにしろ、服部真理子の自作自解、おそらくラジオの番組で

短歌をあまり知らない人達向けの話ということでしたのであろうが、

「水仙と盗聴」の歌がむしろ底の浅いものに感じてしまう自解で、

しない方が良かった気がする。

歌会のあとで自作について滔々と自解する人がたまにいるのだが、

私は聞かれたとき「読者がそれぞれに読んで頂ければ」と答えることにしている。
自作自解はよく考えてからにした方が良さそうである。

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  そろそろ紫陽花の季節

源泉徴収

NHK出版から手紙が来た。

開けてみとる支払通知書。

雑誌に掲載された短歌の著作権料1600円の支払いの明細。

見ると、151円の源泉徴収がされている。

1600円の税抜1481円、復興特別所得税含めて10.21%の源泉徴収である。

そうだった...この1600円、雑所得だった。

専業の作歌や歌人なら事業所得だが、

専業でない物書きや歌詠み、例えば普段は給与所得者である者が給与の他に

原稿料なり印税などの収入があれば雑所得になる。

給与所得者の場合は、給与所得以外の所得が20万以下であれば申告不要。

ちなみに消費税の方は、「事業者が業として」おこなうものが課税対象なので、

今回の1600円は課税対象外。

消費税が課税対象になる歌人、すなわち事業として短歌をやっている歌人って、

日本に何人いるんだろうか?

というか、「事業として短歌をやっている」という意識はないとは思うが(^^;

本屋で歌集が売れるような歌人と考えてみても、

多くて数十人とか、せいぜいそのくらい?

ま、いずれにしろ、この1600円、雑所得で申告しなければならないのだった。

もっとも、明らかに経費の方が多いので雑所得の所得金額は発生しないのだが、

151円の源泉所得税を還付してもらうには申告しなければならないのである(^^

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  なんの花だろうと思って調べてみたら、シロタエギク?

成年後見と税理士会

税理士会の成年後見の会議のあとの懇親会で人を怒らせてしまった(^^;

飲みながら、「サポートネットは無駄なことをしてきましたね」と言ったら、

「税理士会が成年後見について動き始めたとき、まわりは何もしなかったじゃないか!

と怒り出してしまったのだが、

冷ややかな追い打ちの一言で黙らせてしまった。

10年結果出なかったでしょ」

まあね、背負ってきたという自負もあるんだろうし、
酒の席とはいえちょっと手厳しかったかな(^^;;

税理士会で成年後見を推進しようという集まりに最初に出たとき、

サポートネットへの参加を勧められた。

サボートネットというのは、横浜市ですべての区で開催している成年後見の事例検討会

みたいなもの。成年後見の現場にいる人達、社会福祉士、弁護士、司法書士等が数か月に

一回集まって難しい事例を検討し、情報を共有しようというようなものである。

で、成年後見に参入したい税理士会は、そのサポートネットにオブザーバーとして参加

させて欲しいと依頼したわけである。オブザーバーというのは、横浜市の決まりで、

サポートネットに参入できる専門職は、社会福祉士、弁護士、司法書士、行政書士に

限定されているからである。

頼み込んで勉強のために参加させてもらえることになったわけだが、

その辺の話を聞いたとき、「方向性間違ってるな...」と思った。

で、言葉を濁してサポートネットへの参加は遠慮させてもらった。

その集まりは、その後サポートネットの活動に力を入れたが、案の定、効果らしい

ものはなかった。

参入できる専門職が市の決まりで限定されているのなら、それを下から変えるのは

困難である。現場の役人は市の決まりに従うのであり、意思疎通して意見を上申して

もらうにしても、かなり迂遠である。

正直、一時は税理士会の成年後見の集まりに参加するのをやめようと思った。

参加して最初に違和感を覚えたのは、ボランティア議論。

成年後見を仕事としてするべきかボランティアとしてするべきか、そういう議論である。

なにを馬鹿な話を...そう思った。

成年後見にボランティア精神が必要なのは当たり前のことである。

しかし、あくまでもビジネスとして成年後見をやる。

弁護士も司法書士も皆、ビジネスとして成年後見をやっている。

税理士会ではなぜかこのボランティア議論があった。

ひとつには、成年後見を税理士の社会貢献のひとつとして取り組もうという姿勢が

税理士会にあったゆえだろうが、それにしても無意味な議論だった。

この無意味な議論が聞こえなくなるまで1年か2年かかった。

そして、サポートネットである。

会議の度に、ここのサポートネットに行ってきました、あそこのサポートネットに

行ってきましたという報告を聞くわけだが、

正直言って徒労に時間とエネルギーを消費しているとしか思えなかった。

成年後見の分野に参入するのなら、

司法書士会のリーガルサポートのような団体が必要なのである。

そこまでいかなくても、少なくとも家裁が何かあって連絡しようとするときに、

連絡先、取りまとめ先がはっきりしていなければ困るのである。

同じ税理士会でも東京会が一番成年後見の仕事を受けているのだが、

ひとつには東京会が成年後見専任の事務員を置いていることがあるだろう。

現状では東京地方会の場合、すぐに連絡がつく成年後見専任というのがない。

法務省と財務省という管轄の違いが一番大きいとしても、

連絡つくかどうか分からないところに家裁としても成年後見の仕事を頼みにくいであろう。

そんなこと考えれば当たり前に分かるのであり、

することはサポートネットではなく他にあるということも、

とっくに分かっていることである。

そういうことがずぅーとあると、

いささか手厳しい言葉も出てくるわけである(^^;;;

ま、それはそれとして、当日の会議では新しい会員も入り、有意義な意見が聞けて良かった。

そういう新しい会員が税理士会の成年後見の取り組みを変えていってくれればと思っている。

というか、変えていってもらわなければいけないのだ。

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  ア-チェリーも仕事も的を外したらしょうがない...。

天動説と地動説

久し振りの横浜歌会。

例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

夕日に手を合わせ天動説に私は生きている、

そんな歌意の歌。

この歌の批評で、下句が面白いが上句が平凡という批評とともに、

「天動説を信じている人」とか「こういう頑固な人もたまにいる」とか、

そういうコメントがあったのだが、

私はその辺はちょっと違う気がした。

日々の暮らしのなかで沈む夕日に手を合わせる、

それは、自然の大きく静かな息遣いを感じながら生きる人であろう。

日が昇り、日が沈む、そういう自然の営みのなかで謙虚に暮らす、

そういう生き方を「天動説に私は生きている」と表現しているのであって、

学問あるいは天文学としての「天動説」を信じているということではないのではないか。

そう思った。
この日の歌会ではもう一首、こういう歌があった。

地動説に係りなく、昇る日や沈む月を万葉人(ひと)は詠った、

そんな歌意の歌。

柿本人麻呂の、

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ

を踏まえた歌である。

こちらの方の「地動説」は、現代人が知っている文字通り天文学の地動説である。

この歌を読んだとき、ふと思った。

万葉の時代の日本人が知っていた天文学は古代中国の天文学。

古代中国の天文学は天動説的なものだったのか地動説的なものだったのか、

そういう歌の批評にあまり関係のないことを考えたわけである(^^;

ちなみに調べてみると、古代中国の天文学は西洋の天文学とは異なるわけで、

地動説というのもちょっと違う、つまり地が動くという、そういう発想も持っていたらしい。

で、我々現代人が知っている天動説とか地動説というのは、
ガリレオの宗教裁判もあって、
固陋で教義的な天動説と、科学の黎明を告げる地動説、

そういうイメージがあるわけである。

しかし、万葉の時代の日本人にそういうイメージの天動説も地動説も無縁なわけで、

人麻呂も、日が昇り月が沈む、そういう自然の営みのなかで生きていたと思うわけである。

そこに「地動説に係りなく」と現代人の知識を持ってきても、

それが工夫であるということは分かるが、
あまり一首のなかで生きない気はした。

そういう意味では、最初に取り上げた「天動説に私は生きている」という、

学問としての天動説とは違う使い方をした歌の方が成功している気はする。

この日の歌会は「動」の題詠。

天動説と地動説という言葉を使ったふたつの歌が歌会に出たのも題詠ゆえだろうが、

言葉の使い方がまるで違ってちょっと面白いと思った。

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  アーチェリーの射場で常連のひとりが採りたてのタケノコで天麩羅、
 美味しかった(^^   今年のタケノコの季節も終わりである。

キナバル5

キナバルから下山し、ボルネオの観光をする。

下山した翌日はジェッセルトンポイントから船でサピ島へ。

ジェッセルトンポイントはコタキナバルから周囲の島へ船が出ているところで、

3年前と比べて周囲に大きなビルが建ち、街が発展していることがうかがえる。

サピ島に向かったが、船は島の手前でマレーシアの海上警察?の検問を受けた。

これも3年前にはなかったことで、

イスラム圏のマレーシアが、日本とは異なる危機感のなかにあることが感じられた。

サピ島は小さな島なのだが、トレッキングルートがあって、山登りをこととする向きには

もっと小さくてマリンスポーツしか出来ない島と比べれば面白い島である。

以前来たとき、大トカゲがいたので見られると思って行ったら、影も形も見えない。

非常べルのような金属音の蝉の鳴き声も3年前と比べると小さくて、

環境が変わってしまったのかと思いつつ、トレールを歩く。

そういえば、以前にはなかった倒木などもあって道を塞いでいて、

いずれこの島のトレッキングルートは消滅してしまうのではないかという気がした。

ただ、同行した仲間が山の中にくねくねと伸びるラタンを見て、

「仕事でラタン扱ってるけど、自生しているラタン見たのはじめてだよ」と感激して

くれたのが嬉しかった。

3年前見たときはあまり気にとめていなかったのだが、

登山道に大きなヘビのようにのたうっているラタンって、

やっぱりフツーの人から見たらフツーのものではないのであろう。

トレッキングルートを回って出発点に戻ってきたら、大トカゲがいた。

どうも大トカゲは昼飯時になると、人間が投げてくれる食べ物を目当てに

森から出てくるらしい。

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  ジェッセルトンボイント
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 向こうに見えるのがサピ島
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  大トカゲ

島から戻り、タクシーをチャーターして、市立モスクに行ってみる。

コタキナバルには州立モスクと市立モスクがあるが、

市立モスクの方が外観が綺麗で観光客も受け入れている。

入ろうとすると、係りの男性なのだろう、やってきて同行の女性の服装がいけない

という。向こうに行って服を借りろと言われ、行ってみると5リンギットで女性の

チャドルとヒジャブを貸してくれる。

中に入ると、あちこちでのんびりしている家族連れがいたりして、

モスクの中って礼拝の時間以外は割と自由な空間であるらしい。

ただし、一番奥はムスリムオンリーとなっていて、イスラム教徒しか入れなくなっている。

写真を撮っていいかと聞くと、ノープロブレムだといい、我々の写真も撮ってくれた。

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  市立モスク
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  ここからはムスリムオンリー

翌日はリバークルーズ。

ホテルのデスクで案内していたので申し込んだのだが、

日本円にしてひとり4000円くらいで随分安いなと思った。

3年前行ったクリアス川のリバークルーズは9000円くらいした気がする。

それが気になったのだが、行ってみると場所が違った。

ウェストンリバークルーズとかいうところで、かなり河口に近いところ、河幅も広く、

少し行けば海のようなところに水上集落があり、そこにリバークルーズの舟が沢山あった。

ま、舟が沢山ある分、低価格で提供できるのかもしれない。

川はクリアス川のようなジャングルのなかという感じではなく、広々としている。

行ってみるとテングザルは沢山いるのだが、それ以外の動物が少ない。

3年前のクリアス川は、他の種類のサルや犀鳥、大トカゲなどいろいろいたのだが、

そういう動物達は見られなかった。

ホタルの木もクリアス川のような、一本の木がホタルの光で浮かび上がるようなものでは

なく、木にホタルがいるねというレベルだったのだが、他の人達が感激していたので、

「随分少ないね」などとしらけるようなことを言うのも気が引けて黙っていた。

そう言えば、ここまで走ってくる途中、パーム椰子の植林が増えていたような気がして、

あるいはクリアス川のあたり環境が変わっているのかもしれない。

3年前に見たホタルの木、あの感動を再び味わえなかったのがちょっと残念だった。

3年を経ての再びのキナバル。

変らぬものもあり変わったものもあった。

中身の濃い旅を終えて、リバークルーズからそのまま空港に向かった。

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  ウェストンン水上村のリバークルーズ
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  モスクがある
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  テングザル
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  リバークルーズの夕べ

キナバル4

キナバルから下山し、ポーリン温泉へ。

そんなに遠くないと思っていたのだが、車で1時間半くらいかかった。

ボルネオの西側から東側に脊梁山脈を越えて行く峠にキナバルの登山口があり、

東側に下っていった先にポーリンがあるという感じだろうか。

さらに東に行くとサンダカンがあり、本当はそこまで行きたかったのだが、

サンダカンについては渡航注意の勧告が出ていたので、今回は行かなかった。

キナバルからの下山がちょっと遅くなったので、ポーリン着も夕食の時間。

ホステルの受付の女の子がなかなか可愛いいのだが、

ぺらぺらぺらと鮮やかな英語で説明をしてくれる。

仕方ないので、「ゆっくり話してくれないか」と言ったら、

少しずっこけた末に微妙にゆっくり話してくれた。

予約したとき部屋は相部屋ということだったが、ホステルでトイレ・シャワー・リビングが

共用ということで部屋は個別だった。

とりあえず、シャワーを浴び服を着替えてすっきりし、

下山祝いのビールを飲み夕食を食べて寝る。

昨夜はうつらうつらの状態であまり寝ていないし、1時半には起きて頂上に登って

いたので、ベッドに入るとすぐに寝てしまった。

翌日は朝食後、ポーリン温泉の敷地内?の公園を歩く。

キャノピーウォークという熱帯ジャングルの高い木に架けられた吊り橋のような歩道を

歩くところがあり、高いところからジャングルの様子を観察できたり、

歩いていると世界最大の花とかいうラフレシアの蕾が足元にあったり、

見上げるような高い木の上にいるお猿さんと目が合ったり、

なかなか面白いところである。

太平洋戦争中に日本軍が発見したという温泉は観光客で賑わっている。

ちなみに日本の温泉を思い浮かべるとだいぶ違う。足湯を思い浮かべた方がいい。

しばらく疲れた足を温泉で癒してポーリンを出る。

1時でホステルをチェックアウトしたのだが、

昨日の可愛い受付の女の子が笑顔で礼儀正しく挨拶してくれた。

英語もろくに分からないジャパニーズがホステルの料金にインクルーズされている

敷地内のレストランの夕食を食べたか心配していたようだった。

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   ポーリンスプリングスホステルの宿泊棟、ここに泊まった
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  敷地内の公園にあったジンジャーの花
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  キャノピーフォーク
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  キャノピーウォークから下ってくる途中にあったラフレシアの蕾
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  正体不明、地面から出ていた赤い花
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  ポーリン温泉の源泉
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  ポーリン温泉 つまり足湯と思った方がいい

帰りに車の運転手にラフレシアを見たいと告げておいたら、ポーリンを出て

それほど行かないぐらいの道端で車を停めた。

屋台のような受付があって、ひとり30リンギットだという。

金を払うとまだ小学校にも行っていないくらいの小さな女の子が先頭にたって

案内してくれる。ボルネオの農村の細い道を歩いていくとゴム林のなかに入り、

そこにラフレシアが咲いていた。

直径60cmくらいだろうか、

世界最大の花というほどの迫力はなく、

花というほどの華やぎもなく、

聞いていたほどの悪臭もなく、

日のあたらないジャングルのなかにラフレシアは咲いていた。

その辺りにはラフレシアが多いらしく、蕾があちこちにあった。

日陰の湿気の多いところに咲く花のようだ。

帰り際に道端の茂みのなかを見ると、

もう一方の世界最大の花、大コンニャクの小さいのがあった。

大コンニャクといってもその小さいやつ、高さは30cmくらい。

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  ラフレシア
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  大コンニャクのちいさいやつ
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  周囲はゴム林

車に戻り、再び峠を越えてボルネオの西海岸に出、コタキナバルへ。

キナバル出発前に泊まったホテルに戻り再びチェックイン。

二回目のチェックインでリピーター扱いしてもらえたんだろうか、

4人で二部屋だったのだが、最上階の海の見える二部屋続きの部屋に泊まることができた。

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  泊まったホテルの部屋からの眺め、向こうに海が見える

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