2017年04月

キナバル2

キナバル登山の日、

6時にコタキナバルから車でキナバルの登山口に向かう。約2時間で着。

キナバル国立公園の公園事務所で登山の手続きをし、登山に不必要な荷物はここで

預かってもらう。ガイドと合流し、車で登山ゲートへ。車で入れるのはここまでで、

ここから標高差1400mを登り、ラパンラタの山小屋に向かう。

キナバルを登る者は通常このラパンラタの山小屋で一泊し、翌早朝、頂上に登るのである。

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  キナハル国立公園の公園事務所
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 事務所前からキナバル方面。3年前はキナバルが鮮やかに見えたが今日は雲の中
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 登山ゲート

登山ルートはよく整備され、だいたい
30分おきに休憩ポイントがある。

途中、大きなウツボカズラとか、日本では見かけない草花を写真に撮りながら登る。

二年前の大地震で崩壊したらしい場所もあったが、殆どのところは地震前と変わらない

ルートだった。上に登るにつれ天気がいまいちになり、休憩ポイントで休憩していると、

雷の音とともにいきなり強く雨が降り出したりする。幸い、強く降り出してもしばらく

するとやんでくる感じで、休憩ポイントで雨宿りして様子を見ながら登り、普通より

少し時間がかかったくらいでラパンラタ着。

ラパンラタの山小屋は日本の山小屋とは違い、ちょっとしたホテルのようで、

なかなか感じの良いところである。

ここから上のキナバルは巨大な岩の塊のような山で、日本では見られないような

壮大な風景が広がっている。コーヒーを飲みながら小屋の外を眺めていると、

時々雨があがり、キナバル上部の岩盤がガスの切れ目に広がる。3年前にも見た風景で、

懐かしい気がする。

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 ラパンラタ
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 ガスが晴れるとキナバル上部の岩盤が見える

明日の登頂は深夜
2時半に山小屋を出発するので、今日は早めに夕食を食べて寝る。

部屋は8人の相部屋で、我々のパーティー4人と台湾のグルーブ4人だった。

夕食のとき、公園の係員らしき者がなにやら説明をしていた。

よく聞き取れなかったが、チェックポイントを5時半でクローズするとか言っていた。

3年前登った時はこういう説明はなかった。大地震があってから、安全管理が厳しく

なったのかもしれない。

夜寝ていると、稲妻の光と雷鳴、激しい雨音で目が覚めた。

寝ているうちに天候が悪化し、かなりひどい状態である。

これはダメだなと思いつつ、うつらうつらしていると、

深夜1時過ぎあたりから天気が大人しくなってきた。

2時に起き、食事を摂って山小屋の外に出てみると、なんと星が光っている。

これは頂上に行けるかもしれない。

用意をして2時半に出発。

 

キナバル

三年前、ボルネオのキナバルに登った。

東南アジアの最高峰、標高4095m

太古、大地から花崗岩が盛り上がって出来た岩山は日本の山とは異質で、

上部は巨大な岩盤の上に幾つもの岩峰があり、

異世界感漂う空間である。

我々が登った翌年、ボルネオのサバで地震があった。

震源に近かったキナバルでは岩峰が崩壊したり山小屋が落石で壊れたりして、

18人の死者が出た。

地震のあとキナバルがどうなったのか気になっていた。
そんなとき、通っているアーチェリーの常連仲間に夫婦で山登りをしている人がいて、

射場で山登りの話をしていたら、自分達もキナバルに行ってみたいと言う。

で、「じゃ、行きましょうか」

えらく単純なのりで、再びキナバルに行くことになった。

山岳会の仲間も加わり、三年前とは別のメンバー4人でキナバルに向かった。

ちなみに、日本からの登山ツアーもあるが、キナバル登山だけで20万前後する。

我々は自分達で全部手配し、
現地での食事、キナバル以外のリバークルーズや島めぐり等の
観光や土産も全部含めて
ひとり
14万前後だった。

週に一回の直行便でコタキナバルに行きキナバルに登り、空いた日は観光をし、

一週間後の直行便で帰る。そんなスケジュール。

行き帰りと宿泊はネットで取り、キナバル登山は三年前に使った現地登山ツアーを使った。

キナバルは中腹のラパンラタ周辺の山小屋に泊りガイドを雇わないといけないので、

その辺の手続きは現地登山ツアーを使った方が面倒くさくない。

マレーシア航空でコタキナバル。
午後
3時過ぎに到着しタクシーでホテルへ。

コタキナバルは日本から6時間くらいで行けるし、
治安も良くぼったくりも少なくて
いいところなのだが、以前と比べ、
日本からの直行便が減っている。

他の東南アジアの観光地のような遺跡とかがないのが影響しているんだろうか?

ホテルでひと休みして、夕食は近くのフードコートで中華。

マレーシアは中華系の人も多いので町のあちこちに中華系の店がある。

日本ではお目にかかれない大きなシャコを食べた。

翌日はコタキナバル周辺をテキトーに観光する。

キナバル登山は体を慣らして翌々日早朝の出発である。

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      コタキナバル到着の日の夕飯、大きなシャコを食べる
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  翌日の観光 サバ州立博物館
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  サバ州立モスク 礼拝をしていたので建物の外から見ただけ
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  午後から行ったマリマリ文化村 
 ボルネオの先住民族の文化を紹介している。写真は米焼酎を作っているところ
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  マリマリ文化村のバンブータ゜ンス

要介護の証明

相続税申告の依頼人から電話。

「区役所に電話して、要介護だった証明を出してくれと言ったら、出せないと言うんです。

弁護士なら出せると言ってます。話を聞いてみて頂けませんか」

被相続人が居住していた土地については、

一定の要件を満たせば小規模宅地の評価減の特例を適用できる。

特定居住用であれば、330㎡まで80%の評価減が出来るので、

この特例が受けられるかどうかで相続税額はだいぶ変わるわけである。

以前は、被相続人が相続開始のときに老人ホーム等に入っている場合は、

生活の本拠が老人ホームに移っているということで、

それまで住んでいた自宅は居住用の土地に該当しなくなり、

小規模宅地としての評価減が出来なかったのだが、

改正により一定の要件を満たせば評価減が出来るようになった。

で、その一定の要件を満たしていることの証明のひとつとして、

被相続人が要介護あるいは要支援だったことをあきらかに出来る書類を申告書に

添付しなければならないわけである。

ところが、被相続人の介護保険の被保険者証は既に区役所に返却してしまっていて、

他の書類もとっていないという。ならば区役所に行けば、

要介護だったという証明の書類を作ってくれるだろうということで、

それを取ってくれるよう依頼してあったのだ。

電話してくれというのでとりあえず、区役所に電話してみた。

「相続税の申告で、小規模宅地の評価減の特例の適用を受けるために必要なんです。

要件を満たしていることの証明として要介護だったことの証明か欲しいんですが、

出せないというのはどういうことなんでしょうか?

「お話は分かりました。ただ、弁護士会か警察か裁判所からの要請以外は出せない

ことになっているんです」

「それは条例かなにかで決まっているんですか?

「はい、区の個人情報保護の条例です」

「おたくの区内の土地なら一億や二億はしますね。それの80%の評価減ができるかできな

いかで相続税額は数千万変わることもあるわけですが、被保険者証を区に返却してしま

って証明できない区民は、税額が数千万増える不利益は諦めろということですか?

これはおたくの区の方針だということですね」

「はあ...いや...

「なるほど、ならばおたくの区に住んでいる人には介護保険の被保険者証は死んでも返却

するなと言わないといけませんね。そうしないと、おたくの区の取り扱いのためにとんでも

ない不利益を受けるわけですから」

「はあ...

電話のあと、依頼人に電話して、証明できるものがなにもないなら、老人ホームの

方になにかあるかもしれない、そっちを当たってみましょうと話したのだが、

その日の午後、当の区役所から電話があった。

「要介護の証明の件ですが、検討した結果、今回は特別に発行することになりました」

あらら、発行してくれるんだ。

担当者の話では、弁護士会・警察・裁判所の要請以外では出せないのだが、

相続税の申告のために必要ということがよく分かったので、特別に発行します、

こういうことは今後もあるかもしれないので、内部でさらに検討をしていきますとのこと。

ありがとうございますと御礼を申し上げたが、

今回だけ特別ということにしないで、

同じようなケースがあれば発行して欲しいものである。

弁護士会・警察・裁判所に限定しているのは、

訴訟や捜査、法的に証明を出さなければならないケースを考えているのだろうが、

それ以外でもいろいろな証明が必要な場合って、世の中にはあるはずである。

個人情報の保護はもちろん大切なのだが、

本来必要なものまで個人情報保護が壁になってしまうことがあるようで、

この辺については仕組みを変えていって欲しいものである。
今回は区の担当者が道理を弁えてくれたわけだが、
担当者の良識にだけ頼るわけにはいかないはずである。

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  ハナダイコン

タケノコ

タケノコの季節である。

この季節、アーチェリーの射場の常連はアーチェリーそこのけでタケノコ掘りに没頭する。

射場のあちこちにタケノコが出るのである。

採りたてのタケノコは旨い(^^

そういうタケノコを食べ慣れてしまうと、

スーパーで売っているタケノコを買おうという気がしなくなる。

タケノコを探すには、

地面を見ながら僅かな土の盛り上がりや割れ目を見逃さない。

歩きながら足の裏に感じる僅かな違和感を捕える。

口で言うのは簡単でこれがなかなか難しいのである。

達人は3月ぐらいから土の中のタケノコを探しだすのだが、

自分のような凡人は4月になって、

かろうじて土の上に僅かに顔を出したタケノコを探しだすわけである。

ちなみにタケノコ採り初めての素人さんでもゴールデンウィークあたりになると、

あちこちからぼこぼこと顔を出すタケノコを採れるようになる。

今日の収穫はタケノコ3本と春シイタケ三つ。

なかなかいいタケノコが採れた。

シイタケは射場に置いてある榾木からの収穫。

春シイタケが結構出ている。

今年の秋は射場の上の畑に植えた自然薯がどのくらいに成長したか、

試しに掘ってみようと思っている。

昨年の秋はその自然薯から採れたむかごが美味しかった。

こんなふうに射場で季節のうつろいを味わうのは楽しい(^^

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歌会

東京での歌会、例によって気になった歌。というか、気になったことについて。

まだ誌面発表前なのでここには出せないが、

ちびちゃんのガラカラドンを食べてしまい遊びの邪魔をする爺ちゃんのトロール、

そんな歌意の歌。

歌の批評に順番で当たった二人が、

「ガラガラドンとかトロールとか意味が分かりません」と批評に詰まったところ、

ベテランの会員が説明を始めた。

「これは、『三びきのやぎのがらがらどん』という童話があって、最初にちびっこの

ヤギが橋を渡ろうとするんです。すると、橋の下にトロールという化け物が住んでいて、

そのトロールがちびっこのヤギを食べようとするんですが、ちびっこのヤギが

『やめて、あとからもっと大きなヤギが来るから、そっちを食べて』と言うんです。

で、トロールが待っていると、二番目のヤギがやってきたので、そのヤギを食べようと

すると、二番目のヤギも、『次に大きいのが来るから自分を食べないで』と言うんです。

で、トロールが待っていると、三番目に大きなヤギがやってきて、トロールが今度こそ

食べようとするんですが、大きなヤギは角で反撃してトロールが逆にやられてしまう

という話です。つまり、子供が三びきのがらがらどんの遊びをしていたら、

トロールの役のお爺ちゃんが、食べられないはずの最初のちびっこのヤギを食べてしまっ

て、遊びが混乱してしまった、そういう歌です」

かくかくしかじか滔々と説明をしたわけである。

で、そのあとどうなったかと言うと、

「そういう話を知らないとこの歌は分かりませんね~

ということで、この歌の批評はあっけなく終わってしまった。

 

ちょっと待てよ、そういうのありか?(^^;

『三びきのやぎのがらがらどん』の話を知ってる知らないはさておいて、

この一首はどう読めるか、歌の表現はどうなのか、それを問うのが歌会ではないのか。

歌の素材あるいは背景について知らなくても、なにかしら伝わってくる歌というのは

あるわけである。

例えば、山中智恵子の歌、

 

  行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ

 

高天原を追放されたスサノオが降り立ったのが鳥髪という古事記の話を知らなくても、

この歌にはなにかしら響いてくるものがある。

鳥髪という地名がもたらす効果、雪の向こうからあらわれる人影、今日もそして明日も
静かに降り続く雪、そのなかに立つ人影に、いきる者のかなしみ
が思われる。

古事記を読んだことがなくても、なにかしら伝わってくるものはあるはずであり、

それを感じ取るのが短歌ではないのか。

で、この、ガラガラドンとトロールの歌である。

トロールとは本来はエッダやサガに書かれた北欧神話に出てくる巨人族であり、

その後、昔話や童話のなかでいろいろと変質していくわけである。

ハリーポッターの映画の第一作に巨人の間抜けなトロールが出てきたのを見たときは、

「へぇ~、キリスト教世界も変わったもんだな」と思ったものである(^^;;

ちなみに、ハリーポッターに描かれているのは、

世が世なら魔女裁判で火炙りにされるような異教の世界である。

キリスト教世界が変わってくれたおかげで作者は魔女裁判にかけられることなく、

億万長者になった。

閑話休題、ガラガラドンとトロールだった。

私はこの歌を読んだとき、

ガラガラドンは知らなかったが、トロールは知っていたので、

トロールと同じような、神話やそれから生まれた昔話を背景にしているものと思った。

トロールとともに出てくるのだから、ガラガラドンというのも怪物か妖精か、

そういうキャラクターかなと。

で、トロールとガラガラドンが出てくる昔話を踏まえ、「食べてしまい」なので、

そのガラガラドンの形をしたクッキーとかお菓子のようなものがあって、

子供がそれを楽しみにしていたのに、お爺ちゃんがそれを食べてしまい、

「えっ、子供のガラガラドン食べちゃったの! 帰ってきて泣くよ~

おじいちゃん、まるで間抜けなトロールだな」

と作者が思っている。

そんな歌かなと思ったのである。

ちなみに、あとで調べてみたら、

「がらがらどん」というちょっと有名な焼き菓子の店があるらしい。

作者の意図は知らない。

あるいは作者が意図したのはベテラン会員が説明してくれたその通りであるかも

しれない。

しかし、歌の批評というのは、作者の意図を言い当てることではない。

歌は作者の手を離れて読まれるのである。

その歌はどう読めるのか、31文字からそれを紐解いてゆく、

そしてその表現を問う。

歌会というのは、そういうことをする場であって、

この歌はこういう歌ですと説明してしまい、

「知らないと分かりませんね」と結論を出してしまう、

そういうことはしない。

もし、どうしてもそういうことをしたいのなら、歌会が終わってからするべきだろう。

この歌の批評についてはちょっと残念だった。

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  歌会のあとはちょい飲みしながら反省会

上野公園

花見の季節、お昼から東京で歌会があるので、ついでに午前中に上野公園に行ってみる。

上野駅の公園口の改札、既にここから凄い人。

これは大変だなぁ~と思いつつ、とりあえず国立科学博物館へ。

大英自然史博物館展をやっている。

始祖鳥の化石とか絶滅種のモアの全身骨格とか、見どころは沢山。

ただ、春休みで小学生が沢山来ていて、かなり混んでいた。

人と人の間から展示物を見ていくと始祖鳥が現れた。

復元した始祖鳥が博物館のなかを飛んでいる映像があり、その隣に始祖鳥の化石。

案外小さな化石である。

昔と違い、ストロボを使わなければ写真を撮ってもいいということなので、

写真を撮るのだが、そういう人達が展示物の前で立ち止まるので、

結構それで混んでしまうし、展示物を見ていて横からスマホを突き出されると

あまりいい気持ちがしない。

絶滅種のモアやオオナマケモノの全身骨格も見応えがある。

特にオオナマケモノは現代に生き残っているナマケモノとは全然イメージが違って面白い。

ゆっくり見て歩けば面白いのだろうが、いかんせん人が多いので、

テキトーに端折って歩いて外に出る。

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  モアの全身骨格
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  始祖鳥 ちょっとピンボケ

天気がいいので、国立博物館の隣りの黒門に行ってみる。

ここの門の横にある桜と黒い門とのコントラストが綺麗で好きなのである。

行ってみると桜は満開で見事だったが、

無粋にも門の前に観光バスが時間待ちかなにかで停まっていて邪魔である。ちょっと残念。

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  黒門と桜と無粋な時間待ちの観光バス
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  上野公園の桜

そのあと都立美術館のミュージアムショップに立ち寄りコーヒーを買う。

ここのコーヒーは美味しい。

それにしても花見の季節、上野公園の人だかりは凄い。

海外の観光客も多くてあちこちで自撮りしている。

桜を眺めながら公園を抜け、アメ横を通り御徒町から電車に乗る。

昼飯は浅草橋の「あさだ」でビールと十割蕎麦。
歌会に行く前は必ず一杯ひっかけて禊をしてから行くことにしている。
ということで戦闘態勢を整えて歌会に向かった。

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  あさだの車海老天せいろ

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