2014年10月

推薦

短歌結社から昇欄推薦の書類が来ていた。

所属している結社では1100人程の会員を月集、作品1、作品2、若葉集に区分けしている。

若葉集は入会1年目の会員。

1年経過すると作品2に移る。

で、それ以降の昇欄は推薦になる。

推薦するのは月集と作品1の会員。

作品2から作品1への昇欄の基準は、

入会後ほぼ七年以上経ち、できるだけ欠詠がなく、作品の質が十分高い人、なんだそうだ。

推薦の書類にそう書いてある。

一年に一度この時期に、昇欄にふさわしい人を推薦しろということで、

月集と作品1の会員のところに昇欄推薦の書類が送られてくるわけである。

書類を読んでいて、うん? と思った。

「入会後ほぼ7年以上経っていること」と書いてある。

確か以前は「入会後7年以上経っていること」だった。

つまり「ほぼ」が入っていなかった。

推薦するとき、この7年というのが結構困るのである。

7年前にいたのかどうか調べないと分からないわけで、

仕方なく7年前の結社誌を引っ張り出して、その人の名前を探すわけで、

これがなかなか面倒なのである。

そのうち、そういう面倒なことがいやになって、

「この人、7年経っているのかな?」と思いつつ確認せずにそのまま推薦を出すという

横着なことをするようになるわけだが、

そういう横着な向きが多いので「ほぼ」でいいということになったのかもしれず、

あるいは、作歌の力量に年数は関係ないということで「ほぼ7年」になったのかも

しれない。その辺は分からぬ。

ちなみに、昨年は推薦を出さなかった。

別に横着を通り越して推薦するのも面倒になって出さなかったのではない。

結社誌を読んでいないので出すに出せなかったのである(^^;

税理士会の支部の役を引き受けなければならなくなり、

短歌に係ることのできる時間は絶対的に減った。

それで読めなくなった。

全く読まないのもまずいなと思い、

近頃はところどころ斜めに流し読む程度のことはするようにしている。

それでもやはり、その程度の読み方で人を推薦するわけにもいかないので、

今年も推薦は出さなかった。

支部の役も来年の春で終わる。

春以降、もし、引き続き支部の役をすることになったとしても、

たぶん、今よりは楽な仕事になるのではなかろうか。

そうなったら、再び、短歌に係る時間を増やすことが出来る。

来年はちゃんと昇欄の推薦を出せるようにしたいと思っている。

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   桜紅葉

シイタケ

アーチェリーの射場に置いてある椎茸の榾木。

今年の春に小さな椎茸が採れてそのあとは出てこなかった。

榾木を置いて2年くらいしないとキノコは出てこないとかいう話もあり、

今年はもう出ないのかなと思っていた。

で、先日、コースを一回りして榾木のところに行ってみたら、

下の方に直径3㎝くらいの椎茸が出ているのが見えた。

お、これは! と思い他のところも見てみると、

出てる出てる。直径3㎝くらいのが6個ぐらい。

もっと小さいのがさらに3個くらい出ていて、

おっ! やった! 椎茸採れた~と思いつつ榾木の一本の裏の方を覗いたら、

なんとそこに直径20㎝くらいの巨大な椎茸発見!

なにこれ!? 

すっかり傘が開いてなにやら他のキノコみたいな感じになってしまっているが、

襞の様子や傘の表面の模様は確かに椎茸。

実は一週間前に見たとき、親指の爪ぐらいの小さな椎茸が出ているのを発見していた。

その親指の爪が一週間で巨大化したらしい。

そう言えば、この一週間、天気が悪くて雨が多かった。

たぶん、そういう天気のときに椎茸は成長するのだろう。

他のは収穫するにはまだ早いので、とりあえず巨大化して傘の開いてしまった椎茸を収穫。

射場の常連連中に自慢して持って帰り、翌日焼いて食べた。

なかなか旨い(^^

店で買う椎茸と違ってみずみずしい感じがする。

ただ、焼こうとしたら芥子粒のような小さな虫がたくさん出てきて驚いた。

生椎茸には虫がつくことが結構あるらしく、

椎茸と一緒に食べてしまってもどうということはないのだが、

やはり一応、虫出しをする。

水にしばらく入れておくと出てくる出てくる、こんなにいっぱいいたのかというくらい。

傘が開いてしまっていたので余計多かったのだろうか?

店で売っている椎茸は、虫がつかないように榾木に網を被せたり、農薬も多少使ったり

するのだろう、ほとんど虫がいることはないが、

自分で作った場合は虫の処理は気を付けた方が良さそうだ。

ま、そんなわけで虫はついていたけど美味しい椎茸だった。

傘があまり開いていない丁度いいときに収穫できればもっと美味しいだろう。

ちなみにヒラタケの榾木も置いているのだが、そちらは全くなし。

ヒラタケは難しいのかな?

というわけで、このブログを読んでいる射場の常連の皆さん。

椎茸出てきていますから、好きに採っていってください。

一般のお客さんも採っていけるように榾木をもっと増やそうか。

春はタケノコ、秋はシイタケが採れる射場って宣伝するのもいいかも(^^

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  でかい...。

ミスを素直に認めていれば...

クライアントから電話があった。

「○○税務署から電話があって、7月納付の源泉税の金額を聞かれたんですけど、
税理士さんに聞いてくださいって答えたら、『税理士さんには電話しました。
おたくの確定申告はやっているけど源泉関係はやってないというので、直接、
電話しました』って言われたんですけど...?」
「は? そんな電話かかってないですよ?」

すぐに○○税務署に電話して確認、クライアントに電話してきた担当者が出た。

「ええ、先生のところに電話しました、そうしたら、そういう返事だったので」

「いつですか?」

「え~と、ちょっと待ってください、メモを調べます...。〇月△日午後×時です」

「こちらの着信記録見ても、その時間、税務署から電話はかかっていませんが」

「いえ、電話しましたよ」

「誰が出ました?」

「『関野です』と言ってました」

「私がその関野ですが、その時間、私は税務署から電話を受けていません。仮に受けてい

たとしても、自分が源泉事務をやっている顧問先について、そんなことを言うはずがない」

「いえ、電話しましたよ!」

「あなた、どこに電話した? 何番に電話したの?」

「今かけてきている電話は何番ですか!」

「どこに電話したのかと聞いている」

「今かけている電話は何番だー!」

「統括に変われっ-!」

最後は怒鳴り合い。

で、30分程して統括から電話があったので、事情を説明、調べてくれと伝える。

翌日、統括から電話。

「調べたんですが、分からないんですよね...」

「分からない?...。これ、大きな問題ですよね。同じことが税務調査の事前通知で

あったらどうなるんですか? ある日いきなり顧問先に調査が入って駆けつけてみたら、

『事前通知はしました。何月何日、電話したら先生が出ました』って、身に覚えのない

こと言われたら、どうなるんですか? それで調べてもらっても分かりませんで済むん

なら、事前通知制度は崩壊しますよね」

「はあ、確かに...」

「納得のいく回答がなければ遠慮しませんので。顧問先に訳の分からないことを言われて

私の信用は失墜したわけです。補償はしてくれるんですよね。私は遠慮しませんから」

結局この一件はその後、税務署の方で通信記録を調べ、

やはり私のところに電話はしていなかったことが判明した。

担当者が他のところにかけた電話と混同したらしい。

再発防止を求めたが、今後こういうことが起きないように事例として報告して、

研修にも反映させるということで、納税者のところにも事情を説明してもらい、

トラブル発生後の税務署の対応は非常に良かった。

ひとつはっきりしたのは、税務署の通信記録は調べることが出来るということ。
これは税務署の人も初めてのケースで知らなかったらしい。
電話の契約が税務署ではなく国税局なので、国税局から電話会社に問い合わせするわけ
だが、国税局の方で速やかに対応してくれたらしい。
今後、同じようなトラブルがあった場合、本当に電話したかどうか、通信記録で確認
できるということは今回の件ではっきりした。
ま、同じようなことはそうは起きないと思うが(^^;
いずれにしろ、間違えというのはどこでも起こりうることであって、
ミスをしたとき、そのミスを素直に認めて謝っていれば「今後気をつけろ」ぐらいで
済むものを、ミスを認めないで言い張ってしまうことがトラブルを大きくした。
他山の石としよう。
しかし、びっくりするよね...。
ある日いきなり、「何月何日あなたのところに電話しました。あなたが出ました」
身に覚えのない電話をかけたかけたと言い張られてもな...。
何が起こったんだ? という感じだよな...(^^;;
正直、最初は相当に頭きたけど、
その後の税務署の対応は非常に良かった、そのことはここで明記します(^^

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  ミューザ川崎

歌会

福島での歌会、例によって気になった歌。

発表前なのでここには出せないが、

道端でアイスを売る婆ヘラに混じって爺も売っている。

そんな歌意の歌。

一読、意味が分からなかったのだが、何回か読んでいるうちに、

「婆ヘラ」というのは婆がヘラでコーンにアイスを盛って売る、なにかそういうものが

あるのかな?という気がしていた。

で、話を聞いてみると、秋田あたりでおこなわれているアイスの路上販売であるらしく、
道端にパラソルを立てて、その陰に座っているお婆ちゃんが

足元に置いた保冷缶からアイスを売るのだそうだ。

イメージしたとおり、そのときヘラでコーンにアイスを盛り付けるらしく、

なかにはバラの形に盛り付ける名人もいるらしい。

複数の会社があるようで、婆ちゃん達は朝早く業者の車でそれぞれの場所に運ばれて、

道端にぽつんぽつんと置いてゆかれ、夕方、業者の車が迎えにくるまでそこに座って

アイスを売るのだそうだ。

ちなみにネットで「ババヘラ」と入れて検索すると出てくる。

ババヘラというのは登録商標にもなっているらしく、

であるならば、歌会でも指摘が出ていたが、「婆ヘラ」はおかしい。

固有名詞であるなら表記は「ババヘラ」でなければならない。

それに、これも歌会で指摘されていたことだが、

歌を読むと、大勢の婆に混じって爺も売っている、そんな感じに読めるのだが、

実際は道端にぽつんとひとり座っている感じで、

たまたま通りかかったら爺がババヘラを売っていたということなのだろうから、

それが通じるような表現にするべきなのだろう。

いずれにせよ、かなりローカルな存在である「ババヘラ」を短歌にするとき、

一首で伝えるのは難しいかもしれない。

やはり連作になるのではないだろうか。

ちょっと考えてみたが、もし一首で伝えるとしたら、

・・・婆の売るババヘラアイス爺も売るなり・・・

みたいな表現もあるのかなとは思うが、やはり歌としては立ち上がりにくい気がする。

ただ、連作としてその地方の風景なりを詠みながらそこに「ババヘラ」を加えれば、

面白いアクセントになるだろう。

地方の歌会に行くと、こんなふうにその地特有のものがたまに出てきたりして、

それはそれでなかなか面白いものである。

で、この「ババヘラ」、実は歌会に出る前、たまたま実物を見ていたのである。

三連休初日、盛岡から八幡平に向かったが、アスピーテラインのかなり上の方で、

道端にパラソルを立てその下に座っているお婆ちゃんがいた。

確か、「名物アイス」とかいう小さな幟を立てていた。

車で脇を走りながら「こんな山の中でひとりで売ってんの?」と驚いた。
たぶん、家族に車で送ってきてもらって、また迎えに来てもらうんだろうなと思い、
仕事とはいえ大変だなぁと思っていたら、
八幡平から秋田側に下る道の途中にもやはり座っていて、
えっ! ここにもいるのか? と思ったのである。

素晴らしい紅葉のなかの道と言えば聞こえはいいが、

人家の全くない熊が出てきてもおかしくない紅葉の森のなかの道端である。

そこにお婆ちゃんがぽつんとパラソルを立ててその陰に座っているのだ。

えっ!?

ババヘラを知らない人は一瞬、目を疑う。

あれ、マジな話、熊が出てきたりしないんだろうか...(^^;

そういうところに朝から夕方までひとりで座ってアイスを売っている...。

ま、三連休で観光客が多いからそういうところに座っているんであって、
普段はもうすこし人通りのある道端に座っているんだろうが、
それにしても、うーん・・・、秋田の婆ちゃんは強い。

そういう実感を入れて詠むといい歌になるかもしれない(^^;;

歌会前、偶然、そうやって実物を見ていたので、

ちょっと印象的な歌だったのである。

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  福島駅前

角館

八幡平から角館に着き、レンタカーを返して今日の宿へ。

とりあえずチェックインをすませると、温泉への送迎バスがすぐに出るというので、

それに乗ってひとっ風呂浴びにゆく。

もともと角館には温泉はなかったのだが、その後、掘り当てたらしい。

行ってみると、別にバスで送迎してくれなくても散歩がてらに行ける距離だった。

地元の人が通っている銭湯という感じの温泉で、なかなか趣きのある風呂。

風呂から出たあとはテキトーにぶらぶらして軽く一杯ひっかけ、

比内地鶏の親子丼で夕食を済ませ宿に戻った。

ほんとは夕食前に武家屋敷のあたりを歩きたかったのだが、

のんびり風呂に入っている間に日が暮れてしまった。

それにしても角館は日が暮れるとめっきり人通りの少なくなる町である。

翌朝、朝食を済ませてから宿のサンダルをつっかけて散歩に出る。

まだ人通りは少なく、昨日の温泉の方に行きそこから北に曲ると、道の向こうに木立が

見えてくる。そのあたりが武家屋敷の街並み。宿から20分かからないくらいで着く。

道が割と広く作られているのは火除け地としての役割もあったのだろう。

その道の両側に大きな屋敷が並んでいる。

庭には太い木が沢山生えていて、武家屋敷の街並み全体が深い木立に覆われている感じ。

朝なので観光客もほとんどおらず静かである。

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  散歩に出たときカメラを忘れ、武家屋敷の写真は電池の切れそうな携帯で
  撮ったこの一枚だけ(^^:

それにしても立派な屋敷。

よくこれだけの屋敷を維持したものだ。

先祖代々こういう屋敷に住むことが出来たのは、

おそらく、明治以降も角館の武士達は土地と切り離されなかったということだろう。

ちなみに角館は秋田佐竹氏の支藩で東北では珍しい官軍側である。

江戸中期から後期、市場経済の発達に伴い、幕臣、特に小身の旗本や御家人は、

土地と切り離され俸禄というサラリーをもらう武士になった。

つまり知行地を持っていない。

ゆえに幕府が滅んだとき、彼等は失業者になった。

それに対し、角館の武士達はそれぞれの知行地を封建領主として経営し、

おそらくは藩がなくなったあともそれぞれの領地の地主として存続できたのだろう。

そうでなければこれだけの屋敷の維持は無理なはず。

土地との密接な繋がりを江戸後期になっても維持していたということは、

逆に言えば、寒冷な東北の生産性の低さが市場経済の発達を阻害したということである。
生産性の高かった西日本では市場経済の発達に伴い封建制が揺らぎ、

そういう時代状況のなかでの西南諸藩の藩政改革は絶対主義への移行を示している。

そしてそれが明治維新への道を開くわけだが、

市場経済の発達が遅れた東北では封建制が維持された。

幕末の奥羽列藩同盟は別に東北の人々に徳川への忠誠心があったからではない。

19世紀における西日本と東日本の生産性の差が、

西南諸藩は絶対主義へ、奥羽列藩は封建制の維持へと志向させたということである。

それが明治維新の東と西の戦いの背景にある。

そういう東北にあって、秋田の佐竹氏は藩論が割れながらも最後は官軍側についたの

だから、佐竹の殿様、時代が見えたのかもしれぬ。

いずれにしろ、江戸後期さらに明治以降も角館の武士達が土地と切り離されなかった

ことで、角館の武家屋敷は残ったのではなかろうか。

調べたわけではないが、朝、観光客の殆どいない武家屋敷の街を宿のサンダルを

つっかけて歩きつつ、そんなことを思った。

それにしても、緑が豊か。

屋敷も立派だが、それぞれの屋敷が屋敷林に覆われていて、木もでかい。

屋敷のそばのあんなでかい木、枯れたときどうやって切り倒すんだ?と

屋敷の持ち主でもないのに余計なことを考えてしまう。

あちこち枝垂れ桜も沢山ある。桜の季節は素晴らしいだろう。

紅葉はもうしばらくあとの方が盛りかなという感じ。

天気も良く、一通り歩き回って宿に戻りチェックアウト。

今日は午後から福島で短歌結社の歌会があるので、ここから新幹線で福島に向かう。

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  カメラ忘れて武家屋敷の枝垂桜を撮れなかったので、最後に駅前の枝垂桜をパチリ

八幡平

八幡平は岩手と秋田にまたがって起伏する大きな山なみ。

頂上部に八幡沼があり、その周囲に高層湿原が広がっている。

百名山のひとつだが、アスピーテラインが山塊を東西に横断しているので、

車で容易に頂上近くまで行ける。

福島で歌会があるので、ついでに三連休、東北に出かけた。

新幹線で盛岡、レンタカーで八幡平へ。途中、岩手山が大きく見えて気持ちいい。

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  岩手山

東北道を出、八幡平の大きな山の塊にどんどん登ってゆく。

登るにつれて周囲の紅葉が綺麗になる。

三連休なので道路が混んだら嫌だなと思い、早い時間の新幹線で来たのが正解だったか、

観光道路の渋滞にはまることもなく見返峠の駐車場に着く。

ここから歩いて二十分もかからず八幡沼。

日頃の行いがいいのでばっちり晴れている。

青空の下にこれも綺麗な青の八幡沼。たおやかな景色が広がっている。

八幡平の頂上はこの先、ゆるやかな道をしばらく辿れば頂上に着くのだが、

はっきり言って頂上はつまらない。眺望があまりないので展望台を作ったのだろうが、

それが情趣を削いでいるし、展望台に登ってもさっきの八幡沼の展望台の方が眺めがいい。

さくっと眺めて登ってきた道を引き返し、八幡沼周囲の湿原に向かう。

尾瀬と同じような高層湿原が広がっていて気持ちがいい。

茶色くなった湿原に続く木道を歩き、源太森へ。

八幡平頂上部の小ピークで、周囲の眺めがいい。

観光客用に展望台が作られた八幡平の頂上よりよっぽど頂上らしい頂上だ。

さっき通ってきた八幡沼や、岩手山、遠くに鳥海山も見える。

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  八幡沼
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  八幡平頂上
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  八幡平の湿原
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  尾瀬のような湿原が広がる
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  源太森からの八幡沼
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  遠くに鳥海山が見える

しばらく休憩し、見返峠に戻った。

戻ってみると駐車場の入り口に車が並んでいる。

到着がもう一時間遅れていたらこの列に並んでいたのだろう。

ここからアスピーテラインを秋田側に降りる。

八幡平頂上部は笹と湿原とアオモリトドマツという植生なのであまり紅葉はしないのだが、

中腹に降りてくると素晴らしい紅葉になる。

どうも八幡平は岩手側より秋田側の方が紅葉が綺麗な気がする。

車で走っていて「凄い」と思う。それぐらいの紅葉。

途中、後生掛温泉で泥火山を見たかったのだが、温泉の入り口の道路にずらりと車が並んで

いて停められないので、諦めてその先の大沼に行く。ここにビジターセンターがあり、
行ってみるとここの裏にも小さな泥火山があった。
周囲の紅葉も素晴らしい。

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  泥火山 ふつふつと熱い泥が沸き上がっている
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  泥火山というか熱い泥の沼
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  紅葉
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  これでもかというくらいの紅葉

さらに下って田沢湖方面へ。

下の方の紅葉はまだ盛りになっていない感じ。麓の方の紅葉は今月末くらいなんだろうか。

それにしてもかなり走るが人間の住んでいるところがない。

普通ならしばらく走れば集落があったりするわけだが、

日本にもこんな無住地帯があるんだなとあらためて感心した。

これだけ無住地帯が広がっているならオオカミが生き残っていてもおかしくないなとか、

まるで関係ないことを思ったりしながら奥羽山脈のなかを南に下り田沢湖へ。

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  田沢湖 定番のたつ子像

田沢湖を経て角館に着いたのは夕方。

今日はここで泊まる。

 

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