予科練平和記念館からバスで土浦に戻り、駅からシャトルバスで会場へ。
全国大会には高齢の人がかなり参加するので、会場のホテルに頼んで、
ホテルと駅の間を往復するシャトルバスを出してもらったらしい。
大会のスタッフはいろいろと気を使って大変である。
現代短歌社からの花 大きくて高そう
さて、年に一度、この全国大会で会う人がいる。
結社に入る前、ネットの歌会でしばらく、しりとり短歌のようなことをしていた。
ネット上で見様見真似の31文字を並べだしたのが、そもそもの歌作りの初めだった。
そのときの仲間で、その後、私はいまの結社に入り、彼女も続いて入ってきた。
で、七夕ではないが、一年に一度全国大会で顔を合わせ、旧交を温めている。
会場に入り、その人を探す。
入り口のあたりにいるというメールがあったのだが、見回してもいない。
そうやって入り口に立ってあたりを見回していると、あちらこちらに知った顔がいて、
ここが空いていますよという感じで手を振ってくれるのだが、
とりあえず今日は他の人を探しているので会釈だけして無視する。
あとで何人かの人に「手を振ったのに知らん顔してましたね」と言われたのだが、
そういう事情だから仕方ない(^^;
ようやく彼女を見つけ、久し振りの話などしていると主宰の挨拶が始まり、
続いて未来の水沢遥子さんの講演。
結社の創始者である高安国世との係りなどを交えながらの話だったが、
面白かったのは、未来では結社内での恋愛が禁止されたことがあったという話。
なんでも歌会で相聞の歌がでると、その歌の「君」は誰だろう? 私だろうか?
あるいはこの歌は誰々さんと誰々さんの間の相聞? みたいな話になり、
歌の批評ではなく「君」探しになってしまう、そんな状態になってしまったことが
あったらしく、それで結社内での恋愛を禁止したらしい。
思わず笑ってしまった。
確かに未来の近藤芳美には美しい相聞の歌があり、「君」という言葉が似合いそうで、
歌会でもそれに刺激されて相聞が多かったのかもしれない。
しかしまあ、禁止されればかえって忍ぶ恋に燃え上がる向きもいそうな気がして、
あまり意味のない禁止だったのではなかろうか。
ただ、そういう問題は分からなくはない。
メンバーが固定した歌会では、「これはきっと〇〇さんの歌だろう」という感じで、
歌の傾向などから自然に歌の批評とは別に作者当てみたいなことが行われてしまい、
それが批評に余計なバイアスをかけてしまうことが往々にしてあるわけで、
私もたまにそういう批評にいらつくことがある。
私が一か所の歌会にしぼらず幾つかの歌会を渡り歩くようにした理由のひとつであり、
メンバー固定化の弊害ではある。「君」探しもその延長線上のものである気がする。
そのあとは恒例の歌合せ。
紅白に分かれ、それぞれの歌を批評し合って優劣を決めるわけだが、
メンバーはそれぞれ5人。一組2首で合わせて10首を戦わせる。
歌だけでなく批評の優劣が当然、会場や判者の判定に影響するのだが、
どうも白組の批評がイマイチだった。
最終的には4対1で紅組の勝ちだったのだが、
私のなかでは3対2で白組の勝ちだった。
歌会とは違うわけで、相手の歌の問題点だけを指摘するのではなく、
自軍の歌の良さをどうアピールするかが重要なのに、
白組はどうもそれが出来ていない。
なにやってんだ? と思ってる間に負けてしまった。
二番目の「歩いては踏みつぶしてる・・・」という歌は津波の被災地を思い浮かべるべき
歌で、白組から「『歩いては』の『は』がおかしい」という指摘があったが、
被災地の暮らしのなかで日々歩いている町、その日々歩いている足の下に布きれや椀の
かけらが埋まっている、毎日それを踏みながら暮らしている。そう読んだとき、
「歩いては」の「は」は重い言葉なのであり、当然、そういう反論が出ると思ったが、
白組からはなんにもなし。
また、最後の歌には分からない歌の不思議な良さがあったのだが、
それをアピールするべき白組が「わからないところがあるのですが」と言ってしまっては、
なんにもならん。
私はその歌の中の「青色とぎんいろ」を、紅組が切って捨てたような物干し台の色とは
読まなかった。青色はベランダの向こうに見える海かもしれないし、
ぎんいろはそこを過ぎってゆく船かもしれない。
もちろん、ほかの読みも提示できるはずで、提示できなくても提示する。
それが歌合せなのであり、よしんば提示できなくても、
「分からない歌に、しかし本当の良さがあります、それが分かりませんか」と、
なぜ、しゃあしゃあと言えん(^^;;
そもそもその歌の相手方の歌は「ベランダに干してある笊を目じるしに来い」という
分かりやすい歌だったが、それは、
「そろそろ宿に戻ろうか、八さんや、宿に目印はあったかい?」
「へい、屋根にカラスがとまってました」
という落語に近い分かりやすさであって、
そういう分かりやすさが本当にいい歌なのか?
そういう分かりやすい歌と分かりにくい歌の良さを比べるいい取り合わせだったはずである。
ところが白組からはそういうアプローチはなし。
いずれにせよ、白組が自軍の歌の良さをアピールできないのが目についた歌合せだった。
顔を洗って出直して来いとまでは言わないが、白組の面々は顔を洗って内容を反芻して
みた方がいい(^^;;;
歌合せのあとは「自然をどう詠むか」という鼎談。
この鼎談はなかなか面白かった。
一般公開のプログラムだけではつまらないだろうと考える向きもあるかもしれないが、
それだけでも全国大会は充分に参加する価値がある。そんな気がする。
初日のプログラム終了後、会場であった横浜歌会のやはり初日だけで帰るというメンバー
と、年に一度、全国大会でだけ会う彼女と誘い合わせて土浦の駅の近くに飲みに行く。
会場を出るとき、懇親会が終わったらそちらに行くから待ってろという御仁が何人か
いたが、付き合っていると帰れなくなるので、電話だけ入れてさっさと帰ってしまう。
来年の全国大会は京都。
しばし楽しく飲んで歓談し、また京都で会いましょうと約して別れ、
夜の電車で横浜に帰った。