2013年08月

全国大会

予科練平和記念館からバスで土浦に戻り、駅からシャトルバスで会場へ。

全国大会には高齢の人がかなり参加するので、会場のホテルに頼んで、

ホテルと駅の間を往復するシャトルバスを出してもらったらしい。

大会のスタッフはいろいろと気を使って大変である。

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  現代短歌社からの花 大きくて高そう

さて、年に一度、この全国大会で会う人がいる。

結社に入る前、ネットの歌会でしばらく、しりとり短歌のようなことをしていた。

ネット上で見様見真似の31文字を並べだしたのが、そもそもの歌作りの初めだった。

そのときの仲間で、その後、私はいまの結社に入り、彼女も続いて入ってきた。

で、七夕ではないが、一年に一度全国大会で顔を合わせ、旧交を温めている。

会場に入り、その人を探す。

入り口のあたりにいるというメールがあったのだが、見回してもいない。

そうやって入り口に立ってあたりを見回していると、あちらこちらに知った顔がいて、

ここが空いていますよという感じで手を振ってくれるのだが、

とりあえず今日は他の人を探しているので会釈だけして無視する。

あとで何人かの人に「手を振ったのに知らん顔してましたね」と言われたのだが、

そういう事情だから仕方ない(^^;

ようやく彼女を見つけ、久し振りの話などしていると主宰の挨拶が始まり、

続いて未来の水沢遥子さんの講演。

結社の創始者である高安国世との係りなどを交えながらの話だったが、

面白かったのは、未来では結社内での恋愛が禁止されたことがあったという話。

なんでも歌会で相聞の歌がでると、その歌の「君」は誰だろう? 私だろうか?

あるいはこの歌は誰々さんと誰々さんの間の相聞? みたいな話になり、

歌の批評ではなく「君」探しになってしまう、そんな状態になってしまったことが

あったらしく、それで結社内での恋愛を禁止したらしい。

思わず笑ってしまった。

確かに未来の近藤芳美には美しい相聞の歌があり、「君」という言葉が似合いそうで、

歌会でもそれに刺激されて相聞が多かったのかもしれない。

しかしまあ、禁止されればかえって忍ぶ恋に燃え上がる向きもいそうな気がして、

あまり意味のない禁止だったのではなかろうか。

ただ、そういう問題は分からなくはない。

メンバーが固定した歌会では、「これはきっと〇〇さんの歌だろう」という感じで、

歌の傾向などから自然に歌の批評とは別に作者当てみたいなことが行われてしまい、

それが批評に余計なバイアスをかけてしまうことが往々にしてあるわけで、

私もたまにそういう批評にいらつくことがある。

私が一か所の歌会にしぼらず幾つかの歌会を渡り歩くようにした理由のひとつであり、

メンバー固定化の弊害ではある。「君」探しもその延長線上のものである気がする。

そのあとは恒例の歌合せ。

紅白に分かれ、それぞれの歌を批評し合って優劣を決めるわけだが、

メンバーはそれぞれ5人。一組2首で合わせて10首を戦わせる。

歌だけでなく批評の優劣が当然、会場や判者の判定に影響するのだが、

どうも白組の批評がイマイチだった。

最終的には4対1で紅組の勝ちだったのだが、

私のなかでは3対2で白組の勝ちだった。

歌会とは違うわけで、相手の歌の問題点だけを指摘するのではなく、

自軍の歌の良さをどうアピールするかが重要なのに、

白組はどうもそれが出来ていない。

なにやってんだ? と思ってる間に負けてしまった。

二番目の「歩いては踏みつぶしてる・・・」という歌は津波の被災地を思い浮かべるべき

歌で、白組から「『歩いては』の『は』がおかしい」という指摘があったが、

被災地の暮らしのなかで日々歩いている町、その日々歩いている足の下に布きれや椀の

かけらが埋まっている、毎日それを踏みながら暮らしている。そう読んだとき、

「歩いては」の「は」は重い言葉なのであり、当然、そういう反論が出ると思ったが、

白組からはなんにもなし。

また、最後の歌には分からない歌の不思議な良さがあったのだが、

それをアピールするべき白組が「わからないところがあるのですが」と言ってしまっては、
なんにもならん。

私はその歌の中の「青色とぎんいろ」を、紅組が切って捨てたような物干し台の色とは

読まなかった。青色はベランダの向こうに見える海かもしれないし、

ぎんいろはそこを過ぎってゆく船かもしれない。

もちろん、ほかの読みも提示できるはずで、提示できなくても提示する。

それが歌合せなのであり、よしんば提示できなくても、

「分からない歌に、しかし本当の良さがあります、それが分かりませんか」と、

なぜ、しゃあしゃあと言えん(^^;;

そもそもその歌の相手方の歌は「ベランダに干してある笊を目じるしに来い」という

分かりやすい歌だったが、それは、

「そろそろ宿に戻ろうか、八さんや、宿に目印はあったかい?」

「へい、屋根にカラスがとまってました」

という落語に近い分かりやすさであって、

そういう分かりやすさが本当にいい歌なのか?

そういう分かりやすい歌と分かりにくい歌の良さを比べるいい取り合わせだったはずである。

ところが白組からはそういうアプローチはなし。

いずれにせよ、白組が自軍の歌の良さをアピールできないのが目についた歌合せだった。
顔を洗って出直して来いとまでは言わないが、白組の面々は顔を洗って内容を反芻して

みた方がいい(^^;;;

歌合せのあとは「自然をどう詠むか」という鼎談。

この鼎談はなかなか面白かった。

一般公開のプログラムだけではつまらないだろうと考える向きもあるかもしれないが、

それだけでも全国大会は充分に参加する価値がある。そんな気がする。

初日のプログラム終了後、会場であった横浜歌会のやはり初日だけで帰るというメンバー

と、年に一度、全国大会でだけ会う彼女と誘い合わせて土浦の駅の近くに飲みに行く。

会場を出るとき、懇親会が終わったらそちらに行くから待ってろという御仁が何人か

いたが、付き合っていると帰れなくなるので、電話だけ入れてさっさと帰ってしまう。

来年の全国大会は京都。

しばし楽しく飲んで歓談し、また京都で会いましょうと約して別れ、

夜の電車で横浜に帰った。


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  土浦駅前  お祭り

予科練平和記念館

短歌結社の全国大会、今年は茨城の土浦。

全国大会は一泊二日の日程だが、例によって初日の一般公開のみの参加。

全国大会の歌会は人数多すぎて言いたいことが言えず欲求不満になる。

過去2回出てつくづくそう思ったので、

それ以降は今回のように一般公開のみの参加にしている。

大会の前に、いつもの通り道草を食う。
今回は土浦からほど近い予科練平和記念館。

霞ヶ浦海軍航空隊が昭和14年、土浦海軍航空隊となり、それまで横須賀海軍航空隊にあった

飛行予科練習生が土浦に移転した。

予科練とは航空兵力増強の必要から海軍が創設した学校で、

厳しい選抜を潜り抜けた生徒達が学んだ。

競争率は数十倍であったらしい。

「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に碇」。

懐メロの番組で大人の歌手が歌うのを聞くと士官学校くらいの青年を思い浮かべてしまうが、

実際の彼等の年齢は現代の中学3年から高校2年、青年というよりまだ少年である。

土浦駅の西口からバスに乗り霞ヶ浦のほとりの阿見という町に行くのだが、

バスターミナルに行っても、ろくに路線の案内も出ておらず分かりにくい。

仕方なくバスの運転手に聞いてやっと分かった。

他にも運転手に行き先告げてどのバスに乗ったらいいか聞いている人が何人もいたから、

利用客への案内という点で土浦のバス会社の認識にはそもそも問題がある。

21世紀、世界が大航海時代ならぬ大観光時代を迎え、

観光がこの国のこれからの重要産業になろうというときに、

利用客に分かりやすく案内するという当たり前のことが出来ない運行事業者というのは、

一度つぶれて認識を改めてもらった方がいい。

阿見は土浦からバスで20分かからないくらいのところ。

市街地を離れ霞ヶ浦を囲む平坦な田園風景のなかにある。

バス停からしばらく行くと暑い日差しのなかに平和記念館はあった。

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  予科練平和記念館

  
冷房が効いた館内は幾つかの部屋に分かれ、

予科練習生の試験選抜の様子や訓練の様子、日々の生活の資料、彼等の残した手紙などが

展示されている。彼等の書き残したものを読むとこれが10代の少年かと思うほど、

しっかりとした上手な字を書いている。

予科練は学費がいらず逆に給料が出るので、貧しくて進学できない子弟がかなり応募した

らしい。たまの休みに基地外の指定食堂で食事をするのが彼等の楽しみであったらしいが、

「明日の休みは1円持って、大福を食べ饅頭を食べ汁粉を食べて・・・」というような

手紙があった。甘いものばかり、やはりまだ少年なのだ。

展示の後半には戦争末期、予科練の少年達がその中心になった神風特別攻撃隊や回天など

の特攻兵器の資料とその映像がある。

本土決戦に備えてもろもろの特攻兵器が開発され、

本来、大空を飛ぶことを夢見ていた少年達は、

人間魚雷に乗ったり、爆薬付きのモーターボートの操縦訓練に励んだりした。

特攻機が敵艦に突入するとき、彼等は基地にモールス信号を発信し続けた。

そのモールス信号が途絶えたときが、

敵艦に突入したかあるいは撃墜されたときである。

特攻の映像の最後はそのモールス信号の音が流れ、そして途絶えた。

通信基地で彼等のモールス信号を聞いていた通信兵もまた、どういう思いでその通信音を

聞いていたのだろう。

昭和20年6月10日、阿見の町は大規模な空襲を受け、予科練の基地も大きな損害を受

ける。退避した防空壕に直撃弾を受け、多くの少年達が死んだ。二か月後、戦争は終わる。

平和を知るためには戦争を知らなければならない。

彼等少年達の記録は後世に残されなければならないはずで、

あまり知られていない平和記念館だが、一度訪ねてみる価値はある。

冷房の効いた館内から暑い外に出てバスで土浦に戻る。

1時から全国大会なのだが、ちょっとゆっくり見過ぎた。遅刻しそうである。



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   平和記念館の敷地に展示されている回天。
  ただし実物ではない。「僕たちの戦争」というドラマで撮影のために使われた実物大の模型。
  撮影終了後、記念館に寄付されて展示されている。
 

谷川岳

ひさしぶりに谷川岳。

若い頃は足繁く通った谷川岳だが、

調べてみたら7年前に湯檜曽川の高倉沢を遡行して天神平へ登って以来である。

そのあとも谷川岳の周辺には行っているのだが、谷川岳自体には行ってない。

今回は首を突っ込んでいるNPOの仲間とのハイキングで、

天神平から谷川岳往復の一般ルートを登る。

早朝、横浜を出て環八を通って関越道へ。

道路が空いていて途中のSAで朝食休憩をしてもロープウェイの駅に八時過ぎに到着。

お盆休み最後の日曜なので、遅くなると観光客の車がつながって大変だろうと心配して

いたのだが、まだ空いているうちにロープウェイの駐車場に入れた。

ここのロープウェイも昔と違って大きくかつ早くなった。

天気も良く、天神平にぐんぐんと登ってゆく。

天神平に到着して用意を済ませ8時38分出発。

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  天神平より山頂方面

スキー場を右に横切って登山道に入る。

暑い。

天神平は標高が1300mくらいあり、ニッコウキスゲの咲く高原なのだが、

日差しが強くて低山を歩いているような蒸した感じがする。

やはり温暖化しているということなんだろうか?

それでも熊穴沢の避難小屋を過ぎたあたりからは高山らしい風が吹いてきて、

だんだん涼しくなってきた。

それにしても人が多い。

お盆休み最後の日曜で天気が良いという条件が揃ったせいかもしれないが、

登山道は人が多くて、岩がごつごつしたあたりではしばし渋滞するような感じ。

今回はハイキングなので、途中途中で多めに休憩をとりながらのんびり登る。

森林限界を越え展望がきくようになると、上越国境稜線の緑の山なみが美しい。

谷筋に雪渓が残っているのはオジカ沢であろう。

そういえば昔、山岳会の仲間とオジカ沢を登ったとき、

谷を塞ぐように残っていた大きな雪渓の下をくぐって通過したことがある。

200m以上ありそうな雪渓で、かぱっと口を開けた雪渓の下に入ると中は真っ暗。

あの雪渓の下をくぐるのは怖かった。

たぶん、今見えているのはそれより上の雪渓だろう。

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  天神尾根 熊穴沢避難小屋から上
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  オジカ沢 上部の雪渓が見える

前後して登っている人と話をしたりしながら高度を稼いてゆく。

肩の小屋の屋根の端が稜線の上にほんの少し見えたので、

「小屋見えるでしょ、すぐそこですよ」

と言うのだが、なぜか信じてくれない。

どうも山慣れていない人は、

稜線上に僅かに見えるものが自然の岩か人工物か区別するのが難しいらしい。

ああだこうだ話をしながら登っていくと、肩の小屋に着いた。

10人くらいの人が休憩している。

そのままトマの耳を目指す。

たいした距離ではなく、10時52分頂上着。

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  肩の小屋
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  山頂

途中から雲が出てきていたが、幸いそれ以上には広がらず、上越の山稜が見渡せる。

若い頃歩き回っていたホームグランドのような山々。

東面のマチガ沢は雪渓が消えていなかった。今年は雪渓が結構残っているようだ。

北面の万太郎谷は昔のままのたおやかな斜面。

向こうに見えるオキの耳には、登山者達の赤や青の列が続いていた。

西を見れば仙の倉へと続く稜線をゆっくりと雲が越えてゆく。

懐かしくなるような山々である。
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  頂上から仙の倉へ続く稜線
 

頂上で雑談し景色を眺める。気が付けば30分たっていた。

次々と人が来るので下山を開始。

登ってきた天神尾根をすたすたと下る。

途中、高山植物の写真をとったりしながら13時に天神平に下山。

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  登ってきた天神尾根を下る 向こうに見えるのが天神平
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  イワギキョウかと思ったが、たぶんミヤマシャジン

ロープウェイで降りて湯檜曽温泉で汗を流し、さっぱりとして横浜に帰った。

ひさしぶりの谷川岳。

やはり良い山だった。

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    湯檜曽温泉ホテル湯の陣 入浴980円とちっょと高いが、
   550円の谷川温泉湯テルメが駐車場狭くて入れないことがあるので、
   ロープウェイから近いこちらに入る 。感じは良い。


西瓜

暑い。

先週、フィールドアーチェリーのコースを水分補給しないでファーストとセカンド続けて

回ったら、セカンドの終わりあたりでふらふらしてきた。

そのくらい暑い。

なにしろあんまり暑いので蚊も飛んでない。

フィールドアーチェリーのコースは山の中なので蚊が多いのだが、

蚊も気温が35度くらいになるとどこかの日陰でじっとしているらしい。

蚊も飛ばないような暑さ。

こういうときは西瓜だよな~ということで、

来週は西瓜を買ってきて井戸で冷やしておいてコースを回って降りてきたら食べよう、

という話になった。

で、その次の週、西瓜をぶらさげて射場へ。

前日にスーパーに西瓜を買いに行ったのだが、

北海道産のでんすけすいかという大きな黒い西瓜があった。5800円。

その隣には緑に黒の縞模様のクラシックな西瓜でこれも結構大きいやつ、2580円。

そちらは山形県となっている。尾花沢の西瓜かな?

黒いでんすけすいかというのは食べたことはないのだが結構甘いらしい。

どっちにしようかと迷ったが、まあ、どうせ味の分からない射場の連中が食べるんだから

安い方でいいやということで尾花沢の2580円の西瓜を購入(^^;

射場についたらまず井戸に西瓜を入れて冷やす。

子供の頃、夏休みになると祖母の家に泊まりに行ったものだが、
家の裏の崖を穿ったところに浅い井戸があり、そこで西瓜やトマトや胡瓜を冷やしていた。
水面にきらきら反射する夏の光、そのなかにある西瓜やトマトの緑や赤の鮮やかな色が
とても綺麗に見えたことを覚えている。
暑い思いをしてから食べた方が美味いということで、
午前中に2回、午後に1回コースを回る。
今日も蚊も飛んでいないような暑さ。
最低これだけの点を打てなかったら西瓜を食べられないという話で回ったのだが、
幸い、最後までぎりぎりだったS氏も最後にようやく必要点をマークして、
全員汗だくになってコースから降りてきた。
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  45m 射ちおろし

井戸から西瓜を引き上げ、かぱっと包丁で割り、切り分けてかぶりつく。

冷えてて甘くて美味しい(^^

やはり夏は西瓜である。
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こんなふうに井戸で冷やして西瓜を食べるのって、あるいは子供の時以来か?

アーチェリーを楽しみ、美味しい西瓜を食って、どうでもいい雑談をして、

暑い夏の一日を楽しんだ。

AO入試

税理士会支部に近くの高校から生徒のAO入試への協力依頼があった。

なんでも、将来就きたい職業の人にインタビューして、

それでレポートを志望の大学に提出するんだそうで、

支部の方からおまえが対応せよとのお達し。

で、本人と連絡を取り支部の事務局でインタビューに応じた。

資格を取るのにどれくらい勉強しましたか?

仕事のやりがいは?

大学時代から資格の勉強をしておくべきでしょうか?

もろもろの質問に同席した担当副支部長と2人で答える。

試験に合格することだけを考えるならダブルスクールで、

大学に行きながら専門学校で勉強するのが一番早いだろうけど、

大学では資格の勉強だけしないで、

もっと色々なことを経験した方がいいよね。

若いうちでなければ出来ないことが沢山あるはずで、

そういうことを経験しておくことが将来の人間の幅につながる。

税理士というのは税金の申告だけしているわけではなく、

経営者のもろもろの相談に応じアドバイスするのであって、

学校で勉強だけしていても、そういうものは身につかない。

税理士に限らず、ライセンスを取ろうという人が勘違いしやすいのは、

資格試験に合格することがゴールだと思ってしまうこと。

実際は合格して初めてスタートラインに立つわけで、

資格を取ってからその世界で生きていけるかどうかは全く別の話。

人間としての幅・深みのないやつのアドバイスなんぞ経営者は聞かない。

若いときでなければ経験できないことを経験する、そういうことって、

人生にとっても将来の仕事にとってもとても大切なことだと思う。

インタビューの後、本人からアンケートをお願いしたいという話だったので、

支部の連絡網に乗せて会員に回答を依頼した。

回答期限までの日にちが少なく、夏休みの時期でもあり、

回答が少ないかもしれないと危惧したが、31名の会員から回答があった。

今日、それを本人に渡した。

AO入試受かるといいね(^^

急なアンケートに御協力頂いた支部の皆様にこの場で心より御礼申し上げます。

沢山の回答を頂き、本人も喜んでいました。

ありがとうございました。


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  夏の夕べ なぜか野球観戦

 

歌会

東京での歌会、気になった歌。

例によって発表前なのでここには出せないが、

牛小屋から重りのある声す霧の深い朝に目覚めたものだ、

というような歌意の歌。

たまたま席順で批評の順番が回ってきた歌がこの歌だったのだが、

この歌、三句が「声す」で現在形かつ終止形である。

詠草がそうなっている以上、そのまま読むわけだが、

そのまま読むと上句が現在形で下句が過去形になる。

時制がちょっとおかしい気がするのだがとりあえず表現に沿って解釈すれば、

牛小屋から重りのある牛の声が聞こえてきて、ああ、今日は霧の深い朝に目覚めたものだなぁ、と詠嘆している。そういう歌になる。

ちょっと引っ掛かるが、解釈できなくはない。

気になるのは、

上句の現在の情景から下句の過去詠嘆への飛び方が成功していないのかな、というところ。

で、批評しながらちょっと触れたのだが、

あるいは作者は「牛小屋から重りのある声がする霧の深い朝・・・」という情景を

詠いたかったのかもしれない。

むしろその情景の方が自然で分かりやすいのだが、

あくまでも歌の表現に沿って読めば、三句が終止形なので下にはつながらないわけで、

上句の現在の情景と下句の過去詠嘆、そういう歌として読むことになるわけで、

もし作者の意図と違うならその辺を推敲する必要がある。

ちなみに歌会後の作者の弁では、やはり「牛の声がする霧の深い朝・・・」というのが

作者の意図だったようで、この辺は作者の表現の間違いだったのだが、

歌会で「これは文法の間違いで、作者は本当はこういうことを詠いたかったのではないか?」

という批評はなしである。

詠草に間違いがあるという前提で歌を批評すると批評は元の歌から離れていくし、

そういうのが当たり前になると、実験的な表現を歌会に出しても「作者の間違いだろう」

と言われかねない。それでは歌会にならない。

批評しながら心の底で「たぶんこれは作者の間違いだな...」と思うことは実際あるが、

あくまでも詠草をそのまま読む、そういう努力をする。

以前、某歌会で、「水耕のグラジオラス」という詠草を出したら、

「水耕するのはヒヤシンスでグラジオラスはあまり水耕しない、作者の間違いだろう」

という批評が出て、皆それに同意して異をとなえる人がいなかったのだが、

そういうことをやると歌会のレベルに疑問をもたれるのでしない方が良い(^^;

それともうひとつ、

「重りのある声」。

歌会では「重りのある声はおかしい、重みのある声では?」という批評があった。

妥当な指摘なのだが、

私はむしろ「重り」は面白いと思った。

牛小屋から聞こえてくる牛の低い鳴き声だろうが、

「重みのある声」という表現は「説得力のある声」みたいなニュアンスも多少あるので、

ここではふさわしくない気がする。

もちろん、「重り」というのは名詞だから、「重りのある声」というのは文法的には

おかしいわけで、「牛小屋から重りのような牛の声が聞こえてくる」とか、

推敲は必要になるが、霧深い朝に聞こえてくる牛の鳴き声を「重り」という言葉で

形容すること自体は面白いと思った。

そんなこんなでひさしぶりの東京での歌会、20首を批評して終了。

今回は出席者20人と人数的には適正人数だったが、

休憩時間に隣りの人に聞いたら、

8月で全国大会があるので選者が全員休み、それで出席者が少ないんだろうと。

7月は30人程の出席者だったらしい。

うーん...30人か。

ちょっと人数増えちゃったな...。
来月はどこの歌会に行こうか...(^^;;



 
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 下がり朝顔 上に伸びるだけが能ではない


 

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