2015年09月

緊急シンポジウム「時代の危機に抵抗する短歌」

京都2日目は「時代の危機に抵抗する短歌」というテーマでのシンポジウム。

安保法制成立に伴う社会のもろもろの動きは今さらここに書くことでもない。

何人かの歌人がそういう時代状況に危機感を抱いて今回のシンポジウムになったわけ

である。そう広くもない会場に140人くらいの人が集まり、机と机の間の通路にまで

椅子を置くような状況だった。それだけ危機感を抱いた歌人が多いということなのだろう。
新聞社も取材に来ていた。

吉川宏志氏の開会の挨拶に続き、

三枝昴之氏の講演「時鳥啼くなと申す人もあり」、

永田和宏氏の提言「言葉の危機的状況を巡って」、

中津昌子、澤村斉美、黒瀬可瀾、三氏の鼎談「戦後七十年の軋みのなかで」、

というプログラム。

三枝さんの講演は良かったし、

若い三人の鼎談はバランスが取れていていい内容だった。

しかし、正直言って、今回のシンポジウムでかなり気になったことがある。

講演や鼎談の内容についてではなく、そのことについて書く。

開会の挨拶で、吉川氏は、「国会で暴力的に安保法案が採決されショックを受けた」と

いうことを言っていた。委員会での採決のシーンを見ての率直な感想なのだと思う。

ただ、私はこの「暴力的」という言葉にかすかな違和感を持った。

実際、暴力的だった。

しかし、吉川氏の挨拶の文脈からは、安保法案を成立させようとした側の暴力に目が

向けられているイメージが伝わるのである。

事実は微妙に異なる。

安保法案に賛成の側も反対の側も両方とも暴力的だった。

それが事実である。

言葉に対して鋭敏なはずの歌人らしさがちょっと感じられなかった。

あるいは気持ちが先走っていたということだろうか?

永田氏の提言は提言自体は妥当なものだったが、

氏の話の中で多用された「憲法違反」という言葉に私は懸念を持った。

「憲法違反」とは、法律やあるいは国や行政の行為について問われるもので、

個人の言動について問われるものではない。

政治家らが憲法をないがしろにする発言をしたとしても、
それは「憲法をないがしろにする発言」でありこそすれ、すぐには「憲法違反」ではない。
(正当な問題提起の枠を超えれば憲法99条との関係はあるんだろうが、※補足)
永田氏は「戦前には『非国民』という恐ろしい言葉があった」と言っていたが、

「非国民」という言葉の恐ろしさの本質は、
相手にレッテルを張り、相手を完全に否定することである。
レッテルを張った側は絶対正義であり、最早議論の必要もなくなる。
今回、安保法案に反対する人達が、
実はこの恐ろしい手法を用いた。
「安保法案」に「戦争法案」というレッテルを張り、
永田氏が使った「憲法違反」という言葉も本来の意味を離れて多用された。
「彼の発言は憲法違反だ」。
「憲法違反」というレッテルを張ることで自分と異なる意見を否定できるとしたら、
これは恐ろしい話である。
仮にその個人の発言がかなり問題のあるものだとしても、それは言論の封殺につながる。
なぜ、永田氏は個人の発言についてまで「憲法違反」という言葉を使ったのか。
今回の安保法案について反対派の失敗はイメージ戦略に頼ったことである。
レッテル張りを多用し、中身の議論ではなくイメージに訴えて支持を広げようとした。
この手法は実はヒットラーの得意としたところであり、
右と左のファシストの常套手段である。
世論調査では、安保法制の成立に対し問題があると感じている人は多いが、
しかし、反対した野党への支持は増えていない。
この数字の乖離が示しているのは、
この国にサイレント・マジョリティがいるということであろう。
法案の中身あるいは成立の手続きに懸念は持っていても、
反対派の手法あるいは主張には共感しなかった。
そういう健全なサイレント・マジョリティがこの国にはいるということではないか?
法案が成立したときSEALDsの代表は最後にマイクに向かってラップの調子でこう言った。
「民主主義ってなんだ!」
民主主義とは少なくともイメージ戦略のなかで陶酔することではない。
自由と民主主義を愛する者はファシストの遣り方を政治手法として採用しない。
吉川氏と永田氏が安保法制に反対することはなんら否定されることではないし、
時代に危機感を持ち、歌人としてなんらかの活動をしようとしていることも
敬意に値する行動である。
しかし、今回のシンポジウムでの発言には危ういものを感じた。
反対派が頼ったイメージ戦略に染まったものを感じてしまうのである。
戦前の「非国民」というレッテル張りの恐ろしさを指摘しながら、
今回の反対派が採用した個人に対する「憲法違反」というレッテル張りを許容するなら、
健全なサイレント・マジョリティの支持は得られるだろうか?
あるいは、この二人ですら時代の雰囲気から自由ではあり得ないのか?
私はそういう懸念を覚え当惑した。
戦前の歌人もそうやって時代の雰囲気に呑まれていたのではないのか?
その反省からスタートしても、やはりイメージ戦略のなかにいるのか?
敬愛する二人の歌人の発言に抱いた懸念を整理できないまま、
私は会場をあとにした。
もちろん、会場全体の雰囲気はそのような懸念を感じさせるものではなく、
盛会のうちにシンポジウムは終わった。
私の抱いた懸念が勘違いであることを私は期待している。

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  シンポジウムは午後から。京都2日目の午前中は、
 八坂神社から知恩院、青蓮院門跡の辺りを歩いた。
 写真は知恩院三門。

京都

短歌関係のシンポジウムがあって、週末、京都に行ってきた。

シンポジウムは日曜なので、土曜は京都観光。

昼前に新幹線で着き、そのまま山陰線に乗って嵐山へ。

駅から歩き始めてすぐ、

「凄いな~」と口から出た。

ともかく人が多いのである。

円安の効果なのだろうが、外国からの観光客が多い。

渡月橋も人が多すぎるといまいち風情が感じられなくて残念である。

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  渡月橋

仕方ないので湯豆腐で昼飯を食ってから天龍寺に回る。

紅葉はまだだろうと思っていたが、庭園の紅葉が少し赤くなっていて綺麗だった。

金木犀の香りも気持ちいい。

法堂の天上には雲龍図が描かれていて、年に三回、特別公開するらしいが、

ちょうど秋の公開で、「八方睨みの龍」を見ることが出来た。

堂のどこに立って見上げても龍と目が合うので、八方睨みの龍なんだそうで、

試しに場所を移して見上げてみたが、確かにどこに行っても天上の龍と目が合う。

天龍寺の北門を出ると嵯峨野の竹林である。

ここは「竹林の道」と言われて感じの良い道なのだが、

その道に観光客が一杯であちこちで自撮りしていると風情もなにもあったもんじゃない。

観光は21世紀の日本の重要な産業なわけだが、

キャパシティーを越えるといろいろ問題はあるね...(^^;

その辺の兼ね合い、難しそうである。

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  天龍寺
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  竹林の道 観光客がちょうど途切れたところで写真を撮った。
  写真を撮っている自分の後ろにはわんさと観光客がいる。
 
このあと祇王寺、化野念仏寺と嵯峨野を歩く。

天龍寺が少し紅葉していたので期待したのだが、

祇王寺のあたりは全く紅葉していなかった。

祇王寺は平清盛の寵愛を受けた祇王が清盛の心変わりの末に隠れ住んだという
小さな寺。苔が綺麗である。
化野は昔、京都の葬送の地のひとつで、しかも最初の頃は風葬であったらしい。

散在していた骸を埋葬して空海が寺を建てたのが念仏寺の始まりとか。
境内には風化した古い小さな石仏や墓石が沢山並べられていて、
なにか不思議な雰囲気のある寺である。

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  祇王寺
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  化野の石仏

駅の方に戻り、嵐電で市内へ。

泊まる旅館にチェックインして、夜は先斗町木屋町辺りを店を探しながら散策して、
結局、先斗町の川床へ。
鴨川と時おり雲間から顔を出す月を眺めながら肉を食い酒を飲む。
鴨川は暗くてよく見えないが、土手の上にほぼ等間隔でアベックが座っている。
間隔は4~5m。
決められたわけでもないのだろうが、だいたい同じ間隔で座っているのが面白い。
そういえば明日は十五夜。
時おり顔を出す月は下の方がほんの少し欠けているようだ。
美味しい肉料理を食べ、いい気分で酔っぱらって宿に戻った。

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  先斗町

歌会

ひさしぶりに東京での歌会。

気になった歌というか、気になったこと。

例によって発表前なので、ここには出せないが、

子供がアネモネの球根を植えたと言っていた鉢に鳳仙花が咲いた、

そんな歌意の歌。

この歌について、

「アネモネは球根で鳳仙花は種、間違えて鳳仙花の球根を植えるということは
ありえないので、この歌はおかしい。どうしてアネモネを植えたのに鳳仙花が
出てきたのか分からない」

そういう趣旨の批評が複数出てきたのだが、

聞いていてちょっと首を傾げた。

そんなに考え込むような歌なのか?

アネモネの球根植えたけど芽が出なかった。

そのうち種が飛んできたのか鳳仙花が咲いて、
作者は「
あら、アネモネを植えたと言っていたのに鳳仙花が咲いたわ?」と思っている。

そういう歌ではないのか?

ところが歌会の方は、

「アネモネの球根は逆さに植えないと芽が出ない」とか、

「球根には深植え、浅植えがあって」というような園芸談義になってしまった。

指名されないままに黙って聞いていたら、別の人から、

「アネモネが出なかった、鳳仙花が出てきて驚いている、そういう歌ではないのか」

という批評が出て、ようやく収束したのだった。

球根を植えたけど芽が出なかったというのは、フツーにあることで、

別に特異なことではない。

自然に読めばいいだけのことで、
どうして芽が出なかったのかというのは
この歌の鑑賞には全く関係のないことであり、
無用な園芸談義だった。

読むのが難しい歌ではなかったのだが、

なまじ知識があって、読みの邪魔をしたのであろう。

アネモネは球根、鳳仙花は種、間違えて鳳仙花の球根を植えるということはあり得ない、

だからこの歌はおかしい、そういう思考にとらわれたのである。

読者の知識や経験は歌の読みにかなり影響を及ぼす、というか、

歌を読むときはそういうものをフル動員して読みを検証するわけだが、

それにとらわれすぎても歌を読み損なう。

自戒としたいと思った。

さて、歌会のあとは軽く飲みながらの歌談義。

東京の歌会、11月に吟行をやるのだそうだが、

場所は府中競馬場。

なんで競馬場かというと、

短歌をやっている人は真面目なので競馬とかしたことがないだろうということで、

非日常の世界を経験してもらおうということで競馬場にしたんだそうな。

選者の花山多佳子さんや小林幸子さんも参加するんだそうで、

花山さんや小林さんがスポーツ新聞の競馬欄に赤鉛筆で印つけて、

馬券を片手に「行けっー!」とか叫んでいる姿を想像すると結構面白いものがある(^^;

競馬場での吟行のあとは歌会、そのあとは懇親会をやるそうだが、

なんでも、歌会の会場費の余剰が結構たまっているので、

懇親会でその余剰金を使うのだそうだ。

だったら、その余剰金でまとめて馬券買ってしまえばいいじゃないか、

と意見具申した。

当たれば山分け、外れたらせっせと貯めた金が一瞬で消える悲哀を味わってもらい、

その悲哀のなかから秀歌をものにしてもらえればいいと思うのだが、

えらい顰蹙をかって却下されてしまった(^^;;

曰く、「歌会の余剰金で馬券を買うなんて」

でも、その金で懇親会やるなら飲み代になるか馬券になるかの違いだけで、

結果は同じだと思うんだが...(^^;;;

やはり皆さん真面目なのである。

その真面目さが歌会での無用な園芸談義の原因のひとつである気もするのだが...(^^

さてさて、競馬の味を覚えて皆さんどう変わるのであろう。

11月の東京競馬歌会。

自分は出席できないのだが、その顛末を聞くのを楽しみにしているのである。

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  歌会の日の午前中は東京都立美術館でやっているモネ展へ。
 上野公園の中央広場では全国大陶器市をやっていた。

誤読

短歌結社の結社誌を読んでいて、思わず笑った。

結社の前主宰の永田和宏さんの文章。

昔、歌会で村木道彦の歌を誤読したことを書いている。

 

   するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら

                              / 村木道彦『天唇』

永田和宏さんはこの歌を、

「作者がどこかの時点で『ぼく』を捨て、それをいま、誰かにその顛末を話してあげようか

と言っている歌」と読んだらしい。

で、歌会に出ていた吉川宏志さんに、

「これは恋人が作者を捨てたのではないでしょうか」と言われ、

驚いてぶっ飛んだそうな。

ぶっ飛びたくなるのはこっちである(^^;

表現に沿って自然に読むならこの歌は、

自分を捨てた女がいずれどこかで他の男に、マシュマロをほおばりながら、

「こういう男がいて、うざかったのよね~」などと面白おかしく話すだろう、

そう思っているという歌である。

ま、大抵の場合、自分に都合のいいように粉飾して話すのであって、

その辺の機微を知っている作者は、なんとも言えない気持ちを抱いているわけである。

それでいて、こんなふうに詠むこと自体、なにがしかの未練がありそうで、

情けない男の、しかし、素直な歌ではある(^^;;

それを、どこかの時点で「ぼく」を捨てたその顛末という、なにか人間存在の意味を問うて

いるような高尚な歌として読んでしまうのが凄い。

しかし、考えてみると、こういうことって結構ありそうである。

実際、歌会で話を聞いていても首を傾げることがある。

たぶん、歌詠みには真面目な人が多いのだろう。

「この歌にはもっと深い意味があるはずだ」

そんなふうに思うのだろうか、その深い意味を探して読みの森のなかに迷い込む。

自分のようにあまり真面目でない向きは歌会でそういう読みを聞いていて、
もっと素直に読んでいいんじゃなかろうかと思うのである。

しかし、それはそれとして、

永田和宏ほどの歌人でもこういう誤読をするというのは、

ある意味、励みになることである(^^;;;

永田さんでもこんなふうに読むことがあるんだ。
俺ももう少し頑張ればもう少しましな歌
が詠めるようになるかもしれん。

そんな気になれる(^^;

永田さんでもこんなふうに読むことがあるんだ。
俺ももっと自由に読んでいいはずだ。

そんな気にもなる(^^;;

歌会で恥をかくことを恐れず読んでいく。それが歌の実力をつけるにはとても大切なことで、

こんなふうに読んだら恥をかくかなと思ったとき、

永田さんでもあんなふうに読むんだ。
だから大丈夫だ
! と思えそうである(^^;;;

なにか、久しぶりに勇気づけられる文章だった(^^

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  30m射ち上げ、中央黄色のスポットにすべて命中、6・5・5
 これぐらい当たると気持ちがいい。

洪水

豪雨でかなりの被害が出ている。

茨城では鬼怒川が決壊した。

決壊したのは木曜だが、その週の火曜、茨城のそのあたりに行っていた。

相続の仕事で、土地を調べに行っていたのである。

市役所で土地の評価証明を取り、そのあと現地を見に行った。

評価倍率地域なので、現地を見なくても評価は出来るし、

評価証明も郵便で取ることは出来る。

しかし、出来るだけ現地を確認することにしている。

相続人自身も相続した土地のことを知らないということは結構あって、

そういう場合は、土地がどういう状況になっているのか、出来る範囲で調べて

相続人に報告することにしている。

もちろん、あまり遠いところはそういうわけにもいかないのだが、

今回は茨城なので、行くのは簡単ということで出かけたわけである。

スケジュールを調べて、火曜か木曜に行こうと思った。

その時点では木曜はそれ程雨は降らないという予報だったので、

本来なら木曜の方が良かったのだが、火曜にした。特に理由はない。

当日、雨が降るなか鬼怒川を渡り小貝川を渡った。

小貝川は何度か氾濫して知られている川なので、

渡るとき何気なく川を見たら、かなり増水していた。

これ以上増水したら危険なのかなと思った。

もし、調べに行くのを木曜にしていたら大変だったのだろう。

当日、首都高や常磐道が何時頃まで走れたのか知らないのだが、

あるいは、鬼怒川が決壊したちょうどその頃、その辺りにいたのかもしれない。

流されてまだ発見されていない人達もいる。

復旧も大変だろう。

温暖化の時代、こういう災害は増えるのかもしれない。

国土自体がタフにならなければならないのだろう。

国土をタフにするためには予算の重点配分ということもあるはずで、

そういう予算を配分しにくい過疎地では過疎化に拍車がかかるのかもしれない。

温暖化はこの国の社会もそうやって変えていくのだろう。

ニュースで自分がその場にいたかもしれない洪水の映像を見ながら、そんなことを考えた。

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   アーチェリーの射場の白い曼珠沙華

アメリカ グランドキャニオン

アンテロープキャニオンからグランドキャニオンへ、カーナビの指示に従って平原を走り、

途中、右折して西へ向かう道路に入ったとき、驚いた。
片側一車線の道なのだが、道に砂が積もっている。
しかも、我々の走る車線の方はうず高く積もっていて、
ところどころ車が突っ込んだような跡がうねうねと続いている。
「なんだ!?  この道...」

そう思いつつ、反対車線しか走れないのでそちらを走っていたら向こうからトラックが来た。
それもアメリカ映画でたまに見かける、これ以上ないくらいごつくてうすらでかいやつ。
慌てて砂の積もった車線の方に入り、車が突っ込んだような跡に頭を入れてやり過ごした。
これで、うず高く積もった砂になんでそういう跡がうねうねとついているのか分かった(^^;
たぶん、風で道路の片側に砂が寄って積もるのだろう。
で、片側車線しか通れないので皆そちらを走る。
向こうから車が来ると、砂の積もった車線の方に頭を突っ込んでやり過ごすのであろう。
車をバックさせ、走れる車線に戻ってそのまま進むと、
しばらくしてうず高く積もった砂は消えて両車線とも走れるようになったが、
相変わらず全体に砂が積もった感じで道は続いている。
しかも、今度はその砂の道を塞ぐように向こうからBullの群れが来る。
マジ!  勘弁してくれよ...(^^;;
幸いBull達はゆっくり走ってくる我らがメルセデスベンツを悠然とよけて行ってくれた。

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  砂の道をやってきたBullの群れ、悠然と車をよけて行ってくれた

カーナビで見てみると、先の方で主要道と合流するようだ。

「主要道は舗装しているだろう。そこまで飛ばすな停まるな。砂でスリップすると面倒だ」
失業率が40%を超えるというナバホネイション。
ネイションと州の外をつなぐ主要道は州の管理なのかしっかり舗装されているが、
脇道に入るとこんな感じで舗装されていないダートな道が多いのかもしれない。
ネイティブアメリカンの保留地はアメリカのなかの第三世界というが、
道路管理の予算も厳しいのかもしれない。
アメリカの現実の一端を見た気がした。
それにしても今回、グランドサークルを走って思ったのは、
舗装された主要道を走る分には、フルサイズの普通車で充分だが、
主要道から外れるところ、例えばナバホネイションの脇道のようなところを走るなら、
車高の高い4WDのような車の方が安心できるかもしれない、ということ。
ようやく主要道に合流し、さらに走り続ける。
やがて右にコロラド川の渓谷が見えてくる。
そして、ラスベガスを出発して4日目の夕方、2000kを走ってグランドキャニオンに到着。

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翌朝、トゥシャンのホテルから再びサウスリムに行ってみると、

キャニオンは朝靄の中だった。
ブライトエンジェルに行き、そこからトレイルをしばらく歩いてみる。
ここからキャニオンを4時間下ればコロラド川に出る。そこで一泊して翌日、標高差1300m
を登り返してくるのがこのトレイルの楽しみ方なのだが、今日中にラスベガスに戻るので
そんな時間はなく、時計を見て30分だけ下ってみる。
歩いているうちに朝靄が消えてきて、雄大な谷が眼前に広がった。
もっと歩いていたいが、30分降りたところで引き返した。

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  天気が回復してきたブライトエンジェル・トレイルの降り口
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  写真の中央左、コロラド川の水面が少し見える
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午前中、グランドキャニオンで過ごし、昼からラスベガスへ向かう。

ルート66の名残りであるUS66を通り、フーバーダムに立ち寄ってラスベガスに戻った。
途中、田園風景のなかで車を停め、写真を撮っている日本人らしい若いカップルがいた。
たぶん、ラスベガスからルート66を通ってグランドキャニオンに向かうのだろう。
そういえば、グランドサークルを走ってきて、アンテロープキャニオンまでは日本人に
会わなかった。というか、東洋系の観光客自体少なくて、
やはり東洋系の人達はメジャーな観光地に集中する傾向がある。
欧米系はそういうところから外れているところにもやってくるわけで、
欧米系の方がアクティブなのかなという感じがする。
これはグランドサークルだけでなく、他の国に行っても感じるところ。
それと、今回、グランドサークルを走って思ったのは、
5日間では駆け抜けた感じ、ということ。
ひとつひとつのナショナルパークを1日か2日かけて見たいところで、
グランドサークルをほんとに楽しむなら10日から2週間はかけたいところだ。
もちろん、駆け抜けただけでも充分内容の濃い旅だった。
もう日が暮れた頃、ラスベガス着。
5日間の走行距離2330k
ホテルで夕食をすませ、カジノで少し遊んで翌朝の飛行機で帰国した。

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