2013年11月

前代未聞

「先生、降ってきまたしたよ!」

税務調査の立会の最中、会社の経理の事務員さんの声。

どうも雲行きが怪しかったのだが、とうとう降ってきた、と思うまもなく

ドドッという強い降りに変わった。

「えっ! 先生のとこのワンちゃん、外に出てるんでしょ?」

昼休み、ペットの話をしていて、今日は天気がいいので犬を外に出したままで来たと

いうような話をしていたのだった。

ゴールデンレトリバーのさくら。

庭と玄関を自由に出入りできるようにして飼っているのだが、

今日は家の者が誰もいなくて、私は一日税務調査の立会。幸い、天気予報では一日

いい天気ということだったので、庭に出したままで来た。

ところが、昼過ぎから空が暗くなって、これは?と思っていたら、

いきなり凄い勢いで降ってきた。しかも雷まで鳴っている。

どうしよう~と思った。

時計を見ると3時30分。

通常、税務調査は10時から4時あたりまでやる。

調査官が帰るまであと30分くらいか...。

「凄い降りですよ。帰った方がいいですよ。ワンちゃん可哀そう、命の方が大事」

雨に叩かれてもそう命にはかかわらないと思うのだが、さすがに困った。

話を聞いていた調査官、

「あとしばらく調べて帰りますけど、なんでしたらお先に帰って頂いても結構ですよ」

そう言ってくれるのは有り難いが、

まさか、税理士が税務調査の途中で帰るってわけにいかないでしょう...。

横から社長さんも一言、

「いいですよ、何かあったらあとで連絡しますから」

周囲からそう言われると、だんだんその気になる。

ま、会社の経理もしっかりしているし、

調べにきた調査官もたまにいる癖の悪い向きではないから、

30分先に帰らせてもらっても大丈夫か...。

「あと30分ぐらいですよね、いいですか? ちょっと先に帰らせて頂いて。

ずぶ濡れになっちゃってると思うので、すみません」

最後に社長に、

「税理士のいないところで何か聞かれても中途半端な返事しないでくださいね」

と言ったら、社長も調査官もずっこけていた(^^;

車を飛ばして帰ると、家の方はなぜかあまり降っていない。

温暖化の影響なのか、局地的にどっと降る、そういう雨だったらしい。

家に着くと、さくらが「早かったね」という感じで迎えに出てきた。

触ってみると少し毛が湿っているぐらい。

あわてて帰らなくても大丈夫だったのだ。

かなり暗くなっていたのに、雲が切れて日も差してきた。

まだ夕方だが、帰ってきてしまったので、その日は仕事はそれで終わりにして、

翌日、2日目の調査に立ち会い、無事に調査終了。

結局たいした問題もなく終わった税務調査だから笑い話ですむけど、

というか、問題出そうだなと思ったら帰らないわけだが、
税理士が、犬が濡れるからと言って税務調査を中座して帰ったのって、

前代未聞だろうな(^^;;

 

 IMG_8597
   さくらは鼻が赤い

歌会

ちょっと書くのが遅くなったが、今月の東京での歌会。

例によって気になった歌。

誌面に発表前なのでここには出せないが、

金庫番になって五輪が来て痩せていた叔父が肥えてきたあのころあのころ、

そんな歌意の歌。

この歌について数人がコメントしたのだが、

なぜか、叔父が金庫番になって私腹を肥やしたみたいな、そういう解釈ばかり。

うそっ~! と正直思ったのだが、出席者30人の歌会、ああこう言っていると進行に

差しさわるので黙って聞いていた。

聞いていると「金庫番」という言葉になにか俗な印象を抱いたらしいコメントが

多かったが、そういう言葉だろうか?

中小企業などで社長から経理を一任されている者を「金庫番」と呼んだりするわけで、

それほど特殊な言い方ではない気がするのだが。

試しにネットで「金庫番」と入れて検索してみると、

「金庫の番人」という文字通りの意味と「組織の会計責任者」という意味が出てくる。

俗な意味の言い方というわけではなく、一般的な言い方として通用していると思う。

ただ、いわゆる上品な言葉ではない気がするので、

それでそういう方向に解釈した人が多かったのかもしれないが、

上品な言葉ばかりを使うのが短歌ではない。

そう大きくもない会社に就職し真面目に働き、経理を任されるようになった叔父。

そしてオリンピックが来て、高度成長の時代へ。

みんなが一生懸命頑張っていた時代、痩せていた叔父もだんだん出世して体も肥えてきた。

そんな時代背景も浮かぶ面白い歌で、もう少し推敲すればいい歌になると思ったのだが、

「金庫番になって私腹を肥やしたのかしら」みたいなコメントはちょっと残念だったし、

いささか歌が可哀想だった。

というか、そういうふうに歌が読めたとしても、

「私腹を肥やしたのかしら」というのは感想であって批評ではない。

歌会とは出された詠草を批評するところであって、感想を述べ合うところではない。

例えばこの歌の場合、

結句の「あのころあのころ」というリフレインは効果を出しているのか、という話が

当然出ていいはずだと思うのだが、

そういう本来の批評は聞かれなかった。

人数の少ない歌会だと時間があるのでそういう話も遠慮なく出来るわけだが、

人数多いと、時間がないので黙って聞き流している。

適正規模をいささかオーバーした歌会の仕方ないところではある。

 IMG_0278
    考える人

広告

「そうですか、新年号間に合わなければ確定申告号でも結構です、お願いします」

うん、なんとか話つきそうかな...(^^

税理士会の支部で出している支部報、

なぜかこの数年あまり広告を載せていなかった。

予算が潤沢にあるならそれでもいいだろうし、

なにかポリシーなり意図があって載せないなら、それもいいのだが、

支部の予算だって楽ではないのに、なぜ載せなくなったのか分からん(^^;

一度載せなくなると、再び載せてくれと頼むのも、

一からやり直すようなところがあって案外面倒なのである。

毎年恒例的にやっていれば向こうもそのつもりで予算を取っておくだろうに、

それをやらなくなったから予算を取っていない。

そこにあらためて広告頼むと、

「上にあげてみます、その返事次第でなんともいえないんですが」という話に

なってしまう。

引き続きやっていてくれていれば、話はスムーズなのに...。

なんせ、前回、前々回の支部報、予定より多いページ数になってしまった。

調子に乗って座談会とか組むからページがオーバーする。

この調子でいくと予算が足らなくなる。

広告とってその埋め合わせしないとまずい。

ま、どうしても足らなくなったら総務部長に予備費回してと頼みこむのかな(^^;;

予算オーバーするなと怒られて部長クビにしてもらえれば、

会務から解放されて自分の仕事に専念できるし、
時間ももう少し自由になるだろうし...。
予備費回せないから最終号は出さなくていいと言ってもらえれば仕事しなくて済むし...。
ま、失うものがない人って気楽ではある(^^;;;
しかし、誰かが会務はやらないと税理士会のような団体も動かないわけで、
次の部長に引き継いで御役御免になるまで、
なんとか広告取って、

しのいでいこうとは思っている。



131119_102550
   晩秋

フィリピン台風被害支援のお願い

台風30号によりフィリピンでは大きな被害が出ています。

国連難民高等弁務官UNHCRの日本公式窓口である国連UNHCR協会では、

緊急支援の寄付を呼び掛けています。

被災地はフィリピンの穀倉地帯で、
田植え前の田圃が水没し、
フィリピンの重要な産業であるココナッツの木が夥しく倒されました。
950万人が被災し、今後、食糧危機も予想されます。
救援を必要としている多くの人々がいます。
詳しくは国連UNHCR協会のHPをご覧ください↓


         国連UNHCR協会              http://www.japanforunhcr.org/phillipine1111




ぶらり台湾 淡水など

ホテルの手違いで昨日は煎餅布団の和室だったが、

今日はその埋め合わせでスイートルーム。

九份から帰ると荷物はホテルの方で移していてくれた。

昨日とはうって変わって、贅沢な部屋である。

131101_133212
  ひとりでスイートルームに泊まってもしょうがない気はするが...。

ま、たまにはこういう贅沢な思いをしても罰は当たるまい。

このスイートルームで目についたのが、壁にかかっていた装飾の写真。

2枚かかっていたが、いずれも植民地時代の台湾のモノクロの写真だった。

スイートルームには中国の客も台湾の客も泊まるはずである。

そのスイートルームに植民地時代の写真が飾ってあることに、

台湾の人々の日本統治時代についての認識が少し見えるような気がした。

シャワーを浴び、ホテルの一階に入っているセブンイレブンで買ったビールを飲みながら、

スイートルームらしくソファーにふんぞり返ってテレビを見る。

というか、スイートルームに入ってもこれぐらいしか出来る贅沢が浮かばぬ(^^;

台湾では日本の衛星放送が見られるのだが、

台湾まできて日本のテレビを見てもしょうがないので、地元の番組を見る。

日本のテレビと違って普通の番組でも漢字の字幕が出てくるので、それを追いかけていくと、なんとなく、こういうことを話しているんだろうな、みたいな感じはする。

そんなふうにテレビを見ていると、日本にもある歴史発見みたいな番組をやっていて、

字幕に「白團」という言葉が出てきた。

え...!?  

白団についてやってるの?

白団(パイダン)。

日本でもあまり知られていないかもしれないが、

終戦後から昭和40年代まで台湾で活動した日本の非公式の軍事顧問団である。

国共内戦に敗れた国民党政府。台湾に逃れてきてなんとか態勢を立て直そうとした。

蒋介石が考えたのは、

台湾は貧乏である。アメリカ式の物量にものを言わせるやり方はしたくても出来ない。

「同じ貧乏な日本に学ぼう、日中戦争であれだけ我々を苦しめた敵からは学ぶことがある」

自国を侵略し苦しめた敵から学ぶ。これは確かに蒋介石の凄いところである。

テレビの番組では、金門島の防衛の話と関連して、白団の話と硫黄島の戦いについて語られているようだった。支那派遣軍司令官だった岡村寧次元陸軍大将を中心しとした旧日本軍の将官によって構成された軍事顧問団が、台湾軍すなわち中華民国軍の養成、というか、立て直しに従事した。そして敗残兵の群れだった国民党政府軍は、昭和24年、人民解放軍の金門島上陸部隊を壊滅させる。連戦連敗だった国民党政府軍はこの戦いで立ち直り、

台湾の独立を維持した。番組ではこの時の金門島の戦いで白団による作戦指導がおこなわ

れたことも紹介していた。当時の吉田内閣が白団関係者の台湾への密航について国会で追及され曖昧な答弁をしているが、あるいは暗黙のうちに日本政府も非公式の軍事顧問団の活動を容認していたのかもしれない。

番組を見ている限り、白団については好意的に伝えられているようだった。

日本でもあまり知られていない白団。

およそ戦後日本の価値観からは否定されるであろう非公式の軍事顧問団が、

台湾ではこのように伝えられ、その後の日本と台湾との間の友好になにがしかの役割を果

たしたということは、平和とか友好について考えるうえで示唆のある話である。

今回の台湾旅行の目的は、ニニ八和平紀念館とニニ八事件を題材にした映画「悲情城市」
の舞台になった九份の街を訪ねることだった。そこを訪ねた夜、台湾のテレビで
日台の隠された歴史ともいえる白団についての番組を見るとは思わなかった。
スイートルームの窓からは夜の台北の街が見える。
日本と台湾との係りを考えさせられる夜だった。

翌日、せっかくのスイートルームなので、朝はコーヒーなど飲んでのんびりしてから
チェックアウト。MRTに乗って淡水へ。
淡水は台北から40分。淡水河の河口で夕陽の美しいところとして有名な観光地。
今日の午後の飛行機で帰るので夕陽を見ることは出来ないが、
とりあえず淡水の街を歩いてみる。
駅を出て河口沿いの遊歩道を歩く。観光客の多いところで、確かに川の向こうに夕焼けが
広がる時間は綺麗だろうなという気がする。

IMG_0269

IMG_0271
  中華的ゴールデンレトリバー
  ちなみに台湾では犬にリードは着けず、放し飼いが当たり前のようだ。

川沿いの広場でのんびりし、さらに歩いて紅毛城まで行ってみる。

オランダが17世紀に台湾での拠点として築いたサンドミンゴ砦。そのあとにイギリスが

領事館をたてたのが現在の紅毛城である。オランダ、ポルトガルの来航、明、清の時代の

中国人の入植、そして日本の統治。台湾の歴史というのは重層的である。

IMG_0274
  紅毛城 もとのイギリス領事館

そのあと淡水の老街を歩いて駅に戻りMRTで台北松山空港へ。

空港で台湾のからすみを土産に買って帰路に着いた。

ちなみに、このからすみ、なかなか旨かった。



 

ぶらり台湾 九份

朝から台北を歩き、昼過ぎからは九份に行く。

台湾に何度も行っている知人から、

「九份はフリーで行くのはかったるいよ、ツアーで行った方がいい」と聞いていたので、

素直にその忠告に従い、現地発のツアーを使った。

若い頃は、ツアーなんて使ってられるか自分の力だけで行ってこそ海外旅行だろう、

みたいな気負いがあるわけだが、ある程度年取ると、

いいじゃん便利だったら、と、人間まるくなってくるものである。

ということで、生まれて初めて使った海外旅行のツアーが、

今回の現地発の九份ツアー、5,300円くらい。

九份は日暮れ時がいいというので昼過ぎに出発して8時あたりに帰ってくるツアー。

ツアーの集合場所のホテル前で待っていると大型の観光バスが来た。

片言の日本語を話すガイドがいて、ツアー客は日本人ばかり20人ほど。

バスは台北市内を過ぎて北に向かう。

高速道路に入り、インターを出てさらに走る。

途中、左側の山の斜面に色彩豊かな一群が現れた。「墓だな」と思っていると、

案の定、ガイドが「台湾のお墓です」と説明してくれた。

形は沖縄古来の石造りの墓に似ているが、沖縄の墓と違って色彩豊かに彩色している。

石の素材そのままの沖縄と、彩色する中国。寺院建築や仏像でもこの傾向はあって、

やはり、民族による美意識の違いみたいなものがあるのだろう。

台北から九份までは一時間かからないくらい。九份が近くなると山を登る道になり、

ガイドが「皆さん運いい。今日空いてる。週末ここからバス降りて歩くことあります」と

言っていた。

さて、九份。

かって、九軒しか家がなかったという海を臨む山の斜面の村。

金鉱が発見され日本の統治時代に発展した。最盛期は数万人の人が住んだという。

その後、閉山され寂れたが、二二八事件を扱った映画「悲情城市」のロケ地になり、

観光客が押し寄せるようになった。さらに、「千と千尋の神隠し」の映像のモデルになった

ということで、日本からの観光客も押し寄せることになった。

IMG_0261
  「悲情城市」にも出てくる九份から望む海

バスを降りて九份の路地に入る。

細い路地の両側に食いもの屋とか土産物屋とか、ともかく店が沢山並んでいる。

台湾国内でも有数の観光地であるらしく、そこに海外からの観光客も来るようになったの

で、かなりの人出。歩いていると、豚肉の脂ぎったような匂いとか、杏仁豆腐の匂い(つまりニッキ?)とか、結構いろいろな匂いがきつくて、そういう匂いがつらい向きには不向きかもしれない。しばらくガイドの旗に連れられて歩き、そのあとは集合場所と集合時間を指定されて自由時間。子供みたいに旗の後ろを歩かなくてすんで安心する。

夕暮れてくると街並みの提灯に灯りが付く。確かに「千と千尋の神隠し」の雰囲気。

坂の途中にある阿妹茶縷は「千と千尋の神隠し」の湯婆婆の館のモデルになったところ

らしく、灯りが付くと確かにそういう感じがする。実際はモデルになったわけではないという話もあるらしいが、既にそういうことで日本からの観光客が定着しているから、その辺はどうでもいい。そんなこんなで九份の街並みを歩き回る。ツアーなので集合時間まで

3時間ある。買い物や食べ歩きに興味がない者にはこの3時間は結構長い。はっきり言っ

て時間を持て余したが、ガイドの言っていた、週末だと途中でバスを降りて歩くこともあるという状況だと、この3時間では駆け足の観光しか出来ないのかもしれない、

試しに、台北への帰りのバスやタクシーのいるところに行ってみたが、すごい人だかり

だった。行ったのは金曜日だった。これが休日だったら、もっと凄かったのだろう。

行ってみて分かったが、ツアーを使わず九份に行くのは簡単である。問題は帰りで、

週末や休日で途中からバスを降りて歩くような感じの混雑だと、

帰りのバスやタクシーをつかまえられないという状況になりそうで、台湾に何度も行っている知人が「九份はツアーで行った方がいい」と言っていたのはこの辺のことを言っていたのだろう。九份的観光推奨平日である。

IMG_0262

IMG_0266
  湯婆婆の館のモデルになつたとかいう「阿妹茶縷」

千と千尋の神隠しのような夕暮れ、テキトーなところで食事。入った店には、日本人?と聞き返したくなるくらい日本語のうまい店員さんがいて、窓から九份の夕暮れを見ながらしばらく酒を飲んで食事をすることが出来た。ちなみに観光地価格、高い。

雨が降ってきた。

時間になったので店を出て集合場所に行き、バスに乗り台北に帰った。



 IMG_0263
   九份的犬
131101_172730
   九份的夕餐  牛肉麺  沖縄そばに似ている

アーカイブ