2015年08月

アメリカ グランドサークル

グランドサークル。

アメリカ西部、ユタとアリゾナにまたがるレイクパウエルを中心にした半径230kの

円内に、グランドキャニオンを始めとして八つの国立公園が集中している。

今回、そのうちの幾つかを回ってきた。

デルタ航空でロスアンゼルス、そこで乗り換えてラスベガス。

ターミナルにいきなりスロットマシンが並んでいるのがいかにもラスベガスである。

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 ラスベガス マッカラン国際空港
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 ターミナルにスロットマシンが並んでいる

今回はレンタカーでの移動なのでハーツの窓口で手続き。

日本でネット申し込みはしてあったが、受付でいつものとおり通じているのか通じて

いないのか分からない英語で話しているうちに、車をアップグレード。

面倒くさいからいいやと思って選んだのが、メルセデスベンツの四輪駆動。

あとでクレジットの明細みたら一週間分のアップグーレード料金他諸々で追加470ドル。

やってしまった(^^;

多少高くはなるんだろう程度で金額気にしていなかったのだが、

やはりベンツって高いのかな...(^^;;

しかし、このあとの行程で、アップグレードして正解だったかなと思うことになるのだが、

この時点ではまだ気づかない。

到着がもう夕方なので初日はそのままホテルにチェックインして食事をし、

ホテルのカジノで少し遊んで終わり。

ちなみにラスベガスのカジノはドレスコードはなく、みな思い思いの格好で楽しんでいる。

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 ラスベガスの宿泊はサーカスサーカス
 ラスベガスのホテルは、競争が激しいのと併設のカジノで金を使わせる
 つもりなのだろう、宿泊料は安い。

翌朝、長いフライトの疲れか時差ボケの影響か目が覚めたらなんと10時。

急いでチェックアウトして出発した。

前夜の特大ステーキの効果かまったく腹がすかないので朝飯は抜き。

ラスベガスの市街地で少し戸惑いながらもカーナビの助けでなんとかフリーウェイにのり、

ザイオンへ向かう。左ハンドル右側通行も二か月前サイパンで練習した効果か、

どうということなくすぐに適応した。

ラスベガスは枯れた山脈に囲まれた砂漠のなかのオアシスから発展した街で、

一歩街の外に出れば砂漠が広がる。

アメリカに着いてそうそう、日本とはまったく違う雄大な景色のなかを走ってゆく。

ともかくスケールが違う。

天気も良くて気持ちがいい。

砂漠から山を越えるような道になり、結構走ってザイオン国立公園。

ビジターセンターの手前にナショナルパークの入り口があり、

入園料を払うのだが、公園のレンジャーがペラペラと説明してくれる。

つまり、一週間以内に三か所か四か所以上、国立公園を回るならカードを買った方が得だ

ということを言っているらしく、素直にそのアドバイスに従い50ドルでカードを買う。

受け取った明細を見たら本来は80ドルだが30ドルの値引きがあっての50ドルだった。

この30ドルの値引きの理由は分からぬ。

ザイオンは渓谷の両側にいかにもマカロニウェスタンに出てきそうな岩山が連なっている

ところ。幾つものトレイルルートがあり、本来ならそういうところを歩いて楽しむのだが、

なにしろ今日は出発が遅かったのでビジターセンターからしばらく歩くぐらいしか

出来ない。これはここに限らず、今回グランドサークルを回って思ったのだが、

アメリカの国立公園は一か所で1日~2日かけるつもりで行かないと本当に楽しむことは

出来ないだろう。日本と違ってそれぐらいスケールが大きい。

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 ザイオン 
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 渓谷内のキャンプ場にいた鹿
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 キャンプ場から
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 トレイルにあった、野生のトマトかなにか?
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 歩いていて気持ちがいい
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気分のいい渓谷内のトレイルをしばらく歩いてザイオンを出発、

山越えをして今日の泊まりのトロピックへ平原の道をひたすら走った。

長くなるので続きは少しずつ書いてゆく。

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  ザイオンを出てトロピックへ山越えの道の辺りで
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  トロピックの手前レッドバレー
 この車が通じているのか通じていないのかわからない会話の末に
 アップグレードしたメルセデスベンツの四輪駆動。
 結局このあと、アップグレードして正解だったと思うことになる。

紀伊水道におつ

万丈のはての四国三郎渾身の力ゆるめて紀伊水道におつ

                             /玉井清弘

四国三郎は吉野川。

四国山地に発し高知・徳島と経て紀伊水道に流れ込む。

険しい山から流れ出て、大きな川となって四国の平野をゆく。

そうやって流れてきた大河が海に落ちるのを「渾身の力ゆるめて」と表現しているのがいい。

ただ、歌会だとこういう批評が出かるかもしれない。

「吉野川は穏やかに紀伊水道に流れ込んでいる。『紀伊水道におつ』というと、

まるで河口に滝があるようで変。『紀伊水道に入る』とすべきではないか」

But、歌会の模範的批評って信じてはいけないのであって(^^;
この歌は「紀伊水道におつ」がいい気がする。
確かに「おつ」というと、滝のように川が海に落ちているような気がするが、
この「おつ」で歌が締まっている気がする。
高いところから地図を見るような視点で考えると「おつ」は必ずしも違和感ないのだが、
そういう高いところからの視点と考えてしまうと、作者の立ち位置に疑問を感じてしまい、
歌の力が弱まる。作者には川のほとりで悠久の流れを見ていて欲しい気がする。
事実としては吉野川の河口に滝などないのであって、吉野川は穏やかに海に流れ込む
わけだが、たとえそうであっても、あえて「おつ」と表現する。
それで歌が締まる。
作歌の信念のひとつにしているのが「見てきたように嘘をつけ」ということ(^^;;
いかにして歌にリアリティーを持たせるか、
それが大切なのであって、
本当にリアル「現実」かどうかは二の次ということがある。

しかし、そのリアリティーに反するのかもしれないが、

「時には事実を踏み越えろ」

この歌を読むと、それも作歌の信念のひとつに加えたい気がする。

吉野川は穏やかに紀伊水道に流れ込んでいるのであって「落ちて」はいない。

そうであっても、歌は「紀伊水道に入る」ではなく「紀伊水道におつ」が良い。

その方が歌が締まる、立ち上がる。

ならば事実を踏み越える。

それにしても最近、こういう大きな自然詠を読むことが少ない。

人事の歌は詠いやすいが、こういう大きな自然詠は力がないと詠えない気がする。

もっと大きな自然詠を詠いたい。そんな気がした。

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   伊勢佐木町のタイ料理店アロイタイのカオライガイパッキン
  アロイタイは横浜で働いているタイの女性達が常連で行くような店で、
  タイで食べたタイ料理の味に一番近い気がする。
  綺麗な店を期待する人には不向きなディープな店。

モンブラン

山岳会の後輩がヨーロッパに行ってきて、

そのときの写真を山岳会のMLで送ってくれた。

グーテ小屋。

モンブランの3800mぐらいのところにある山小屋。

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昔、行ったことがある。

登山口から登って何時間くらいだったか、あまり正確なことは覚えていないが、

雪原を横断し、その先で「悪魔の喉」とか地元では言われているらしいクーロワールを

横断し、そのあとは岩稜を登って小屋に着く。

ちなみに、向こうの連中が「悪魔の喉」と名付けているクーロワール。

ヨーロッパほど岩が安定していない日本の感覚からいうと、「悪魔の・・・」という

ほどのしろものではなく、すたすたと通過した。

ただ、帰りはこの「悪魔の喉」で他の日本人バーティーが雪の斜面を滑落して、

その救助を手伝わなければならなかった。

で、グーテ小屋、今は予約しないと泊まれないらしいが、

昔は予約不要だった。

写真を見ると建て替えられて随分近代的な感じになっている。

かっての古典的な山小屋の雰囲気は全くない。

今でも覚えているがトイレが小屋の外にあって、

岩場の縁を歩くような感じでトイレに入ると、下がすぱっと切れ落ちていて、

かなり凄いトイレだったのを覚えている。

小屋の中は混んでいて座る場所を確保しているのも大変で、

寝るときも寝室に入れなかった連中は食堂で雑魚寝をしたのだが、

そのあとやはり改装前のグーテ小屋に行った後輩の話では、結構空いていたようで、

その時その時でだいぶ状況は違ったのかもしれない。

食堂での寝苦しい雑魚寝の夜を過ごし、朝の4時くらいだったろうか、支度をして

小屋の外に出た。暗いなかに雪が降っていた。天気は良くない。

小屋の後ろを登り雪の尾根の上に出、そこをひたすら上へ上へと登っていく。

真っ暗ななか、登山者の灯りが列をなして続いていた。

睡眠時間は少なかったのだが、なぜか体調が良く、そういう登山者の列を次々と

追い越して登っていった。

しかし、周囲は吹雪。

いつのまにか他の登山者達は諦めて引き返していき、気がついたら、

自分と、先の方を進んでいく数人のパーティーの灯りが見えるだけになった。

足を止め、吹雪のなかにしばらく立ち尽くし、

先を進んでゆくパーティーの灯りを目で追った。

振り向くと明けやらぬ空に雪が降り続いていた。

これ以上、突っ込んだら死ぬな...。

そう思った。

命あっての物種である。そこから引き返した。4000mあたりまで登ったんだろうか。

小屋の手前の尾根の上で明るくなり、雪が小止みになり、少し視界が開けたので、

しばらく周囲の雪の山稜を眺めていた。

尾根の上からはグーテ小屋は見えず、もっと視界が悪くなると、小屋への降り口を

見つけられず遭難しそうな感じで、日本の感覚ならこの辺に小屋への標識を立てるのだが、

自己責任が当たり前のヨーロッパ人はそういうものを立てない。

自己責任なのか不親切なのか、どっちなんだろうな...。そんなことを思ったのが、

妙に印象深く思い出される。

小屋に戻り、しばらく休んでいたら、先の方を進んでいた数人のパーティーも諦めて

降りてきた。あの日、頂上に行けたバーティーはいなかっただろう。

税理士試験が終わり、初めて出かけた海外登山だったが、結局登れなかったのだった。

そのあとはひとりでスイスをしばらく歩いて帰国した。

MLで流されてきた写真を見ながら、そんな若い頃のことを思い出したのだった。

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  モンブラン 羨ましくなるような好天。
  自分が行ったときはド吹雪だった(^^;

税務相談 相続

今年から相続税の基礎控除が引き下げられた。

昨年までは5000万+法定相続人の数×1000万だったのが、

今年からは3000万+法定相続人の数×600万になった。

つまり、法定相続人が3人の場合、昨年までの相続ならば、

遺産の額が5000万+3人×1000万=8000万以下までは、

相続税はかからなかったのだが、

今年からは3000万+3人×600万=4800万、

その金額以上の遺産があれば相続税がかかる可能性がある。

いうならば課税最低限が6割に引き下げられたわけで、

今後、相続税の申告が必要な向きはかなり増えるはず。

実際、今年に入って相続関係の相談は増えている。

ちなみに、評価が面倒な財産がある場合、

相談されてもその場で即答できないケースが結構ある。

たとえば土地の評価について、

以前、税理士会の研修会で資産税をかなり手がけている講師の税理士が、

「土地の評価については、うちの事務所でかなり訓練して出来るようになった職員でも、

評価させると10人いれば10人、違う数字を出してきます」

と言っていた。

確かに、土地の評価ってそういうところがある。

整備された住宅地の真四角な土地なら評価は簡単だが、

不整形地とか、隣地に墓地があるとか、いろいろ評価に影響するものがあり、

それをどう評価するか、実務ではいろいろなのである。

相続税の申告期限は相続開始を知った日の翌日から10か月以内、

今年の後半以降、相続関係の相談は増えていくのではなかろうか。

ちなみに、役で引き受けさせられている支部の相談センター。

納税者のために無料電話相談を月2回開催しているのだが、

そちらでも相続関係の相談は受け付ける。

先日、税務署との顔合わせ会のとき、署の資産税の担当が、

署で開く相続税の説明会に支部の相談センターの案内を出すと言っていたので、
今後、支部の相談センターの方にも相続関係の相談は増えるだろう。
これから支部を背負って立つ先生達に、そういう相談を通して仕事が入ってくれれば
いいわけである。
はっきり言ってしまえば、相談センターはそのためにある。
国税の相談センターではないのだ。税理士が出した会費で運営する相談センターである。
税理士会の若い仲間のために役立ってもらわねばならないのであって、
納税者のために相談センターがあるとはセンター長つゆほどにも思っていない(^^;
担当の先生方、そういうことでよろしく(^^

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   鎌倉 千花庵の蕎麦
  以前は八幡から荏柄天神への道の途中の住宅地のなかの蕎麦屋で
  空いていたのだが、テレビで紹介されてから行列になった。
  久しぶりに行ってみたら行列がなかったので昼食。
  蕎麦が少ないが2枚目が来る。

矢部の湯

通っているアーチェリーの射場の常連仲間で暑気払いをしようという話になった。

暑気払いはいいのだが、暑い盛りにフィールドアーチェリーのコースを回って、

全身汗だくである。

汗を流してからの方がいいなということで探してみたら、

射場の最寄り、戸塚の駅の近くにクラシックな銭湯があった。

矢部の湯。

当日、コースを回って汗びっしょりのまま戸塚の駅へ。

駅の近くから見ると煙突が見える。

ほんの少し歩いて交差点を曲がると矢部の湯である。

いかにもクラシックというのかトラディショナルというのか、

昭和そのままの銭湯であった。

中に入ると番台がありおばちゃんが座っていて入浴料430円を払う。

最近のいわゆるスーパー銭湯とかにはこういう番台ってないのであって、

こういう風景、久しぶりである。

風呂場に入ると正面に富士山。

これですよ、銭湯は富士山の絵がなきゃいけない(^^

あるいはこのペンキ屋さん、画家を目指してたのかなと思うような綺麗な富士山の絵が
昭和の銭湯には必ずあったのである。

湯船は三つに分かれていて、そのうちのひとつは緑色。

バスクリンかな...。近頃珍しいよね、バスクリンの緑に染まったお風呂って。

天井も高くて気持ちよく、

これで隣りの女湯から若い声でも聞こえてくれば文句はない(^^;

それにしてもこの昭和チックな雰囲気いいな...。

スーパー銭湯みたいなのが増えて、こういう昔ながらの銭湯って少なくなって

いるんだろうが、頑張って残って欲しい。

汗を流しさっばりとして風呂を出ると、番台の隣りのケースの牛乳が目に入る。

コーヒー牛乳である。

このあとの暑気払いのビールが楽しみなので飲まないのだが、

そう言えば昔、銭湯に来て風呂から上がると、そこで売っている

コーヒー牛乳やフルーツ牛乳が飲みたくてしょうがなかったのである。

オレンジ色のは今のミロのようなもので、

ピンクのはイチゴ牛乳のようなものだったのだろうが、

ケチだったのか貧しかったのか、うちの親は決して買ってくれなくて、

子供心に、美味しそうに飲んでいるよその子が羨ましくてしょうがなかった。

風呂から出て夕方の戸塚の街に出る。

やはり汗を流したからだろう、体がさっぱりしていて気持ちがいい。

なかなかいい風呂だった。忘年会でも使おうなんて話しながら、

テキトーな居酒屋を見つけてまずは冷たいビール。
楽しい暑気払いだった。


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歌会

東京での歌会、例によって気になった歌。

発表前なのでここには出せないが、

お昼ご飯がない子は小学校の校庭に出ていった、

そんな歌意の歌。

ちなみに意訳では「出ていった」だが、歌の表現は「出づ」。

つまり、終止形。

一読して思ったのは、これは、いつの歌だ? ということ。

「出づ」で終止形であって、過去形ではない。

過去形なら「出でにき」あるいは「出でにけり」だろう。

終止形で「出た」んだから、過去と同じだと言う人もいるかもしれないが、

やはり、今、目の前で校庭に出ていった、と読むのが一般的な気がする。

すると、現代の話?

確かに、子供の貧困の問題は深刻になっているわけで、

戦前のようにお昼が食べられない子供がいてもおかしくないかもしれない。

しかし、小学校は殆ど給食、あるいは給食の出ない何かの行事のときの話?

そんなことを一人で思っていたのだが、

歌会の方では、戦前あるいは戦後しばらくの頃の、貧しくてお弁当を持って

こられない子供の歌として批評されていた。

で、そうだとして、戦前のような昔の話なら、

この歌の表現はどうなんだろう? と気になったわけである。

短歌には「現場性」とか「即時性」みたいなところがあって、

それが小説のような文芸とは異なる部分である。

なにか事件があったとき、小説がそういう事件を題材にして出てくるまでは、

それなりの時間がかかるわけだが、短歌はリアルタイムでも詠えるわけである。

しかし、同時にそれは短歌を拘束するものにもなりそうな気がして、

歌を読んだとき、その表現から読者は、

この歌はその時その場で詠われた歌だろうと思うこともあるわけである。

仮に、くだんの詠草が戦前あたりの貧しい子供の歌だとして、

それを、今、目の前で見ているような詠い方をするとどうなるだろう?

読者は、その時その場で詠んだ歌のように感じ、そこに違和を感じないだろうか?

なにか昔のことを想像で詠っているような感じがぬぐえないのではないか?

連作のなかにあれば、その辺の問題をクリアすることも出来るかもしれないが、

独立した一首でこの表現だとどうなんだろう?

もちろん、過去のことを現在形で詠うのもひとつの手法ではある。

しかし、弁当を持ってこられない貧しい子供という題材を、

想像で、目の前に見ているように詠っていい歌にするのは結構難しそうである。

そんなことを思いつつ、出席者の多い歌会なので、時間の制約もあり、

この歌については指名されないまま黙っていたのだが、

短歌の持つ現場性とか即時性とか、その辺を踏まえた批評を聞きたかった気はする。

ちなみに、歌会が終わってから、作者に聞いてみたら、

戦後しばらくしての弁当を持ってこられない子供のことを詠ったとのことで、

過去ではなく現在形で作ったとのこと。

いろいろ考えての上だったらしいが、

それならやはり連作にしないと難しいですね、というような話をして別れたのだが、

やはり、一首だけでは難しいだろうな...。

そのあとは、暑い日だったので、当日の数少ない男性の出席者と二人で、

焼き鳥とビールで軽く暑気払いをし、楽しく話をして帰った。

昭和の匂いがしてくるような小さな焼き鳥屋で、飲んでいたのはほんの一時間くらい。

店の外に出たときはまだ明るくて、

歌会のあとの飲みもこれくらいが粋でいい。

それにしても暑い一日だった。

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  昼飯は浅草橋の「あさだ」で冷やしきつね蕎麦
 ここは十割蕎麦だが、十割蕎麦にありがちなぼそぼそ感がなくて美味しい

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