2015年11月

海釣り

アーチェリーの常連仲間と海釣りに行ってきた。

常連の一人S氏が「釣りに行こう、行こう」としつこく言うので実現した今回の釣行。

ま、S氏の場合、アーチェリーで点が出ないから次は釣りをしてみようという、

その根性にいささかの問題はあるのだが...(^^;

あんまりしつこく言うので常連仲間で付き合ったというわけである。

当日、葉山マリーナに集合。

曇り空の下、常連仲間の一人が借りてくれたプレジャーボートでいざ出発。

ちなみに自分はこの時点で二日酔い(^^;;

前日飲んでいて、朝起きたら7時過ぎ、集合時間に遅れるというわけで慌てて連絡し、

顔も洗わず車に飛び乗った。おかげで用意していた合羽も置いてきてしまった。

メンバーは6人。このなかで釣りをしたことがあるのは二人だけ。

他の4人は全くの初心者。

行く前からアーチェリーの射場で、

釣り経験のある他の人達からさんざん言われたのである。

なんでも、釣り船というのは船長さんが魚探を見て魚のいるところに連れて行ってくれて、
棚まで何十
mとか指示してくれるんだそうで、そういうことも知らずに、

一杯釣れたらどうしよう、沢山釣れたときのために射場に冷蔵庫を買っておこうか

などと言っている我等に、

「防波堤を出る前に船酔いになる」

「釣れたら奇跡だ」

「釣りをなめとんのか」

数々の提言、忠告、陰口が飛んでいたわけである(^^;;;

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  このプレジャーボートで出発 6人乗りで8時から2時半までのレンタルで17,500円

で、葉山マリーナからまずは颯爽と沖合へ。

小さなブレジャーボート、結構揺れるのだが、走っているときは船酔いしないらしく、
4kぐらい沖まで出る。
みんな仕掛けの作り方も知らない奴らなので、
釣り経験者の二人に、これで釣りなと釣り竿の準備をしてもらいそれで釣る。
テキトーに釣っていると、仲間の一人が30cmのアマダイをあげる。続いてフグ。
なんだ結構釣れるんだと思いつつ釣っていると、
自分の釣り竿には手のひらサイズの鯛がかかった。
鯛って、小さくてもいい恰好をしている。手のひらの鯛を見てしみじみそう思った。
場所を変えて、さらに釣り続ける。
小さな船なので、エンジン止めるとやはり結構揺れる。
揺れ方が合っているのかなんなのか、なぜか二日酔いもいつのまにか消えて、
海原の真ん中、気分がいい。

船首の方で釣っていたのだが、ふと後ろを振り返ったとき、
釣りの情熱に燃えていたS氏が静かなのに気が付いた。
じっと虚空を見つめて直立している。
なんでも船酔いで下を向くと吐きそうになるんだそうで、さりとて座ることもできず、
ひたすら遠くを見て
立っているんだそうな(^^;

うーん、あんなに燃えていたのに...

声をかけるのも憚られて、気付かないふりをして釣りに専念する。

なにやらぐぐっと強い引きが来た。

釣り竿がしなって随分強い引きだなと思いながらあげると25cmくらいのイシダイ。

「それ、高級魚ですよ~!」と釣り経験者から驚きの声があがるが、

釣り初心者には高級魚を釣ったという実感なし。
そのあともカワハギとかベラとかがぱらぱらと釣れる。
結局、前もって買ってあった酔い止めの薬も二日酔いのせいで車に置き忘れて
使わなかったのだが、船酔いになることもなく、
その日の自分の釣果は、
手のひらサイズの鯛   1
25cmのイシダイ    1
カワハギ        5
ベラ          2

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  水平線のあたりにヨットが沢山いるのだが見えるかな...

葉山の海、あちこちにヨットがいる。

そういえば昔、一時期、ヨットをやったことがある。
ヨットを転覆させて回復させる練習しているのは大学のヨット部だろうか?

あんなふうにヨットを操っていた頃があったなと思うと、なにやら懐かしくなる。

2時半まで釣りをしてマリーナに戻る。

今回の釣行で分かったこと、

二日酔いでも船酔いはしない(^^;;
素人が集まっても魚は釣れる(^^;;;
なんとかなるもんだ。

釣りに行こう行こうと誘いながらも人一倍船酔いを心配していたS氏も、

残念ながら今回は吐かないようにと立ちっぱなしだったが、
挫けることなく
次の釣り行きの話をしていた。

まずは良かった良かった(^^

帰宅後、イシダイはざはいて刺身にし、あらの部分はカワハギや鯛と一緒に鍋にした。

なかなか旨かった。

釣りもなかなか面白い。
はもっと大物を狙おう。

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    今回の釣果 赤いのがアマダイ 縞模様がイシダイ、あとはフグ・カワハギ・オコゼ・ベラ 

社会保険アンケート

先日、税理士仲間の勉強会で話題になったのだが、

今、社会保険のアンケートがかなり大がかりにおこなわれている。

おたくの会社は社会保険に加入していますか?というアンケート。

中小零細企業のなかには社会保険に加入していない会社がかなりあるわけだが、

法律では法人は必ず社会保険に加入しなければならない。

これ自体は昔からそうなっていて、別に最近になって法律が改正されたわけではない。

しかし、長い間、社会保険未加入の中小零細企業は加入を強制されることもなく、

放置されてきた。

理由は、社会保険に加入しても社会保険料が支払えない会社が増えたら

国も困るからである。

ところが最近になって国の姿勢が変わった。

社会保険未加入の法人に対し、法律通りに加入させるような方向に舵を切ったのだが、

場合によっては過去二年間に遡って社会保険料を徴収するなど、

いささか遣り方が強引である。

おそらく、来年から導入されるマイナンバーの関係もあるのだろう。

しかし、社会保険未加入の中小零細企業は、

入りたくなくて社会保険に入っていないのではない。

入りたくても社会保険料の負担に耐えられないから入っていないのである。

産業の底辺を支えている下請け企業の場合、

社会保険料の会社負担分を支払えるだけの請負単価の設定になっていない。

そういう状況はそのままで、

法律がそうなっているから社会保険に入れ、過去二年分の社会保険料を支払え。

そういう感じでやられると社会保険のために潰れる中小零細企業も出てくる。

もちろん、本当は社会保険に入れた方がいいのである。

従業員も安心して働けるだろう。

しかし、ことの是非の話ではなく、現実の話として、

社会保険料を支払えない状況下で仕事をしている中小零細企業が沢山あるのである。

そういう現実はそのままで、額面通りに法律を押し通したらどうなるのか?

勉強会では、社会問題になるだろうという声が大勢だったが、

仕方がないから社会保険に入ります。でも、やっばり社会保険料払えません。

そういう会社は間違いなく増加するだろう。

そのとき、その未納の問題はどうするのか?
あるいは、法人を解散して個人営業にしたり、従業員を形だけ外注にしたり、

そういう社会保険逃れが増えるだろう。

いずれにしても、経営の危機に瀕する中小零細企業にとっても、そこで働く従業員に

とっても、いいことはない。

この社会保険の問題、国の遣り方はちょっと首を傾げる遣り方である。

産業は大企業だけで成り立つのではない。

中小零細企業がその底辺を支えている。

まるで、そういう産業の現実を知らない人間が政策を遂行しているみたいだ。

今後、注意が必要である。

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   先日の奈良の土産の「みむろ」
 品のいい甘さの最中で、大きさも手頃、アーチェリーの射場で好評だった。

奈良2  唐招提寺

鑑真。

688年、唐の揚州に生まれ14歳で出家。

南山律宗の継承者として4万人以上の受戒をした。

742年、日本の僧、栄叡と普照が揚州大明寺に鑑真を訪ね、

聖武天皇の願いとして伝戒のため来日を請う。

鑑真は弟子を派遣しようとしたらしいが、海を越えて日本へ行こうという者がおらず、

そのため鑑真は自ら渡海することを決意。

五回の失敗ののち六回目の渡航で琉球を経て日本に渡ってきた。

ちなみに五回目の失敗のときは海南島まで流されている。

来日ののちは日本の仏教界の中心的な存在となり、

759年、唐招提寺を建立、763年に入寂した。

渡航の失敗を重ねた鑑真はその辛苦のゆえに失明したと言われるが、

実際の失明原因は老人性の白内障であるらしく、

日本に渡ってきた当初はまだ視力がいくらか残っていたという説もある。

多大な辛苦のすえに渡ってきた鑑真の目に、この国はどう映ったのだろう。

それにしても50を過ぎて、なぜ危険を冒して海を渡ろうとしたのだろうか。

人間長く生きていれば引き摺るものも多くなるし、

引き摺っているもののなかに安住していれば、むしろ楽ということもある。

なにが鑑真をそこまで駆り立てたのだろうと思うわけだが、

いずれにしろ彼の物語は、
日本という国が形作られる時代の
青空にぽかんと浮かぶ白い雲のような、
そういう清しさがある。

ホテルの前からバスに乗り、唐招提寺へ。
奈良駅から平城京跡の方へ行きそこから南に曲がり、しばらく行ったところが唐招提寺。
南大門をくぐると金堂がある。
奈良でも天平の時代の建物はそうは残っていないわけだが、
唐招提寺の金堂は天平の時代のもの。

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  唐招提寺 金堂

この金堂のなかに廬舎那大仏、千手観音立像、薬師如来立像がある。いずれも国宝。

いずれも見応えのある仏達だが、なかでも千手観音立像が目を引く。
本当に千本の手をつけようとしたのかというような仏師の情念が伝わってくる造形。
金堂の建物も良い、特に前面の列柱。ギリシアの神殿の列柱に通じる美しさがある。


 おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ

会津八一の歌。こんなふうに詠えればと思う。自分には詠えない。

境内を歩いていると校倉が目についた。

あとで調べてみたら、正倉院よりも古い校倉であるらしく、これも国宝。

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  境内の端にあるこの校倉の造形の美しさに気付く人は審美眼あり

紅葉が始まった境内は静かで趣きがある。

苔の庭も美しく、歩いていて気持ちがいい。

この寺で過ごした鑑真の晩年とはどういうものだっのだろう。

しずかな秋の寺をしばらく歩き、南大門から外に出て、西の京駅へのんびり歩く。

やってきた電車に乗り、奈良駅に戻って土産を買い、帰路に着いた。

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   境内の紅葉

奈良

正倉院展に行ってきた。

休日はどうしようもなく混むので、

仕事の予定を遣り繰りして休日と平日を組み合わせて出かけ、
正倉院展の方は平日に行ったのだが、

しかし

奈良国立博物館の入り口の行列は割とスムーズに流れて、これなら大丈夫と思ったら、

中がどうしようもなかった。

展示物の前が黒山の人だかりで、しかもこの黒山がなかなか動かない。

肝心な展示物が殆ど見えない。

正倉院展は何回か見にきているが、これだけ展示物が見えにくかったのは初めて。

やはり目についたのは御高齢の人達。
働かなくていい人増えてるからね...(^^;

そういう人達があちこち行ってお金を使ってくれるのは結構なのだが、

展示物の前でいつまでも立ち止まらないで欲しいという気はする(^^;;
ちなみに今年の正倉院展は目玉と言えるほどの展示物はない。

紫檀木画槽琵琶が目玉といえば目玉なのかもしれないが、

ちょっと地味かな...。

あまりに人が多くて見にくいので、

テキトーに歩いてところどころ覗いただけで出てきてしまった。

何回か見に来ている正倉院展もそろそろ卒業するかな...。
そのあとは隣の興福寺へ。

奈良に来たときは必ずここの八部衆に会いに来る。

五部浄、沙羯羅、鳩槃荼、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆伽羅。

暗がりに立つ造形が素晴らしい。

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  八部衆のいる興福寺国宝館

正直言って正倉院展よりもこの八部衆の方に心は引き寄せられるのだ。

なかでも阿修羅が美しい。

来るたびに惚れ惚れとする。

以前、東京の国立博物館で阿修羅展をやったことがあるが、

阿修羅も他の八部衆も、やはり、この興福寺の暗がりに立っているのがいい。

こちらの方が似合っている。

興福寺を出、まだ時間があるので奈良公園をしばらく歩き、

今日の泊りのホテルに向かった。

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  奈良公園の鹿 


チラシ

ツイッターを見ていたら、短歌関係のシンポジウムの案内があった。

歌会で配られたというそのシンポジウムの案内のチラシが写っている。

「時代の危機と向き合う短歌」というシンポジウム。

9月に京都であった「時代の危機に抵抗する短歌」が好評だったので、

同じようなシンポジウムを東京でも開くらしい。

黒い字で書かれたそのチラシになにやら赤い滲みのようなものが見えるので、

拡大してみた。

黒い字の下に赤い字で、

「けふの正午に重大放送 國民必ず厳粛に聴取せよ・・・」と書かれている。

無題

昭和20
年8月15日、新聞に出た玉音放送を知らせる特報である。

赤い字のその特報の記事の上に被せるように黒い字で「時代の危機と向き合う短歌」と

いうシンポジウム名が印刷されているわけである。

なんで短歌のシンポジウムのチラシに玉音放送の特報?  と思った。

9月の京都でのシンポジウムもそうだったのだが、今回のシンポジウムも、

安保法制などの問題に危機感を持った歌人が、そういう時代状況のなかで、

どうやって詠ってゆくか、というような内容。

そういう時代状況なんだというメッセージみたいなもんなんだろうが、

ちょっと違和感を覚えた。

安保法制を玉音放送につなげるセンスって、単純すぎないか?

イメージ戦略なんだろうけど、

これが歌なら歌会で「イメージに頼りすぎている」と批評されないか?

安全保障に限らず世の中の話って、そう単純ではない。

安保法案のとき、

内容ではなくイメージで支持を広げようとして反対派は失敗したのではないのか?

多くの国民は話がそれほど単純でないことに気付いていたのではないのか?

失敗してもまだ、イメージに頼っている?

それと、それ以上に気になったのは、

チラシに政治的メッセージを感じるということ。

ちなみに、9月のシンポジウムは有意義な内容だった。

時代状況のなかでの短歌の話は京都まで聞きに行く値打ちのあるものだった。

しかし、その短歌の話の枕として出てきた政治の話はあまり聞きたくなかった。

あの時抱いた懸念については以前、このブログにも書いた。
別に、安保法制の反対派とか賛成派とか、そういうことは関係ない。

それぞれの歌人がそれぞれの問題意識を持って活動することにも、
なんの異議も唱える気はない。
さりとて、ノンポリでもないつもりだ。
ひとりの国民として政治に意識を持つのは当然だと思っている。
しかし、政治の話をするのなら、
しっかりとした話をしたいし、しっかりとした話を聞きたい。
そしてなにより、短歌の話とは別の場でそういう話をしたい。
時代状況のなかでどう詠うか、そういう話は聞きたいし、
たぶん、今度のシンポジウムでもいい話が聞けるだろう。
しかし、9月のシンポジウムのときと同じように、
短歌の話の枕として政治の話が出てくるのであろう。
チラシに政治的メッセージを感じるぐらいだから、たぶん出るのだろう。
短歌の話の場でそういう話は聞きたくない。
だから今回は行かない。
もし、主催者達が短歌の話だけでなく政治的メッセージも考えているのなら、
彼等にお願いしたいのは、
短歌の話だけでシンポジウムを開いて欲しい。
政治的メッセージを発したいのならそれはそれで別の場を設けて思う存分やって欲しい。
そして、そういうものを歌会で配らないで欲しい。
短歌結社に政治を持ち込まないで欲しい。

歌会

ひさしぶりの横浜歌会。

例によって気になった歌。

会食で鯉の大きさを見比べる男がいた・・・「赤光」を読む。

そんな歌意の歌。

下の方で斎藤茂吉と分かるわけだが、

茂吉はかなりの食いしん坊で、戦争中に山形の大石田に疎開していたときのこと、

会食に茂吉の好物の鯉が出て、別の客の鯉としげしげと見比べた茂吉は、

「先生の鯉は俺のよりおっけ(大きい)ようだなっす。どうか取っ換えてけねっがす」と

言ったそうな。で、相手が取り替えてくれると、今度はその皿をしみじみ眺め、

「やっぱりほっつ(そっち)の方がおっけかったっす」と言ったそうな。

呆れた客は結局、鯉をくれて、茂吉はふた皿食べ、さらに別の鯉を土産にもらって帰った

そうな。回りの客も見るに見かねたのであろう(^^;

かなりの食いしん坊である。

というか、食いしん坊という評価はかなり好意的な評価で、

フツーなら「卑しい」と言われかねない(^^;;
大歌人・斎藤茂吉の人間としての一面である。

くだんの歌はそれを詠ったのだろうが、歌会では、

「鯉の大きさを見比べるというのが分からない」とか、

「鯉じゃなくて鰻じゃなかったか?

「この鯉は甘露煮かなにかでしょうか?」という話になってしまい、結局、総評も、

「『甘露煮の鯉の大きさを見比べる・・・』というふうにすれば分かるようになる」という
ものだった。

それを聞きながら、かなり疑問を感じたわけである。

短歌は分かりやすくすればいいのか?

第一、  この歌は「会食で鯉の大きさを見比べているみっともない茂吉」が浮かばないと

いけないのであって、「甘露煮の鯉の大きさを見比べる」ではそれが伝わらない。

そもそも会食に出たのは甘露煮だったのか?

誰かが「甘露煮」と言い出すとその方向に批評の流れが行ってしまうというのは、
批評が安易では
ないのか?

そもそも甘露煮かどうかなんてこの歌の鑑賞で重要なことか?
いずれにしろ、茂吉のそういうエピソードを知らないと鑑賞しにくい歌であることは
確かだろう。
それならそれで「分からなくてもなにか惹かれる歌」になっていなければ
ならないわけで、
くだんの歌に問題があるとすればその部分ではないのか?

ひさしぶりに出席した横浜歌会、ホームグラウンドと思っている横浜歌会なのだが、
そういう部分が聞けなかったのは批評としてちょっと物足りなくて残念だった。

 サテイ
  東戸塚のエスニック料理サティーのチキンカレー
 日本人向けにアレンジした味だが、美味しい

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