友人の引っ越しパーティーで山下町へ行ってきた。
普通、引っ越しでパーティーをするのなら新居でするわけだが、
友人が住んでいたのは昭和の匂いプンプンする築50年以上という住宅都市整備公団の
アパート。15年住んだ友人そこを去り難く、荷物を運び出したあとの旧居で昭和の匂い
に浸りながら一杯飲もうということになった。
当日、集まったのは8人。
石川町の駅に集合し、中華街を歩いてゆく。
最初、場所を知らなかったので中華街の近くだと思って歩いていたら、
中華街を抜けて山下公園の方に歩いてゆく。
「地下鉄の方が近かったんじゃない?」と聞くと、
「ええ、でも、中華街歩いた方がいいかなと(笑)」
つまり、彼、仕事帰りに中華街を年中ぶらついて飲んでいたらしく、
彼の15年の山下町での生活の中では中華街は切り離せないのであろう。
おかげで遠回りした(^^;
建物は山下公園の近くの明治屋のところ。
1Fは明治屋の営業所兼店舗である。
なんでも土地は明治屋のものであるらしく、そこに住宅都市整備公団が賃貸住宅を
建てていたわけだが、土地の賃借契約が終わり、耐震性にも問題あるので取り壊しに
なったとのこと。
ぱっと見は近代的な建物なのだが、なかに入ってみると廊下が天井低くて暗い。
梁が横にでんと通っていて、その部分とくに天井が低くなっている。
50年前の建築技術では、このくらい太い梁をつけなければならなかったのだろうし、
それでもまだ現代の耐震基準は満たさないのである。
昔の建物ってこんなに天井低かったのかなぁ...。
当のその「昔」、こちらは子供だから背が低く、天井が低いことに気が付かないわけで
ある。こんな感じだっのかなぁ...。
低い天井の廊下
部屋は2DK。結構、現代的で、これ本当に50年前のものか?という気がする。
たぶん、リフォームはしているのだろう。
ベランダが付いていないあたりはやはり昭和30年代ということなのかもしれない。
窓から外を覗くと、下の屋上に物干しが並んでいる。
なんでも3Fは明治屋の社宅だったんだそうで、社宅に住んでいる人達が洗濯物を
干していたそうである。
なんか、病院の物干し場みたいな、そんな感じ。
昔はこんな集合の物干し場があったのである。
それにしてもこのコンクリートの感じそのものが、なにか昭和。
今でもコンクリート打ちっ放しという建物はあるが、
コンクリートの感じが違うのである。
昭和30年代のコンクリートの建物って、何とも言えずノスタルジックである。
三階の屋上は明治屋の社宅専用の物干し場だったんだそうな
この写真の時点で明治屋の社宅は一世帯だけ残っていて、あとは無人。
早速、飲み始める。
つまみは彼が15年親しんだこのあたりのB級グルメ。
焼き鳥だの中華街の餃子だの、なかなか美味しく、酒も旨くて、
もう、どうにもならん(^^;;
時々、港の汽笛が聞こえてくる。
「年越しの港の汽笛、家にいて聞こえるね」と聞くと、
「いえ、そのときは実家に帰っているから聞いたことありません」
なるほど、そんなものか(^^;;;
昭和の思い出話など果てしなく、銘柄忘れたが美味しい日本酒もあり、
最後は結局、記憶なし。
どう帰ったのか定かではないのだが、
アパートを出て地下鉄に乗り、電車のなかでいろいろ話していたのは覚えている。
またひとつ、昭和の面影が横浜から消えてゆく。
それにしても横浜の真ん中にあんな昭和の匂いディープな場所が残っていたとは
知らなかった。