2014年09月

引っ越しパーティー

友人の引っ越しパーティーで山下町へ行ってきた。

普通、引っ越しでパーティーをするのなら新居でするわけだが、

友人が住んでいたのは昭和の匂いプンプンする築50年以上という住宅都市整備公団の

アパート。15年住んだ友人そこを去り難く、荷物を運び出したあとの旧居で昭和の匂い

に浸りながら一杯飲もうということになった。

当日、集まったのは8人。

石川町の駅に集合し、中華街を歩いてゆく。

IMG_0760
  中華街 善隣門
IMG_0762
  関帝廟

休日で天気もいいので人出が多い。

最初、場所を知らなかったので中華街の近くだと思って歩いていたら、

中華街を抜けて山下公園の方に歩いてゆく。

「地下鉄の方が近かったんじゃない?」と聞くと、

「ええ、でも、中華街歩いた方がいいかなと(笑)」

つまり、彼、仕事帰りに中華街を年中ぶらついて飲んでいたらしく、

彼の15年の山下町での生活の中では中華街は切り離せないのであろう。

おかげで遠回りした(^^;

建物は山下公園の近くの明治屋のところ。

1Fは明治屋の営業所兼店舗である。

なんでも土地は明治屋のものであるらしく、そこに住宅都市整備公団が賃貸住宅を

建てていたわけだが、土地の賃借契約が終わり、耐震性にも問題あるので取り壊しに

なったとのこと。

ぱっと見は近代的な建物なのだが、なかに入ってみると廊下が天井低くて暗い。

梁が横にでんと通っていて、その部分とくに天井が低くなっている。

50年前の建築技術では、このくらい太い梁をつけなければならなかったのだろうし、

それでもまだ現代の耐震基準は満たさないのである。

昔の建物ってこんなに天井低かったのかなぁ...。

当のその「昔」、こちらは子供だから背が低く、天井が低いことに気が付かないわけで

ある。こんな感じだっのかなぁ...。

IMG_0763
  低い天井の廊下

部屋は2DK。結構、現代的で、これ本当に50年前のものか?という気がする。

たぶん、リフォームはしているのだろう。

ベランダが付いていないあたりはやはり昭和30年代ということなのかもしれない。

窓から外を覗くと、下の屋上に物干しが並んでいる。

なんでも3Fは明治屋の社宅だったんだそうで、社宅に住んでいる人達が洗濯物を

干していたそうである。

なんか、病院の物干し場みたいな、そんな感じ。

昔はこんな集合の物干し場があったのである。

それにしてもこのコンクリートの感じそのものが、なにか昭和。

今でもコンクリート打ちっ放しという建物はあるが、

コンクリートの感じが違うのである。

昭和30年代のコンクリートの建物って、何とも言えずノスタルジックである。

IMG_0764
  三階の屋上は明治屋の社宅専用の物干し場だったんだそうな
  この写真の時点で明治屋の社宅は一世帯だけ残っていて、あとは無人。

早速、飲み始める。

つまみは彼が15年親しんだこのあたりのB級グルメ。

焼き鳥だの中華街の餃子だの、なかなか美味しく、酒も旨くて、

もう、どうにもならん(^^;;

時々、港の汽笛が聞こえてくる。

「年越しの港の汽笛、家にいて聞こえるね」と聞くと、

「いえ、そのときは実家に帰っているから聞いたことありません」

なるほど、そんなものか(^^;;;

昭和の思い出話など果てしなく、銘柄忘れたが美味しい日本酒もあり、

最後は結局、記憶なし。

どう帰ったのか定かではないのだが、

アパートを出て地下鉄に乗り、電車のなかでいろいろ話していたのは覚えている。

またひとつ、昭和の面影が横浜から消えてゆく。

それにしても横浜の真ん中にあんな昭和の匂いディープな場所が残っていたとは

知らなかった。

 

歌会

東京での歌会、例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

電池の力を借りながら電波時計が時間を合わせている。

そんな歌意の歌。

電池切れで止まっている電波時計に新しい電池を入れると、

時計が自動的に針をぐるぐる回して時を合わせるわけで、

その様子を見て詠ったのだろう。

で、この歌の批評、自分に順番が回ってきたので、

「『電池の力を借りながら』というのが気になる。ここが作者の工夫なのは分かるが、

成功している気がしない」

とコメントした。

最後の総評は選者の花山さん。花山さん曰く、

「『電池の力を借りながら』はいいと思うけど」

花山さんと見事に意見不一致(^^;

別に選者の意見と一致しなければならないわけではないし、

選者が正解を答えるというわけでもない。

選者の意見も参加者の意見のひとつであって、納得しなければ聞き流すだけの話なのだが、

それにしても今回は花山さんの意見が分からなかった。

「電池の力」は別にいい。それは作者の工夫である。

しかし、「借りながら」はどうなのか?

歌に幼稚な感じが出ないだろうか?

時計でもなんでもいいのだが、電池が切れて止まっていたものが、電池を入れ替えて

動き出したとき、「ああ、電池の力で動いているなあ~」と当たり前といえば当たり前の

発見をして、それを表現すること自体は面白い。

しかし、「借りながら」はどうか?

この幼稚感漂う擬人法は成功しているのか?

花山さんは手短に「『電池の力を借りながら』はいいと思うけど」としか言わなかったし、

総評にツッコミ入れるのも憚られるので黙って聞いていたのだが、

そのあとそれが気になって、ずうっと考えていたのだった。

で、考えた結果、分からん(^^;

歌を作るとき、調べにしろ言葉の選択にしろ、やはり美しくしたいという気持ちはあって、

それが過ぎるといかにも短歌的な歌になってしまうということはあるわけである。

自分自身を省みて、確かにそういうところはあって、

それで、こういう表現に否定的になってしまっているのか...。

花山さんは時々、すごい鋭い目で人を見ることがあり、
この歌の批評のときも私のコメントが終わったあとで、ギロリと私を見たのだった。
なに言ってんの、そんなことだからダメなのよってことかな...(^^;;
う~ん、いまだに
「『電池の力を借りながら』はいいと思うけど」というのが分からんのである(^^;;;

 140923_111718
   道端の花

佃島から月島

今月の歌会は会場の都合でいつもとは場所を変え、月島。

せっかくなので佃島から月島までぶらぶらと歩いて歌会に行く。

徳川家康の時代、関西の先進的な漁労技術を関東に移植しようということで、

摂津の国佃村の漁師達を移住させたのが佃島。

地下鉄の月島の駅で降りて、駅にあった地図を見てあとはテキトーに歩く。

休日とはいえ随分と人通りの少ない街である。

しばらく行くと掘割に出た。何人もの人が釣り糸を垂れている。

大抵、昼日中のこういうところで釣りをしているのはヒマそうなおじさん達だが、

ここでは若い女性も釣りをしている。

見ているとハゼのようだ。釣って佃煮にでもするんだろうか。

140921_122519
  掘割の向こうは高層ビル

佃小橋で掘割を渡りしばらく行くと住吉神社がある。

ちなみに住吉信仰は西の方の信仰で関東や東北には少ない。

もともと住吉三神は海の神、航海の神なので、

船による交易に従事した瀬戸内や北九州のあたりを中心に信仰されていたのであろう。

佃島の住吉神社も、摂津から漁師達が移住するとき神職が一緒にやってきて

建立したものである。

案外小さい神社で、少し早い七五三の家族がお詣りをしていた。

140921_122732
  佃島 住吉神社

この神社の近くにちょっと知られた木地師の店がある。

江戸八角箸や椀などを売っている店で、芸能人もかなり買いに来るらしい。

行ってみると東京の下町の昔のまんまの職人の店という感じで、

頑固な親爺が出てきそうだし、先月、京都に行ったとき箸は買っているので、

外から眺めただけで素通り。

この店の向かいには昔ながらの駄菓子屋があり、子供が数人、地べたに座って遊んでいた。
まるで昭和だ(^^;

うっかりして写真を撮りそこなった。

時間がないので月島の駅の方に戻る。

それにしてもこの辺り、空襲を受けなかったのでところどころかなり古い家が残っていて、

風情を偲ばせるものがある。

あのくだらない戦争がなければ東京のあちこちに風情のある街並みが残っていたのだろう。

月島の駅から西仲通りを歩く、別名「もんじゃストリート」で、もんじゃ焼きの店が

ずらりと並んでいる。すくそばの佃島は人が少なく静かだったのに、

こちらは歩行者天国になっていて観光客で賑わっている。

テレビ番組の影響で下町歩きやB級グルメの食べ歩きがブームになって久しいが、

だいたいもって昔は、もんじゃ焼きというのは子供のおやつだったわけで、

それがこれだけもんじゃ焼きの店が並ぶのだからテレビの力は凄い。

140921_124257
  もんじゃストリート

ここも表通りより横の路地の方が昔ながらの風情があって面白い。

どこかで昼食を食べてから歌会に行きたいのだが、

ひとりでもんじゃを食べていると、よっぽど寂しい人か変人かと思われるので、

そのまま途中の路地から清澄通りに出て、勝どきに向かう。

こちらはまたかなり雰囲気が変わる。

古くからの埋め立て地に広がる新しい街という感じで、

高層の建物も多くなり、昔とはかなり雰囲気が変わってきている。

街並も綺麗で、大地震のときのことさえ考えなければ住むのに良いところである。

さて、歌会の場所が遠い。

平坦な埋め立て地をずうっーと歩いていく感じで、ようやく着いたのはいいが、

会場の近くに食事ができるところがなく、結局、昼飯抜きで歌会に臨む。

あとで聞いたら会場の裏に中華料理屋があったのだが、後の祭り。

歌会に出る前は必ずビールをひっかけてお浄めをしてから行くことにしているのだが、

それができず、アルコール不足で歌会に突入した(^^;;

 

黒塗り


 進歩的左派の成れの果てなど思いつつ梅雨の晴れ間に飲むカプチーノ



何年か前、短歌の結社誌に出した歌である。

この歌を地でいくような状況に朝日新聞が陥っているらしい。

誤報問題もさることながら一番驚いたのは、誌面の週刊誌の広告の黒塗りである。

朝日新聞を批判する週刊誌の広告で朝日新聞にとっては不愉快な言葉だったのだろうが、

今は21世紀である。

この時代に戦前の軍国主義の時代のような黒塗りを見るとは思わなかった。

数日前、朝日新聞は従軍慰安婦および福島原発の記事の誤報について謝罪したが、

問題の本質は「誤報」ではない。

誤報は多かれ少なかれ大抵の報道機関がやるだろう。

朝日新聞の一連の問題の本質は「誤報」ではなく「意図的な報道」である。

学生運動の流れを引き摺ったような体制批判的なニュースさえ出していれば売れるという

安易な姿勢が、慰安婦報道の根底にあったと言われても仕方あるまい。

原発否定の政治的意図が、

吉田調書についての報道を恣意的なものに変えたことも否定できない。

戦後の一時期、左であることが、民主的であり進歩的であり良心的である。

そういう風潮があったわけだが、
当時ですら、右も左も行きつくところはファシズムであるということは
歴史が証明していたことだ。
朝日新聞の黒塗りは、
右も左も結局は同じだということを久しぶりに思い出させてくれた。
とりあえず、黒塗りは二度と見たくはない。
朝日新聞にはくだらない正当化や言い訳は終わりにして、
報道の良心を思い出してもらいたいものだ。

 IMG_0709
  横浜 伊勢佐木町  伊勢佐木町ブルースの碑

HPからのメール復旧

サーバーのトラブルで停止していたHPからのメール、
復旧しましたので、
御用のある方はご利用ください。

HPからのメール

サーバーのトラブルでHPがしばらく閲覧できない状態でした。
(このブログは別リンクなので閲覧できましたが)
HPの方は復旧しましたが、
HPトップページからのメールはまだ当方で受信できない状態が続いています。
もし、ここ数日内にHPのトップページからメールを頂いた方、
あるいはそのアドレス宛にメールを送られた方がいましたら、
届いていないと思いますので、
あらためて下記のアドレスにメールしてください↓

                  hsekino@mvg.biglobe.ne.jp

HPからのメールについては復旧次第またブログでお知らせしますが、
お知らせあるまではメールは上記アドレスにお願いします。

アーカイブ