2014年11月

歌会

湘南の歌会、会場に入ってみると、

選者の小林幸子さんや、吾が師匠、岡部史さんも来ていて、ちょっと驚いた。

おまけに映像プロダクションの取材まで来ている。

なんでも、テレビドラマで歌会のシーンをやるんだそうで、

それで歌会とはどういうものか取材に来たとか。

で、例によって気になった歌。

老いれば今という時はさらさらと記憶の瓶からこぼれてゆく。

そんなような歌意の歌。

歌会では不評だった。

「今という時が記憶の瓶からこぼれていくというのが分からない」

そういう感じの批評だったかな。

記憶の瓶に入っているということはすなわち過去。

つまり「今という時」ではないわけで、

どうして「今という時」が記憶の瓶からこぼれてゆくのか。

確かにそう言われればそうである。

岡部さんも小林さんも否定的で、そのまま次の歌に移ったのだが、

私はちょっと疑問だった。

この歌は未完成の歌である。

二通りの読みが出来そうな気がする。

ひとつは、作者が自分のことを詠っているわけで、年をとると記憶がどうのこうのと

いうことで、歌会での批評はこの読みを前提にしているだろう。

もうひとつの読みは、作者が他者を詠っているという読みである。

例えば、認知症の母親。

作者がどんなに世話をしても母親の記憶にそれは残らない。

砂時計とその下にある母親の記憶の瓶。

しかし、母親の記憶の瓶はもう一杯で新しい記憶は入らない。

砂時計からさらさらと落ちる今の記憶は、決して母親の記憶の瓶に入ることなく

瓶の口から零れてしまう。

この歌の場合、複数の読みが出来るのが、

歌の深さのゆえではなく表現の曖昧さの結果だというのが、問題なのであろう。

初句が「老い母の」とかであれば読みがすんなりしてくるわけで、

そうなっていないのは、あるいは作者自身のことを詠っているのかもしれない。
そうであれば、歌会での批評が妥当なものということになるわけだが、
「今という時」になにかしら痛切なものがありそうにも読めて、
それが記憶の瓶から零れてゆく、という表現をあえて読もうとすると、
作者ではない他者を詠っているという読みの可能性も検討されなければならないはずである。
それが全くされないまま、一方の読みだけで歌が全否定されたのは疑問だった。
本当は歌会でそういう発言をしたかったのだが、
当日の司会がてきぱきと進めていって隙がなく、
「それでは小林さん、総評をお願いします」という感じですぐに振ってしまうので、
なかなか入り込めなかったのだ(^^;
時間内にうまく収めた司会の手際は見事だったが、
仕事の会議の司会ではないのだから、
歌会の司会はもう少し隙があってもいいのかもしれない(^^;;
歌会終了後は、軽く飲みながら歌談義。
ちなみに取材に来ていた映像プロダクションは、民放のサスペンスドラマとかを
制作しているらしく、「短歌教室殺人事件」とかいうドラマが放送されたら、
歌会出席者のモデルはうちらであるかもしれない(^^;;;
そんな他愛無い話をしながら飲んで食べて楽しい時間を過ごしたのだった。

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   紅葉

鎌倉

久しぶりに湘南での歌会。

以前は毎月出ていたのだが、

なんやかやと忙しくなって半年ぶりくらいの出席。

以前と同じように午前中は鎌倉を歩く。

紅葉の季節の三連休で電車がやたら混んでいる。

鎌倉まで行くつもりだったが、あまり混んでいるので北鎌倉で降りる。

降りたのはいいがホームからなかなか外に出られないくらいの人出である。

円安のゆえか外国からの観光客も多い。

ようやく駅を出ると道路も車で一杯。

円覚寺の紅葉が綺麗なのだが、ともかく人が多いのでそのまま素通りして東慶寺へ。

ここも人は多いのだが、せっかくだから寄っていく。

北条時宗の正室、覚山尼の開山。

縁切り寺として有名。

梅や紫陽花の季節も綺麗だが、この季節も落ち着いた紅葉が美しい。

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  東慶寺 向こうは宝蔵

寺の奥が墓所になっているのだが、何年か前、訪ねたとき、なんとなく歩いていて、

墓所の片隅の古いやぐらのところへ行ったら、
やぐらの前に置かれていた花入れだったろうか、
それに三つ鱗の紋があるのに気付いた。
北条の三つ鱗。
なんで、ここに? と思って見ると、
覚山尼の墓だった。
確か傍らの立札に消えそうな字で「覚山尼 北条時宗室」とか書いてあった気がする。
三つ鱗は祖母の家の紋。
子供の頃、夏休みに泊まりに行った祖母の家で、村の祝いか何かに出かける支度を
していた祖母が着物についている三つ鱗の紋の話をしてくれた。
お人好しの祖父が財産を失いだんだん小さくなっていく家を守りながら、
祖母は三つ鱗の紋を誇りにしていたらしい。
三つ鱗はそういう祖母の記憶につながる紋なのである。
東慶寺の墓所の片隅の覚山尼の墓。
時の最高権力者の妻の墓とは思えない質素な墓である。
夫の死後、この寺を建て、離縁を求める女性達にシェルターを提供した覚山尼。
同じ三つ鱗で遠くつながるその人はどういう人であったのだろう。

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  東慶寺の崖の石仏 この崖には6月頃、イワタバコの紫の花が咲く

しばらく紅葉を眺め、建長寺の方へ。

それにしても人が多い。最初は巨福呂坂を越えて八幡まで行くつもりだったが、

向こうから煎餅を食いながら歩いてくるオジサンとか見ていると、だんだん嫌になってきて、
途中から人の少ない亀ケ谷の切通しの方へ入る。
ちなみに建長寺の手前に雷神堂という煎餅屋があり、そこの煎餅が美味しいと評判らしい。
いくら評判でも、
いい歳したオジサンが歩きながら口いっぱいに煎餅頬張るんじゃないよ、まったく。

亀ケ谷の切通しは鎌倉七口のひとつで、山の内から扇が谷に入る道である。
天気が良く周囲の黄葉も綺麗で気分がいい。
ここの切通しは暗い感じがしない歩きやすい道である。

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  亀ケ谷の切通し

のんびり歩いて切通しの反対側の住宅地に出、JRの線にぶっかったところで左へ。

英勝寺を線路の向こうに見ながら途中で踏切を渡り、鎌倉駅の西口の方へ向かう。
途中、銭洗い弁天の方に行く人が結構いる。
この人出では銭洗い弁天もそう簡単に銭が洗えまい。
駅に着くとJRも江ノ電も人で一杯。
秋の三連休の鎌倉はちょっと覚悟して行った方がいいなとあらためて思いつつ、
通勤ラッシュのような江ノ電で歌会の会場の藤沢に向かった。

釜飯&ヒラタケ

アーチェリーの射場に釜飯の宅配のチラシが入っていた。

食べてみようということで試しに注文。

午前中にコースを一回りして練習場に戻ると釜飯が届いていた。

どうしてどうして、なかなか美味しい。

五目釜飯が990円+消費税。

それにしても量が多い。

二つ頼んで三人で食べれば丁度いいぐらいの量である。

宅配ビジネスが買い物に不便を感じている高齢者を主要な客層として考えているなら、

高齢者の食事量に合わせた方が良いような気はするが、

ま、味がいいので良しとしよう。

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食べ終わってからコースをもう一回り。

どうも腹がくちくなってしまったせいか、皆、成績はイマイチ(^^;

成功に必要なのは腹をすかせていることだなと妙に納得して練習場に戻った。

で、今日はもうひとつ収穫があった。

ヒラタケ。

射場に置いておいたキノコの榾木。

シイタケの榾木3本とヒラタケの榾木3本を置いていたのだが、

シイタケは採れたがヒラタケは全く出なかった。

今年はもう終わりかなと榾木のところに行ってみたら、

シイタケが出ている出ている。

榾木のうちの1本に親指の爪くらいの小さいシイタケが沢山出ていた。

一週間もすれば大きくなって食べ頃だろう。

で、ほかの榾木をちょいと見たら、なんと、ヒラタケ!

今年は無理なのかと諦めていたヒラタケ。しかも結構肉厚。

やった! ヒラタケ収穫!

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実は、シイタケよりもヒラタケの方が好きなのである。

昔、スーパーで「しめじ」ということで売っていたのがこのヒラタケ。

鍋に入れてもバター焼きにしても旨い。

ヒラタケの収穫ですっかり気をよくして、うん、榾木増やそう。

シイタケとヒラタケ、ナメコもいいかもしれん。

ちなみに、ヒラタケの榾木1本、1100~1200円くらいだったかな。

その榾木1本から1個のヒラタケ。

随分高いヒラタケかもしれんが(^^;;

射場に榾木を沢山置いて、

アーチェリーのついでにキノコを採って帰れればビジターも喜ぶだろう。

アーチェリーの射場の楽しみが増えれば榾木の10本や20本、高くはあるまい(^^

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   射場の黄葉

橋の向こう

  等伯の橋の向こうにあるものが見えてきそうな春の夕暮れ

しばらく前、結社誌に出した歌。秀歌欄に載っていた。

入っている短歌結社の結社誌の誌面、選者ごとに選歌欄があり、

その選歌欄の前後に秀歌を配し、それ以外の歌は秀歌の間に作者のあいうえお順に載せる。

別に秀歌欄に載ったと自慢したいわけではない。

この歌、歌会に出したときはかなり不評だったのである。

「等伯の橋の向こうと言われても分からないですね」

その一言であっさり切り捨てられた歌である。

歌会の批評は聞くべきは聞き、聞き流すべきは聞き流すようにしている。

実際のところ、聞いてもしょうがない批評というのは結構多いわけで、

批評を聞きながら、それを判断するわけである。

聞くべきと思った批評は心に留め、

何言ってやがると思った批評は聞き捨てる。

人によっては歌会での批評を随分気にする向きもいるのだが、

歌は民主主義で作るのではない。

歌会の出席者の全員がNGを出しても、自分が本当にそれに納得しないのなら、

それでいいのだ。

自分の表現を信じればいい。

それは相手が選者であっても同じである。

その覚悟とその覚悟を支える努力がなくてなんの表現者か。

ま、それはそれとしてこの歌。

「等伯の橋の向こうと言われても分からない」と言われてしまったのだが、

長谷川等伯の「柳橋水車図屏風」。

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等伯の傑作のひとつ。

しかし、この絵は変である。

橋の絵なら普通は橋の全景が描かれそうなものだが、
この絵は絵の上部に橋の一部が描かれているだけである。
そして左には水車。絵の下半分に水の流れがある。
橋といいながら、なぜ等伯は橋の一部しか描かなかったのか。
一部しか描かれていない等伯の橋の向こうには何があるのか。
描かれていないところに何を見るか、それは鑑賞者の器量次第だろう。
短歌が読者の器量を越えて読めないのと同じことである。
柳橋水車図屏風には人の姿がない。
じっと見ていると、その静寂は死の世界にも思えてくる。
あるいは等伯の描いた橋の向こうにあるのは、この世ではないのかもしれない。
等伯の橋の向こうに何を見るか。
それを表現したかったわけだが、
結句が平凡とかいう批評なら分かるのだが、
「等伯の橋の向こうと言われても分からない」という批評はちょっと残念だった。
そういうことである(^^;

サワディーカ

相鉄線三ツ境のサワディーカ。

仕事で歩いていてたまたま見つけたタイ料理の店。

雑居ビルの二階にある小さな店なのだが、昼時は割と混んでいる。

女性客が多いようだ。

はじめてここで食べたとき、バンコクで食べたものに味が近いなと思った。

和食でも中華でも、外国に行くとその国の味に合わせてしまうわけで、

タイ料理も日本で食べると、これがタイ料理?という感じの店も結構ある。

そのなかでサワディーカは料理の盛り付けとかは日本人客に合わせて上品にしているが、

味は現地で食べたものに近い感じ。

タイ人の奥さんが切り盛りしていて、

店員は片言の日本語のタイ人の店員と日本人の店員がいるらしい。

以前、レッドカレーを食べたときは、食べている途中から汗がじわりと出てきた。

日本のカレー屋でカレーを食べてもあまり汗など出てこないが、

本物のタイカレーは汗がじわりと出てくる。

あれは香辛料が体に効いてくるのだろうか?

先日、ちょっと飲み会をしようという話になり、

昼からサワディーカで一杯。

酒はタイのシンハービールやメコンウイスキーが置いてある。

これはあとで知ったことだが、メコンウイスキーというのはウイスキーではなく、

米とサトウキビから作った焼酎なのだそうだ。

他にもタイウイスキーということで、

メニューにはホントンとかセンソンとかがあったが、

実はこれも米焼酎なのだそうだ。

米とサトウキビで作る焼酎なら沖縄の泡盛に近いのかもしれない。

考えてみれば米作の国なのだから、ウイスキーより米焼酎作っている方が自然ではある。

ま、ただ、アルコールはサッパリ系のシンハービールが一番美味しいかな(^^;

ウイスキーといわれると先日、世界一という評価をもらったという山崎とか、

やはり日本のウイスキーの方が美味い。

料理の方は辛さが大丈夫かどうか聞いてくれる。

タイで食べた味が良ければ辛いままで、それが苦手なら日本人向けに辛さを抑えて

作ってくれる。接客の感じはなかなか良い。

ここでカレーを食べていると、ぶらりとまた東南アジアに行きたくなってくる。

小さなしがない店なのだが、仕事のついでに月に一度くらい食べに行っている店である。

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  ゲーンペ (レッドカレー)

納税表彰

支部が納税表彰を受けた。

納税表彰というのは年に一回、「税を考える週間」に合わせ、

「多年にわたり率先して申告納税制度の普及発展又は租税教育の推進に努め、納税道義の高揚に顕著な功績のある人又は団体」を表彰するもの。

支部が受けたのは租税教育の推進に関して。

ちなみに税理士会の支部が納税表彰等を受けるのはかなり稀なことであるらしい。

税理士会では会則を改正し、来年度から租税教育の推進は税理士の義務になる。

今までの税理士会における租税教育の位置づけはボランティアだった。

今年の支部の租税教室、昨年と比べて少し授業のコマ数が増えたのだが、

学校の総合的な学習の時間が減ることが予想される今後、

税理士会での租税教育を拡大していくのは、いろいろ難しいところがある。

税理士の義務として取り組みを拡大していくのなら、

税理士の繁忙期である1月~3月辺りの租税教室を引き受けていかねばならないだろう。

学校の側はカリキュラムの都合などで、その時期の租税教室の開催を希望することが多く、

その時期的な問題が今までもネックになっていたのである。

で、義務になるということは同時に、
今後、
繁忙期の確定申告の無料相談への派遣との関係が出てくるということである。
今までは、税理士の義務としての確定申告無料相談への派遣と、
ボランティアという位置付けの租税教室への講師派遣を、
同列に考えることは出来なかったわけで、
もし、確定申告の繁忙期に租税教室の講師を引き受ける場合は、
無料相談への派遣最低2日という義務を果たしたうえで、
さらに租税教室のために日にちを取らなければならなかった。
超繁忙期の確定申告の時期に、これはかなり無理があった。
しかし、今後、義務になるのなら、
租税教室の講師派遣を無料相談への派遣と同じにカウントし、
租税教室の講師をした場合は無料相談は行かなくていいとか、
その辺の調整は必要になるはず。
報酬についてもしかり。
そうなると、支部の動員可能人数の問題もあるわけで、
ま、その辺は次期の執行部なり担当各部が考えてくれるであろう。
私は今期が終われば担当を外れる。
租税教育についてはいろいろ思うところもあった。
授業の内容についても、税金の仕組みや役割だけではなく、
もっと、税金を通して生徒達に社会について考えてもらう、
そういう授業が出来ないものかと思ったりした。
東京会がそういうスタンスで租税教育を推進しているらしく、
東京会で実施している租税教室の見学なども考えてみてもいいのかもしれない。
いずれにせよ、次期の担当部長さん、頑張ってください。
そして、租税教室の講師を引き受けて頂いている会員の先生方、
今回の表彰はあなた方が表彰を受けたものと自負して頂いていいはず。
これからも頑張ってください(^^

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  菩提樹 落葉

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