2015年06月

クレーム

税理士会の支部、4月からまた新しい役をやらされているわけだが、

役目のひとつが納税者からの苦情処理。

支部では納税者からの税理士に対する苦情を受け付け、紛争処理の手助けをしている。

先日、支部の総会のあとの懇親会で前部長が寄ってきて、

「苦情が2件来ているらしいからよろしく」

「え!? 先生がやってた2年で苦情は1件だけだったって言ってましたよね?」

「うん、今年は当たり年なんだろうね~♪」

なにが当たり年だよ、まったく...(^^;

仕方ないので翌日早速、事務局に詳細を聞いてそれぞれに連絡した。

苦情処理で大切なのは、解決出来る出来ないは別として、まずは迅速な対応。

それにしても、

税理士と納税者との間のトラブルって、増えているんだろうな...。

人間関係が希薄になっているし、権利意識も強まって、

ミスをした税理士が顧客から損害賠償を求めて訴えられるという事例は増えている。

訴訟までいかなくても、社会全体として、クレームをつけることへのハードルが下がってきて
いる気がして、
態度が気に入らないとか、報酬が高くないか?とか、
そういう納税者からのクレームはこれからも増えるんだろう。
(ちなみに今回のクレームはそういう内容のものではないが)
ま、モンスタークレーマーみたいなのは、

支部じゃなくて本会の方に文句言いなよと振ってしまうわけだが、
理由のあるクレームについては耳を傾けなければならない。
それが税理士全体への信頼にもつながるはず。
それは分かってるんだが...。
よりによって面倒な役を引き受けさせられたよね...。
おまけに引き受けてすぐ立て続けに2件クレームが来るってのはどういうこと?(^^;;
それに、たぶんこういう仕事って、人格者がやった方がいいよね。
適材適所に反してないか?(^^;;;
ま、文句を言ってもしょうがないので、
2年間、頑張るしかないのである(^^

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  紫陽花

歌会 「たたく」と「はたく」

東京での歌会、気になった歌。

例によって発表前なのでここには出せないが、

蚊をもろ手ではたいたら拡げた手の平が血まみれだった、

というなんとも妙な歌意の歌。

この歌の「はたく」が気になった。

歌意からすると、両手でパチンとたたいて蚊をつぶしたわけだが、

そういうのを「はたく」というだろうか?

歌会の場でそういう疑問を呈したら出席していた選者の真中さんが、

「そういう使い方します」とあっさり言ったので、

思わず心の中で「うそつけ!」とツッコミを入れたのだった(^^;

「はたく」というのは片手でたたく、あるいは払いのけるような、そんなイメージがある。

両手でパチンと蚊をつぶすのは「たたく」というのではないか?

そんな感じがするのである。

辞書を調べてみると、「はたく」は

    払いのける はらう

    (平手で)たたく うつ

    たたいてこまかくする

等々の意味がある。

一方、「たたく」は、

    手や道具などを用いて打つ あるいはつづけて打つ 繰り返して打つ

    打ち合わせて音を出す

    ぶつ なぐる

等々の意味がある。

辞書的には「たたく」の方が広義で、「はたく」は限定的であるが、

「たたく」は「はたく」を包含している感じもする。

すると辞書的には間違いではない?

実際の用法としてはどうだろう?

「肩をたたく」「肩をはたく」

肩をたたくのは文字通りの肩たたきで、両手のこぶしで肩をたたくわけである。

一方、肩をはらうという表現だと平手で肩についているフケか埃を払うイメージ。

「太鼓をたたく」「太鼓をはたく」もやはり意味が異なる。

試しに短歌をやらない人に、「手をたたく」と「手をはたく」の言葉のイメージを

聞いてみた。

「手をたたく」は拍手のように両手でたたくイメージ。

「手をはたく」は人の手を片手で払いのけるようにはたく、そんなイメージがある、

と言っていた。

「たたく」が「はたく」を包含している以上、辞書的には間違いではないのかもしれないが、

実際の用法、言葉からくるイメージ、

それはどうも「たたく」と「はたく」は違う気がするのである。

「はたく」は払いのけるような、あるいは片手で。

「たたく」は「はたく」よりも強くストレートに。

どうもそんな違いを感じるのである。

あるいは関西あたりでは、両手でパチンとたたくことを「両手ではたく」という言い方を

するのだろうか? そういう地方による言葉の使い方はあるのかもしれないが、

歌会の最中、これが気になったのである。

最近の歌会では、電子辞書やスマホのような便利な道具があって、

なにかあるとすぐに調べて「こう書いてあります」ということになる。

それはそれで確かに参考になるのだが、

微妙な言葉の使い分けとか語感とか、

そういう辞書に書いていない部分もある気がして、

そういう言葉へのこだわりを捨てたくないと思っている。

歌に使う31文字を選ぶとき、言葉に対するこだわり、執着は大切なはず。

結局、歌会では電子辞書にそう書いてあるということで、

蚊を両手でパチンとたたいてつぶすのも「両手ではたく」という言い方で問題ないという

話になったのだが、

正直、今だに釈然としないのである(^^;;

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   勝どき界隈  

マグリット展

東京での歌会のついでに午前中、マグリット展へ。

ルネ・マグリット。

言わずと知れたシュールレアリズムの代表的な画家。

地下鉄の乃木坂の駅から国立新美術館は直通で行けるので便利である。

日曜なのでやはりそれなりに混んでいる。

午後から歌会なのでそうゆっくりも出来ず、混んでいる人の間から

絵を見るような感じで会場を歩く。

マグリットが活躍したのは、日本でいえば昭和の前半から戦後にかけてだが、

今見ても充分に新しい感じの絵である。

抽象化された女性の絵とか、不思議な影のような人の姿が立っている絵、

布で顔を包んで抱き合う男女、あるいは不思議な雰囲気の漂う風景。

マグリットは自分の絵のことを「目に見える思考」と言ったらしいが、

なんとなくそれが分かる気がした。

絵を見ていた若いアベックが「無機質な絵だね」と言っていたが、

無機質というのとは少し違うのではなかろうか。

なんというか、マグリットの絵は背後に人間を感じる。

念の為に言えば、人間の暖かさとか、そういう陽のものではない。

過去の記憶、トラウマ、なにかそういう陰のもの。

マグリットの絵には、布で顔を包んだ人の絵が幾つかあるが、

これは自殺した母親が発見されたとき、顔が布で包まれていたことと関係あるらしい。

空や海を描いても、なにかマグリットの絵には不穏さが漂う。

あるいは彼の生きた時代も関係あるのだろうか。

第一次大戦が終わったあとのヨーロッパ。

従来の戦争とは異なり、近代戦がもたらした死は、ひとつの世代が消滅するほどの

厖大なものだった。それまであった世界は崩れ、戦争が終わっても社会不安は増大し、

革命や国家主義があちこちで蠢いていた。

マグリットの絵は彼の個人的体験はもとより、そういう時代背景とも無縁では

なかったのかもしれない。

第二次大戦が終わり、ようやくヨーロッパに平和が訪れてからの絵も、

やはり不思議さに満ちている。

「ゴルコンダ」の街に浮かぶコートを着た男達の絵はなんだろう?

すべてが石化したような世界の墓標のようなROSEAU(葦)の字、それはなぜ

「青春の泉」なのか?

「大家族」の空に浮かぶ巨大な鳥の絵はなぜあんなに暗い空を背景にしているのか?

マグリットの「目に見える思考」と向き合う濃い時間だった。

見応えのある展覧会。

6月29日まで国立新美術館で開催している。

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   大家族

虚無のこゑ

先日の新聞に載っていた歌


  虚無のこゑ虚無を言ふこゑとりどりに日盛りの葦簀のむかうより来つ

                              /真中朋久


「人生って虚しいな~」みたいな会話が日盛りの葦簀の向こうから聞こえてきた、

そういう歌である。

で、そういう会話が聞こえてきたとき、

実際に聞こえてくる声とは別の声を作者は聞いたのであろう。

「虚無を言ふこゑ」は実際に聞こえてきた会話の声である。

「虚無のこゑ」は実際には聞こえない声である。

実際には聞こえない虚無の声とは、どういう声だろう?

この歌を最初に読んだとき、

かすかな戸惑いがあった。

なぜ戸惑ったのか考えながらこの歌を読み返してみると、

この歌の言葉順は作者の実感とは異なることに気付く。

作者は「虚無を言ふこゑ」が日盛りの葦簀の向こうから聞こえてきたとき、

「虚無のこゑ」を聞いたはずである。

「虚無のこゑ」を最初に聞いたのではなかろう。

つまり、実感に沿って言葉を並べ変えるとこうなる。


 とりどりに虚無を言ふこゑ虚無のこゑ日盛りの葦簀のむかうより来つ


この語順だと、「虚無のこゑ」に戸惑いを覚えない。

言葉を追っていくことで、実際には聞こえない声もすんなりと受け入れられるのである。

それに対し、「虚無のこゑ」が初句にあると、

いきなり出てくる実際には聞こえない声というのがどういうものなのか? 

そういうかすかな戸惑いが生じる。

もうひとつ言えば、戸惑いつつ、たぶんこの言葉がこの歌のポイントだと気付く。

大抵の場合、そういうポイントになる言葉を最初には持ってこないのだが、

この歌は最初に持ってきている。

「虚無のこゑ」という初句はそういう初句である。

その戸惑いを抱いたまま歌を読み、「虚無のこゑ」を理解したとき、

それが余韻に変わる。

歌を作るとき、えてして歌を完成させようとして、一首を読んだときに生じる戸惑いを

排除しようとしたり、順当な言葉順に落ち着かせたりするのだが、

そういうふうに歌を完成させようとして、

むしろ歌をつまらなくしてしまうことが往々にしてある。

この歌を読んでそういうことを思ったのである。

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   白い赤花夕化粧発見   右側のピンクの花が普通の赤花夕化粧   ちょっとピンボケ

サイパン3

バンザイクリフはサイパン島の最北端。

サイバン戦の最後、追い詰められた多くの日本兵と民間人がここで死んだ。

逃げる民間人が崖から飛び降りる白黒の映像は、

たぶん、多くの人が見たことがあるだろう。

その悲惨さについては今さらここに書かない。

ひとつ気になったことがある。

幾つかの慰霊碑とともに忠魂碑が建っている。

というか、この忠魂碑が中心的存在として建っている。
2005年、天皇がここを訪れた。

忠魂碑の傍らにはそのときの歌も刻まれている。

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  バンザイクリフ

私は違和感を覚えた。

軍人のための碑なら「忠魂碑」は分かる。
必ずしも封建的な意味での忠義ではなく、義務を果たしたというニュアンスがある。
しかし、ここでは多くの民間人が死んでいる。
彼等は天皇への忠義で死んだのではない。
崖から海に飛び降りた民間人達は国や天皇への忠義のために飛び込んだのではない。
彼等は生きたかったのだ。
それがなぜ、「忠魂碑」? 
「慰霊碑」あるいは「鎮魂の塔」ではいけないのか?
バンザイクリフに立ち、かつて多くの人達が死んだ岬を見、忠魂碑を見上げたとき、
最初に抱いたのはその疑問だった。
彼等、民間人の死をこういう言葉で鎮魂するのか?
愚劣なウヨクでもなく、幼稚なサヨクでもないつもりだが、
愛国や平和を語る人達は、こういうさりげない疑問を抱かないのだろうか?
海は限りなく青かった。

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  忠魂碑

バンザイクリフから戻り、東海岸のバードアイランドを見たりしてから、

西海岸沿いの道を南に戻る。
左ハンドル・右側通行もやってみればどうということもない。
割と早く適応して、ガラパンの市街地も普通に運転。
ただ、日本とアメリカは運転ルールが違うので、スクールバスが来たときとかは気を付け
なければならない。スクールバスが停まったら反対側の車線も含めて他の車はすべて停止。

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  バードアイランド サイパンの東側の海は深い紺青の色をしている
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  バードアイランドから先、カラベラケーブに続く道、
 現在、カラベラケーブは立ち入り禁止。
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  カラベラケーブへ続く道で見かけたパパイヤ
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  マッピ山のネッタイチョウは撮りそこねたが、
 これはカラベラケーブへの道にいたナンヨウショウビン?

ガラパンのアメリカ記念公園に立ち寄り、そこに車を止めて昼飯を食べ、そのあとも運転。

再び空港の方に行き。ガイドブックの大まかな地図を頼りに、空港の近くに残っている
旧日本軍の戦車や建物の跡を訪ねてみる。
ちょっと分かりにくかったが、空港を回り込むようにして目的地到着。
97式中戦車の残骸や、錆びついた一式速射砲、対空機銃があった。
建物は発電所の跡と防空壕と弾薬庫。
97式中戦車を見たが、かなり小さい。
二人並んで車内に座ったらかなり窮屈だったのではなかろうか。
「こんな小さい戦車で戦っていたのか...」と思った。
向こうにサイパン国際空港の管制塔が見えるところに、戦争の跡が残っている。
他に人は誰もおらず、観光地というより、忘れられた戦跡という感じ。

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  97式中戦車
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  一式速射砲と対空機銃、向こうに弾薬庫の跡が見える
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  別の97式中戦車、側面に砲撃を受けたのか穴があいている
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  対空機銃 向こうに見えるのはサイパン国際空港の管制塔

そのあとは、島の東側の死の谷に近い洞窟にある聖母マリア像を見に行ったりして、

夕方までサイパンを走り回る。
ちなみに地元チャモロの人達の信仰を集めているという聖母マリア像は洞窟というか、
大きな岩の下にあり、地図を見て車で走ってゆくとちょっと分かりにくい。
探していてほんの少し通り過ぎたのだが、目付きの鋭いお兄さん達が闘鶏をやっていて、
そこにいたお婆ちゃんに聖母マリア像の場所を聞いたら、「あっちだ」と教えてくれた。

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  島の東側、ちょっと辺鄙なところにある聖母マリア像

小さな島なので一日かけると島を二回りぐらいできる。

充分に左ハンドル・右側通行の練習をしてガラパンのハーツに戻って車を返し、
土産を買い、ビールを飲んで晩飯を食い、昨日同様、マッサージの客引きの女の子達に
笑顔でノーサンキューを繰り返し、ホテルに戻った。
明日はもう帰国する。
短いサイパン旅行だったが、目的だった左ハンドル・右側通行の運転はバッチリ。
それなりにいろいろ見たし、いろいろ思うところもあって、
いい旅だったと思う。

サイパン2

ガラパンのハーツの営業所でレンタカーの手続き。

日本から予約を入れておいたので割とスムーズ。

途中「ジーピー」と言われて何を言われているのか分からなかったが、

zip code、郵便番号だった。

「郵便番号か」と言うと、向こうも分かったらしく。

日本語でなんと言うのか聞くので、

「ユービンバンゴウ」と教えてやった。

借りたのはフォードのトーラス。

キーと書類を渡してさっさと行こうとするのを待たせて車の傷を一応確かめる。

たいして傷を気にしている様子はなく、結構、鷹揚である。

さて、初めての左ハンドル、運転席に座って、

「なんでギアが右に付いてるんだ?」...(^^;

なにはともあれ道に出る。

右に曲がったら右車線、左に曲がったら右車線、しばらく言い聞かせながら走る。

サイパンって、みんな割とゆっくり走っていて、

後ろから煽るような運転をする者もなく、クラクションもあまり聞かない。

左ハンドル・右側通行の初心者には結構運転しやすくて、

しばらく運転していたらかなり慣れてきた。

ひとつ失敗は道路マップを買っていなかったので、ガイドブックの大まかな地図を頼りに

走らなければならなかったこと。日本のようにレンタカーの営業所で地図をくれない。

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  朝食は地元チャモロのブレックファスト
 と言っても、東南アジアで良くみるパターンの食事

テキトーに海岸沿いに走っていたら空港に出た。

道路の脇に広場がありその向こうにコンクリートの構造物が見えたので、

車を止めて行ってみた。

たぶん、昔の防空壕。

現在のサイパン国際空港の場所には戦前、日本軍のアスリート飛行場があった。

その跡だろう。

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 レンタカーはフォードのトーラス
 側面と後方の視界はイマイチ 火炎樹が綺麗
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  空港近くの広場にあった旧日本軍の防空壕

そのあと島を回り込むようにして北に向かう。

サイパンで人が多く住んでいるのは、島の南と西側。

島の東側は結構ジャングルが広がっている。

天気も良く、運転しやすい道をいい気分で走る。

あちこちに火炎樹が咲いていて綺麗だ。

西側の海岸に出てさらに北へ。

マッピ山が見えてきて、そこを回り込むあたりがラストコマンドボスト。

崖にトーチカがあり、その下に大砲や戦車の残骸が置かれている。

このサイパン島北部はサイパン戦の最後、追い詰められた多くの民間人が犠牲に

なったところ。

日本軍司令部の跡という案内があるが、実際はちょっと大き目のトーチカで、

司令部とは違うのではなかろうか。

前に置かれている大砲や戦車も戦後、観光用に他の場所からここに運ばれたもので、

実際にここに大砲が設置されていて戦っていたと思ったら間違い。

そもそもむき出しで大砲を設置するわけがない。

大砲を見て、ちょっと変だなと思ったが、陸軍ではなく海軍の大砲だった。

たぶん、艦載砲を外して島嶼防御用に使ったのだろう。

戦車は車輪の形からして95式軽戦車。

案内の看板があって英語と日本語で書かれているが、書かれていることが微妙に変。

悲しい戦いの歴史はもっと正確に伝えて欲しい気がする。

法輪功の活動家らしい数人がいて、バスでやってきた中国の観光客に向かって大きな音で

なにやら中国語の音声を流し、パンフレットを配っていたが、
中国人の観光客達は知らん顔をしている。

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  ラストコマンドポスト 後ろの崖にトーチカがある
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  トーチカの中
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  95式軽戦車
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  少し歩くとこんなトーチカもある
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   慰霊碑

このあと、マッピ山の頂上に行く。頂上から見える下の台地は戦争中、日本軍が飛行場を

作っていたが完成させられず、その後、米軍が完成させてここからB29が日本空襲に

飛び立ったところ。その向こうにバンザイクリフが見える。

あとは青い海原、白い海鳥が飛んでいる。尻尾が長い、ネッタイチョウか?

マッピ山を降りてバンザイクリフへ向かう。

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  マッピ山へ登る途中、海が綺麗
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  マッピ山からバンザイクリフの方向。下の台地に飛行場があった
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  マッピ山の観音像

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