高島屋でユトリロ展をやっているので見に行く。
同時にやっているイタリアンフェアの会場を抜けてユトリロ展の入り口に行くのだが、
このイタリアンフェアがかなり混んでいた。
ワインだのチーズだのラザニアだの、いろいろ売っている向こうでは通訳付きでイタリア
料理の実演などもしていて結構繁昌している。
人だかりを抜けてユトリロ展。
モーリス・ユトリロ。
白を基調としてパリの街角を描いた画家。
その生涯は破滅的である。
初期のユトリロの絵は、人気のない通り沿いに家々の白い壁がつらなっているような、
そういう作品が多い。本来なら行き交っているであろう人の姿はなく、通りの向こうに
ひとりかふたり小さな人影が立っていたりするのだが、それはまるで無人の街にあらわれ
た亡霊のようである。色彩は建物の白い漆喰の色が基調で、
そういう彼の絵からは孤独感や哀愁が伝わってくる。
実際、彼は孤独だった。
父は分からず、母には相手にされず祖母に育てられた。
祖母は毎日夕方にワインを嗜んでいたらしく、まだ子供のユトリロにもワインを飲ませた。
そうやって育てられたユトリロは10代の終わりには既にアルコール依存症になっていた。
精神的にも患い、治療の一環として勧められた絵が、彼の才能を開花させる。
育児放棄をした母親だがユトリロの絵が売れるようになると、
再婚相手と二人でユトリロの絵を売った金を自分達だけで使ってしまう。
しかもこの母親の再婚相手はユトリロの友人である。
こんな母親を持ったら子供がおかしくならない方がおかしい。
初期のユトリロの絵の孤独感や哀愁は彼の精神世界のあらわれであろう。
やがてユトリロの内面はさらに破綻してゆく。
一日8リットルのワインを飲むという生活で、アルコール中毒、泥酔しての奇行、
警察への収監、精神病院への送致。
そんなことを繰り返しながら、しかしなおユトリロは絵を描き続ける。
そして売れたお金は母と再婚相手、さらには妻が勝手に使う。ユトリロが手にするのは
酒だけ。しまいには殆ど監禁状態に置かれ、絵はがきを渡されて、それで絵を描くことを
強要されたらしい。
そういう状況下で書かれたゆえか、後期の彼の絵からは初期の絵にあった孤独感や哀愁が
消える。色が多くなり、絵のなかの人の数も以前よりは多くなる。しかし、構図はパター
ン化し、初期の作品の自己模倣が見てとれる。
絵はがきを渡されて描かされたというが、後期の絵は確かに絵はがき的な絵に変わる。
会場にはその後記の作品も結構多く展示されているのだが、
見るべきものは少ない。
会場を歩きながらそういう彼の作品の変遷を辿っていくと、
彼の精神の破綻が見えてくるような感じがして、ちょっと重苦しくなる。
「もし、パリから離れ二度と戻ってこれないとしたら、どういう思い出を持っていきたい?」
と彼は人から尋ねられ「漆喰のかけら」と答えたそうである。
子供のとき、母に相手にされずひとりで漆喰のかけらで遊んでいたという。
彼は絵を描いて幸せだったのだろうか?
放棄され裏切られ、それでもなぜ彼は母を女神のように慕ったのだろう?
ひととおり見て会場を出、にぎやかなイタリアンフェアを通り抜け買い物をして帰った。