京都2日目は「時代の危機に抵抗する短歌」というテーマでのシンポジウム。
安保法制成立に伴う社会のもろもろの動きは今さらここに書くことでもない。
何人かの歌人がそういう時代状況に危機感を抱いて今回のシンポジウムになったわけ
である。そう広くもない会場に140人くらいの人が集まり、机と机の間の通路にまで
椅子を置くような状況だった。それだけ危機感を抱いた歌人が多いということなのだろう。
新聞社も取材に来ていた。
吉川宏志氏の開会の挨拶に続き、
三枝昴之氏の講演「時鳥啼くなと申す人もあり」、
永田和宏氏の提言「言葉の危機的状況を巡って」、
中津昌子、澤村斉美、黒瀬可瀾、三氏の鼎談「戦後七十年の軋みのなかで」、
というプログラム。
三枝さんの講演は良かったし、
若い三人の鼎談はバランスが取れていていい内容だった。
しかし、正直言って、今回のシンポジウムでかなり気になったことがある。
講演や鼎談の内容についてではなく、そのことについて書く。
開会の挨拶で、吉川氏は、「国会で暴力的に安保法案が採決されショックを受けた」と
いうことを言っていた。委員会での採決のシーンを見ての率直な感想なのだと思う。
ただ、私はこの「暴力的」という言葉にかすかな違和感を持った。
実際、暴力的だった。
しかし、吉川氏の挨拶の文脈からは、安保法案を成立させようとした側の暴力に目が
向けられているイメージが伝わるのである。
事実は微妙に異なる。
安保法案に賛成の側も反対の側も両方とも暴力的だった。
それが事実である。
言葉に対して鋭敏なはずの歌人らしさがちょっと感じられなかった。
あるいは気持ちが先走っていたということだろうか?
永田氏の提言は提言自体は妥当なものだったが、
氏の話の中で多用された「憲法違反」という言葉に私は懸念を持った。
「憲法違反」とは、法律やあるいは国や行政の行為について問われるもので、
個人の言動について問われるものではない。
政治家らが憲法をないがしろにする発言をしたとしても、
それは「憲法をないがしろにする発言」でありこそすれ、すぐには「憲法違反」ではない。
(正当な問題提起の枠を超えれば憲法99条との関係はあるんだろうが、※補足)
永田氏は「戦前には『非国民』という恐ろしい言葉があった」と言っていたが、
「非国民」という言葉の恐ろしさの本質は、
相手にレッテルを張り、相手を完全に否定することである。
レッテルを張った側は絶対正義であり、最早議論の必要もなくなる。
今回、安保法案に反対する人達が、
実はこの恐ろしい手法を用いた。
「安保法案」に「戦争法案」というレッテルを張り、
永田氏が使った「憲法違反」という言葉も本来の意味を離れて多用された。
「彼の発言は憲法違反だ」。
「憲法違反」というレッテルを張ることで自分と異なる意見を否定できるとしたら、
これは恐ろしい話である。
仮にその個人の発言がかなり問題のあるものだとしても、それは言論の封殺につながる。
なぜ、永田氏は個人の発言についてまで「憲法違反」という言葉を使ったのか。
今回の安保法案について反対派の失敗はイメージ戦略に頼ったことである。
レッテル張りを多用し、中身の議論ではなくイメージに訴えて支持を広げようとした。
この手法は実はヒットラーの得意としたところであり、
右と左のファシストの常套手段である。
世論調査では、安保法制の成立に対し問題があると感じている人は多いが、
しかし、反対した野党への支持は増えていない。
この数字の乖離が示しているのは、
この国にサイレント・マジョリティがいるということであろう。
法案の中身あるいは成立の手続きに懸念は持っていても、
反対派の手法あるいは主張には共感しなかった。
そういう健全なサイレント・マジョリティがこの国にはいるということではないか?
法案が成立したときSEALDsの代表は最後にマイクに向かってラップの調子でこう言った。
「民主主義ってなんだ!」
民主主義とは少なくともイメージ戦略のなかで陶酔することではない。
自由と民主主義を愛する者はファシストの遣り方を政治手法として採用しない。
吉川氏と永田氏が安保法制に反対することはなんら否定されることではないし、
時代に危機感を持ち、歌人としてなんらかの活動をしようとしていることも
敬意に値する行動である。
しかし、今回のシンポジウムでの発言には危ういものを感じた。
反対派が頼ったイメージ戦略に染まったものを感じてしまうのである。
戦前の「非国民」というレッテル張りの恐ろしさを指摘しながら、
今回の反対派が採用した個人に対する「憲法違反」というレッテル張りを許容するなら、
健全なサイレント・マジョリティの支持は得られるだろうか?
あるいは、この二人ですら時代の雰囲気から自由ではあり得ないのか?
私はそういう懸念を覚え当惑した。
戦前の歌人もそうやって時代の雰囲気に呑まれていたのではないのか?
その反省からスタートしても、やはりイメージ戦略のなかにいるのか?
敬愛する二人の歌人の発言に抱いた懸念を整理できないまま、
私は会場をあとにした。
もちろん、会場全体の雰囲気はそのような懸念を感じさせるものではなく、
盛会のうちにシンポジウムは終わった。
私の抱いた懸念が勘違いであることを私は期待している。
シンポジウムは午後から。京都2日目の午前中は、
八坂神社から知恩院、青蓮院門跡の辺りを歩いた。
写真は知恩院三門。