2015年05月

税理士と成年後見

税理士会での成年後見の会議。

成年後見制度が始まって10年ぐらいたつのだろうか、

税理士会も制度スタートとともに取り組みを開始したが、

司法書士会が成年後見を業務の柱としたのに対し、

税理士会は具体的な成果を挙げていないのが実情。

会議に出席した女性会員から厳しい質問が飛んだ。

「税理士会はどういうスタンスで取り組んでいるんですか?○▽×◇・・・」

ま、早い話、出席した税理士会の幹部の皆様、「やる気はあるんですか?」と

言われたのと同じ(^^;

ま、そう言われても仕方ないよね...。

税理士会は租税教育のような国税に顔が向くことには一生懸命になるが、

国税に顔が向かない成年後見についてはなおざりである。

出席している税理士会の幹部の皆様、成年後見の仕事をしなくても食えるのである。

成年後見の仕事に特に意義は感じていないが、

税理士会の役職の関係でこの部門にかかわることになったからやってる的な、

そういう人達が部門の上にいると、

つまり、なにも進まん(^^;;

しかし、成年後見は税理士にとって重要なものであるはずだ。

顧問先は高齢化するのだ。

アパートを経営している老夫婦、人は確実に年を取る。

ボケの問題というのは切実なのであって、そのときどうするのか?

頼りになる家族がいればいいが、そういうケースばかりではない。

そういう状態になった顧問先をどうやって守っていくのか。

成年後見、特に任意後見はこれからの税理士にとって重要なものになるはずである。

女性会員からは「税理士は顧問先を持っているから成年後見にそれほど力を入れないと

いうことでしょうか?」という質問が出ていたが、

確かにそれはあるだろう。

司法書士会は登記のネット化により仕事がなくなるという危機感を抱いていた。

ゆえに会を挙げて新しい仕事に取り組んだ。

税理士会にはそういう姿勢はなかった。

しかし、それでは困るのである。

これから税理士業界に入ってくる新しい人達はバブルの時代のようには顧問先を

増やせない。そういう新しい人達のために新しい業務の開拓というのは重要なわけだが、

税理士会の上の方の人達がそういうことを理解しているのか、

正直、疑問だ。

現在、家裁は税理士会にあまり期待していない。

成年後見制度がスタートした当時は、弁護士や司法書士のように都市部だけに

集中しているのではなく、全国にあまねく存在している税理士が成年後見の

引き受け手としてかなり期待された。

しかし、その後、税理士会は会の体制の整備等、家裁の期待に全く応えなかった。

家裁の初期の期待は消えてしまったわけである。

それならそれで、法定後見はとりあえず置いておいて税理士が取り組むべき任意後見の

方に力を入れ、実績を積むことで家裁に成年後見における税理士の存在を無視しえない

ものにするという努力があるべきだろう。

税理士会の取り組みには、そういう戦略的なアプローチが感じられない。

当日の会議では、支部の成年後見関係の相談業務について、

本会の方で広告とか場の設定とか、協力をして欲しいという意見を述べた。

せめて支部の草の根的な活動に力を貸してくれれば、

税理士会のお偉いさん達も会議の場で「やる気はあるんですか?」的な質問を

受けないですむかなと思うのである(^^;;;

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  先週の射場 35m射ち上げ

誤植? 添削?

結社誌に載せる一首評を書かないといけないので結社誌を読んでいるのだが、

誌面の自分の歌を読んで、あれっ? と思った。

   苦しくて詠いし日々と苦しくて歌やめる日のはざまにありて

この歌、詠草を出したときはこうだった。

   苦しくて詠いし日々と苦しくて歌やめる日のはざまにありて 春

結句、スペースをあけて「春」がついていたのだが、それがすっぽり落ちている。

これって、誤植? それとも永田さんの推敲? 

どっちなんだろ...?

「はざまにありて」で終わってしまうと中途半端感ないか?

「はざまにありて」で七音定形なのはわかっているが、

あえてスペースを開けて「春」と入れた。

スペースあけて「春」はダメ押しのイメージあるかな...?

これ、どっちなんだろ?(^^;

短歌を始めたのは、ひとりで子供達を育てていたとき、何気なく読んでいた本に引用され
いた万葉集の歌がきっかけだった。

  韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそきぬや母なしにして

母のいない子供達を置いて防人に行かなければならなかった男がいた。

村を出る日、子供達は裾に取り付き「いかないで」と言いながら泣いたのであろう。

防人の任期は3年。

この男は子供達のもとに帰れたのだろうか?

ひとりで子供達を育てていた私の胸に、その男の思いは痛切に伝わってきた。

千数百年の時を経て、短歌とはかくも人の心に響くものか...。

自分も短歌を作りたい...。

そう思ったのがすべての間違いのもとで(^^;;

ひと度、表現の世界に入った者は、

表現者としての苦悩を味わうわけである。

人は苦しみを抱いたとき、あるいは欠落感を抱いたとき、

それを埋めようとして表出をする。

うちにある苦悩を吐き出すことによって、人は精神の均衡を維持する。

表出することによってうちにあった苦しみは昇華され、

人はそれを受け入れることが出来るようになる。

表現することによって人は救われるのである。

それが出来ずひとりで抱え込んでしまう人は鬱病になったりする。

で、そうやって表現の世界に足を踏み込むと、

今度は表現の苦しみと向き合うことになる。

歌が湧くように出てくるのは最初のうちだけで、

その後は七転八倒しながら31文字を紡ぎ出すのである。

もう作れない、そう思う時が必ずくる。

結社誌を読んでいて、この人いい歌を作るなと思っていた人が

いつのまにかいなくなっている。

そういう人が何人もいる。一人や二人ではない。

皆、作れなくなって歌をやめるのだろう。

「こんな歌しか作れないのか...」

ようやく作った自分の歌を読みなおしてそう思うのである。

歌詠みは、その苦しみと向き合いながら作歌を続けていくわけである。

苦しくて歌を作り始めた。

その苦しみは既に詠った。

歌をやめればもう苦しまなくてすむ。

...そんなふうに思うこともある。

そういう思いを詠ったのだが、

うーん...。

誤植なんだろうか? 添削なんだろうか? どっちなんだろう?(^^;;;

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   若い頃、山岳会の集会のあとで飲み歩いた横浜野毛界隈

一首評

吾が短歌の師匠、岡部史さんからメール。

なんだろうと思ったら、「一首評を書いてくれ」とのこと。

マジ...?(--

短歌結社の会員、1000人を超えたらしく、

毎月送られてくる結社誌も以前と比べて随分厚くなった。

それを一冊読んで一首だけ選んで批評を書くのが一首評なのだが、

原稿の締め切りは5月31日。

あと半月しかないよね...。

今頃言ってくるというのは、何人かに頼んで断られたのかな?(^^;

5月は3月決算法人の申告月。

税理士にとって確定申告と同じくらい忙しい時期であるわけだが、

なんでそういうときに限って言ってくるかね...(^^;;

以前、風炎集の原稿依頼があったのも2月の忙しいときだった。

確定申告の真っ只中で、しかも父が死んだすぐあとだった。

さすがにそのときは、

「結社は俺をつぶす気か?」と思ったものである(^^;;;

一首評ね...。

一首だけ書けばいいんだから簡単だろうなんて話ではないわけで、

以前やったときは、

結社誌一冊全部読んでいい歌に付箋を付け、

再び読んで絞り込む。

それを何度か繰り返して最後に残った一首について批評を書く、

そういう作業をしたのだった。

結社誌一冊に3000首ぐらい歌載ってるのかな?
そのなかから一首を選ぶのが大変なわけである。
この忙しい時にそれをまたやれと...。

そういえば、こんなことを言ってた人がいた。

「結社誌をぽんと立てるじゃないですか、で、ぱっとページを開く、

そのページにあった歌を選んで一首評を書きました」

なるほど...。

そういう手があったか...(^^;

ま、愚痴を言ってもしょうがない。

締切は今月末、今月末はちょうど週末。

決算は29日までに終わらせるつもりでやるとして、

それまでにどうしても誌面を読んで一首を選べなかったら、

30日に結社誌をポンと立て、ぱっとページを開いてそこにあった歌から選ぶかな(^^;;

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   紫蘭
 

二度手間?

税理士会支部での会議。

なんでも税理士法改正の関係で、税理士会の会費滞納者への対応について、

支部の規則で決めねばならんのだそうな。

で、その試案を読んでいて首を傾げた。

何条かの条項があるのだが、

そのうちのひとつに、

「支部長は・・・・2年以上の滞納がある場合・・・訴えの提起、支払督促等の

法的手続きを講ずるものとする」

ま、そんな意味のことが書いてある。

この規程、ちょっと大変だなと思った。

「手続きを講ずるものとする」という規定は、

つまり、そういう状況が生じたとき、

支部は訴訟等をしなければならないということである。

「手続きを講じることが出来る」なら意味が違うわけだが、

「講ずるものとする」となっている以上、選択の余地はなく、

それをしなければ支部長は会則に違反したことになるのだろう。

それをしなくて結局未納会費が貸し倒れになったら、支部長が責任負うのかな?(^^;

で、さらに次の条項を読んで首を傾げた。

「支部長は・・・5年以上の滞納がある場合・・・強制執行の申し立てを行うものとする」

うん?

じゃ、2年滞納で訴訟等になったときは強制執行しないわけ?

5年経ってから強制執行?

これ、どういう意味なんたろ?

2年滞納したら、未納会費の支払を求めて訴訟等をしなければならないと定めている。

で、その次の条項では5年滞納で強制執行しろと?

5年経ったときは、2年滞納のときとは滞納額は変っているだろう。

ということは、債権額を確定するために、5年経ったら再び訴訟を起こす?

二度手間をしろと?

なんのために?

試案を素直に読むとそういうことになってしまいそうなので、

質問の時に手を挙げたのだが、他の人の質問で時間がかかり、

なにやら馬鹿らしくなってやめた。

なにしろ、税理士法改正に伴って日税連から来ている、全国統一でやるので

そのまま承認して欲しいという説明。

ということは、質問したってしょうがないということだよね...(^^;;

ま、日税連の人達が一生懸命考えて作った試案なんだろう。

問題生じたらまた日税連で考えるんだろうけど、

試案どおりにやったら二度手間で費用も余計にかけるんだよね。

ちなみに税理士というのは、経理屋ではないし申告代行屋でもない。

税理士とは税法のプロであり、法律職である。

当然、法律は読めるはずだし、法律論的な思考も出来て当たり前。

そういう法律のプロである税理士の代表であるはずの日税連さんの作った試案と

いうのが、首を傾げる内容というのは、どういうことなんだろう?(^^;;;

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  鎌倉 仲の坂の生シラス定食
 

蓼科山

ゴールデンウィーク、蓼科山へ。

本当は上越あたりの残雪の豊富なところが好きなのだが、

今回はもろもろの都合あって北八ヶ岳の方に出かけた。

朝、ゴールデンレトリバーのさくらを散歩させてから出発。家を出たのは6時。

山登りにしては出発が遅くて、途中渋滞するかなと心配したが、そういうこともなく、

中央高速から南アルプスや八ヶ岳を眺めつつ諏訪で降りて、蓼科山の七合目登山口へ。

途中、新緑が綺麗。

今年は残雪がかなり少ないようで、八ヶ岳もだいぶ雪が消えていたが七合目登山口から

の蓼科山は山の北面を登るので、それでも多少、雪が消え残っている。

駐車場から少し歩いて登山口の鳥居をくぐり新緑の森のなかの道を歩く。

しばらく行くと残雪が出てくるが、通い慣れた上越の雪深いところと比べれば、

とるに足らないぐらいの雪の量。

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  七合目登山口下の駐車場から蓼科山
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  登山口の鳥居
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  向こうに見えるのは北アルプス

出発が遅いので下山してくる人達が結構いる。

天気は快晴で風もなく青空の広がりが気分いい。

一時間ちょっとで将軍平の小屋。登山道はここから右に折れて森を抜け、その先には

森林限界の上の雪の斜面が広がっている。

少し休憩して、登り続ける。

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  将軍平の小屋から蓼科山

上から中高年登山者のグループが森のなかの雪の道を滑りそうになって降りてくる。

「なんであんなへっぴり腰で歩いてるんだ?」と思うほど腰が引けている。

本人達は滑りそうで怖いのだろうが、へっぴり腰になっているから余計危なくなる

わけである。滑落してきたのに巻き込まれても馬鹿らしいので、

下で少し避けて先に降りてもらう。

くだんの中高年登山者のグループ、道を避けてもらった礼も言わず、相変わらず見事に

引けた腰でぐずぐずと降りていった。

ちなみに、登山道は登り優先が基本。

あくまでも基本だから状況次第ではあるのだが、

中高年登山者のなかにはそういう山の基本的ルールも知らない向きがたまにいる。

森林限界を抜けると雪の斜面があらわれる。
やはり最低これくらいの残雪がないとこの時期の山に来た気がしない。

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  頂上直下の雪の斜面 滑落防止用の赤いザイルが張ってある

いい気分で登っていたら、上からまた別のグールプが降りてきた。

見ていると、急斜面が怖いのか後ろ向きになって降りてくる。
一歩一歩確かめるように降りてくるのだが、手に持っているストックをやけに振り回す。
ストックをしっかり雪に刺そうとしているのかもしれないが、
あんなにストック振り回しているのが滑落してきてぶつかったらたまったものではない。
仕方ないのでトレースを外して彼等の横の斜面を登る。

すれ違うとき、「アイゼン着けてないのに凄いですね」と言っていたが、
いくら傾斜はあっても昼過ぎでやわらかくなった雪である。
踵やつま先の蹴り込みで充分歩ける斜面なのであって、
そこでアイゼン着けて後ろ向きになってストック振り回している方がおかしい。
「足蹴り込んで降れば大丈夫だと思いますよ」と言ってあげたが、
相変わらず後ろ向きでストックを振り回しながら降りていった。
たぶんさっきの、へっぴり腰の中高年登山者のグールプもああいう感じで
この斜面を降りてきたのだろう。
ちなみに、若い頃から山をやっている人間が「中高年登山者」という言葉を使うとき、
中高年になってから山を始めた人、というニュアンスで使うことが多いわけだが、
中高年になってから山に親しむのは大いに結構として、
基本的なルールや技術だけは身につけておいて欲しい気がする。
その方が本人達のためである。
この斜面を登り切って少し行けば蓼科山頂ヒュッテ、その向こうに蓼科の山頂がある。
蓼科の山頂というのは、岩がごつごつ転がっている広いところで、どこが山頂なんだ?
という気がするような山頂である。
雪はまったく消えていて、南側の登山口から登ってきた人の話では下から頂上まで雪は
なかったようで、やはり残雪があったのは我々が登ってきた頂上の北側だけだったようだ。
八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、北アルプスと展望は360度。
快晴なのでぐるりと全部見渡せる。
頂上まで昼食の時間入れても2時間。
随分軽く登ってしまったようで、ちょっと物足りない気はしたが、
360度の展望が素晴らしいので良しとする。

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  蓼科山頂ヒュッテ 鯉のぼりがある
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  頂上から南アルプス方面
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  八ヶ岳、雪がかなり少ない
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  北アルプス方面
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  頂上の蓼科神社
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  御嶽山 噴煙をあげていた

下山は例の雪の急斜面をしゃかしゃかと駆け下り、七合目登山口まで一時間で着いて

しまう。装備を片付け、霧ヶ峰を通って諏訪湖に出て、今日はそこの温泉で一泊。
翌日、のんびり朝風呂に浸かり、諏訪大社を歩いて信州蕎麦を食い、
そのあとサントリーの白州の工場を見学し、ウイスキーを試飲して横浜に帰る。
連休最終日の前日に帰る人が多いのだろう、ゴールデンウィーク最終日の高速道路は
渋滞もほとんどなくてスムーズに帰れたのだった。

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  下山後、霧ヶ峰を通って諏訪湖へ 霧ヶ峰のコロボックルヒュッテでコーヒーブレイク
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  諏訪大社秋宮
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  諏訪大社の手水舎は温泉
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  諏訪の御柱

歌会

ひさしぶりに横浜での歌会に出席。

ちなみに今回の横浜での歌会は題詠。

しばらく出席していなかったのだが、「あるいは時期的に題詠か?」と思って、

早めに詠草を送った。もし題詠なら言ってくるだろうと。

で、なにも言ってこなかったので安心していたら歌会の前日になって、

「今回は題詠です」とのメール。

しかもそのメールに気付いたのは夕方。

題詠2首、前日に言われても作れないよね。
それでもなんとか、
詠草作って送り直し。

どうでもいいけど、題詠なら題詠でもう少し早く言えよな...(^^;

で、例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

一生に良かったことはひとつ、子を産んだこと、今年も菖蒲湯に云々。

そんな歌意の歌。

この歌についてこんな批評が出た。

「一生に良かったことがひとつだけということはない、他にもいいことはあったの

だろうから『一生に良かったことのひとつ』にした方がいいのではないか?

その方が伝わるのではないか?」

どうなんだろうね...。

詩に常識を当てはめて意味があるんだろうか?

「一生に良かったことはひとつだけではないだろう」というのは常識である。

短歌に思い切った言い切りや大胆な省略は当たり前。

「一生に良かったことはひとつ」と言い切ることで伝わるものがあるのではないのか?

秀才の作文ではないのである。

作者の選んだ表現を無視して一首の表現を常識的なものに引き直し、

それで短歌を鑑賞できるだろうか。

そもそも意味が変わってしまわないか?

作者は「一生に良かったことはひとつ」という表現を選んだのである。

歌会では、「『一生に良いことはひとつ子を産んだこと』という明るい歌」という批評も

あったのだが、「一生に良かったことはひとつ」と言ったとき、

それは明るい歌と言えるのだろうか?

あるいは作者は「他にいいことはなかった」と思っているのかもしれない。

あるいは実際は他にも良いことはあったかもしれない。

しかし、この歌を詠ったとき、作者は「他にいいことはなかった」と心の底から思って

いたのかもしれない。人にはそういう時もあるだろう。

以前、癌で余命数か月と宣告された顧問先の社長と話をしていたとき、

その社長がふいに「人生でいいことなにもなかった」とつぶやいた。

私はその社長が良い奥さんを持ち、良い子供達に恵まれていることを知っていたが、

黙って聞いていた。

余命数か月と宣告されたとき、その人はそういう幸せはさておいて、

そう言うしかない無念な気持ちがあったのだろう。

この歌にしても、

「一生に良かったことのひとつ」ではまるで意味が変わってしまうかも

しれないわけである。

短歌の鑑賞に常識を持ち込んで、「こちらの方が理解しやすい」というのは、

歌の鑑賞として違う気がする。

それはそれとして、この歌、気になったのである。

いい歌と思いつつ、なにかこう足らないものがある。

類想歌がありそうな気もするのだが、それは置いておくとしても、

なにかひっかかる。

で、他の人の批評を聞いていてなんとなく思ったのは、

先ほど書いた、

「この歌を詠ったとき、作者は『他にいいことはなかった』と心の底から思って

いたのかもしれない。人にはそういう時もあるだろう」

それである。

下句の「今年も菖蒲湯に云々」では、作者のそういう気持ちがいまひとつ立ち上がって

こないのではないか?

他にいいことがなかったと言い切る作者の心の襞、

そこを読み取るために大切な部分。

それが「今年も菖蒲湯に云々」ではダメなのではないか?
他の人達の批評を聞きながらそんなことを思ったのである。
ちなみにこの日の歌会、出席者は17名。
このぐらいの人数が歌会をやるには一番いい。
この歌に限らず他の歌もじっくり批評できて、良い歌会だった。
ひとつ注文つけるなら、題詠のときは前日ではなく2~3日前に教えて欲しい。
そうすれば文句なしの横浜歌会である(^^;;
 

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   石の上にも三年、ベンチの上にも十年...(^^;;;


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