2015年12月

絵を売る

絵を売った。

三年前に亡くなった父が40年くらい前に買った絵である。

そのころ、絵のブームがあった。

父は絵に興味があったわけではないのだが、

勤め先の社長に「買っておけば値上がりする」と勧められて買ったのである。

その社長もブームに乗って絵を買ったらしい。

今でも覚えているが、最初に一枚買い、値上がりする値上がりすると喜んでさらに買った。

真面目一方で堅実であることがなにより大切と思っている父だった。

堅実な勤め人が、社長からこれは儲かると言われて信じ込んだ、つまりそういう話である。

画商にとってはいいカモだったのだろう、たぶん、かなりの高値でつかまされている。

やがて、思ったような金額では売れないようだと分かり、絵は夫婦喧嘩のもとになった。

早く絵を売ってくれという母と、そのうち売るから待てという父の言い争いを

何度も聞いた。そして飾られていた絵は箱に入れられ押入れにしまわれた。

社会人になり、ビジネスマンの目で父を見るようになった。

問題に向き合わない父だった。

問題が起きればそれに背を向け、問題に蓋をしてしまう。

それが父の問題解決の手法だった。

別に奇妙なことではない。

20世紀の日本人がよくやった問題解決の手法である。

たぶん、父は幸運な人だったのだろう。

ビジネスマンとして父を振り返ったとき、

高度成長の時代だったから通用したのかもしれないと思う。

もちろん、父が幸運でなかったら、

私も子供のとき貧しい生活を強いられたのかもしれず、

そういう点では父の幸運に感謝しなければならない。

そういう父は私を疎んだ。

堅実に生きることを良しとした父にとって、

合格するかどうか分からぬ国家試験を受け、さらに食えるかどうか分からぬ自由業の

世界に進もうとする息子の行いは、正気の沙汰ではなかったらしい。

私が税理士試験を受けることにも反対したし、

「人生に勝負はつきものだ」という私の何気ない言葉も、

まるで博打打ちの言葉のように聞こえたらしい。

「おまえの性格はまるで俺に似ていない。おまえは鬼っ子だ」

父はそう言った。

人間、疎まれれば、自分も相手を疎み返すもので、

問題に向き合わない父に私はひそかに冷ややかな目を向けるようになった。

似合いもしない投資に手を出して失敗し、そのまま何十年も押入れに仕舞いこまれた絵は、

そういう問題に向き合わない父の象徴だった。

結局、絵を押入れに仕舞いこんだまま父は死んだ。

そして、押入れを占領している絵が邪魔だということで、その絵を売ることになった。

父が買った金額の10分の1以下の金額でしか絵は売れなかった。

売れる絵は一部で、他の絵はつまり騙されてつかまされたような絵だったらしい。

それに、今回、絵を売ってみて分かったのは、絵の売買というのは魑魅魍魎の世界である。

素人が値上がりを期待して手を出しても、余程の大家か成長株の画家の絵でなければ、

売り値と買い値の乖離に驚くことになる。

忙しい時に、父の残していった問題の後片付けをするのは、あまり面白いものではなかった。

そういう父を、私は歌に詠んだことがある。

父は肺炎で入院し、そのまま死んだ。

  父を見舞う時間なのだが聞いており一膳飯屋のスカボローフェア

  父の死を知らされて来し病室の夜の窓辺の花なき花瓶 

  

父は戦争中、伊豆大島の守備隊として出征した。

今年の夏、その大島を訪ねた。

    鬼っ子と吾を疎みし父なりき伊豆大島守備隊なりき

戦争が続いていれば大島に餓死したであろう父のそれから
  
  春来れば山の中腹血の色に染める椿の森を潜りぬ
  
  口癖に父は言いにき堅実と されど狂えと夏花揺れる
  
  天頂にデネブを置いて八月の銀河は海に墜ちてゆくなり
  
  吾は父にいかなる子でありけるやいまだ分からぬ 分からねど夏
  

絵を売ったあとでひとつ驚いたことがある。

押入れに40年も仕舞われたままで絵の状態は良くなかった。

一番高い値で買ったはずの絵にはカビが生えていて、

それを理由に安く買い取られたのだが、

売ったあと画廊のホームページに出たその絵は修復したのであろうカビが払拭され、

買った当時の鮮やかな色を蘇らせていた。

投資に失敗し夫婦喧嘩の原因になり押入れに長年放り込まれた絵である。

その絵を見ながら、

「良かったな...綺麗になって」

そう思ったのだった。

  その
ながき死後の時間のひとときを吾が夢に来て父は帰りぬ

今年の日記への書き込みは今日で終わります。

今年一年ありがとうございました。

来年またお目にかかります。

良い年をお迎えください。

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  丹沢の東 鐘が嶽にて 今年最後のもみじ

納射会

通っているアーチェリーの射場の納射会。

一年の射ち納めである。

試合ではないので、午前中はテキトーにチームを組んで点数気にしないで和気藹々と

コースを回り、お昼からは恒例の餅つき。

天気も良くてコースを回っていて気分がいい。

そういえば不思議と納射会の日って毎年いい天気である。

コースを降りて、昼からは子供達も交えて楽しく餅をついて食べる。

餡子と黄粉と大根おろしで食べる。あとは雑煮。

つきたての餅って、やわらかくって美味しい、スーパーで売っている切り餅と全然違う。

雑煮に入っている大根は射場の上の畑で作ったものだが、

今年の大根は大きくて甘い。

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  55m 射ちおろし
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  餅つき

そういえば、今年買って射場に置いたキノコの榾木からヒラタケが採れた。

先週、福島に行っている間に大きいのが出ていて、

今週行ってみたら、また新しいのが出ていた。

たぶん、もう一週間後ぐらいに収穫すれば丁度いい大きさになっているだろう。

昔、スーパーで「しめじ」ということで売っていたのがこのヒラタケ。

さすがに今では虚偽表示ということになってしまうのだろう、本来のヒラタケという

名前で売っているが、「しめじ」をかたっていただけあって美味しいキノコである。

キノコに味をしめて、今度は射場で自然薯を作ってみようという話になった。

塩ビパイプに種芋植えて射場に置いておけば作れないかな

自然薯出来なくてもむかごが採れれば、あれは美味しい。

こんなふうに自然のなかでいろいろ楽しめるのは幸せだ。

来年もこの射場で楽しませてもらおうと思っている。

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  ヒラタケ

飯坂温泉

日本海側の小松から太平洋側の仙台へは飛行機で1時間。

窓から見ていると、昨日とはうって変わった青空の下にくきやかな雪の山なみが

広がっている。その山なみを越えて平野が広がってくると、その向こうに海が見えてくる。

その海のほとりに仙台空港があり、飛行機は一度、海の上に出て、方向を陸地の方に変え、

着陸態勢に入る。

窓から見ていて気が付いた。

三陸の震災のとき、仙台空港も津波に呑まれたのだが、

機体はその津波と同じルートで空港に進入するのである。

高度を下げた飛行機に乗りながら、津波の視点で陸地を見ているような妙な気分になった。

空港からは電車で福島、そこからさらに飯坂線で飯坂温泉に向かう。

途中、やはり歌会に向かうメンバーと乗り換えの駅のホームでばったり会い、

そのまま一緒に会場に向かった。

出席者は13人、4時間の歌会を終えて、このあとは場所を変えて忘年会があるのだが、

直前になってからの参加だったので、宿は皆とは別のところに取り忘年会も参加せず。

夕暮れの鄙びた温泉街を今日の泊まりのほりえや旅館へ。

ほりえや旅館は飯坂温泉のシンボルである鯖湖湯のとなりで、

明治15年築の木造三階建。築130年くらい経っているだけあって、

建物の古さは目立つが趣きのある宿である。

宿の方の都合で特別室に泊めさせてもらったのだが、

ふた間続きの部屋には、先代の趣味という戦艦や戦闘機のプラモデルや古い本、こけし

などが飾られていて、そういうのが好きな人には嬉しい部屋かもしれない。

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  ほりえや旅館 築130年の木造三階建て
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  特別室のプラモデル

ここの温泉は鯖湖湯と同じ源泉でかなり熱い。

ひとっ風呂浴び、夕食を食べに出る。飯坂は飯坂ラーメンと円盤餃子が名物らしいので、

宿で美味しいと聞いた店に行ってみたが、満席で入れず駅の方の別の店に行った。

食べた感想は...、普通の餃子だよね(^^;

ま、しかし、鄙びた温泉街のぱっとしないラーメン屋で、

餃子をつまみに酒を飲むというのもなかなかいいもんである。

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  飯坂の円盤餃子、一人前なので円盤になっていない

そのあとは宿の部屋でちびりちびりやりながら本を読み、歌を作った。

忘年会に出ていたら生まれてこなかった歌である。

翌朝、早い時間から宿の隣の鯖湖湯の熱い湯に入り、

チェックアウトの時間まで、歌作にふけった。

おかげで幾つかの歌が作れた。

チェックアウトして、飯坂の観光地のひとつですく目の前の旧堀切邸に行ってみたら、

歌会の連中とばったり会う。

「ほんとは私達に会いたくてここに来たんでしょう~」なんて言ってたが、

宿がすぐ目の前だから散歩に来ただけである。

まったく、がさつなオバチャン達だ(^^;;

まあね、東北のオバチャン達みんな人はいいんだけどね...。

ということで、がさつなオバチャン達にはっきり言うが、

あなた方は短歌に対するストイックさが足りない。

短歌に対するストイックさがあったら、

昨日の歌会のような、パンチのない歌会はやらない(^^;;;

昨日の歌会、選歌をせずに詠草を順番に批評していったのだが、

司会が朗読して「いかがでしょうか」と言うと、シーン...。

年に一度の忘年歌会ということで、懇親の方に気がいってたのかどうか知らないが、
なにやら積極性に欠ける歌会ではあった。
一番遠くから来ている人は広島から来ていた。

そうやって、わざわざ遠くから来る人もいるのだから、

もう少し、パンチの利いた歌会をしましょうよ。

ま、自分としては、忘年会に出ず、その時間、鄙びた飯坂温泉の雰囲気を味わえて、

幾つかの歌も作れて、期限切れになるマイルも消化して金かけないで旅が出来たから、

それでいいんだけど、

もっと、ひりひりとするような歌会をしたいよね。

ということで、東北の歌会の皆さん、来年もよろしく(^^


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   飯坂温泉のシンボル鯖湖湯 奥の細道の旅の途中、芭蕉も入ったとか

金沢

期限切れになるマイルがあった。

使わなきゃ勿体ないということで、どうしようかと思っていたら、

福島歌会が飯坂温泉で忘年歌会をするという話が来た。

うん、なら福島に行こう。

で、どうやってマイルで...(^^;

ちなみに羽田からは福島にも仙台にも飛行機は飛んでいない。

ならばここは発想の転換。起点を変えればいい。

考えたのが、羽田から小松に飛んで小松から仙台に飛ぶ。

そうすれば行ったことのない金沢にも行ける。

ということで、仕事の予定を調整、金曜オフにして金沢へ。

当日は日本列島を低気圧が通過、日本全国天気悪かったみたいで、

悪天のなか、「小松に着陸できなければ伊丹に行く」という条件付きで出発。

飛行機ってこんなに揺れるものかとつくづく思いながら小松空港に無事到着。

初めての金沢は雨、ときどき強い風が吹く。

ま、気にしてもしょうがないので、とりあえず金沢城の方へ歩く。

金沢駅東口のバスターミナルから兼六園シャトルバスというのが出ていたのだが、

旅の楽しさのひとつは街歩きである。バスを使わず傘を差して歩く。

金沢城は金沢駅からたいした距離ではない。

駅にあった地図を頭に入れてテキトーに歩いていると、近江町市場に出る。

ここからもう少し行ったところから東に折れれば金沢城のはず、そんな感じで歩いて

いたら、ちょうどいい塩梅で金沢城の黒門に出た。

ここから金沢城に入る。さすが百万石、敷地が広い。

広々とした芝生の広場を通って二の丸の方へ行くのだが、

篠突く雨が降っているとその広さが恨めしくもある(^^;;

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  黒門から金沢城内へ

金沢城は火事で本丸は失われていて、その後再建された一部の建物が建っているだけ

なのだが、敷地の広さはかなりのものである。

再建され、あるいは焼け残った一部の建物だが、なかなか優美な感じがする。

やはり百万石の経済力が背景にあったのだろう。

それにしてもヨーロッパの城と違って、日本の城というのは機能美を感じる。

この辺は民族性もあるんだろうか。

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  河北門
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  五十間長屋
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  本丸跡の森

城を出て兼六園へ。
金沢城から橋を渡れば兼六園である。
相変わらずの雨。雨の兼六園もなかなか乙なものだと自分に言い聞かせて歩く(^^;;;

雨のなかでも雪吊りがなかなか風情ある。

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ひと通り歩いてもと来た道を歩いて近江町市場へ。

ここは金沢の台所で、いろいろな店があり歩いていて飽きない。
平日の金曜だが人出は多い。休日だともっと凄いのだろう。
のどぐろの一夜干しとかを土産に買って家に送り、昼飯に海鮮丼を食うのだが、
どの店を覗いても海鮮の丼ぶり物が3000円前後するし、しかも客で一杯。
ようやく行列していないところを見つけて入ったが、なかなか美味しかった。
で、美味しかったから別にどうでもいいのだが、
いくら金沢が金箔細工で有名だからといって、
海鮮丼のカニのむき身に金箔をつけなくてもいいと思う。
その分安くしてくれた方がいい(^^;

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  近江町市場 結構大きな市場
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  昼食の海鮮丼、なぜかカニのむき身に金箔がのってる。

昼食を終え、ひがし茶屋街へ。

ここは金沢藩の時代からの茶屋街で、いうならば京都の祇園のようなところ。
今でも20人くらい芸子さんがいるらしい。
石畳の伝統的な街並みが趣きあって、金沢の観光名所のひとつである。
昔の茶屋そのままの建物の中を見学できるところがあったりする。
こういうところで遊べる旦那衆というのは、金を持っているだけじゃだめなわけで、
粋で芸が分かる人間でなければならなかったわけである。
それって結構、研鑽してないとだめなはずで、
粋な遊びをするというのも、なかなか大変だったんだろうなと思う。
金箔細工の店があったのでテキトーに土産を買う。

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  ひがし茶屋街

そろそろホテルにチェックインできる時間なので、今日は早めにホテルに入る。

せっかくの金沢だが、やはりこの雨と風のなかを歩くのはちょっとかったるい。
ひがし茶屋街から戻るときも浅野川の橋の上で傘がおちょこになりそうだった。
そんな感じで歩いていたが、
金沢という街、百万石の城下町だけあって落ち着いた感じのする街である。
ホテルに入り、部屋にあったドライヤーで濡れたズボンを乾かしながらビールを飲む。
明日は早い時間の飛行機で小松から仙台に移動である。

請負契約?

税理士会関係の忘年会で、障碍者の人達の作業所の賃金の話がでた。

「一日働いて何百円とか、そのぐらいにしかならないんだよね

「それつて最低賃金法に引っ掛からないのかな?

「請負契約だから関係ないんだ」

「えっ?

首を捻った。

ということで、帰ってから調べてみた。

ネットで調べると、いろいろな話が出ているのだが、

ひとつは、「賃金ではなく工賃だから最低賃金法の適用がない」というもの。

ただ、これは詭弁の匂いがする。

言っていることは労働の対価ではなく請負の対価だということなのだろうが、

時間を拘束され使用者の指示に従って働いている者を請負契約書という紙切れで

請負に出来るのなら、全国のサラリーマンみんな請負に出来るはずだ。

社会保険も源泉徴収も関係なくなるわけで、こんな都合のいい話はない。

しかし、そんな話は通用しないはずである。

ネットに出てくる別の理由が、

「労働ではなく訓練だから最低賃金法の適用がない」というもの。

作業所で働いている障碍者は社会復帰または社会参加のための訓練をしている。

だから、それは労働ではなく訓練である。従って最低賃金法は関係ないという話。

なるほど訓練か...

しかし、何年も何十年も訓練しっぱなしって話あるのかな...?

研修という名目で外国人連れてきて働かせるということをする向きがいるわけだが、

それに近いものを感じる。

どうも、「賃金ではなく工賃だ」「労働ではなく訓練だ」という話はいずれも、

障碍者を安く使う方便に聞こえてしまう。

生産性を考えれば少ない給料しか払えないのは現実だろう。

しかし、方便を持ち出して欲しくない気がする。

調べてみると、最低賃金法には減額・適用除外の規定があり、障碍者はこの中に入って

いる。都道府県の労働局長の許可を受けることで、適用除外に出来るので、

現実問題として給料を払えない作業所はこの方法を取るのではないのか?

あるいは、本来のそういう方法を取らずに最低賃金法を下回っている作業所が結構

あるのだろうか?
その辺の事情は知らないが、もしそうなら是正されるべきなんだろう。
給料を払うだけの収益が出ないという現実には向き合わなければならないが、
障碍者だから安くても仕方ないという考え方はしたくないし、して欲しくない。

と、ひと通り調べてみたわけだが、

~ん、率直に言ってもうひとつ思ったのは、

俺達は税理士だろ、請負契約だから最低賃金法の適用がないとかいう話を聞いて、

それを鵜呑みにするのはどうなんだろうなと(^^;

物事について常に健全な疑問を持つという精神、大切にしたいと思うのである。

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    もみじ

扶養控除申告書

年末調整の季節。

サラリーマンはこの時期、扶養控除申告書を勤め先に提出する。

28年分からその扶養控除申告書のスタイルが変わった。

マイナンバーを記入するようになった。

本人と扶養になっている家族のマイナンバーを記入する。

本人のマイナンバーについては、会社でマイナンバーカードあるいはマイナンバー通知書

の写しを収集するので間違いはないだろうが、

問題は家族のマイナンバー。

家族のマイナンバーカードの写し等は会社には提出しない。

つまり、本人が扶養控除申告書に家族のマイナンバーを書き間違えたら、

会社ではチェックできないということである。

書き間違えたら、どうなるんだろ?

12桁の数字のひとつ書き間違えたら、どこかの誰かのマイナンバーと同じに

なってしまうとか、そういうことも起こりそうである。

日本には正規・非正規含めて5000万人くらいの給与所得者がいるらしい。

非課税の範囲のパートや独身者もいるとして、

仮に半分の2500万人くらいのお父さんやお母さんが家族のマイナンバー入りの

扶養控除申告書を書くとして、

2500万人が書き間違えないということはあり得るんだろうか(^^;

この辺、法律を作るのは秀才の官僚だから、「書き間違える」ということを想定しないん

だろうが、必ず書き間違いは起きる。

別に、マイナンバーを書き間違えても差し当たり問題は生じない。

扶養控除申告書が無効になるわけでもない。

でも、間違ったままではいずれ困るわけで、どこかで是正しなければならなくなるはず。

税務署への源泉徴収票の提出は取締役以外は年500万以上。

全部提出するのは市区町村だし、

そもそもマイナンバーって国が発行するのではなく地方公共団体が発行するものだから、
マイナンバーの書き間違えについては市区町村がチェックして、

該当者に訂正を求めるんじゃなかろうか?

そういう訂正の連絡のときも本人確認等の問題が発生するはずで、
ただでさえ忙しいときにその事務って結構大変な気がする...(^^;;

全国のお父さんお母さん、扶養控除申告書を書くときは
くれぐれも書き間違えない
ように気を付けましょう。
少なくとも晩酌しながら扶養控除申告書を書くのはやめた方が良さそうである(^^;;;

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  アーチェリーの射場に置いた椎茸の榾木に今年初めて生えた椎茸。
 置いて一年目なので今年はまだ出ないと思っていたが、形の良い椎茸が採れた。

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