AO入試

税理士会支部に近くの高校から生徒のAO入試への協力依頼があった。

なんでも、将来就きたい職業の人にインタビューして、

それでレポートを志望の大学に提出するんだそうで、

支部の方からおまえが対応せよとのお達し。

で、本人と連絡を取り支部の事務局でインタビューに応じた。

資格を取るのにどれくらい勉強しましたか?

仕事のやりがいは?

大学時代から資格の勉強をしておくべきでしょうか?

もろもろの質問に同席した担当副支部長と2人で答える。

試験に合格することだけを考えるならダブルスクールで、

大学に行きながら専門学校で勉強するのが一番早いだろうけど、

大学では資格の勉強だけしないで、

もっと色々なことを経験した方がいいよね。

若いうちでなければ出来ないことが沢山あるはずで、

そういうことを経験しておくことが将来の人間の幅につながる。

税理士というのは税金の申告だけしているわけではなく、

経営者のもろもろの相談に応じアドバイスするのであって、

学校で勉強だけしていても、そういうものは身につかない。

税理士に限らず、ライセンスを取ろうという人が勘違いしやすいのは、

資格試験に合格することがゴールだと思ってしまうこと。

実際は合格して初めてスタートラインに立つわけで、

資格を取ってからその世界で生きていけるかどうかは全く別の話。

人間としての幅・深みのないやつのアドバイスなんぞ経営者は聞かない。

若いときでなければ経験できないことを経験する、そういうことって、

人生にとっても将来の仕事にとってもとても大切なことだと思う。

インタビューの後、本人からアンケートをお願いしたいという話だったので、

支部の連絡網に乗せて会員に回答を依頼した。

回答期限までの日にちが少なく、夏休みの時期でもあり、

回答が少ないかもしれないと危惧したが、31名の会員から回答があった。

今日、それを本人に渡した。

AO入試受かるといいね(^^

急なアンケートに御協力頂いた支部の皆様にこの場で心より御礼申し上げます。

沢山の回答を頂き、本人も喜んでいました。

ありがとうございました。


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  夏の夕べ なぜか野球観戦

 

歌会

東京での歌会、気になった歌。

例によって発表前なのでここには出せないが、

牛小屋から重りのある声す霧の深い朝に目覚めたものだ、

というような歌意の歌。

たまたま席順で批評の順番が回ってきた歌がこの歌だったのだが、

この歌、三句が「声す」で現在形かつ終止形である。

詠草がそうなっている以上、そのまま読むわけだが、

そのまま読むと上句が現在形で下句が過去形になる。

時制がちょっとおかしい気がするのだがとりあえず表現に沿って解釈すれば、

牛小屋から重りのある牛の声が聞こえてきて、ああ、今日は霧の深い朝に目覚めたものだなぁ、と詠嘆している。そういう歌になる。

ちょっと引っ掛かるが、解釈できなくはない。

気になるのは、

上句の現在の情景から下句の過去詠嘆への飛び方が成功していないのかな、というところ。

で、批評しながらちょっと触れたのだが、

あるいは作者は「牛小屋から重りのある声がする霧の深い朝・・・」という情景を

詠いたかったのかもしれない。

むしろその情景の方が自然で分かりやすいのだが、

あくまでも歌の表現に沿って読めば、三句が終止形なので下にはつながらないわけで、

上句の現在の情景と下句の過去詠嘆、そういう歌として読むことになるわけで、

もし作者の意図と違うならその辺を推敲する必要がある。

ちなみに歌会後の作者の弁では、やはり「牛の声がする霧の深い朝・・・」というのが

作者の意図だったようで、この辺は作者の表現の間違いだったのだが、

歌会で「これは文法の間違いで、作者は本当はこういうことを詠いたかったのではないか?」

という批評はなしである。

詠草に間違いがあるという前提で歌を批評すると批評は元の歌から離れていくし、

そういうのが当たり前になると、実験的な表現を歌会に出しても「作者の間違いだろう」

と言われかねない。それでは歌会にならない。

批評しながら心の底で「たぶんこれは作者の間違いだな...」と思うことは実際あるが、

あくまでも詠草をそのまま読む、そういう努力をする。

以前、某歌会で、「水耕のグラジオラス」という詠草を出したら、

「水耕するのはヒヤシンスでグラジオラスはあまり水耕しない、作者の間違いだろう」

という批評が出て、皆それに同意して異をとなえる人がいなかったのだが、

そういうことをやると歌会のレベルに疑問をもたれるのでしない方が良い(^^;

それともうひとつ、

「重りのある声」。

歌会では「重りのある声はおかしい、重みのある声では?」という批評があった。

妥当な指摘なのだが、

私はむしろ「重り」は面白いと思った。

牛小屋から聞こえてくる牛の低い鳴き声だろうが、

「重みのある声」という表現は「説得力のある声」みたいなニュアンスも多少あるので、

ここではふさわしくない気がする。

もちろん、「重り」というのは名詞だから、「重りのある声」というのは文法的には

おかしいわけで、「牛小屋から重りのような牛の声が聞こえてくる」とか、

推敲は必要になるが、霧深い朝に聞こえてくる牛の鳴き声を「重り」という言葉で

形容すること自体は面白いと思った。

そんなこんなでひさしぶりの東京での歌会、20首を批評して終了。

今回は出席者20人と人数的には適正人数だったが、

休憩時間に隣りの人に聞いたら、

8月で全国大会があるので選者が全員休み、それで出席者が少ないんだろうと。

7月は30人程の出席者だったらしい。

うーん...30人か。

ちょっと人数増えちゃったな...。
来月はどこの歌会に行こうか...(^^;;



 
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 下がり朝顔 上に伸びるだけが能ではない


 

ルーブル美術館展

久しぶりに東京へ歌会に出かける。

例によって午前中は東京の下町歩きをしてそれから歌会に行くつもりで家を出たら、

「暑っ!  なにこの暑さ...

今回は三ノ輪から旧吉原のあたりを歩き浅草に出ようと思っていたのだが、

この暑さ、速攻で日和った。

確か上野でルーブル美術館展をしているはず。

クーラーの効いているところに変更。こんな暑い日に下町歩きなんてとんでもない(^^;

上野で降りて東京都美術館へ行こうとしたら、公園の中程でケーナの音が聞こえてくる。

見ると民族衣装を着た三人組の演奏。

上野公園では、登録された幾つかのグループが決められた場所決められた時間で大道芸を

したり路上演奏をしたりしている。

歌会の前の道草でルーブル美術館展へ、そのまた道草でしばしアンデスの歌に耳を傾ける。

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 上野公園

アンデスのフォロクローレ、ちょっと不思議で地球の反対側の音楽なのに、

なぜかすっきり入ってくる。郷愁のようなものさえ感じるのは、同じモンゴロイドの音感と

いうのかリズムというのか、そんなものがあるんだろうか。

太陽の娘、エル・コンドル・パソ、4曲ほど聞いて、

彼らの前に置いてあるスーツケースに千円入れて美術館へ。

ちなみに彼ら、受け取ったチラシによれば、関東を中心に演奏活動をしている

マルカマシスというグループ。日本で知り合ったメンバーで結成したらしい。


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  マルカマシス  検索してみたらホームページがあった。
  3人のうちの2人がケチュア族、1人がアイマラ族とのこと

で、道草に道草を重ねたので、ルーブル美術館展すっかり遅くなってしまった。

入るといきなり出てくるのがギリシアの壺。

そう言えば昔、歴史か美術の教科書にこういう壺の絵あったよな、という感じの壺が

目の前にある。赤と黒で裸の戦士らしきが描かれているような壺。この辺の造形はなかなか。さらに進んでいくと、ロゼッタストーン。

「えっ!? ロゼッタストーン来てるの! あれは大英博物館じゃないの?

と驚いて見るとレプリカだった。

考えてみればロゼッタストーンはナポレオンの遠征軍が発見したもの。

その後、ナポレオン戦争の結果イギリスに移ったが、

フランスもそのまま渡すのも悔しいからレプリカを取っておいたのだろう。

エジプト、ギリシア、ローマの彫刻もなかなか。

地中海世界をテーマにした展示だったが、
総じて言うとギリシア・ローマ時代の展示には
いいものがある。
それ以降はまあまあという感じ。

いかんせん、道草に道草を重ねてフォロクローレとか聞いていたので時間がなく、

おまけに夏休みのゆえか結構人も多くて、
人の間をすり抜けるように展示を見て出てきて
しまった。
もっとゆっくり時間をかけて見にいくといい展覧会である。
923日まで東京都美術館でやっている。

美術館を出てあいかわらず暑い日差しのなか歌会に向かった。




 

マスキ嵐沢

山岳会の仲間とひさしぶりに沢登り。

西丹沢のマスキ嵐沢。

車で中川川の大滝橋まで入る。

この辺りのキャンプ場もさすがに夏はバーベキューに来る人達で賑わっていて、

大滝橋の付近にも結構車が停まっているので、

林道を少し入って広くなったところに車を停める。

支度をして林道を歩き、30分くらいでマスキ嵐沢の出合。

途中の植林の森の中でボーイスカウト達がキャンプをしていたが、

木を切って櫓に組んだり、なにやら手の込んだことをしている。

彼等は山林の持ち主の許可を得て木を切っているんだろうか?

焚火もしていたらしいが、

国定公園のキャンプ場外それも森林内での焚火は禁止とちゃうか?

昔からキャンプ場とかでボーイスカウトを見かけると、

青少年育成なのか大人が子供と一緒になって遊んでいるだけなのか分からない集団に

見えて、あまり好きではない。ボーイスカウトの理念には敬意を表するが、

指導員の資質に問題があるのかもしれない。

出合で沢靴に履き替え、ハーネスを付け、ヘルメットをかぶり出発。

マスキ嵐沢は中川川の支流大滝沢の小さな支流で、沢の入り口もそう大きくはない。

流れに沿ってしばらく行くと滝が出てくるのだが、

随分と倒木が増えている。

以前はもっとすっきりした沢だったなと思いながら登っていくと、

沢が右に曲がるところで右岸の斜面がかなり崩れている。

その辺りの木が根こそぎ倒れて沢に落ちたらしく、かなり荒れていた。

倒木をくぐったりまたいだりしながら登っていくと沢筋もやがてすっきりしてくる。

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 マスキ嵐沢 出合

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 滝を越えてゆく

幾つか出てくる滝も難しくはなく、すたすた登れて気持ちいい。

滝のほとりに紫の花が咲いていたが、イワタバコであろう。

何個目かの滝を登っていたら落ち口で懸垂下降をしようとしている初老の単独行者に

会った。「沢の感じがだいぶ変わっていますね~」と話しかけたら、

「そうなんですか? 初めてなんで分からないんですが」と言って降りて行った。

たぶん核心部だけ登って稜線には抜けず降りるのだろう。

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 沢の中程の滝、見た目ほど難しくない。
 この滝の右側にイワタバコが咲いていたが、
 残念ながら写真がピンボケだった。

小滝を越えていくとだんだん源頭の雰囲気になってくる。

二股があり右に入ると暗い感じの滝があり、そこを越えるとF7、10mの滝。

この沢では一番難しい滝。

難しいと言っても中段のややかぶり気味のところを越える一歩、それがちょっと怖いとい

うぐらい。若い頃はザイルも使わずにすたすた登ったものだが、そういう若さはもうどこ

かに行ってしまったので、念の為にザイルを出す。

ハーケンがふたつほど打ってあり、それにシュリンゲを通してビレーを取り、登って

しまえば難なくクリア。かぶったところの一歩さえ出れば問題なし。

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 若い頃はソロですたすた登った滝も、念の為にザイルをつける

このさきは狭い谷底を稜線へ突き上げるようにして登る。

途中、大きな木が見事に引っくり返っている。

この辺りは岩盤の上に土が少し乗っているだけなので、

木があまり大きくなると、浅い根っこでは支えられなくなるのだろう。

稜線に出たのは10時40分、沢の出合から1時間40分ぐらい。

この小さな沢にしてはちょっと時間かかり過ぎか...、体力落ちてるな...。

稜線でしばらく休憩ののち、西丹沢自然教室へ下山。

昼前くらいに自然教室に着き昼飯を食っていたらぽつぽつと降ってきた。

合羽を着て西丹沢から箒沢の集落を抜け車を停めた大滝橋まで歩く。

やはり月に一度くらいはこうやって自然のど真ん中に身を置くのがいい。

最後はぶなの湯で汗を流し気分良く帰宅した。


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 大滝橋への帰路、箒沢の集落の象徴、箒杉
 樹齢2000年の大木、国の天然記念物。
 昔はこういう大木が当たり前にはえていたのだろう。

委任状

税理士会支部の会議、半分寝てたらいきなり話を振られた。

「総会の委任状について、受任者も議案についての賛否の記載もない委任状は

いかがなものかという話が出ているけど、どう思う?」

いきなり振るなよな...(^^;

会社の株主総会にしろなんらかの団体の総会にせよ、

受任者の記載も議案についての賛否の記載もない委任状というのはよくあるわけで、

深く考えたことなかったのだが、

いきなり振られてろくな答えも出来なかったというのはちと悔しいので、

調べてみた。

そもそも法律的にはどうなのか...。

受任者の記載も賛否の記載もないが、委任する旨だけは記載されている。

そういう記載が不充分な委任状というのは、

法律的にはおそらく白紙委任状に分類されるものなのであろう。

白紙委任状は基本的には、

委任の内容について相手方その他の者にその決定をまかせる委任状、である。

それを受け取った者が委任の内容を補充することによってその委任状は効力を持つ。

であるならば、総会における受任者・議案についての賛否の記載のない委任状も

それを受け取った者がその内容を補充することによって効力を持つはずである。

ただ...。

大きな会社の株主総会で何千も送られてくる委任状にいちいちそんなことを

やっていたら大変だし、補充間違い等の事故も起きかねない。

よって、実務の世界では、株主総会の委任状について、

受任者の記載のない場合は代表取締役を受任者に、

議案について賛否の記載のない場合は会社提案に賛成、株主提案に反対として扱われ、

そういう遣り方が根付いている。

ただ、マンションなどの管理組合などの総会では、

その辺をもう少し厳密にという意見もあるらしい。

ちなみに、税理士会本会の委任状が手元に残っていたので見てみると下の方に、

「代理人の氏名を記載していないときは、予め理事会で指名された者に・・・

議案に対する賛否の意見を表示していないときは、賛意を表したものとみなして

取扱い願います」

と書かれている。

最後の行がポイントで、これは委任状の文面なので、

本会がそう扱いますよと言っているのではない。

委任者がそう扱ってくださいということで委任状を出すことになる。

それが気に入らない委任者は委任状のその部分を削除して出せばいいわけで、

というか、そういう問題意識を持っている御仁なら総会に出席するか、

賛否を記載した明確な委任状を出すだろう。

支部の総会の委任状の文面がどういうものだったか覚えていないのだが、

仮にそういう文言がなかったとしても、

一般的な取扱いからすると議案に反対したのを賛成として扱われた、というような

問題は起きにくいのかもしれない。

と、ここまで考えてきて思うのは、

まがりなりにも税理士として顧問先企業の経営に関与し、もろもろのアドバイスを

しようという者は、

何を委任したのか分からないような委任状出すんじゃないよ、

ということである(^^;;

自分の意思表示は明確にする。

それは社会人としての基本であろう。



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  アスファルトに咲くど根性オシロイバナ

京都その4 山鉾巡行

ホテルで朝食を済ませ、山鉾巡行の時間を見計らって地下鉄で四条烏丸へ。

四条通りは車両通行止めで、巡行の準備をしている人達や警備・報道の関係者が大勢いる。

それで歩行者天国と勘違いするのであろう、
車道に入って写真を撮ろうとする観光客が
結構いて、
「歩行者天国ではありません。車道に入らないでください」と警官が
繰り返し注意している。

観光客がひしめいている歩道を長刀鉾のところへ。

山鉾巡行の順番はくじで決まるのだが、先頭は常にくじ取らずで長刀鉾と決まっている。

交差点に差し掛かったところでその長刀鉾がゆっくり後ろに動き出した。

巡行出発の所定の位置に移動しているらしい。動くのを見るとやはり大きく見える。

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 準備中の函谷鉾

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  後ろに動いて所定の位置につく長刀鉾。交差する道路はこの間通行止め

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  所定の位置につき梯子をかけられた長刀鉾。稚児は強力に抱えられたままこの梯子を登る

テキトーなところに場所を取って出発の時間を待つ、巡行開始は九時半。

傍らの人が「京都は祇園祭で梅雨が明けるんだよ」と言っているが、

今年はとっくに梅雨明け、蒸し暑い。曇っていて直射日光がないのが救い。

やがて長刀鉾の詰所?から稚児が出てきた。

稚児は稚児社参の日以降は地面を踏んではいけないらしく、強力に担がれて所定の位置に

ついた長刀鉾のところへ。そのまま担がれて梯子を登り稚児が鉾に乗ると拍手が沸き起こ

る。いよいよ巡行開始、長刀鉾がゆっくり動き出す。見ていると稚児が身を乗り出して

鉾から落ちるような仕草をするのだが、稚児舞いであるらしい。

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 長刀鉾に向かう稚児

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  稚児舞い。稚児が身を乗り出している。

つづいて後ろの鉾も動き出した。

鉾と一口に言っても、傘を差した鉾や人形の乗った鉾などいろいろである。

その後ろからは大きな函谷鉾、これもくじ取らずで巡行五番目と決まっている。

さらにその後ろに続く。

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 どう見ても鉾には見えない、傘に見える。綾傘鉾

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  子供達に人気だったのが、この蟷螂山。仕掛けで動く

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  鶏鉾と後ろに続く巡行の列。

巡行に合わせてこちらも歩く。鉾の列はときどき前がつまるらしく止まったりするので、

結構ゆっくりである。河原町の交差点で巡行の列は北に方向を変える。

これが辻回しで、観光客が集まるところ。ともかく人が多い、警官が出て、

「立ち止まって写真を撮らないでください、すぐに通過してください」とさかんに言って

いる。山鉾巡行を追うように北上して御池通りへ。

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  この写真の少し右が河原町通りの交差点でそこで辻回し。
  向こうの店は屋根の上で従業員が見物。仕事はあとです。

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  月鉾が来る

ちょうど京都市役所のところの交差点で再び辻回し。見応えがある。

河原町通りを北上してきた山鉾の列は今度は御池通りを西にゆく。

この御池通り沿いは有料の観覧席があるらしいのだが、

祇園祭の見物はここで終わり。

帰りの新幹線の時間もある。最後まで見ているわけにはいかない。

それにしても豪華絢爛な祭りである。関東の祭のような荒々しさはなく優雅そのもの。

このあと、巡行の列を離れて京都市役所の後ろの三月書房という、短歌関係の本を結構

あつかっている本屋に行き、フツーの本屋ではあまり売っていない歌集や評論を

まとめ買いして自宅宛に送ってもらう。

その後再び河原町通りに戻り、後祭りの山鉾の列を見送りながら四条へ歩く。

河原町の交差点まで戻り祇園の方に曲がり少し行ったところを左へ。

祇園祭の熱気とは関係のない静かな京都の路地である。

そこを少し行った先にある老舗「いづう」で昼食に鯖寿司を食べる。

ビールがなかったのが残念だったが、鯖寿司はなかなか美味かった。

昼食を終えてから祇園白川のあたりをしばらく散策し土産を買い、

嵯峨野、広隆寺半跏思惟像、石見神楽、祇園祭と、結構盛り沢山だった夏の京都旅行を

終え、午後の新幹線で帰路に着いた。

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  鯖寿司の老舗「いづう」。
  暖簾があるだけなので初めてだと、一見さんお断りの店かと思ってしまう。

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  「いづう」から少し路地を行ったさき、祇園白川の流れ。
  6月に巽橋で放生会がおこなわれる。


京都その3 石見神楽

祇園祭は869年、京で疫病が流行った際、神泉苑に当時の国の数の66の鉾を立て、

祇園の神、素戔嗚尊に災厄が取り除かれるよう祈ったのが始めである。

この869年という年、

3年前の東日本大震災に匹敵する大地震だったという貞観大地震が起きた年である。

9世紀はこの国を天変地異が襲った時代だった。

古文書を見ると貞観大地震に先立つ10年くらいは毎年どこかで大きな地震が起きている。
富士山も噴火している。

地震、津波、噴火、旱魃、疫病。

3年前、東北の大震災があったとき、関東ではしばらくの間、電車は節電で暗いまま

走っていた。乗っている人は暗い車両のなかで皆一様に静かだった。

あのとき、多くの人の胸にあった不安。

おそらく、9世紀のこの国の人々にも同じ不安があっただろう。

現代のように情報や技術がない分、不安はさらに大きかったかもしれない。

祇園祭はそういう社会情勢を背景にして生まれた。



ホテルにチェックインし、ししばらく休んだあと、四条通りを東に歩く。

この四条通りを真っ直ぐ東に歩いた突き当りが祇園であり、そこに八坂神社がある。

西院から八坂神社まで4kぐらいか? 大人の足なら1時間。

石見神楽は6時半からだから、のんびり歩いても充分間に合う。

街歩きを楽しみながら歩いていくと、やがて四条通りに停めてある鉾が現れる。

四条傘鉾、郭巨山、そして向こうに大きな月鉾が見えてくる。

新町通りとの交差点のあたりからはすっかり祇園祭の雰囲気で浴衣姿の女性も増える。

この新町通りと隣の室町通りには、祇園祭の間、沢山の鉾が停められて屋台も並び、

車はまったく通れなくなる。この通り沿いで住んでいる人はどうするんだろうと思うが、

869年から祭りをしているのだから、もうそれを承知のうえで住んでいるのであろう。

屏風祭りがおこなわれているのも新町通りの辺りである。

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  新町通りとの交差点、向こうに見えるのは放下鉾

四条通に停められている月鉾、函谷鉾、長刀鉾を眺め、さらに東へ。

人混みが激しくなってきて交通整理の警官も目につくようになる。四条通りは6時から

歩行者天国になるのでその準備をしているのだろう。

河原町の交差点を過ぎ鴨川を渡れば祇園はすぐそこである。

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  長刀鉾だったか...函谷鉾だったか...。
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  途中の鴨川、なぜかアベックは等間隔あけて座る

八坂神社に着いた。

まだ石見神楽には早いのでお参りをし、しばらくあちこち眺める。

本殿の前に舞殿があり、ここに素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神の三基の神輿が

鎮座している。なかなか綺麗である。この舞殿の斜め横に斎館があり、石見神楽はその

舞台で奉納される。

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  八坂神社 本殿 なぜか新撰組もいる
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  舞殿 ここに神輿三基が鎮座している

屋台でビールを買って、神社の後ろの公園で時間を潰す。

テキトーな時間に斎館の舞台に行く。ようやく始まった。

演目は五つ、最初は「塩祓」という演目だが、内容はよく分からなかった。

「祓」というぐらいだから、手順として舞台で最初にやるようなそういうものなのだろう。

次は「牛若丸」、これは内容は分かる。

五条大橋で切り結ぶ弁慶と牛若丸なのだが、

この辺から、なんで?という疑問が湧いてきた。

八坂神社の祭神、スサノオに奉納するのに、なんで牛若丸なんだ?

そういう素朴な疑問(^^;

スサノオは出雲の神。

古代、あるいは出雲系の勢力は畿内まで達していたのかもしれず、

畿内には意外と出雲系の神を祀る神社が多い。

八岐大蛇を退治し新たな国を作り、

吾が娘を連れて黄泉の国から逃げるオオクニヌシを祝福した英雄神、スサノオ。

日本神話のなかで唯一の父性原理の体現者である。

そのスサノオに奉納するのになんで牛若丸?

隣の家族連れが「8時20分からだってさ~、まだ1時間もあるよ」と言っているのが

聞こえた。むろん、「八岐大蛇」である。

観客は「八岐大蛇」を見に来ているのだ。

出雲の英雄神スサノオに奉納する八岐大蛇を見に来ているのであって、

弁慶と牛若丸が刀を持っていつまでもくるくる回っているのを見にきているのではない。

まだこのあとふたつぐらい演目があるのだが、いい加減飽きて座を外す。

屋台でビールとフランクフルトと焼きそばを買って横の公園でとりあえず晩飯である。

あちこちにカップルが座って同じように食事をしている。

ひとりで公園の隅っこで食事をしているのはなにか侘しいものがあるが、
ま、仕方ない(^^;;
祇園祭の石見神楽を見る場合は、八岐大蛇の始まる時間を見計らってくるのが良い。
頃合いを見て舞台に行ってみた。
ちょうど、前の演目が終わり、いよいよ「大蛇」。
最初に女性が現れ舞台で舞う、そこに大蛇が現れ女性は食われてしまう。
次に、嘆いている老夫婦、娘の櫛稲田姫、そこに現れるスサノオ。
やがて舞台には4匹の大蛇が現れ、激しい舞いを見せる。
とぐろを持ち上げたりしてこの辺りは迫力がある。
大蛇が酒を飲み、スサノオとの激しい戦い。
なるほど、海外公演でも好評だというのが分かる。
舞台に躍動感があり美しさがある。さっきの牛若丸とはまるで別物だ。
今回はこれを見に来た。うん、来た甲斐があった。

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  いかんせん暗くて人が多くて舞台に近づけないので、こういう写真しかない。

最初からこれをやればいいのだ。
観客は八岐大蛇を見にきているのだから、関係ないものいつまでもやらないで、
二部構成で八岐大蛇を前後二回やるとか、そういう工夫があっても良さそうなものだ。
ちなみに石見神楽のHPがあったので張っておく→http://iwamikagura.jp/
ちょっと待ち疲れたが、八岐大蛇には満足。

まだ人の大勢いる八坂神社を出て、歩行者天国になっている四条通りを西に戻る。

9時ぐらいなのだが、案外店が閉まっている。

祇園祭で歩行者天国になっている間は店を開いても良さそうなものだが。

歩いていくと長刀鉾に灯されている提灯が見えてくる。綺麗である。

さすがに一日あちこち歩いて疲れたので途中から地下鉄に乗りホテルに戻った。

結構歩いた一日だった。明日は山鉾巡行である。



京都その2 広隆寺

嵯峨嵐山の隣の駅が太秦。

太秦といえば東映の撮影所があるところで有名だが、そちらには興味はなく、

撮影所の横を通り抜けて広隆寺へ行く。

広隆寺は京都最古の寺で、

渡来人系の豪族、秦河勝が聖徳太子から仏像を貰い受けて建てたのが広隆寺。

603年のことであるらしい。平安遷都より191年も前の話である。

さて、とりあえず昼飯。

ちょうど広隆寺の南大門と道路を挟んだところが嵐電の太秦広隆寺の駅で、

そこのホームにくっつくようにうどん屋がある。

駅によくある立ち食いそばの類かなと思ったが、

時間もないし喉も乾いているので探すのが面倒、とりあえずそこに行ってみる。

行ってみると立ち食い蕎麦ではなく、ちゃんと座れる店。

感じのいいおばちゃんに案内されてテーブルにつく。

とりあえず、喉が渇いているので生ビールを注文。

来るまでにメニューを見る。

生ビールが来た。

ぐびぐびぐび、乾いた喉に流し込む、うまい。

テーブルに生ビールを置いてちょっと向こうを向いたおばちゃん、こちらに向き直ったら

客がもう生ビールを飲み終っていて、「えっ! えっ!」と驚いていた。

7月の蒸し暑い京都を朝から歩き回って喉乾いてるんだから、しょうがないじゃん(^^;

あらためて生ビールの追加と、きざみうどんとちりめんじゃこの御飯のセットを頼む。

何年か前、初めて京都できざみうどんを食べたとき、のっている青ネギが目立ったので、

きざみうどんというのは、青ネギの刻んだのをのせたうどんかと思ったのだが、

そうではない。

関西のきざみうどんは、油揚げを刻んだものをのせたうどん。

じゃ、きつねうどんとどこが違うんだ、刻んであるだけの違い?という話になるが、

きざみうどんの油揚げはきつねうどんの油揚げのように甘くしていないらしい。

ちなみに関西では関東の「きつねうどん」が「きつね」で、

関東の「きつねそば」が「たぬき」であるらしい。

で、関東の「たぬきうどん」と「たぬきそば」は関西にはない。

本当かどうか知らないが、昔、関西のうどん屋では天かすがサービスに置いてあって、

すうどん(関東では、かけうどん)にサービスの天かすを入れれば関東のたぬきうどんに

なるので、独立したメニューにならなかったとか。

真偽は知らない。

そんな話はどうでもいい。きざみうどんが来た。

写真を撮っていれば載せられたのだが、

本人、食い意地張っていて、そこまで頭が回らなかった(^^;;

関西らしい薄い色の汁、飲んでみるとなかなか美味い。

確かに刻んだ油揚げは甘くはなっていない。普通の油揚げをそのまま刻んだ感じ。

九条ねぎだろうか、ネギは青いのを使う。

うん、うどんはやはり関西の方が美味いね...。

ちりめんじゃこの御飯も関西ではよく見かける。これも美味しかった。

あまり期待しないで入った駅直結のうどん屋だが、

どうしてどうして、なかなか美味かった。

太秦広隆寺駅のホーム横、「京富」という店。

さて、腹ごしらえを済ませてあらためて広隆寺へ。

南大門をくぐると、右に講堂、正面に本堂がある。

平日のせいか人は少ない。

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  広隆寺 南大門

IMG_0014 広隆寺
  広隆寺 本堂

本堂の左から奥の方に入るようになっていて、霊宝殿は本堂の後にある。

日本の国宝第一号の半跏思惟像がここにある。

入ると受付の人以外は誰もいなかった。

十二神将の像があり、

その向こうに半跏思惟像がある。

照明はちょっと暗いのだが、そのなかに弥勒の姿が浮き上がっている。

なにか、あっさり置かれているような不思議な感じ。

広隆寺の半跏思惟像。

エピソードの多い仏像である。

哲学者のヤスパースが「人間実存の最高の姿」と讃えたのがこの像であり、

京都大学の学生が美しさのあまり手を出して指を折ったというのもこの像。

韓国から来た修学旅行の学生達が「韓国から盗んできたものだ」と騒いだというのも

この像である。

ちなみに、京都大学の学生の件は、

事件直後の取材で本人が「いたずらで指を取った」と言っていて、

美しさのあまり手を出したというのは、事件を美化した話らしい。

ちなみにその学生、その後、ちょっといわくのある弁護士になったらしいから、

いたずらというのがやはり本当のところなのかもしれない。

韓国の修学旅行生については、歴史を勉強しなさいと言うしかない話である。
誰もいないので、椅子に座って半跏思惟像と向き合う。

美しい仏像である。

無駄がない。

安定した下半身、やや前傾した上半身、美しい手の形、

頬に触れているようで触れていない指、不思議な微笑み。

像全体の構成が均整がとれてしっかりしている。

いたずらではなく、本当に美しさのゆえに手を差し伸べたくなるような仏像である。

どれくらい見ていただろうか、

数人の観光客が入ってきて煩くなったので、霊宝殿を出た。

Maitreya_Koryuji
  ヤスパースが見たのはたぶんこういう白黒の写真。
  ロダンの「考える人」、アルカイックスマイル、その辺の共通性が、
  西洋人にも共感するところなのかもしれない。
  そういえば以前、この半跏思惟像から歌を詠んだことがある。

     その頬に手触れるまでの歳月を弥勒菩薩は微笑みており

  「手触れる」は「たふれる」と読む。
  弥勒は五十六億七千万年後に姿を現し、人々を救うという。
  遥かな歳月である。

IMG_0016 う
  霊宝殿の前に咲いていた蓮の花

今日はこれからホテルにチェックインしてひと休みしたら、八坂神社に石見神楽を見に

行く。ホテルはさっきの太秦広隆寺の駅から嵐電に乗り、西院で降りればすぐである。

駅に切符を売るところがないので、どうするのかと思っていたら、一律200円で降りる

ときに払う。早い話、嵐電というのはレールの上を走るワンマンバスみたいなものである。

朝から嵯峨野、広隆寺と歩き回り、2時半にホテルにチェックインした。

長くなったので続きはまたあとで。

 IMG_0017 里
  よく分からんが、普通の家の玄関の前がホームになっている。嵐電、太秦広隆寺駅


 

京都 嵯峨野

昨年の7月三連休、若狭の小浜から京都へ鯖街道を走った。

朽木・花折と越えて大原を走り抜け、辿りついた京都はちょうど祇園祭の宵山だった。

祭りでは八坂神社の祭神、素戔嗚尊に石見神楽が奉納されるのだが、

残念ながら昨年は日程の関係でそれは見られなかった。

で、今年、それを見に再び京都へ。

今年の7月三連休は13日~15日だが、

祇園祭は世俗の休みに合わせてやるものではないらしく、

石見神楽の奉納は連休後の平日16日、山鉾巡行は17日。

ならばということで、少し早い夏休みをとって祇園祭へ。

16日朝の新幹線で京都。

石見神楽は夜なので、それまでに広隆寺や竜安寺のあたりを歩こうと山陰線のホームの

方に行くが、その途中に、「京の夏の旅 文化財特別公開 旧嵯峨御所 大覚寺門跡」と

いうポスターが沢山張ってある。ふーん、こんなのやってるんだ...。

例によって道草食いの心が疼き、あっけなく予定変更して嵯峨野へ。

今日は石見神楽を見に来たので、夜までの予定はどうでもいいのである(^^;

急遽予定を変更したので場所が分からんのだが、

嵯峨嵐山の駅にパンフレットがあり、それに載ってる略図を見ながら田舎道を歩いて

15分くらいで大覚寺に着く。

IMG_0003
  大覚寺 山門

大覚寺というのは、平安初期、嵯峨天皇が建てた離宮がその後、寺になったものらしく、

亀山天皇や後宇多天皇がここで院政をおこなったので嵯峨御所とも呼ばれた。

ちなみに、ここの大覚寺統と持明院統の皇位継承争いがのちの南北朝の内乱に

つながるわけで、大覚寺統がすなわち南朝、のちの後醍醐天皇のとき吉野に遷る。

大覚寺は静かな寺だ。

回廊でそれぞれの御堂がつなげられているのは、ここが純粋な宗教施設ではなく、

院政の場として実務の用に使われていたからかもしれない。

その回廊を回っていくと苔庭があったり、白砂利の広い庭があったり、

さらに行くと大沢池という蓮の咲いている池があり、赤い塔がある。

京都の中心ほど観光客も多くなく、心の落ち着く良い寺である。

襖絵や障壁画にいいものが多い。

IMG_0004  の
  苔庭

IMG_0005 て
  石舞台とその向こうは勅使門

IMG_0007 し
  大沢池

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  大沢池のほとりの木にいた青葉木菟。日頃のおこないがいいとこういうものも見られる。
  ホーホーと鳴くのはこの青葉木菟。フクロウはもっと低い声で鳴く。

大覚寺を出て、嵯峨野を歩く。

大覚寺で拝観券を買ったとき、祇王寺との共通券がありますというのでそれを買った。

せっかくなので地図をもらい行ってみる。

畑のなかの細い道を歩き、大文字焼きならぬ鳥居焼き?の形のある山を右に見て、

住宅地のなかに入る。そこを真っ直ぐ行って突き当りを左に折れると、

落ち着いた家並みのなかに土産物屋や食事処がてんてんとある静かな通りにでる。

そこを行った突き当りを右に入れば祇王寺。

平家物語に登場する白拍子の祇王が世をはかなんで隠棲したという小さな寺である。

寺というより、祇王とその家族の暮らしていた侘び住まいのあとであるらしく、

寺らしい本堂みたいなものはない。

清盛と祇王、その家族と祇王を慕ってきた仏御前の像が安置されている小さな東屋が

あるだけで、周囲は美しい苔の庭園である。

6月あたりの苔の美しい季節、あるいは紅葉の時期に訪ねたら素晴らしいだろう。

IMG_0010 に
  祇王寺

祇王寺を出て渡月橋の方には行かず嵯峨野の街並みを清凉寺へ。
ここを通り抜け、嵯峨嵐山の駅に戻る。
途中で食事をと思ったが駅の周囲には店がなく、電車で隣の太秦に向かう。


IMG_0013 ん
  嵯峨野の街並み、向こうは清凉寺。

本当は今日は太秦の広隆寺で日本の国宝第一号である半跏思惟像を見るつもりだったのだ。
駅のポスターにひかれてすっかり道草を食ってしまった。
長くなったので続きはまたあとで。




 


 

新ブログへ移行

ブログを新しくしました。

字を大きくしろ、写真を載せろというリクエストにお応えしました(^^

旧ブログは画面右側の入り口から入れるようリンクしてあります。

ほんとは15日に新ブログ立ち上げていたのですが、

ちと出かけていたり、HPへのリンクなどで時間がかかったりで、

一週間後のリンクになりました。

おいおい書いていきます。

今後もよろしくお願いします。

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