2015年01月

消費税は1.6倍

「今期の消費税、おそらくこのぐらいになりますよ」

「えっ!?  計算違いません? なんでそんなに増えるの?

「消費税が5%から8%になったからです」

「だって、3%の違いでしょ?

5%8%になるというのは、1.6倍になるということですよ」

「え?

2000万の5%100万、8%160万、1.6倍でしょ。消費税が8%になるというのは
そういうことです」

。」

最近、こんな話をすることが多い。

去年の4月から消費税が8%になり、

当然、企業が決算で納付する消費税は増えるわけだが、

5%から8%へ、3%アップしたことがどういうことなのか、
実感しにくいところが
あるらしい。

5%から8%に変わるということは、支払う消費税は1.6倍に変わるということである。

支払う消費税が3%増えるということではない。

3月決算の会社の場合、昨年の決算は消費税5%だが、今年の決算は一年フルで8%

業容が変わらなければ単純計算、消費税の納付税額は昨年の1.6倍である。

これを認識していないと資金繰りに焦ることになる。

税金のなかで一番滞納が多いのが消費税。

売上に含んで受け取っていると、通常の資金繰りのなかに入ってしまい、

いざ決算で納付というときに、金がないということになりかねない。

消費税にはそういう怖さがある。

消費税についてはその見込額を毎月積み立てる等の工夫をした方がいい。

今後、税率が10%になればなおさらである。

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   長者橋からランドマーク
 

競馬

たまに調べものがあって、横浜市立図書館に行く。

図書館の近くにJRAの場外馬券売場があり、

日曜日は馬券を買いにくる人達が大勢いる。

そういう客が来るので、あのあたりの食堂は日曜は店のテレビで競馬の中継を流して

いるところが多い。

馬券を買った客が昼飯食ったり酒を飲んだりしながら競馬の中継に見入るのである。

昼飯に入った小さな中華料理屋もそういう店で、

自分以外の客はすべて競馬ファン。

隣に座った3人組の話を聞くともなく聞いていたのだがこれが結構面白かった。

テレビを見ながら、ここの競馬場の芝はこうだからどうのこうのとか、

馬の仕上がりがうんぬんとか、

この騎手は最近調子がいいとか、

外人の騎手はこういう癖があるとか、

端で聞いていて、よくまあ研究しているもんだと感心する。

「その情熱の半分くらい仕事に向けたらいいんじゃないの?」と余計なことを思うわけだが、

人の趣味に横から口出しするような無粋なことをする気もないので

黙って聞いているわけである(^^;

そういえば、この野毛のあたり、若い頃、山岳会の集会が終わると飲み歩いていた街で、

飲み歩いた末にたまに行っていたのがパパジョンというバー。

そこの先代のマスターがちょっと知られた名物マスターで、

ジャズと競馬が好きで日曜は大抵この場外馬券売場にいたらしい。

その先代がなくなって何年になるだろう。

山岳会も今はもうOBで、昔のように集会に出て飲み歩くこともなくなった。

競馬で思い出すことがもうひとつ。

中学のときのクラスメートに競馬場の隣りに住んでいるのがいて、

日曜になると、隣りの土手を登ってそこで競馬を見るのが楽しみだというのがいた。

昔の地方の競馬場には、そんなふうに土手に座ってのんびり競馬を見物できるような

ところがあったのである。

中学生だから馬券は買えないわけでただ見ているだけなのだが、

「面白いのか?」と聞くと、

「馬が走るのが綺麗だ」と言っていた。

当時は、そんなもんかなあと思ったが、

今になってみると「馬が走るのが綺麗だ」というのが分かる気がする。

確かに馬が走る姿は美しい。

美しいと思っても競馬をやろうとは思わない。

図書館の近くの場外馬券売場、日曜になると大勢の人が出入りするのだが、

こう言ってはなんだが精彩が感じられない向きが多い。

馬が走るのは綺麗だと言っていたあいつ。

その後、馬券が買える年になってから、どういう人生を生きたのだろう。

中学を卒業してから一度も会っていないので、その後のことは知らない。

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   横浜市立図書館
 

歌会

東京での歌会、例によって気になった歌。

発表前なのでここには出せないが、

白膠木の枝先を払うにもあらずくぐりぬけた。

そんな歌意の歌。

この歌意だけでは分かりにくいかもしれないが、

上句は白膠木の木の描写で下句のくぐりぬけたという動作につながる。

当日の出席者は30人。

歌会の適正人数は20人前後で、30人になると一首にあてることの出来る時間が

少なくなる。批評を聞いていて言いたいことはあっても、歌会の進行を考えると発言を

遠慮するわけで、その日も順番で回ってくる歌の批評以外は発言することもなく

黙って他の人の批評を聞いていたのだが、この歌について司会に指名された。

前評者ふたりが歌の意味を読み取れなかったみたいなのだが、

正直言って読むのに苦労する歌ではない。

白膠木は漆の一種で、触るとかぶれることがある。

山道かどこかを歩いていた作者は、かぶれるのが嫌で白膠木の枝先を手で払わず触らない

ようにくぐりぬけたのであろう。

言っていることはそれだけで情景としてもかなり単純なものである。

で、読み取れないと言われてしまった歌だが、

私はこの歌はいい歌だと思った。

上句の白膠木の描写を受け、下句のなにげない所作。

その下句の「払うにもあらずくぐりぬけたり」が一首全体の雰囲気とも相俟って

生きている気がした。

「払うにもあらず」は8音で字余りである。

定形に収めようとすると、「払うことなく」とかになるわけだが、

「払うことなく」では単に動作の説明で終わってしまう。

それに対し「払うにもあらず」だと、ここでためが作れるような、そんな気がする。

アーチェリーやゴルフのようなスポーツでよく言う「ためを作る」。

短歌でもそれがあるような気がする。

「払うことなく」ではすとんと読み下してしまう。

「払うにもあらず」だと、ここでためが生まれ、すとんといかない。

読者の読みの歩みはここで滞る。

歌の瑕で読みが滞るのは話にならないわけだが、

ためを作ることで読者の読みの歩みを遅らせる。

ここで読者は無意識のうちに歌の読みを再考する。

なんだろう、この歌は….、そんなふうに立ち止まる。

そしてこの歌の表現するところを考える。

「払うにもあらず」という字余りの8音にはそういう効果がある気がする。

あるいは、作者が白膠木の枝を払わずくぐりぬけたのも、

白膠木だ→かぶれるかもしれない→触らないでくぐろう。

そういう合理的な判断ではなく、

白膠木に気付いたとき無意識のうちに取っている行動かもしれない。

人間の日常の行動には必ずしも合理的な判断の裏打ちがあるわけではなく、

人はえてして無意識のうちに行動を選択するのである。

「払うにもあらず」とどこか自分の行動を客観視しているような把握の仕方は、

作者がその辺のことを理解したうえでのものなのかもしれない。

「払うにもあらず」で作られた「ため」は、読者にそういう想起もさせるわけである。

選者の花山さんはこの「払うにもあらず」が微妙に引っかかっていたようで考え込んで

いたが、私はこの表現はいいと思った。

あともうひとつ、私がこの歌を評価したのは、

この歌が全くどうでもいいようなフツーの所作から一首を立ち上げていることである。

白膠木があった、払わないでくぐりぬけた。

ただそれだけである。

普通なら素通りしてしまうようななんでもない所作からこの作者は一首を立ち上げた。

最近、歌が作れなくて苦しんでいるのだが、

こういう何気ない所作から歌は作れるのだという、

そのことをあらためて思い知らされたのである。

俺はなにをやっているんだ。

こいつは、白膠木をくぐった、ただ、それだけのことから一首を立ち上げている。

それなのに俺はなにをしている。

そんな気にさせる歌だった。

ちなみにこの歌、選者の真中さんの歌だった。

久しぶりに出席した東京の歌会。有意義な良い歌会だった。

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   上野公園の噴水

みちのくの仏像展

久しぶりに東京での歌会なので、午前中に上野に出かける。

東京国立博物館で「みちのくの仏像」展をやっている。

東北6県を代表する仏像の展示。

今年の3月で東日本大震災から4年になる。

東北では多くの文化財も被災したわけで、

この展覧会の収益の一部はそういう被災文化財の復旧に用いられる。

他にメジャーな展覧会をやっていないせいか、上野公園は空いていた。

噴水の広場を通って国立博物館へ。

会場のなかに入ると白木をそのまま彫ったような仏像が並んでいる。

目にとまったのは岩手・天台寺の聖観音菩薩立像。

表面に鑿の跡が沢山残っていて、素朴でいて美しい。

宮城・給分浜観音堂の十一面観音菩薩立像も美しい白木の仏である。

給分浜は東日本大震災で大きな被害を受けたが、

観音堂は高いところにあったので津波の被害を受けなかったらしい。

京都や奈良の仏像と違い、なにかこう装飾が少なくまろやかである。

同じ仏像でもなにか文化的背景に違いがあるような気がしてくる。

青森・恵光院の女神座像はたぶん元は仏像ではあるまい。

古くからの信仰の神が仏教に取り込まれたものであろう。

まろやかで素朴なみちのくの仏達を見ていると、

そういう神代の昔から引き継がれたものが背景に残っているような、

そんな気がする。

岩手・黒石寺の薬師如来坐像は貞観の時代のもの。

貞観の大地震と東日本大震災。

千年に一度と言われる大地震を二度経験した仏である。

しっかりとした顔をしていた。

円空の彫った仏像もあり、いかにも円空らしい造形。

小さな展覧会なのだが、いいものを見たという気がした。

東京国立博物館で45日まで↓

       http://michinoku2015.jp/

 

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  東京国立博物館の裏の庭園 春と秋に一般公開される

鎌倉

三連休の一日、というか半日、鎌倉を歩く。

バスと電車を乗り継げば一時間かからないで行けるので、

鎌倉は休みの日の気楽な散策スポットである。

鎌倉駅に着くとかなりの人出、小町通りに行く人が多いようなので、

そちらには入らず、若宮大路の方へ。

ちなみに若宮大路の参道、段葛は補修工事をやっていて、3月末までは無粋なフェンスに

覆われた状態。道路を横断しにくいので、観光客の動線にも当然影響する。

せっかく外国からの観光客も増えているので、早く終わるといい。

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  若宮大路の参道段蔓は3月末まで工事中

それにしても人出が多い。

正月も終わったので少しは空いたかと思って来たのだが、

確かに正月の鎌倉で見かける気の遠くなるような行列さえないが、かなりの人出ではある。

久しぶりに歩いた若宮大路、新しい店が増えていて活気がある。

雑踏を抜けるようにして八幡へ。

実朝暗殺のとき公暁が隠れたという大銀杏が倒れて何年経つだろうか。

天気がいいので、大銀杏の倒れたあとの広がりも、今では気分良く感じてしまう。

人出が多い割には滞ることもなく石段を登り、八幡に参拝。

成人式の日なので晴れ着姿の娘さんもいて華やかである。

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  八幡宮

参拝を終え、裏道を通って荏柄天神へ。

ここの紅梅は鎌倉で一番早く咲くと言われている。

行ってみるとここも参拝客の行列。

あんたら参拝したけりゃ正月のうちに済ませなよ、そうすりゃ今日あたり空いているのに、
などと思いつつ列に並ぶ(^^;
スムーズに進んでゆくので、それほど待たされずに参拝。
列に並びながら紅梅も近くから見上げる。青空を背にして綺麗である。
その空に鳶が飛んでいる。
穏やかな冬の晴れた日の鎌倉。
歩いていて気持ちがいい。

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  荏柄天神
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  帰りにパチリ 着いたときはこの石段の下まで行列だった
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  荏柄天神 合格祈願の絵馬が本殿に沢山つけられている
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  荏柄天神の紅梅
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ぶらぶら歩きながら若宮大路に戻り、途中、昼飯に蕎麦でも食べようと思うが、

どの店も混んでいる。

結局、駅まで戻り、駅前の鮨屋で鮨を食って江ノ電で藤沢へ出、小田急に乗って帰る。

江ノ電の車窓から見える湘南の青い海が綺麗だった。


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  鎌倉駅前 すし処きみ 本日のおすすめランチ
 

高森神社

縁あって、丹沢のふもと高森神社に初詣。

愛甲石田の駅で仲間と待ち合わせして、駅の地図で場所を確認して歩く。

天気が良く風もないので歩いていると暖かいぐらい。

東名をくぐった向こうに高森導了尊というのがあり、

急な階段の向こうに奥宮があるので行ってみる。

狛犬の後ろに天狗の像が立っているのが珍しい。

ここから道路を渡った向こうに高森神社が見える。

小高い丘の上に神社があるような、遠くから見るとそんな感じ。

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  高森導了尊

歩いていくと、三々五々、初詣に行く人が神社に続く坂を上っていくのが見える。

手前は児童館かなにかになっているらしい。神社まで駅から20分くらい。

境内に入り由緒書きを読むと、

祭神は大国主の長子の味須岐高彦根であると書いてあるので出雲系ということか?

出雲系の神社は近畿にも結構多く、そちらの方から東に移住した人々が信仰を持って

きたのかもしれぬ。

平成21年に火事で燃えてしまい、その後再建したということで建物は割と新しい。

神主さんが知り合いで、挨拶をして雑談。正式な参拝もさせてもらい玉串を捧げる。

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  高森神社

この神社のある高台からつながっている感じで向こうにあるのが、

地元では「吾妻さん」と呼んでいる里山。

参拝のあと、登り道を聞いてそこに行ってみた。

神社から後ろの小学校の方に行き、学校の敷地沿いに山の方へ曲ると

落ち葉に埋もれたような道が続いている。

歩いていると心が洗われるような穏やかな道である。

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  境内から見た吾妻さん
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  落ち葉の道を登る

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分ほどで「吾妻さん」の頂上。

木立に囲まれ、吾妻神社という小さな社があり、弟橘媛を祀っている。

弟橘媛は倭建の妃。

倭建の東征の折り、一行が三浦半島の走水から海を渡ろうとして暴風に襲われた。

そのとき弟橘媛が人柱となって入水し、嵐が静まったとか。

そのとき、媛が詠ったというのがこの歌。

  さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも

相模国造に騙されて焼き討ちにあったとき、あなたは火のなかで私のことを

心配してくれましたね。
そういう歌だということになっているが...、

たぶん違う(^^;

「問う」は今でこそ質問の意味だが、古代では求愛である。

焼き討ちされている最中に求愛する向きもあまりいないだろう。

適度な間隔でア音を繰り返す調べの心地よさがこの歌に愛唱性をもたらしていて、

おそらくは、東国で人々が歌っていた古代の歌謡だったのではなかろうか。

それが倭建の東征神話のなかにいつのまにか入ったのではないか。

この高森神社のある丹沢の麓あたりも、古代は焼畑がおこなわれていただろう。

共同作業である焼畑の火の傍らで愛を語らう若者達がいたはずである。

そういう情景を歌った古代の東国の歌謡、そんな気がする。

あるいはこの「吾妻さん」という里山は、

そういう若者達の歌垣の山だったのかもしれない。

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  吾妻さんの頂上にある吾妻神社

そんなことを想像しながら落ち葉に包まれた里山を歩くのは気持ちが良い。

帰りは同じ道を歩いてもつまらないので、途中の道の分岐を反対の方に行ってみる。

どうせ小さな里山なので、どう通っても麓に出るはず。

そんなふうにテキトーに歩いていたら斜面を切り開いた畑に出た。

道はその畑の縁に続いていて、そこに小さな馬頭観音があった。

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  畑の縁の馬頭観音

そこを過ぎてさらに下ると、人家と畑。

人の家の敷地に入ってしまうのではないかと思ったが、

ルートファインディングよろしく高森神社に続く畑中の道にちょうど出た。

神社に戻り、神主さんに挨拶。

せっかくだから奥の方で一献と誘われ、

社務所の中でしばし歓談しながら美味しい酒を頂く。

なにしろ神社というのは奉献の酒が沢山あるので、

酒呑みにはこんないいところはない(^^;;

夕方近くまで飲んで話して楽しく過ごさせてもらい、

静かな田園風景のなか愛甲石田の駅に戻った。

いい初詣をさせてもらった(^^

 

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