全国大会

予科練平和記念館からバスで土浦に戻り、駅からシャトルバスで会場へ。

全国大会には高齢の人がかなり参加するので、会場のホテルに頼んで、

ホテルと駅の間を往復するシャトルバスを出してもらったらしい。

大会のスタッフはいろいろと気を使って大変である。

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  現代短歌社からの花 大きくて高そう

さて、年に一度、この全国大会で会う人がいる。

結社に入る前、ネットの歌会でしばらく、しりとり短歌のようなことをしていた。

ネット上で見様見真似の31文字を並べだしたのが、そもそもの歌作りの初めだった。

そのときの仲間で、その後、私はいまの結社に入り、彼女も続いて入ってきた。

で、七夕ではないが、一年に一度全国大会で顔を合わせ、旧交を温めている。

会場に入り、その人を探す。

入り口のあたりにいるというメールがあったのだが、見回してもいない。

そうやって入り口に立ってあたりを見回していると、あちらこちらに知った顔がいて、

ここが空いていますよという感じで手を振ってくれるのだが、

とりあえず今日は他の人を探しているので会釈だけして無視する。

あとで何人かの人に「手を振ったのに知らん顔してましたね」と言われたのだが、

そういう事情だから仕方ない(^^;

ようやく彼女を見つけ、久し振りの話などしていると主宰の挨拶が始まり、

続いて未来の水沢遥子さんの講演。

結社の創始者である高安国世との係りなどを交えながらの話だったが、

面白かったのは、未来では結社内での恋愛が禁止されたことがあったという話。

なんでも歌会で相聞の歌がでると、その歌の「君」は誰だろう? 私だろうか?

あるいはこの歌は誰々さんと誰々さんの間の相聞? みたいな話になり、

歌の批評ではなく「君」探しになってしまう、そんな状態になってしまったことが

あったらしく、それで結社内での恋愛を禁止したらしい。

思わず笑ってしまった。

確かに未来の近藤芳美には美しい相聞の歌があり、「君」という言葉が似合いそうで、

歌会でもそれに刺激されて相聞が多かったのかもしれない。

しかしまあ、禁止されればかえって忍ぶ恋に燃え上がる向きもいそうな気がして、

あまり意味のない禁止だったのではなかろうか。

ただ、そういう問題は分からなくはない。

メンバーが固定した歌会では、「これはきっと〇〇さんの歌だろう」という感じで、

歌の傾向などから自然に歌の批評とは別に作者当てみたいなことが行われてしまい、

それが批評に余計なバイアスをかけてしまうことが往々にしてあるわけで、

私もたまにそういう批評にいらつくことがある。

私が一か所の歌会にしぼらず幾つかの歌会を渡り歩くようにした理由のひとつであり、

メンバー固定化の弊害ではある。「君」探しもその延長線上のものである気がする。

そのあとは恒例の歌合せ。

紅白に分かれ、それぞれの歌を批評し合って優劣を決めるわけだが、

メンバーはそれぞれ5人。一組2首で合わせて10首を戦わせる。

歌だけでなく批評の優劣が当然、会場や判者の判定に影響するのだが、

どうも白組の批評がイマイチだった。

最終的には4対1で紅組の勝ちだったのだが、

私のなかでは3対2で白組の勝ちだった。

歌会とは違うわけで、相手の歌の問題点だけを指摘するのではなく、

自軍の歌の良さをどうアピールするかが重要なのに、

白組はどうもそれが出来ていない。

なにやってんだ? と思ってる間に負けてしまった。

二番目の「歩いては踏みつぶしてる・・・」という歌は津波の被災地を思い浮かべるべき

歌で、白組から「『歩いては』の『は』がおかしい」という指摘があったが、

被災地の暮らしのなかで日々歩いている町、その日々歩いている足の下に布きれや椀の

かけらが埋まっている、毎日それを踏みながら暮らしている。そう読んだとき、

「歩いては」の「は」は重い言葉なのであり、当然、そういう反論が出ると思ったが、

白組からはなんにもなし。

また、最後の歌には分からない歌の不思議な良さがあったのだが、

それをアピールするべき白組が「わからないところがあるのですが」と言ってしまっては、
なんにもならん。

私はその歌の中の「青色とぎんいろ」を、紅組が切って捨てたような物干し台の色とは

読まなかった。青色はベランダの向こうに見える海かもしれないし、

ぎんいろはそこを過ぎってゆく船かもしれない。

もちろん、ほかの読みも提示できるはずで、提示できなくても提示する。

それが歌合せなのであり、よしんば提示できなくても、

「分からない歌に、しかし本当の良さがあります、それが分かりませんか」と、

なぜ、しゃあしゃあと言えん(^^;;

そもそもその歌の相手方の歌は「ベランダに干してある笊を目じるしに来い」という

分かりやすい歌だったが、それは、

「そろそろ宿に戻ろうか、八さんや、宿に目印はあったかい?」

「へい、屋根にカラスがとまってました」

という落語に近い分かりやすさであって、

そういう分かりやすさが本当にいい歌なのか?

そういう分かりやすい歌と分かりにくい歌の良さを比べるいい取り合わせだったはずである。

ところが白組からはそういうアプローチはなし。

いずれにせよ、白組が自軍の歌の良さをアピールできないのが目についた歌合せだった。
顔を洗って出直して来いとまでは言わないが、白組の面々は顔を洗って内容を反芻して

みた方がいい(^^;;;

歌合せのあとは「自然をどう詠むか」という鼎談。

この鼎談はなかなか面白かった。

一般公開のプログラムだけではつまらないだろうと考える向きもあるかもしれないが、

それだけでも全国大会は充分に参加する価値がある。そんな気がする。

初日のプログラム終了後、会場であった横浜歌会のやはり初日だけで帰るというメンバー

と、年に一度、全国大会でだけ会う彼女と誘い合わせて土浦の駅の近くに飲みに行く。

会場を出るとき、懇親会が終わったらそちらに行くから待ってろという御仁が何人か

いたが、付き合っていると帰れなくなるので、電話だけ入れてさっさと帰ってしまう。

来年の全国大会は京都。

しばし楽しく飲んで歓談し、また京都で会いましょうと約して別れ、

夜の電車で横浜に帰った。


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  土浦駅前  お祭り

予科練平和記念館

短歌結社の全国大会、今年は茨城の土浦。

全国大会は一泊二日の日程だが、例によって初日の一般公開のみの参加。

全国大会の歌会は人数多すぎて言いたいことが言えず欲求不満になる。

過去2回出てつくづくそう思ったので、

それ以降は今回のように一般公開のみの参加にしている。

大会の前に、いつもの通り道草を食う。
今回は土浦からほど近い予科練平和記念館。

霞ヶ浦海軍航空隊が昭和14年、土浦海軍航空隊となり、それまで横須賀海軍航空隊にあった

飛行予科練習生が土浦に移転した。

予科練とは航空兵力増強の必要から海軍が創設した学校で、

厳しい選抜を潜り抜けた生徒達が学んだ。

競争率は数十倍であったらしい。

「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に碇」。

懐メロの番組で大人の歌手が歌うのを聞くと士官学校くらいの青年を思い浮かべてしまうが、

実際の彼等の年齢は現代の中学3年から高校2年、青年というよりまだ少年である。

土浦駅の西口からバスに乗り霞ヶ浦のほとりの阿見という町に行くのだが、

バスターミナルに行っても、ろくに路線の案内も出ておらず分かりにくい。

仕方なくバスの運転手に聞いてやっと分かった。

他にも運転手に行き先告げてどのバスに乗ったらいいか聞いている人が何人もいたから、

利用客への案内という点で土浦のバス会社の認識にはそもそも問題がある。

21世紀、世界が大航海時代ならぬ大観光時代を迎え、

観光がこの国のこれからの重要産業になろうというときに、

利用客に分かりやすく案内するという当たり前のことが出来ない運行事業者というのは、

一度つぶれて認識を改めてもらった方がいい。

阿見は土浦からバスで20分かからないくらいのところ。

市街地を離れ霞ヶ浦を囲む平坦な田園風景のなかにある。

バス停からしばらく行くと暑い日差しのなかに平和記念館はあった。

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  予科練平和記念館

  
冷房が効いた館内は幾つかの部屋に分かれ、

予科練習生の試験選抜の様子や訓練の様子、日々の生活の資料、彼等の残した手紙などが

展示されている。彼等の書き残したものを読むとこれが10代の少年かと思うほど、

しっかりとした上手な字を書いている。

予科練は学費がいらず逆に給料が出るので、貧しくて進学できない子弟がかなり応募した

らしい。たまの休みに基地外の指定食堂で食事をするのが彼等の楽しみであったらしいが、

「明日の休みは1円持って、大福を食べ饅頭を食べ汁粉を食べて・・・」というような

手紙があった。甘いものばかり、やはりまだ少年なのだ。

展示の後半には戦争末期、予科練の少年達がその中心になった神風特別攻撃隊や回天など

の特攻兵器の資料とその映像がある。

本土決戦に備えてもろもろの特攻兵器が開発され、

本来、大空を飛ぶことを夢見ていた少年達は、

人間魚雷に乗ったり、爆薬付きのモーターボートの操縦訓練に励んだりした。

特攻機が敵艦に突入するとき、彼等は基地にモールス信号を発信し続けた。

そのモールス信号が途絶えたときが、

敵艦に突入したかあるいは撃墜されたときである。

特攻の映像の最後はそのモールス信号の音が流れ、そして途絶えた。

通信基地で彼等のモールス信号を聞いていた通信兵もまた、どういう思いでその通信音を

聞いていたのだろう。

昭和20年6月10日、阿見の町は大規模な空襲を受け、予科練の基地も大きな損害を受

ける。退避した防空壕に直撃弾を受け、多くの少年達が死んだ。二か月後、戦争は終わる。

平和を知るためには戦争を知らなければならない。

彼等少年達の記録は後世に残されなければならないはずで、

あまり知られていない平和記念館だが、一度訪ねてみる価値はある。

冷房の効いた館内から暑い外に出てバスで土浦に戻る。

1時から全国大会なのだが、ちょっとゆっくり見過ぎた。遅刻しそうである。



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   平和記念館の敷地に展示されている回天。
  ただし実物ではない。「僕たちの戦争」というドラマで撮影のために使われた実物大の模型。
  撮影終了後、記念館に寄付されて展示されている。
 

谷川岳

ひさしぶりに谷川岳。

若い頃は足繁く通った谷川岳だが、

調べてみたら7年前に湯檜曽川の高倉沢を遡行して天神平へ登って以来である。

そのあとも谷川岳の周辺には行っているのだが、谷川岳自体には行ってない。

今回は首を突っ込んでいるNPOの仲間とのハイキングで、

天神平から谷川岳往復の一般ルートを登る。

早朝、横浜を出て環八を通って関越道へ。

道路が空いていて途中のSAで朝食休憩をしてもロープウェイの駅に八時過ぎに到着。

お盆休み最後の日曜なので、遅くなると観光客の車がつながって大変だろうと心配して

いたのだが、まだ空いているうちにロープウェイの駐車場に入れた。

ここのロープウェイも昔と違って大きくかつ早くなった。

天気も良く、天神平にぐんぐんと登ってゆく。

天神平に到着して用意を済ませ8時38分出発。

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  天神平より山頂方面

スキー場を右に横切って登山道に入る。

暑い。

天神平は標高が1300mくらいあり、ニッコウキスゲの咲く高原なのだが、

日差しが強くて低山を歩いているような蒸した感じがする。

やはり温暖化しているということなんだろうか?

それでも熊穴沢の避難小屋を過ぎたあたりからは高山らしい風が吹いてきて、

だんだん涼しくなってきた。

それにしても人が多い。

お盆休み最後の日曜で天気が良いという条件が揃ったせいかもしれないが、

登山道は人が多くて、岩がごつごつしたあたりではしばし渋滞するような感じ。

今回はハイキングなので、途中途中で多めに休憩をとりながらのんびり登る。

森林限界を越え展望がきくようになると、上越国境稜線の緑の山なみが美しい。

谷筋に雪渓が残っているのはオジカ沢であろう。

そういえば昔、山岳会の仲間とオジカ沢を登ったとき、

谷を塞ぐように残っていた大きな雪渓の下をくぐって通過したことがある。

200m以上ありそうな雪渓で、かぱっと口を開けた雪渓の下に入ると中は真っ暗。

あの雪渓の下をくぐるのは怖かった。

たぶん、今見えているのはそれより上の雪渓だろう。

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  天神尾根 熊穴沢避難小屋から上
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  オジカ沢 上部の雪渓が見える

前後して登っている人と話をしたりしながら高度を稼いてゆく。

肩の小屋の屋根の端が稜線の上にほんの少し見えたので、

「小屋見えるでしょ、すぐそこですよ」

と言うのだが、なぜか信じてくれない。

どうも山慣れていない人は、

稜線上に僅かに見えるものが自然の岩か人工物か区別するのが難しいらしい。

ああだこうだ話をしながら登っていくと、肩の小屋に着いた。

10人くらいの人が休憩している。

そのままトマの耳を目指す。

たいした距離ではなく、10時52分頂上着。

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  肩の小屋
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  山頂

途中から雲が出てきていたが、幸いそれ以上には広がらず、上越の山稜が見渡せる。

若い頃歩き回っていたホームグランドのような山々。

東面のマチガ沢は雪渓が消えていなかった。今年は雪渓が結構残っているようだ。

北面の万太郎谷は昔のままのたおやかな斜面。

向こうに見えるオキの耳には、登山者達の赤や青の列が続いていた。

西を見れば仙の倉へと続く稜線をゆっくりと雲が越えてゆく。

懐かしくなるような山々である。
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  頂上から仙の倉へ続く稜線
 

頂上で雑談し景色を眺める。気が付けば30分たっていた。

次々と人が来るので下山を開始。

登ってきた天神尾根をすたすたと下る。

途中、高山植物の写真をとったりしながら13時に天神平に下山。

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  登ってきた天神尾根を下る 向こうに見えるのが天神平
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  イワギキョウかと思ったが、たぶんミヤマシャジン

ロープウェイで降りて湯檜曽温泉で汗を流し、さっぱりとして横浜に帰った。

ひさしぶりの谷川岳。

やはり良い山だった。

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    湯檜曽温泉ホテル湯の陣 入浴980円とちっょと高いが、
   550円の谷川温泉湯テルメが駐車場狭くて入れないことがあるので、
   ロープウェイから近いこちらに入る 。感じは良い。


西瓜

暑い。

先週、フィールドアーチェリーのコースを水分補給しないでファーストとセカンド続けて

回ったら、セカンドの終わりあたりでふらふらしてきた。

そのくらい暑い。

なにしろあんまり暑いので蚊も飛んでない。

フィールドアーチェリーのコースは山の中なので蚊が多いのだが、

蚊も気温が35度くらいになるとどこかの日陰でじっとしているらしい。

蚊も飛ばないような暑さ。

こういうときは西瓜だよな~ということで、

来週は西瓜を買ってきて井戸で冷やしておいてコースを回って降りてきたら食べよう、

という話になった。

で、その次の週、西瓜をぶらさげて射場へ。

前日にスーパーに西瓜を買いに行ったのだが、

北海道産のでんすけすいかという大きな黒い西瓜があった。5800円。

その隣には緑に黒の縞模様のクラシックな西瓜でこれも結構大きいやつ、2580円。

そちらは山形県となっている。尾花沢の西瓜かな?

黒いでんすけすいかというのは食べたことはないのだが結構甘いらしい。

どっちにしようかと迷ったが、まあ、どうせ味の分からない射場の連中が食べるんだから

安い方でいいやということで尾花沢の2580円の西瓜を購入(^^;

射場についたらまず井戸に西瓜を入れて冷やす。

子供の頃、夏休みになると祖母の家に泊まりに行ったものだが、
家の裏の崖を穿ったところに浅い井戸があり、そこで西瓜やトマトや胡瓜を冷やしていた。
水面にきらきら反射する夏の光、そのなかにある西瓜やトマトの緑や赤の鮮やかな色が
とても綺麗に見えたことを覚えている。
暑い思いをしてから食べた方が美味いということで、
午前中に2回、午後に1回コースを回る。
今日も蚊も飛んでいないような暑さ。
最低これだけの点を打てなかったら西瓜を食べられないという話で回ったのだが、
幸い、最後までぎりぎりだったS氏も最後にようやく必要点をマークして、
全員汗だくになってコースから降りてきた。
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  45m 射ちおろし

井戸から西瓜を引き上げ、かぱっと包丁で割り、切り分けてかぶりつく。

冷えてて甘くて美味しい(^^

やはり夏は西瓜である。
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こんなふうに井戸で冷やして西瓜を食べるのって、あるいは子供の時以来か?

アーチェリーを楽しみ、美味しい西瓜を食って、どうでもいい雑談をして、

暑い夏の一日を楽しんだ。

AO入試

税理士会支部に近くの高校から生徒のAO入試への協力依頼があった。

なんでも、将来就きたい職業の人にインタビューして、

それでレポートを志望の大学に提出するんだそうで、

支部の方からおまえが対応せよとのお達し。

で、本人と連絡を取り支部の事務局でインタビューに応じた。

資格を取るのにどれくらい勉強しましたか?

仕事のやりがいは?

大学時代から資格の勉強をしておくべきでしょうか?

もろもろの質問に同席した担当副支部長と2人で答える。

試験に合格することだけを考えるならダブルスクールで、

大学に行きながら専門学校で勉強するのが一番早いだろうけど、

大学では資格の勉強だけしないで、

もっと色々なことを経験した方がいいよね。

若いうちでなければ出来ないことが沢山あるはずで、

そういうことを経験しておくことが将来の人間の幅につながる。

税理士というのは税金の申告だけしているわけではなく、

経営者のもろもろの相談に応じアドバイスするのであって、

学校で勉強だけしていても、そういうものは身につかない。

税理士に限らず、ライセンスを取ろうという人が勘違いしやすいのは、

資格試験に合格することがゴールだと思ってしまうこと。

実際は合格して初めてスタートラインに立つわけで、

資格を取ってからその世界で生きていけるかどうかは全く別の話。

人間としての幅・深みのないやつのアドバイスなんぞ経営者は聞かない。

若いときでなければ経験できないことを経験する、そういうことって、

人生にとっても将来の仕事にとってもとても大切なことだと思う。

インタビューの後、本人からアンケートをお願いしたいという話だったので、

支部の連絡網に乗せて会員に回答を依頼した。

回答期限までの日にちが少なく、夏休みの時期でもあり、

回答が少ないかもしれないと危惧したが、31名の会員から回答があった。

今日、それを本人に渡した。

AO入試受かるといいね(^^

急なアンケートに御協力頂いた支部の皆様にこの場で心より御礼申し上げます。

沢山の回答を頂き、本人も喜んでいました。

ありがとうございました。


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  夏の夕べ なぜか野球観戦

 

歌会

東京での歌会、気になった歌。

例によって発表前なのでここには出せないが、

牛小屋から重りのある声す霧の深い朝に目覚めたものだ、

というような歌意の歌。

たまたま席順で批評の順番が回ってきた歌がこの歌だったのだが、

この歌、三句が「声す」で現在形かつ終止形である。

詠草がそうなっている以上、そのまま読むわけだが、

そのまま読むと上句が現在形で下句が過去形になる。

時制がちょっとおかしい気がするのだがとりあえず表現に沿って解釈すれば、

牛小屋から重りのある牛の声が聞こえてきて、ああ、今日は霧の深い朝に目覚めたものだなぁ、と詠嘆している。そういう歌になる。

ちょっと引っ掛かるが、解釈できなくはない。

気になるのは、

上句の現在の情景から下句の過去詠嘆への飛び方が成功していないのかな、というところ。

で、批評しながらちょっと触れたのだが、

あるいは作者は「牛小屋から重りのある声がする霧の深い朝・・・」という情景を

詠いたかったのかもしれない。

むしろその情景の方が自然で分かりやすいのだが、

あくまでも歌の表現に沿って読めば、三句が終止形なので下にはつながらないわけで、

上句の現在の情景と下句の過去詠嘆、そういう歌として読むことになるわけで、

もし作者の意図と違うならその辺を推敲する必要がある。

ちなみに歌会後の作者の弁では、やはり「牛の声がする霧の深い朝・・・」というのが

作者の意図だったようで、この辺は作者の表現の間違いだったのだが、

歌会で「これは文法の間違いで、作者は本当はこういうことを詠いたかったのではないか?」

という批評はなしである。

詠草に間違いがあるという前提で歌を批評すると批評は元の歌から離れていくし、

そういうのが当たり前になると、実験的な表現を歌会に出しても「作者の間違いだろう」

と言われかねない。それでは歌会にならない。

批評しながら心の底で「たぶんこれは作者の間違いだな...」と思うことは実際あるが、

あくまでも詠草をそのまま読む、そういう努力をする。

以前、某歌会で、「水耕のグラジオラス」という詠草を出したら、

「水耕するのはヒヤシンスでグラジオラスはあまり水耕しない、作者の間違いだろう」

という批評が出て、皆それに同意して異をとなえる人がいなかったのだが、

そういうことをやると歌会のレベルに疑問をもたれるのでしない方が良い(^^;

それともうひとつ、

「重りのある声」。

歌会では「重りのある声はおかしい、重みのある声では?」という批評があった。

妥当な指摘なのだが、

私はむしろ「重り」は面白いと思った。

牛小屋から聞こえてくる牛の低い鳴き声だろうが、

「重みのある声」という表現は「説得力のある声」みたいなニュアンスも多少あるので、

ここではふさわしくない気がする。

もちろん、「重り」というのは名詞だから、「重りのある声」というのは文法的には

おかしいわけで、「牛小屋から重りのような牛の声が聞こえてくる」とか、

推敲は必要になるが、霧深い朝に聞こえてくる牛の鳴き声を「重り」という言葉で

形容すること自体は面白いと思った。

そんなこんなでひさしぶりの東京での歌会、20首を批評して終了。

今回は出席者20人と人数的には適正人数だったが、

休憩時間に隣りの人に聞いたら、

8月で全国大会があるので選者が全員休み、それで出席者が少ないんだろうと。

7月は30人程の出席者だったらしい。

うーん...30人か。

ちょっと人数増えちゃったな...。
来月はどこの歌会に行こうか...(^^;;



 
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 下がり朝顔 上に伸びるだけが能ではない


 

ルーブル美術館展

久しぶりに東京へ歌会に出かける。

例によって午前中は東京の下町歩きをしてそれから歌会に行くつもりで家を出たら、

「暑っ!  なにこの暑さ...

今回は三ノ輪から旧吉原のあたりを歩き浅草に出ようと思っていたのだが、

この暑さ、速攻で日和った。

確か上野でルーブル美術館展をしているはず。

クーラーの効いているところに変更。こんな暑い日に下町歩きなんてとんでもない(^^;

上野で降りて東京都美術館へ行こうとしたら、公園の中程でケーナの音が聞こえてくる。

見ると民族衣装を着た三人組の演奏。

上野公園では、登録された幾つかのグループが決められた場所決められた時間で大道芸を

したり路上演奏をしたりしている。

歌会の前の道草でルーブル美術館展へ、そのまた道草でしばしアンデスの歌に耳を傾ける。

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 上野公園

アンデスのフォロクローレ、ちょっと不思議で地球の反対側の音楽なのに、

なぜかすっきり入ってくる。郷愁のようなものさえ感じるのは、同じモンゴロイドの音感と

いうのかリズムというのか、そんなものがあるんだろうか。

太陽の娘、エル・コンドル・パソ、4曲ほど聞いて、

彼らの前に置いてあるスーツケースに千円入れて美術館へ。

ちなみに彼ら、受け取ったチラシによれば、関東を中心に演奏活動をしている

マルカマシスというグループ。日本で知り合ったメンバーで結成したらしい。


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  マルカマシス  検索してみたらホームページがあった。
  3人のうちの2人がケチュア族、1人がアイマラ族とのこと

で、道草に道草を重ねたので、ルーブル美術館展すっかり遅くなってしまった。

入るといきなり出てくるのがギリシアの壺。

そう言えば昔、歴史か美術の教科書にこういう壺の絵あったよな、という感じの壺が

目の前にある。赤と黒で裸の戦士らしきが描かれているような壺。この辺の造形はなかなか。さらに進んでいくと、ロゼッタストーン。

「えっ!? ロゼッタストーン来てるの! あれは大英博物館じゃないの?

と驚いて見るとレプリカだった。

考えてみればロゼッタストーンはナポレオンの遠征軍が発見したもの。

その後、ナポレオン戦争の結果イギリスに移ったが、

フランスもそのまま渡すのも悔しいからレプリカを取っておいたのだろう。

エジプト、ギリシア、ローマの彫刻もなかなか。

地中海世界をテーマにした展示だったが、
総じて言うとギリシア・ローマ時代の展示には
いいものがある。
それ以降はまあまあという感じ。

いかんせん、道草に道草を重ねてフォロクローレとか聞いていたので時間がなく、

おまけに夏休みのゆえか結構人も多くて、
人の間をすり抜けるように展示を見て出てきて
しまった。
もっとゆっくり時間をかけて見にいくといい展覧会である。
923日まで東京都美術館でやっている。

美術館を出てあいかわらず暑い日差しのなか歌会に向かった。




 

マスキ嵐沢

山岳会の仲間とひさしぶりに沢登り。

西丹沢のマスキ嵐沢。

車で中川川の大滝橋まで入る。

この辺りのキャンプ場もさすがに夏はバーベキューに来る人達で賑わっていて、

大滝橋の付近にも結構車が停まっているので、

林道を少し入って広くなったところに車を停める。

支度をして林道を歩き、30分くらいでマスキ嵐沢の出合。

途中の植林の森の中でボーイスカウト達がキャンプをしていたが、

木を切って櫓に組んだり、なにやら手の込んだことをしている。

彼等は山林の持ち主の許可を得て木を切っているんだろうか?

焚火もしていたらしいが、

国定公園のキャンプ場外それも森林内での焚火は禁止とちゃうか?

昔からキャンプ場とかでボーイスカウトを見かけると、

青少年育成なのか大人が子供と一緒になって遊んでいるだけなのか分からない集団に

見えて、あまり好きではない。ボーイスカウトの理念には敬意を表するが、

指導員の資質に問題があるのかもしれない。

出合で沢靴に履き替え、ハーネスを付け、ヘルメットをかぶり出発。

マスキ嵐沢は中川川の支流大滝沢の小さな支流で、沢の入り口もそう大きくはない。

流れに沿ってしばらく行くと滝が出てくるのだが、

随分と倒木が増えている。

以前はもっとすっきりした沢だったなと思いながら登っていくと、

沢が右に曲がるところで右岸の斜面がかなり崩れている。

その辺りの木が根こそぎ倒れて沢に落ちたらしく、かなり荒れていた。

倒木をくぐったりまたいだりしながら登っていくと沢筋もやがてすっきりしてくる。

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 マスキ嵐沢 出合

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 滝を越えてゆく

幾つか出てくる滝も難しくはなく、すたすた登れて気持ちいい。

滝のほとりに紫の花が咲いていたが、イワタバコであろう。

何個目かの滝を登っていたら落ち口で懸垂下降をしようとしている初老の単独行者に

会った。「沢の感じがだいぶ変わっていますね~」と話しかけたら、

「そうなんですか? 初めてなんで分からないんですが」と言って降りて行った。

たぶん核心部だけ登って稜線には抜けず降りるのだろう。

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 沢の中程の滝、見た目ほど難しくない。
 この滝の右側にイワタバコが咲いていたが、
 残念ながら写真がピンボケだった。

小滝を越えていくとだんだん源頭の雰囲気になってくる。

二股があり右に入ると暗い感じの滝があり、そこを越えるとF7、10mの滝。

この沢では一番難しい滝。

難しいと言っても中段のややかぶり気味のところを越える一歩、それがちょっと怖いとい

うぐらい。若い頃はザイルも使わずにすたすた登ったものだが、そういう若さはもうどこ

かに行ってしまったので、念の為にザイルを出す。

ハーケンがふたつほど打ってあり、それにシュリンゲを通してビレーを取り、登って

しまえば難なくクリア。かぶったところの一歩さえ出れば問題なし。

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 若い頃はソロですたすた登った滝も、念の為にザイルをつける

このさきは狭い谷底を稜線へ突き上げるようにして登る。

途中、大きな木が見事に引っくり返っている。

この辺りは岩盤の上に土が少し乗っているだけなので、

木があまり大きくなると、浅い根っこでは支えられなくなるのだろう。

稜線に出たのは10時40分、沢の出合から1時間40分ぐらい。

この小さな沢にしてはちょっと時間かかり過ぎか...、体力落ちてるな...。

稜線でしばらく休憩ののち、西丹沢自然教室へ下山。

昼前くらいに自然教室に着き昼飯を食っていたらぽつぽつと降ってきた。

合羽を着て西丹沢から箒沢の集落を抜け車を停めた大滝橋まで歩く。

やはり月に一度くらいはこうやって自然のど真ん中に身を置くのがいい。

最後はぶなの湯で汗を流し気分良く帰宅した。


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 大滝橋への帰路、箒沢の集落の象徴、箒杉
 樹齢2000年の大木、国の天然記念物。
 昔はこういう大木が当たり前にはえていたのだろう。

委任状

税理士会支部の会議、半分寝てたらいきなり話を振られた。

「総会の委任状について、受任者も議案についての賛否の記載もない委任状は

いかがなものかという話が出ているけど、どう思う?」

いきなり振るなよな...(^^;

会社の株主総会にしろなんらかの団体の総会にせよ、

受任者の記載も議案についての賛否の記載もない委任状というのはよくあるわけで、

深く考えたことなかったのだが、

いきなり振られてろくな答えも出来なかったというのはちと悔しいので、

調べてみた。

そもそも法律的にはどうなのか...。

受任者の記載も賛否の記載もないが、委任する旨だけは記載されている。

そういう記載が不充分な委任状というのは、

法律的にはおそらく白紙委任状に分類されるものなのであろう。

白紙委任状は基本的には、

委任の内容について相手方その他の者にその決定をまかせる委任状、である。

それを受け取った者が委任の内容を補充することによってその委任状は効力を持つ。

であるならば、総会における受任者・議案についての賛否の記載のない委任状も

それを受け取った者がその内容を補充することによって効力を持つはずである。

ただ...。

大きな会社の株主総会で何千も送られてくる委任状にいちいちそんなことを

やっていたら大変だし、補充間違い等の事故も起きかねない。

よって、実務の世界では、株主総会の委任状について、

受任者の記載のない場合は代表取締役を受任者に、

議案について賛否の記載のない場合は会社提案に賛成、株主提案に反対として扱われ、

そういう遣り方が根付いている。

ただ、マンションなどの管理組合などの総会では、

その辺をもう少し厳密にという意見もあるらしい。

ちなみに、税理士会本会の委任状が手元に残っていたので見てみると下の方に、

「代理人の氏名を記載していないときは、予め理事会で指名された者に・・・

議案に対する賛否の意見を表示していないときは、賛意を表したものとみなして

取扱い願います」

と書かれている。

最後の行がポイントで、これは委任状の文面なので、

本会がそう扱いますよと言っているのではない。

委任者がそう扱ってくださいということで委任状を出すことになる。

それが気に入らない委任者は委任状のその部分を削除して出せばいいわけで、

というか、そういう問題意識を持っている御仁なら総会に出席するか、

賛否を記載した明確な委任状を出すだろう。

支部の総会の委任状の文面がどういうものだったか覚えていないのだが、

仮にそういう文言がなかったとしても、

一般的な取扱いからすると議案に反対したのを賛成として扱われた、というような

問題は起きにくいのかもしれない。

と、ここまで考えてきて思うのは、

まがりなりにも税理士として顧問先企業の経営に関与し、もろもろのアドバイスを

しようという者は、

何を委任したのか分からないような委任状出すんじゃないよ、

ということである(^^;;

自分の意思表示は明確にする。

それは社会人としての基本であろう。



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  アスファルトに咲くど根性オシロイバナ

京都その4 山鉾巡行

ホテルで朝食を済ませ、山鉾巡行の時間を見計らって地下鉄で四条烏丸へ。

四条通りは車両通行止めで、巡行の準備をしている人達や警備・報道の関係者が大勢いる。

それで歩行者天国と勘違いするのであろう、
車道に入って写真を撮ろうとする観光客が
結構いて、
「歩行者天国ではありません。車道に入らないでください」と警官が
繰り返し注意している。

観光客がひしめいている歩道を長刀鉾のところへ。

山鉾巡行の順番はくじで決まるのだが、先頭は常にくじ取らずで長刀鉾と決まっている。

交差点に差し掛かったところでその長刀鉾がゆっくり後ろに動き出した。

巡行出発の所定の位置に移動しているらしい。動くのを見るとやはり大きく見える。

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 準備中の函谷鉾

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  後ろに動いて所定の位置につく長刀鉾。交差する道路はこの間通行止め

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  所定の位置につき梯子をかけられた長刀鉾。稚児は強力に抱えられたままこの梯子を登る

テキトーなところに場所を取って出発の時間を待つ、巡行開始は九時半。

傍らの人が「京都は祇園祭で梅雨が明けるんだよ」と言っているが、

今年はとっくに梅雨明け、蒸し暑い。曇っていて直射日光がないのが救い。

やがて長刀鉾の詰所?から稚児が出てきた。

稚児は稚児社参の日以降は地面を踏んではいけないらしく、強力に担がれて所定の位置に

ついた長刀鉾のところへ。そのまま担がれて梯子を登り稚児が鉾に乗ると拍手が沸き起こ

る。いよいよ巡行開始、長刀鉾がゆっくり動き出す。見ていると稚児が身を乗り出して

鉾から落ちるような仕草をするのだが、稚児舞いであるらしい。

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 長刀鉾に向かう稚児

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  稚児舞い。稚児が身を乗り出している。

つづいて後ろの鉾も動き出した。

鉾と一口に言っても、傘を差した鉾や人形の乗った鉾などいろいろである。

その後ろからは大きな函谷鉾、これもくじ取らずで巡行五番目と決まっている。

さらにその後ろに続く。

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 どう見ても鉾には見えない、傘に見える。綾傘鉾

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  子供達に人気だったのが、この蟷螂山。仕掛けで動く

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  鶏鉾と後ろに続く巡行の列。

巡行に合わせてこちらも歩く。鉾の列はときどき前がつまるらしく止まったりするので、

結構ゆっくりである。河原町の交差点で巡行の列は北に方向を変える。

これが辻回しで、観光客が集まるところ。ともかく人が多い、警官が出て、

「立ち止まって写真を撮らないでください、すぐに通過してください」とさかんに言って

いる。山鉾巡行を追うように北上して御池通りへ。

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  この写真の少し右が河原町通りの交差点でそこで辻回し。
  向こうの店は屋根の上で従業員が見物。仕事はあとです。

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  月鉾が来る

ちょうど京都市役所のところの交差点で再び辻回し。見応えがある。

河原町通りを北上してきた山鉾の列は今度は御池通りを西にゆく。

この御池通り沿いは有料の観覧席があるらしいのだが、

祇園祭の見物はここで終わり。

帰りの新幹線の時間もある。最後まで見ているわけにはいかない。

それにしても豪華絢爛な祭りである。関東の祭のような荒々しさはなく優雅そのもの。

このあと、巡行の列を離れて京都市役所の後ろの三月書房という、短歌関係の本を結構

あつかっている本屋に行き、フツーの本屋ではあまり売っていない歌集や評論を

まとめ買いして自宅宛に送ってもらう。

その後再び河原町通りに戻り、後祭りの山鉾の列を見送りながら四条へ歩く。

河原町の交差点まで戻り祇園の方に曲がり少し行ったところを左へ。

祇園祭の熱気とは関係のない静かな京都の路地である。

そこを少し行った先にある老舗「いづう」で昼食に鯖寿司を食べる。

ビールがなかったのが残念だったが、鯖寿司はなかなか美味かった。

昼食を終えてから祇園白川のあたりをしばらく散策し土産を買い、

嵯峨野、広隆寺半跏思惟像、石見神楽、祇園祭と、結構盛り沢山だった夏の京都旅行を

終え、午後の新幹線で帰路に着いた。

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  鯖寿司の老舗「いづう」。
  暖簾があるだけなので初めてだと、一見さんお断りの店かと思ってしまう。

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  「いづう」から少し路地を行ったさき、祇園白川の流れ。
  6月に巽橋で放生会がおこなわれる。


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