絵を売った。
三年前に亡くなった父が40年くらい前に買った絵である。
そのころ、絵のブームがあった。
父は絵に興味があったわけではないのだが、
勤め先の社長に「買っておけば値上がりする」と勧められて買ったのである。
その社長もブームに乗って絵を買ったらしい。
今でも覚えているが、最初に一枚買い、値上がりする値上がりすると喜んでさらに買った。
真面目一方で堅実であることがなにより大切と思っている父だった。
堅実な勤め人が、社長からこれは儲かると言われて信じ込んだ、つまりそういう話である。
画商にとってはいいカモだったのだろう、たぶん、かなりの高値でつかまされている。
やがて、思ったような金額では売れないようだと分かり、絵は夫婦喧嘩のもとになった。
早く絵を売ってくれという母と、そのうち売るから待てという父の言い争いを
何度も聞いた。そして飾られていた絵は箱に入れられ押入れにしまわれた。
社会人になり、ビジネスマンの目で父を見るようになった。
問題に向き合わない父だった。
問題が起きればそれに背を向け、問題に蓋をしてしまう。
それが父の問題解決の手法だった。
別に奇妙なことではない。
20世紀の日本人がよくやった問題解決の手法である。
たぶん、父は幸運な人だったのだろう。
ビジネスマンとして父を振り返ったとき、
高度成長の時代だったから通用したのかもしれないと思う。
もちろん、父が幸運でなかったら、
私も子供のとき貧しい生活を強いられたのかもしれず、
そういう点では父の幸運に感謝しなければならない。
そういう父は私を疎んだ。
堅実に生きることを良しとした父にとって、
合格するかどうか分からぬ国家試験を受け、さらに食えるかどうか分からぬ自由業の
世界に進もうとする息子の行いは、正気の沙汰ではなかったらしい。
私が税理士試験を受けることにも反対したし、
「人生に勝負はつきものだ」という私の何気ない言葉も、
まるで博打打ちの言葉のように聞こえたらしい。
「おまえの性格はまるで俺に似ていない。おまえは鬼っ子だ」
父はそう言った。
人間、疎まれれば、自分も相手を疎み返すもので、
問題に向き合わない父に私はひそかに冷ややかな目を向けるようになった。
似合いもしない投資に手を出して失敗し、そのまま何十年も押入れに仕舞いこまれた絵は、
そういう問題に向き合わない父の象徴だった。
結局、絵を押入れに仕舞いこんだまま父は死んだ。
そして、押入れを占領している絵が邪魔だということで、その絵を売ることになった。
父が買った金額の10分の1以下の金額でしか絵は売れなかった。
売れる絵は一部で、他の絵はつまり騙されてつかまされたような絵だったらしい。
それに、今回、絵を売ってみて分かったのは、絵の売買というのは魑魅魍魎の世界である。
素人が値上がりを期待して手を出しても、余程の大家か成長株の画家の絵でなければ、
売り値と買い値の乖離に驚くことになる。
忙しい時に、父の残していった問題の後片付けをするのは、あまり面白いものではなかった。
そういう父を、私は歌に詠んだことがある。
父は肺炎で入院し、そのまま死んだ。
父を見舞う時間なのだが聞いており一膳飯屋のスカボローフェア
父の死を知らされて来し病室の夜の窓辺の花なき花瓶
父は戦争中、伊豆大島の守備隊として出征した。
今年の夏、その大島を訪ねた。
鬼っ子と吾を疎みし父なりき伊豆大島守備隊なりき
戦争が続いていれば大島に餓死したであろう父のそれから
春来れば山の中腹血の色に染める椿の森を潜りぬ
口癖に父は言いにき堅実と されど狂えと夏花揺れる
天頂にデネブを置いて八月の銀河は海に墜ちてゆくなり
吾は父にいかなる子でありけるやいまだ分からぬ 分からねど夏
絵を売ったあとでひとつ驚いたことがある。
押入れに40年も仕舞われたままで絵の状態は良くなかった。
一番高い値で買ったはずの絵にはカビが生えていて、
それを理由に安く買い取られたのだが、
売ったあと画廊のホームページに出たその絵は修復したのであろうカビが払拭され、
買った当時の鮮やかな色を蘇らせていた。
投資に失敗し夫婦喧嘩の原因になり押入れに長年放り込まれた絵である。
その絵を見ながら、
「良かったな...綺麗になって」
そう思ったのだった。
そのながき死後の時間のひとときを吾が夢に来て父は帰りぬ
今年の日記への書き込みは今日で終わります。
今年一年ありがとうございました。
来年またお目にかかります。