2015年03月

沖縄 美ら海

確定申告が終わって沖縄へ。

しゃかりきに働いたらオフを入れる。

これ、仕事で鬱にならないコツ(^^

沖縄は4年ぶり、東日本大震災の年のやはり確定申告のあとだった。

震災直後で自粛ムードが広まっていたが、

むしろこういうとき金を使った方がいいと思い、予定通りに出かけた。

普段なら観光客が大勢いる石垣島の公設市場の通りが閑散としているのに驚いたのだった。

あの自粛ムードは異常だったと今でも思っている。

金には使うべき時というものがあり、

あのときこそ、まさにそういう時だった。

世の中のムードに流されなければ、そういうことも分かったはず。

閑話休題、沖縄である。

那覇の空港に着いてレンタカーで本部へ。

走っていて気づいたのは、以前と比べて飛ばす車が増えたということ。

以前はのんびりと走っている車が多くて「沖縄の人は時間の感覚違うんだろうな」と

思ったものだが、走り方が早くなった気がする。

美ら海水族館も子供達を連れて一番最初に沖縄に来て以来だから、10数年ぶり?(^^;

春休みのせいか人が多い。

館内も人が一杯で、あちこちから中国語が聞こえてくる。

海外からの観光客が沢山きてくれるのは良いことだが、

この調子で夏休みの週末にでもなったら、

オーバーユーズというかキャパシティを超えるというか、

そんな感じになるんじゃなかろうか?

ジンベエザメの水槽の前は人人人...である。

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  ジンベイザメ
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  イソギンチャクのなかって居心地いいんだろうか?

ひと通り見て外に出ると海の向こうに伊江島が見える。

70年前、伊江島の東洋最大の飛行場を巡って日米両軍が死闘を繰り広げた島。

イエターチューという名前だったか、特徴のある岩山が

島の真ん中にでんと乗っかっている。

この美ら海水族館のあたり、海岸が綺麗である。

湘南では見られない白い砂浜。エメラルドグリーンの海、その向こうの白波の立って

いるあたりがリーフの外縁。

久しぶりに眺める綺麗な海だが、ぽつぽつと雨が落ちてきたので、

美ら海水族館を出て今日の泊りの伊計島に行く。

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  伊江島
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   美ら海水族館のあたりの海岸線

本部から沖縄道を通ってうるま、そこから海中道路を走って平安座島、宮城島、その先が

伊計島。もとは本島から離れた島だったわけだが、今では橋でつながっている。

海中道路は天気が良ければ眺めが良くて気持ちいいのだが、

雨脚が強くなってきたので、そのまま走り抜けて伊計島のホテルに向かった。

 

歌会余談

湘南の歌会が終わって、近くの店でちょっとお茶orアルコールを嗜みながら

しばし歌談義。そこで出た話題が、今月の結社誌の百葉集に出ていたこの歌。

  「しらさぎ」は吹矢のごとく降る雪を逃れて北陸トンネルにいる

                              / 石橋泰奈

今年から結社の主宰になった吉川宏志さんの選でこんなふうに批評している。

「列車がトンネルに入る様子を『吹矢』にたとえた発想が、とてもおもしろい。

『しらさぎ』という名称もよく効いている。ただ、語順が問題で、『吹矢のごとく』が

『降る雪』に係るように見えてしまうのが、もったいないところ。整理するともっと

よくなる歌であろう」

この歌について女性陣が異議をとなえた。

「『吹矢』は『降る雪』に係るんでしょ?  吹矢のように雪が降っている、そう読むのが

自然ですよね。吉川さんの批評がちょっと分からないんだけど」

ということ。

語順からすれば確かにその方が自然である。

しかし、私は一読して、「吹矢」は「しらさぎ」を修飾していると読んだ。

つまり、

(列車の)しらさぎ」は「吹矢」のように北陸トンネルに入っていった。

そういう読みである。

なぜ、「吹矢」が「降る雪」に係ると思うのか、女性陣の話はこうである。

「雪の降る感じを『吹矢』のようだと表現してるんでしょ、ほら、沢山の矢が斜めに降って

くる感じ」

手で矢の落ちてゆく様子を表現しながらそう言うのだが、

それは普通の弓矢である。

沢山の矢がそうやって落ちてくるイメージというのは、

弓兵隊が一斉に放った矢のイメージであって、吹矢のそれではない。

この辺は、子供のときに吹矢を吹いたことのある人間なら分かる。

吹矢は直線にひゅっと飛ぶ。

ただ、射程が短い。

アマゾンに住む人達が狩猟で昔から使っていたようだが、

それも、かなり長い吹矢を用いる。

長いのを用いるのは、短銃身の拳銃より長銃身のライフルの方が命中精度が高いのと

同じで、ひとつには命中精度の問題だろうが、

おそらくもうひとつは、射程が短いので、可能な限り獲物に近いところまで

吹矢の射出口を持ってくるためであろう。

そういうシロモノだから武器としてはあまり使えないだろう。

武器として使うなら、矢が小さいので毒でも塗らなければあまり役に立ちそうにない。

しかし、音がしないので、どこかに隠れて毒矢で相手を狙撃するには使えるかもしれない。

忍者とか暗殺者とかなら使えそうだ。

子供の頃、工事現場に捨ててある細い塩ビの管を拾ってきて、ちょうどよい長さに切り、

先の尖った円錐形の紙の矢を作り、それで遊んだものである。

ボールが飛び込むと怒鳴る近所のうるさいオヤジの家の柿の木にそっと近づき、

柿の実に狙いを定め、ひゅっと吹く。

うるさいオヤジの家の柿の実に白い紙の矢がぶすっと刺さったとき、

少年はスナイパーの歓びに目覚めるわけである(^^;

そういうふうに真っ直ぐひゅっと飛ぶ、それが吹矢のイメージ。

雪の降る野を列車のしらさぎが真っ直ぐひゅっと走ってゆく、そしてトンネルに消える。

それが「吹矢」のイメージであって、

降っている雪に吹矢のイメージを重ねるなら、かなり強い調子で降っている白い雪の線、

そういう風雪を思い浮かべなければならないが、

孤独なスナイパー、あるいは密林のハンターが使うものである吹矢が、

あまた飛んでくるというのも、ちょっとイメージ的にどうかなと。

「トンネルに入るのが吹矢のイメージと違うでしょ、吹矢なら出ていくんだから」

女性陣はこうも言うのだが、

アーチェリーをしているとこの辺も分かる。

的の中心、スポットといわれる黄色い部分だが、そこに真っ直ぐ矢を射ったときは、

矢が吸い込まれるように黄色いスポットに消える。そんなふうに見える。

おそらく吹矢も同じだろう、そのイメージ。

結局、その日、その歌についての話は、

子供のときに吹矢で遊んだことのある男性陣と、遊んだことのない女性陣で全く

意見が異なった。

自分の経験や知識を越えて歌を読むのは難しいということを、

あらためて認識したのだった。

楽しく飲んで語って、それでも7時前には終わりにして、楽しい一日だった(^^

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  先週の土曜、アーチェリーの射場で採った今年初めてのタケノコ
  今年はタケノコが早い。採ってその日のうちに食べると柔らかくて美味しい

歌会

藤沢での歌会、例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

春が立つ開く駆け出す・・・あこがれの扉を・・・響かせて、

そんなような歌意の歌。

なんというか、若い感覚の歌というのか、人によっては苦手とする種類の歌である(^^;

この歌について批評を指名されたのだが、

考え込んでしまった。

たぶん、風で扉がばたんと開いたか閉まったか、そんなシーンなのだろう。

それを「春は立つ開く駆け出す・・・」と表現しているのだろうが、

「あこがれの扉」というのがどうも気になった。

この歌、具体を感じないのである。

風で扉が開いたか閉まったかしたシーンだと想像できるのだが、なにやら具体を感じない。

たぶんそれは「あこがれの扉」だからである。

これが歌を抽象的なイメージにしてしまっている気がする。

それに、「立つ開く駆け出す」だと扉の外に出ていくような...。

春がやって来るのでなく、外に行ってしまう。

その辺の微妙な違和感。

どうもその辺が気になり、否定的なコメントに終始した。

その日の歌会には、吾が師匠の岡部史さんと選者の真中さんが来ていたのだが、

岡部さんも私とほぼ同意見だった。

しかし、選者の真中さんは違った。

まず、「立つ開く駆け出す」のリズムがいいと。

「立つ」2音、「開く」3音、「駆け出す」4音と順番に並んで音が増えていく、

これが春の躍動のリズムを感じさせると。

なるほど。

こういう視点があったか...。

新鮮な指摘だった。

こういうリズムの効果を狙って作っていたのなら、ちょっと見直さなければならない。

で、「あこがれの扉」もこれでもいいのではないかという話だったが、

その辺はやはり疑問が消えない。

たとえば、少年が扉をばんと開けて出ていくような構成だったらどうだろう。

春の巣立ちのイメージを表現できる気もするわけで、

「あこがれの扉」という抽象的なイメージから抜け出せる気がする。

ただ、少年の巣立ちと春を結びつけることが、やはりパターンである気もするわけで、

この辺をどうするか。

難しいところかな...。

あるいは、この歌はこれでいいのか、
真中さんか指摘したリズムの効果に気が付かないのは、
自分が若い感性についていけなくなっているのか...。

そんな気もしてなんとも言えない気分でそのあとの歌会の時間を過ごしていたのだった。

いずれにしろ、久しぶりに出席した湘南の歌会、刺激のある有意義な歌会だった。

数ある歌会のなかには刺激の乏しい歌会もたまにあったりするわけだが(^^;;

こういう歌会なら月に何度出てもいいと思った(^^

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  藤沢市民会館の桜

鎌倉

ひさしぶりに藤沢での歌会。午前中に鎌倉を歩く。

家の用事を片づけてから出かけたので鎌倉に着いたのが11時過ぎ。

時間がないので駅の近くを歩くことにする。

東口に出て若宮大路を渡り郵便局の角を曲がれば道の向こうに本覚寺。

しかし、行ってみると本堂をすっぽり覆って修復工事をしている。

ちょっと、というか、かなり無粋(^^;

ま、仕方ない。

本覚寺には大きなサルスベリがあるのだが、この時期、葉のない枝を広げているだけ。

夷堂を眺めて山門をくぐり滑川を渡る。

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  本覚寺 夷堂

近いところで八雲神社に行ってみる。

駅に近いのだが、この辺りは随分と静かな住宅地である。

しばらく行って左に入ると向こうに八雲神社の鳥居が見えてくる。

新羅三郎義光が陸奥で戦っている兄の八幡太郎義家に助勢するため東下した折、

疫病の流行っていた鎌倉で、祇園八坂神社を招請したのがこの八雲神社。

当然、祭神は素戔嗚である。

本殿で手を合わせ、ちょいと右の方に行ってみる。本殿の右に細い道があり、
その向こうに奥殿のような小さな祠があり、傍らには高さ5mはありそうな
大きな椿の木がある。盛りは過ぎたようで花は少ない。
その脇を細い道は登っていって、祇園山のハイキングコースに続いている。
尾根伝いに東勝寺跡まで歩けるはずで、今度歩いてみよう。
小さな神社なのだが、観光客が結構歩いてくる。

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  八雲神社
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  奥の祠の傍らの椿の大木  

神社を出て、細い道を右へ、途中に、ぼたもち寺と呼ばれる常栄寺がある。

日蓮が処刑のため連行される途中で尼がぼたもちを差し出し、その後、日蓮の処刑が
中止になったので、頸つなぎのぼたもちと言われたらしい。
ここも小さな小さな寺である。

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  ぼたもち寺 常栄寺

天気が良くて暖かく、歩いていて気分がいい。

ここを出て少し行くと妙本寺の山門に出る。
比企一族の滅ぼされた跡に建てられた妙本寺。
時間がないので山門を眺めただけで再び滑川を渡り、本覚寺の境内を抜けて駅に戻る。

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  妙本寺山門

昼食は西口の方に行き、活魚料理の「仲の坂」へ。ここは魚が美味しい。

小町通りあたり、「しらす丼」の看板が結構出ているが、
鎌倉駅周辺でしらす丼の美味しいところを知らないので食べない。
ま、探せば美味しい店あるんだろうが...。
ちなみに湘南のしらすは1月~3月の中旬あたりまで禁漁。

1月あたりに小町通りを歩いていると、
「朝採れしらすのしらす丼」とか看板が出ているところがあり、
「うそつけ~、今、湘南のしらすは禁漁だろうが、どこの朝採れしらすだ」
と思うわけである。
ま、湘南以外の別の場所から朝採れのしらすを持ってくるのかどうか知らないが、
観光客はそういう看板見れば、湘南のしらすだと思うだろう。
あまり感心しない商売の仕方ではある。
仲の坂で鯵の刺身とフライの定食で昼食を済ませ、江ノ電に乗り歌会の会場の藤沢へ。
七里ヶ浜から鎌倉高校前あたり、車窓の海が綺麗だった。

アジョワン

地下鉄ブルーラインのセンター北駅の近くにあるカレー屋、アジョワン。

確定申告で年に一度行くクライアントが近くにあって、

そこに行ったときにアジョワンに立ち寄る。

スープカレーの店でなかなか美味しい。

昼過ぎだったが、結構客が入っている。女性客が多い。

落ち着てお洒落な店の雰囲気が女性客の好みに合っているのかもしれない。
チキンカレーを注文。
車でなければランチビールくらい欲しいところだが、
そもそもここはアルコールは置いていない。
向こうの席の女性客ふたりがペットの犬の話をしている。
別に大きな声で話しているわけでもないのだが、なにやら耳につく。
しばらくしてチキンカレーがきた。
ここのカレーは、小さな鍋にぐつぐつと煮えたぎって出てくる。
ぐつぐつとしているのが納まってから、まずはスープをひと口。
今日は大辛にした。
注文するとき店員さんが「辛いですよ」と言っていたが、
確かに辛いけど覚悟をうながされるほどではない(^^

スパイシーでなかなか旨い。

切り分けていない鶏肉とじゃがいもと人参が入っているが、

よく煮込んであって、みなスプーンで切れる柔らかさになっている。

うん、美味しい。ぱくぱく食べる。

最初にスープをひと口飲んだときは、それほどの辛さではないと思ったが、

食べているうちにだんだん辛くなってきた。

ご飯の量が男性にはちょっと少ないかな。大盛りにするんだった。
ペットの犬の話をしていた向こうの御婦人ふたり組は、相変わらずペット談議に

花を咲かせている。よくあれだけ話すことあるよなと感心する(^^;

感心しながら、最後、鍋に残っていたスープをスプーンで飲んでいて、

さすがに辛さに負けてすこし残してしまった。

美味かった。

さて、あとはいくつかの書類を税務署に提出して今年の確定申告も終了である。

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  アジョワンのチキンカレー

納付書

税務署から封筒が来た。

開けると納付書が入っている。

御丁寧に納税者の氏名住所もすべて印刷してある。

先日、税務署に電話したのである。

「そちらの納付書がないので別の税務署の納付書を書き換えて使うんですけど、

税務署の番号、何番でしたっけ?」

「すいません、金融機関は一部でも書き換えた納付書は受け付けませんので、

こちらから納付書を送ります」

国税の納付書にはそれぞれの税務署の番号が記載されている。

管轄の税務署の納付書がない場合、

事務所にそなえ置きの別の税務署の納付書の税務署番号や年度とかを修正ペンで書き換え

て使ったりするわけで、今までそれで納付できなかったことはないのだが、

電話に出たのは結構若い声。

マニュアルとしては、一文字でも書き換えた納付書は金融機関では受け付けられない

ということになっているのだろう。

電子申告の時代、納付もダイレクト納付すればいいじゃんと言われるかもしれないが、

年の中途で亡くなった人の準確定申告は電子申告できず、

相続開始に伴い口座が封鎖されるので相続人が納付書で納付することになる。

で、納付書が必要になって電話したのである。

かなり前だが、やはり納付書が必要になって税務署に電話したら、

「納付書を送るということはしていませんので取りに来てください」と言われた。

いささか頭に来て、税務署の上の国税局に電話して、

「税務署に行けない高齢者もいるんだ、それぐらいのサービスしたらどうなんだ」

と文句言ったら、数日後、くだんの税務署から電話かかってきて、

「返信用の封筒に切手を貼って送って頂ければ納付書を送ります」と言ってきた。

そういう記憶があったので、

送られてきた納税者の名前入りの納付書を見て「へぇ~」と思ったのである。

昔と比べて少しはサービスが良くなったのかな(^^;

公務員は公僕であるはず。

「公」の比重を「国」に置くのか「国民」に置くのかで、

かなり違いは出るんだろうが、

国民にやさしくして罰は当たらないよね(^^;;

送られてきた納付書を手にそんなことを思った。

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  まんさく

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