2016年08月

成年後見と税理士会

税理士会の関係で開催した成年後見の相談会。

場所は藤沢の商工会議所ミナパーク。

以前にも藤沢の商工会議所を利用したことがあるのだが、

建て直したのか、以前とは違う場所で建物も新しかった。駅から近くて便利。

午後1時から「成年後見制度と税金」という題で講演をやり、そのあとは個別相談会。

参加者はまずまずというところかな...(^^;

成年後見制度が始まってある程度の年数が経つが、

この分野への税理士の参入は遅れている。

理由は幾つかあるのだろうが、

ひとつには後見人を指名する家庭裁判所が同じ法務省の関係で弁護士や司法書士を優先

しているからということらしい。

ただ、制度が始まった頃、税理士会の研修会に講師で来ていた家裁の担当者は、

弁護士のように都会に集中せず、全国に万遍なく存在している税理士にかなり期待して

いるということを言っていた。

ところが、その税理士会が動かないのである。

動いているのは一部の有志だけで、会としての動きは鈍い。

税理士の仕事につながらない租税教育については会として一生懸命なのだが、

成年後見についてはなおざりである。

結局、税理士会は国税の方に顔が向いているので、

国税から頼まれる租税教育については一生懸命になり、

国税と関係ない成年後見については、なおざりということになる。

しかし、成年後見はこれからの税理士にとって重要である。

高齢化する顧問先を守るための任意後見は当然だし、

景気の良い時代と違い、新しい会員が顧問先を開拓しにくくなっている現状で、

新しい仕事として法定後見も重要なはずなのである。

ところが税理士会で話をしていると、

「成年後見は仕事にはならいなよ」「仕事の柱にならない」

そういう話をよく聞くのである。

司法書士は仕事の柱にしている。

なんで税理士は仕事の柱に出来ない?

結局、そういうことを言っている税理士は現在の位置に安住しているのである。

しかし、これからの新しい会員はそうはいかないのだ。

新しい業務にどんどん進出しなければ業界は痩せていくだろう。

税理士会のお偉いさん達はそういうことが分かっているのだろうか?

このブログを読んで、

「なに言ってるんだ、成年後見なんて仕事にならないよ」

そう思っている税理士さん、

あなたはもう時代が見えなくなってきていると思って頂いて、たぶん間違いない(^^;;

税理士が成年後見の分野に進出するには、

司法書士会のリーガルサポートのような組織の立ち上げが必要だろう。

税理士会の現状では道のりは遠いわけだが、

我々は次の世代の税理士のために活動を続けるつもりである。

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   開始前の会場、相談者来てくれるかとやきもきしたが、なんとか(^^;;;

本当につまらない男

「本当につまらない男」

今年の流行語大賞にノミネートされるんじゃなかろうか(^^;

そういえば蓮舫さん、以前にも「2位じゃダメなんですか?」でノミネートされている。

記者会見で自分の党の岡田代表について言ったわけだが、

さすがに自分でもまずいこと言ったと気付いたらしく、

ツイッターで反省の弁を述べている。

自分にはユニークさがあると記者会見で言っていたが、

代表選で自分を支持してくれる味方をこう言ってしまうあたり、

確かにユニークな人である。

これで岡田代表がうまく受けてフォローしてくれていれば、

またイメージも変わるのだろうが、

それをしないあたり、

彼女の言う通りつまらない御仁なのか、あるいは、頭にきちゃったのか?(^^;;

ま、日本のリベラルが経年劣化して久しいので、今さら驚きはしないが、

健全な野党なり、健全な批判勢力というのはどんな時代でも必要なわけで、

記者会見でジョークを言うにしても、

もう少し健全なジョークを言って欲しいものである(^^;;;

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      古本屋で見つけた梅原猛の「水底の歌」、柿本人麻呂についての評論、400円

塔ノ岳

八月の日曜、体を絞りに丹沢の塔ノ岳へ。

来年、再びのキナバル登山を計画しているので、

月に一回程度は山に行き体を慣らしておきたいと思っている。

丹沢の塔の岳への登山ルートである大倉尾根は、

登山口の大倉から塔ノ岳の頂上まで標高差1200m、距離7kで、

登山ゲートからラパンラタの小屋まで標高差1460mのキナバルと条件が似ている。

おまけに家からは車で東名飛ばせば1時間なので、

トレーニングするにはちょうどいいところなのである。

家の用事をすませてから出発、大倉の登山口に着いたのは11時。

支度をしてすぐに出発し蒸し暑い登山道を登る。

夏になると大倉尾根の下の方に咲いているキツネノカミソリは今年も咲いていた。

さすがにこの時間から登りだす人というのはあまりいないのだが、

歩いていると、後ろからトレイルランの若者が数人追い抜いていった。

走って登るのだから元気なものだ。

しばらく登って途中の小屋で休憩していると、

あとから登ってきたオバチャンが話しかけてきた。

なんでも埼玉から来たのだそうで、週末の度にどこかに登りに行っているそうだ。

山で体絞って体重すこし減らしたいと言ったら、

「月に一回じゃ減らないですね、毎週行くと減りますよ」と言う。

毎週は山に行けないよね、いろいろ他にすることあるし。

花立まで登ると周囲が開けるのだが、雲のなかで景色は見えなかった。

ふーふー言いながら、頂上への最後の登り、幸い、雲が切れてきて、

頂上では景色が広がった。スカイツリーも遠くに見える。

この頃、体重が増えてしまったのだが、それでもなんとかコースタイムで頂上。

頂上でビールを飲んでいると再び雲が出て視界が閉ざされてきたので、
さっささっさと大倉尾根を下る。

しばらく下ると、ポメラニアンを連れて登ってくる夫婦がいた。

今日中に下るんだろうか? あるいはペット同伴で山小屋に泊まるんだろうか?

ちょっと心配になってしまった。

汗びっしょりになって下山し、秦野のスーパー銭湯で汗を流し服を着替えて帰宅。

ちなみに一日で2k減った。

こういうこと繰り返していれば体絞れるんだろうけど、

あの埼玉のオバチャンみたいに毎週は山に行けないしなぁ~(^^;

ま、来年のキナバルのために月に一度はこんな感じでトレーニングしようと思っている。

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   塔ノ岳 山頂

歌集

  中国と日本がいずれ睨みあう海に夕陽は沈みゆきたり

短歌を始めた頃に作った歌。

この歌、結社誌にもどこにも出していない。

で、今さら出せない歌である。

当時は歴史問題こそあれ今ほど東シナ海をめぐって日中関係が悪化してはいなかったので、

「いずれ睨みあう海」という歌も予言として成立するわけだが、

予言の歌って、予言が当たってしまうともう出せないのである。

なにを今さら、という話にしかならない。

そういうことで、もうどこにも出せない可哀そうな歌である。

歌には旬がある。

この頃、歌集を出そうかという気持ちが少し出てきている。

歌はなんらかの形で世に出さなければ、いずれ消えてゆく。

旬を過ぎて出せなくなった歌も、

詠み散らかしたままでいずれ消えていく歌も、

そのままでは歌が可哀そうな気がしてきた。

それと、あともうひとつ。

子供達にいつか父親の歌を読んでもらい、

父親がどういう思いで自分達を育ててきたか、

それを知って欲しい気もする。

だから歌集という形で残す。

そんなことをこの頃思うようになった。

短歌を始めて10年以上経つが、今まで歌集を出そうということは考えていなかったので、

自分の詠んだ歌の整理とかはとくにはしていなかった。

で、少しずつ整理してみて気が付いた。

あまり連作的に作らない方で、

そのときに浮かんだ心象なり言葉なり、

そういうものから一首を立ちあげるという作り方をしてきた。

そうやって、そのときそのときの心のおもむくままに詠み散らかした歌なので、

作った歌をそのまま並べてみると、

文字通り、なんの脈絡もない歌の羅列になる。

歌集を編むとき、どう歌を配置するか考えるわけだが、

なんの脈絡もない歌をどう配置したらいいのか...。

これ、手の付けようがないじゃん...。そう気づいた(^^;

う~ん...、もうしばらく時間かけないと無理だな...(^^;;

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  荏柄天神 鎌倉 夏

正田篠枝『さんげ』

しばらく前、ネットのニュースに、

「埋もれた被爆歌人の書 正田篠枝『さんげ』広島市に寄贈」という記事があった。

広島で被爆した正田篠枝が原爆の悲惨さを詠み、

占領下の47年に検閲をくぐって出版した歌集『さんげ』。

当時GHQは厳しい検閲をしており、

原爆の悲惨さを伝えるような歌集は出版不能ということで、

どこの印刷所に頼んでも断られたらしい。

結局、広島刑務所の印刷主任・中丸忠雄が正田の熱意に負け、

一般には配布せず被爆者にだけ配布するという条件で150部を印刷。

そういう歌集なので世に知られることなくいつのまにか散逸し、

現在は正田の親族が所有する一冊と、

正田の長男が疎開した縁で歌集を受け取った寺に一冊残るのみだったらしい。

その寺に残っていた一冊が今回、広島市に寄贈されたというニュース。

  大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり

この歌は平和記念公園にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の台座に

刻まれているらしい。ちなみに、台座の歌は「太き骨は・・・」となっていて、

元の歌と違うようである。その辺の経緯は良く分からない。

正田篠枝の『さんげ』、どこかで入手できないのだろうか?

もちろん、歌集そのものは2冊しか現存していないようなので入手は不可能だが、

掲載されている短歌について、どこかに資料的なものはないのだろうか?

寄贈された歌集については、広島平和記念資料館で展示される予定であるらしい。

あるいはいずれ資料館で掲載されている歌について資料として入手できるのならば、
んでみたいと思う。

そう言えば、原爆の歌といえば、やはり竹山広が浮かぶ。

竹山は広島ではなく長崎で被爆した。
長崎市浦上第一病院に入院していた竹山は、ちょうど8月9日が退院予定の日だった。
退院を迎えにくるはずの兄がなぜか予定の時間に遅れ、
竹山は病院で兄を待っていたゆえに助かり、兄は死んだ。

  くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川

くろぐろとした水に満ちる死者、それは竹山にとって、

とこしえに消えることのない記憶となったのだろう。
死んだ者も生き残った者も苦しんだ。
私も原爆の歌を詠ったことがある。

  悲母となるあまたの母の眼差しにエノラ・ゲイという母の名の飛行機

あの日、広島に空襲警報は鳴らなかった。

多くの人が、たった一機、広島に侵入してきたB29を見上げた。

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   原爆ドーム

税制改正要望

毎年、税理士会が税制改正要望を出すのだが、

その関係で各支部から要望を本会に上げ、幹事会でそれを検討する。

幾つか質問を出したのだが、

そのうちのひとつが、配偶者控除と扶養控除について。

103万の壁ということで、配偶者控除の廃止については以前から言われている。

で、どうやって廃止するかということで、

支部の改正案では配偶者控除を廃止して扶養控除に統一し、

その変わり、扶養控除の金額を大幅に増やし、財源として給与所得控除を引き下げる

というようなもの。

しかし、どうなんだろ?

扶養控除の金額を大幅に増やすということは、かなりの減税になるはずで、

給与所得控除の引き下げを財源とするなら、かなり引き下げないといけないんじゃ

なかろうか? 

担当部長は若い会員の意見を尊重したいようだったが、

あまり現実的でない改正案のような気がした。

幹事会のあとで、そんな話をしていたら、

そのあとの研修会で講師が、この話とは直接関係はないのだが、

「給与所得控除はいじれません。いじると選挙に負けますから」

そうなんだよな...(^^;

給与所得控除は給与所得の概算経費控除、大雑把にいって給与収入の30%ぐらいが

控除できるわけだが、実際にそれだけの経費がかかっているかといったら、

ほとんどのサラリーマンはかかっていない。

この辺、サラリーマンの人と話すと、

「そんなことはない、経費は沢山かかっている」と言う人が多いのだが、

実際のところ、そういう人達が「経費」と言っているものの大部分は「生活費」である。

実際に経費があまりかかっていないのならば、

概算経費控除である給与所得控除をばっさり引き下げても良さそうなもんだが、

人間っていうのは既得権益を手放さないもので、

さらにサラリーマンは有権者のなかのかなりを占める勢力である。

いじったら選挙に負ける。

税制って政治が絡むのである。

若い会員達の考えた改正案、やはりちょっと実現は難しそうだ。

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  野毛のKIKUYA CURRYのローストチキンカレー 美味しい

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