2014年08月

京都 哲学の道

短歌結社の全国大会二日目、皆が真面目に歌会をやっている頃、

歌会はパスさせてもらって、宿を出て東山三条からバスに乗り銀閣寺へ。

銀閣寺道というバス停で降りて道路を渡れば「哲学の道」という標識がある。

琵琶湖疎水に沿ってここから熊野若王子まで続いている道が「哲学の道」で、

哲学者の西田幾多郎が散策していたので「哲学の道」と呼ばれるようになったらしい。

疎水沿いに桜が続く道で、4月あたりはさぞ綺麗だろう。

そう長い道ではなく、熊野若王子まで距離にして4kぐらいか。

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その「哲学の道」をしばらく行けば向こうに慈照寺の参道が見えてくる。

ちなみに「銀閣寺」とフツーに言われるし、バス停も「銀閣寺道」なのだが、
銀閣寺という寺はない。
正確には慈照寺、その慈照寺のなかの建物のひとつが銀閣である。
さらにいえばその銀閣も通称で、建物の本来の名前は観音殿。
江戸時代あたりから鹿苑寺の金閣と並べて銀閣と言われるようになったらしく、
それ以前は銀閣とは言っていなかったらしい。
もとは足利義政が建てた東山殿。山荘として建てられたが義政の死後、寺になった。
落ち着いた感じの参道を行くと向こうに慈照寺の入り口。
なかに入れば、池のほとりに銀閣がある。
手前に広がるのは銀沙灘と向月台。
砂で表現しているのがなんなのかはよく分からないが造形としては面白い。

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写真を撮っている観光客が多いので、テキトーに眺めて先に進む。

庭園は苔が感じよく広がっていて外国からの観光客にとっては、こういうのは結構

エキゾチックなのではなかろうか、

苔を庭園の重要な要素として使うというのは日本以外ではあるんだろうか?

日本的な美の感覚みたいなものが感じられる。

庭園を歩いていくと山に登っていく感じになり、途中に銀閣を見下ろすような一角がある。ちょっと面白いアングルだ。

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慈照寺を出て参道を戻り、熊野若王子へ続く「哲学の道」に入る。

人通りはそれ程多くはなく静かな道である。疎水を覗くと魚が泳いでいたりする。

ずっと桜が続いていて、この辺に住んでいる人達は家にいて花見ができそうで羨ましい。

今日はそれ程ではないが、それなりに観光客は歩くのだろう、道沿いに点々とお店がある。

しばらく行くと左に法然院。

鎌倉時代、法然が庵を結んだところらしい。

さほど大きくはないが趣きのある寺である。

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   暑いときは昔ながらの氷水
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  法然院山門

さらに「哲学の道」を進む。

慈照寺から南にくだっているのだが、この辺りに来ると疎水の向こう側は山になり、

絵を描いている人もいたりして趣きのある落ち着いた雰囲気。

それにしてもやはり8月、曇っていて気温はそう高くないのだが、

ちょっと湿気が多いせいか、歩いていてかなり汗ばむ。

しばらく行くと、なにやら猫が沢山いる。

道の傍らの廃業した喫茶店のようなところに猫が沢山住み着いているようで、

放置された乳母車ぐらいの大きさの馬車の形の置物?に子猫が何匹もかたまって気持ち

よさそうに寝ている。他の猫も人間を警戒しているようなそぶりが全くなく、

周囲の人達に可愛がられているのだろうか。

帰ってからネットで調べてみたら、「哲学の道」のちょっと有名な猫ポイントであるらしい。

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その先しばらく行くと道は突き当りになり、そこを左に行けば熊野若王子。

ここで「哲学の道」は終わり。

熊野若王子は後白河法皇が熊野権現を勧請して建てたものらしいが、

行ってみると地元の子供会かあるいは祭なのか、

本殿にビニールプールを広げて子供達が水遊びをしている。そばにいたおばちゃんが

「すいませんね、お参りの邪魔で」と言うので、いえいえ構いませんと返事して、

水遊びしている子供達越しに向こうの祭壇に二礼二拍手一礼。

頼朝をして日本国第一の大天狗と言わしめた後白河法皇の建てた神社も、

今は地元の人達の生活のなかにあるらしい。むしろ好感を覚える。

ここからほんの少し南に行くと禅林寺、永観堂で有名なところ。

ここも紅葉の季節はさぞ綺麗だろうというところだ。

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 熊野若王子
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 禅林寺

そしてこの隣りが南禅寺。

石川五右衛門がそこに登って京の街を眺め「絶景かな絶景かな」と言ったという山門は

なかなか立派。寺の境内にある琵琶湖疎水の水道橋の写真も観光案内などでよく出てきて

有名なところだ。歩いてきた「哲学の道」と比べるとだいぶ観光客が増える。

9時に宿を出て、南禅寺でちょうど昼。湯豆腐で有名なところなので昼飯にする。

豆腐の看板を出している店が結構あり、そのうちの一軒へ。さすがに暑いので湯豆腐では

なく冷たいおぼろ豆腐と素麺のセットにしたが、天麩羅がなかなか美味かった。

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 南禅寺 山門
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 南禅寺 水路閣 琵琶湖疏水が流れている
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 南禅寺 方丈
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 南禅寺 庭園

ここからさらに知恩院・八坂神社と歩いて祇園に出るつもりだったのだが、

帰りの新幹線の時間があるので、食事を終えて平安神宮まで歩き、そこからバスに乗って

京都駅に戻る。バスのなかで随分大きな雷が聞こえた。

ちょうどいいタイミングでバスに乗ったらしい。

駅で土産と今日の夕飯に名物の鯖寿司を買って結構急いで新幹線のホームへ。

ちなみにこの鯖寿司も美味かった。

今回歩いた「哲学の道」は、半日ぐらいで歩ける歴史と趣きのある散策ルートである。

桜や紅葉の季節に行くのが良いと思うが、そういう季節は人も多いのかもしれない。

一年に一度はこんな風に京都を歩いて楽しみたいと思っている。

ただ、次は8月でなく涼しい季節にしたい、今回はだいぶ汗をかいた(^^;

全国大会

短歌結社の全国大会、今年は京都。

二日間の日程で初日は一般公開のプログラム、二日目は会員限定で歌会等をする。

例によって、一般公開の方だけ参加。

以前は真面目に二日間とも参加していたのだが、

年に一度の大会ということで出席者が多く歌会の方はどうしても適正規模を超え、

内容の濃い歌会としては成立しにくいので、ここ数年は一般公開の方だけ参加している。

ちなみに今年は会員の出席者は350人。

会員外も参加できる初日の一般公開のプログラムは800人だそうで、過去最大。

京都駅にほど近い会場のホテルに行ってみると、人人人・・・。

受付を過ぎると会場入り口あたりで何社かの出版社がテーブルを出して短歌関係の本を

売っていたので、テキトーに物色していると、「めずらしいね」と話しかけられた。

振り返ると選者の真中さん。

「あ、どうもこんにちは、めずらしいって?」

「ちゃんと来てるんだ」

「めずらしくないですよ。一般公開の方だけは毎年ちゃんと出てますから」

そう答えると苦笑いしていた(^^;

そのあとも何人かの見知った人と遭遇、挨拶をする。

なかには年に一度の全国大会でしか顔を合わせない人もいる。

会場は結構大きな部屋なのだが、それでも一杯。後ろの方に座っていたが、

あとからあとから人が来て立ち見が出る状態になり、結局、追加の椅子を持ってきて

どうにか全員座ったらしい。

初日のプログラムは歌人の高野公彦の講演と、

哲学者の鷲田清一、内田樹と歌人の永田和宏の鼎談。

高野公彦の講演は、用意された歌について語っていくという感じで、

こう言ってはなんだが、目新しい話というのはほんの一部で、

あとは一般的な批評レベルの話、ちょっと眠たかったかな(^^;;
鼎談の方は面白い話もあり、「口ごもるということが短歌には大切」というのも
なるほどと思った。また、竹山広と佐藤通雅の次の歌をひいて、

  居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ

                         / 竹山広
  死ぬ側に選ばれざりし身は立ちてボトルの水を喉に流し込む
                         / 佐藤通雅

永田和宏が「佐藤通雅の歌は竹山広の歌の影響を受けたのだろう」と指摘したのに対し、
内田樹が、「そうではなくて、生き死にを経験した者はこういう二者択一的な言葉の
使い方をするのではないか」と言ったのが印象的で、個人的には内田の意見に共感した。
ちなみに竹山広の歌は阪神大震災、佐藤通雅の歌は東日本大震災の歌である。
そんなこんなで1時から5時までのプログラムはあっという間に終わり、
最後に選者の栗木京子が閉会の挨拶をして終了。
閉会後は人波に押されるように会場を出、そのまま京都駅へ。
二日間参加する人はそのままホテルで宿泊、このあとの懇親会もあるのだが、
初日しか参加しないので三条の辺りに宿を取っている。
地下鉄に乗り宿に入り、しばし休憩ののち祇園白川や花見小路の辺りを歩き、
夕飯は日本酒を飲みつつ本場の懐石料理を楽しみ、
ほろ酔い気分で鴨川、先斗町あたりを歩いて宿に戻ったのだった。

ちなみに、これは後から知ったのだが、そんなふうに京都の夜をぶらぶらしている頃、

全国大会の懇親会では、主宰の交代が発表されたらしい。
懇親会でサプライズがあるという話は聞いていたので、
会員が増えたから選者の増員だろうと思っていたが、
選者の増員と併せて主宰の交代もあったのだった。
新たな主宰も選者も若く、若返りで活性化を図るのだそうで、
主宰の交代には一抹の寂しさはあるが、御苦労様でしたと言いたい。
ただ...。
ビジネスマンの感覚で、ついついこういうとき思ってしまうわけだが、
カリスマ的なトップが交代したとき、そのあとの影響とか、どうなんだろう...。
歌詠みって、自分は俗物じゃないと思い込んでいる隠れ俗物が結構多いのであって、
主宰も選者も若い人が選ばれたことで反発する向きが出なければいいがなどと、
ついつい余計なことを思ったのだった(^^;;;

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  京都 新都ホテル

ふるさと納税

2008年から始まった「ふるさと納税」。

各自治体が一生懸命宣伝しているので知っている人も多いだろう。

任意の自治体に寄付をすると、2000円を超える金額について、所得税と住民税の

税額控除があり、上限額はあるが、その範囲であれば寄付した金額の大部分が返ってくる。

で、各自治体では「ふるさと納税」をしてくれた人にその地方の特産物を贈るということを

しているので、考えようによっては、地方の特産物を通販で買って、

買い物代を税金の還付として返してもらうようなものである。

もっとも、上限はある。例えば年収600万、夫婦子供二人の家族なら、寄付金から

2000円を超える全額の還付が受けられる寄付金の額は29,000円あたりが上限。

もちろん、もろもろの条件で異なるのであくまでも概算。

ちなみにこの「ふるさと納税」、自分のふるさとに納税しなくてもいい。

自分の好きな地方自治体でOK。つまり縁もゆかりもないところでもOKで、

毎年、納税先を変えてもいい。

三陸の震災の応援をしたければ、そちらの自治体にすればいいし、

つい先日の広島の豪雨被害の応援をしたければ、そちらの自治体に寄付すればよい。

各自治体では少しでも納税して欲しいので、

「ふるさと納税」をしてくれた人に特産物を送るわけだが、

だいたい10,000円のふるさと納税にたいし、3000円~5000円ぐらいの

品物というのが目安らしい。

例をあげるとこんな感じ。

北海道 紋別市     オホーツクの流氷 海産物等

青森  五所川原市   りんご 米 しじみ佃煮 馬肉セット等

宮城  気仙沼市    ふかひれセット さんまセット等

福島  大玉村     米 たもぎ茸 座禅・そば打ち体験等

新潟県 新潟市     コシヒカリ 越乃寒梅2本セット等

兵庫県 神戸市     神戸牛焼肉セット 神戸ワイン等

広島県 尾道市     カバン 瀬戸内はっさく等

宮崎県 三股市     宮崎牛 宮崎黒豚しゃぶしゃぶ等

沖縄県         泡盛 あぐー焼肉セット等

寄付金額に応じてそれぞれ送ってくる。
特産品を贈ってくれる自治体はかなりあるが、

なかには感謝状だけとか、そういうところもあるので、

その辺はそれぞれの自治体のホームページで確認できる。

災害等で寄付したい場合は、そういう特産品どうのこうのは考えなくてもいいかも

しれないが、なにか送ってもらえると思えば楽しみは楽しみだし、

特産品の注文という形でその地域で仕事をしている人達に金が落ちるなら、

それも地域の経済へのなにがしかの貢献にはなるだろう。

災害があった場合、赤十字への寄付というのも方法なのだが、

赤十字への寄付は手続き上の都合で、実際の被災地に金がいくまで少し時間がかかるのに

対し、ふるさと納税は即、直接に被災地の自治体に金がいくという点はある。

災害の多くなった時代、被災地支援のひとつの方法として考えてもいいかもしれない。

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   ひまわり
 

大倉尾根

丹沢の大倉尾根を登ってきた。

9月にちょっと大きな山行を計画しているので、それに備えてのトレーニング。

4月にキナバルに登りに行ったときも大倉尾根でトレーニングした。

登山口から頂上の塔の岳まで標高差1200m、距離にして6k。

馬鹿のひとつ覚えのようにひたすら登り続ける尾根なので馬鹿尾根とも呼ばれるわけだが、

トレーニングの場所としては最適。

おまけに家から東名を素っ飛ばせば1時間ちょいで登山口に着ける。

大倉の駐車場に車を停めて出発、登り始めてしばらくすると橙色の花叢が見えた。

近寄ってみると、キツネノカミソリである。

へえ~、大倉尾根にキツネノカミソリが咲いているんだと今さらのように驚く。

高校生のときから山を登っているが、

実は、大倉尾根を登ることは少なかった。

岩登りや沢登りのようなちょっと危ない山登りが好きで、

丹沢は尾根を登るのではなく沢を登りに来る場所だった。

大倉尾根は沢を登ったあとの下山ルートとして歩くところだったわけである。

その沢も、初級レベルから中級レベルさらに上級レベルへと移ると、

上越やアルプスの谷に目が行くわけで、

初級レベルの沢が多い表丹沢のあたりはいつか殆ど訪れることのない山になった。

そんなわけで、今年の春、キナバルに行くためにトレーニングで登ったのが、

実に何十年振りかで登った大倉尾根だったわけである。

で、今回再び登って、初めてキツネノカミソリが咲いているのに気付いた。

若い頃、沢を登って大倉尾根を下山しているときにあるいは見ているのかもしれないが、

その頃は、沢を登ったという達成感に夢中で、

道に咲いている花など目に入らなかったのかもしれない。

しばらく登ると今度は紫の花が咲いている。ヤブラン。質素で落ち着いた雰囲気の花。

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  キツネノカミソリ
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  ヤブラン

暑い中、ずんずんと登ってゆく。

ひたすら登りが続く尾根なのでトレーニングにはもってこいなのだが、やはり疲れる。
お盆の休みだが、登山者は少ない。

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  見晴らし茶屋からの眺め 遠くは相模湾
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  尾根道
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  尾根の両脇で鳴き交わしていた鹿

花立山荘の下あたりは、登山者に踏み荒らされて木も草も生えていない土が剥き出しの

斜面になっていたのだが、今はしっかり植林されている。
自然を守ろうという地道な活動が成果を出しているのだろう。
昔の荒れ果てた状態を知っている人間としては、ちょっと嬉しくなる。

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  花立山荘の下 昔は一面草も木もない赤土の斜面だった

ここから頂上までは30分くらい。

鍋割山との分岐を過ぎてしばらく登れば塔の岳の頂上。
頂上はガスで眺望は全くなし、視界は20mというところか。

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  塔の岳

晴れていれば富士山が見えるのだが、なんにも見えない頂上で昼食を食べて下山。

登ってきた道を引き返し3時には下山して車で数分のスーパー銭湯に立ち寄って汗を流す。
体重を量ってみると2k減っていた。
少しは体が絞れたかな(^^
風呂からあがってオールフリーで喉を潤し、ざるそば小腹に入れて渋滞覚悟で東名に乗る。
お盆の週末、皆早めに帰省から帰るのか意外と渋滞が少なく夕方には家に帰れた。

歌会

午前中は「よい仕事おこしフェア」を訪ね、昼からはオフにして、東京、平日の歌会。

例によって気になった歌。

いまも海の底に漁礁にならないままの生活(たつき)の跡があるのだろう、

みたいな歌意の歌。

歌会では震災詠として好評。

三年前の東北の津波で海の底に沈み、それがまだ漁礁になることもなくそこにある。

悲しいとか、そういう言葉は使っていないが、震災の悲しみが伝わってくる。

そういう肯定的な批評が多かった。

当日の出席は30人。指名されないまま黙っていたのだが、

私は疑問だった。

まず、「生活(たつき)の跡」とは?

歌会では「生活(たつき)の跡」について具体的な話は出なかったのだが、

「生活(たつき)の跡」というのは、文字通り、人が生活をした跡である。

遺跡の住居跡に竈や囲炉裏の跡があったり、あるいは火を燃やした跡が残っていたり。

そこまで古代に遡らなくても、人の住まなくなった集落の廃屋や井戸や荒れた田畑の跡を

見て、人々の「生活(たつき)の跡」ということもあるだろう。

また、しばらく前の新聞に、九州の軍艦島、かって島全体が炭鉱とそこに働く人々住居だ

ったわけだが、今は無人。そこを何十年ぶりかで、住んでいた人達が訪れたというニュースがあった。その人達にとって、何十年ぶりかで訪れたコンクリートのアパートの廃墟や

それぞれの部屋の様子は間違いなく「生活(たつき)の跡」だったはずである。

つまり、「生活(たつき)の跡」というのは、人が住んでいたその土地自体と不可分の

もので、分離して認識するものではない気がするのである。

三年前の東北の地震でも地盤沈下があり、埋め立て地や河口に近いところでは、

工場や住宅が海没したというケースが一部にあったらしい。

ただ、歌を読んでいると、

「海底(うなそこ)」というのが、ある程度深い海の底をイメージさせるわけで、

三年前の地震での地盤低下による海没は、桟橋が水を被るようになったとか、

確かに海没した土地はあるにせよ、そこまで深くない、そんな感じはするわけである。

もちろんこれは、国語の厳密な意味としての「海底」かどうかという話ではない。

短歌の表現としての「海底(うなそこ)」、その言葉からもたらされるイメージの話である。

で、歌会で「生活(たつき)の跡」についての考証が全くなかったので分からないのだが、

どうも批評を聞いていて思ったのは、津波で流されて海の底に沈んでいる家具や建物の

残骸を「生活(たつき)の跡」と言っているのかな? という疑問。

実際、コメントの中には「津波で流されて」という言葉があったが、

「生活(たつき)の跡」というのは、人の暮らしていた土地と不可分のもので、

流されて海に沈んだ家具や建物の残骸を「生活(たつき)の跡」と表現する

ことには違和感はないだろうか?

流されたとしたら、流された後に「生活(たつき)の跡」が残るのではないのか?

で、家並みそのものが沈んだとしたら、初句の「海底(うなそこ)」はどうなのだろう?

ある程度の深さの海底、それをイメージさせる「海底(うなそこ)」という言葉選びは、

三年前の震災の歌だとした場合、適切なのか?

そういう部分についての考証がないまま、気持ちが分かる、よく伝わってくる、という

批評なので、聞いている方はいまいち疑問が消えないわけである


どうも、以前から感じているのだが、

震災詠とか、あるいは介護の歌とか病気の歌でもそうなのだが、
そういう歌が歌会に出ると、批評が好意的になる傾向がある。
気持ちが分かります。伝わってきます。
そういう批評が増えるのである。
震災や介護や病気で苦しんでいる人がその歌会に出席してその歌を出しているわけで、
そういう歌を読めば出席者もそれは分かるわけだが、
あるいはそれで作者に同情して、もしくは気を使ってか、好意的な批評になる傾向がある。
しかし、それは本当にその歌を鑑賞しているのか?
そうではなく、作者の境遇に同情しているのか?
どっちなのだ?
歌を鑑賞するとき、作者への心寄せは当然であり自然なものである。
むしろ大切なものであるはずだ。
しかし、歌会は歌の表現を問う場所である。
作者はひとりの歌詠みとして、おのれの歌の表現を問うために歌を歌会に出しているはず
で、歌を読んで同情してくださいと思っているわけではあるまい。
作者の境遇に同情して感想を述べることは批評たりうるのか?
歌会では、あくまでも一首の歌として、出された歌を読み批評したいと思っている。
震災詠だから介護詠だから、あるいは病気で苦しんでいる歌だから、批評が甘くなる。
もし、そうだとしたら、それは歌詠みの姿勢として安易なのではないだろうか。
好意的に終始した批評を聞きながら、そんなことを思っていたのである。

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   神田川 河口近く

よい仕事おこしフェア

昼から東京で歌会、午前中は「よい仕事おこしフェア」へ。

300以上の中小企業や地方自治体、もろもろの団体が出店し、

製品やサービス・特産品を紹介し商談につなげようという催し。

主催は城南信用金庫で、東北の全27信用金庫が協賛している。

出店している中小企業はそれらの信用金庫の顧客が中心ということだろうか。

クライアントが出店していて、暇があったら見に来てくださいと招待状をもらったので、

別に暇なわけではないのだが見に行った。

会場は東京国際フォーラム。東京駅から歩いてすぐである。

会場への入り口には海外進出支援エリアと東北応援エリアがある。

中小企業にとっては海外進出したくても人材等の問題があるわけで、

こういうのがうまく活用できればいいのだろう。

東北応援エリアは東北の観光協会や温泉旅館の出店。

そこを通って中に入ると受付があるが、招待状があるので素通りOK。

中は小さなブースに分かれていてそれぞれの会社や団体が製品を置いたり、パンフレットを置いたりしている。かなりの人がいるのだが、当然といえば当然ながらビジネスマンが

多く、一般客はそれ程多くないみたいである。

日程が8月の5日と6日の平日2日間だけなので、どうしても一般客は少なめなのだろう。

東北応援エリアとか同時にやっている東北応援・特産品エリアなどは一般客に来て欲しい

ところだろうが、東京駅からほど近い会場、週末まで借りたらレンタルフィーはかなりの

ものだろう。仕方ないのかもしれぬ。

招待状に書いてあったクライアントのブースに行ってみる。

あった。アクリルの製品を展示している。

スマートフォンを立て掛ける台とか、首飾りや指輪のディスプレイ用品とか。

面白かったのは、アクリルで作った飛行機の形の飾り物や、犬の服のハンガー、

マニアが集めたカードを入れて飾る壁掛けのような、遊び心のある製品。

こういう遊び心のある製品はネット販売でも売れそうな気がして、

仕事に遊び心って大切だなとあらためて感心した。

社長さん達に挨拶し、しばらく話をする。

物作りをする人間の楽しさみたいなものが感じられた。

いつまでも狭いブースで話していて、肝心なお客さんが来てくれなくては困るので、

挨拶が終わったら、会場を見て歩く。

それぞれのブースに置かれている機械の部品とか金型とか、素人には分からないが、

こういう中小企業の技術が日本の産業を支えているのであろう。

頑張って欲しいと素直に思う。

ところどころにリクルートスーツの若者がいるのは、

今回の催しが出店している中小企業の会社説明会も兼ねているからである。

8月の暑い盛りに黒いスーツをしっかり着ている彼等も大変だ。

東北特産品のエリアでは大間のまぐろ丼とか稲庭うどんとか盛岡冷麺の店とか、

いろいろ出ているのだが、昼飯には少し早いので見て歩くだけにして、

テキトーなところで切り上げて会場を出た。

こういう催しを見て歩くのもなかなか面白いものである。

東京駅に戻り、所用もうひとつ済ませてから歌会の会場に向かった。

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