伊東

確定申告が終わり、週末、伊豆に行ってきた。

せっせと働いたら休みを入れる。

働きどおしでは人間いつかつぶれる。

伊豆は走って楽しい道が多く、温泉でのんびりできるし、春はひと足早く花が咲く。

仕事が一段落しての休養にはもってこいの場所である。

ターンパイクを駆け上って伊豆スカイラインへ。

あいにく天気が悪く霧で視界がなく前に車がつながっている。

こういう時は仕方ない。霧のなか制限速度の50Kで走る。

大室山の麓の桜の里に行ってみるがそこも霧の中、早咲きの桜が咲いているかと思ったが

諦めて伊東に向かう。ホテルに入りまずはのんびりと温泉。

そのあとしばし休んでから伊東の街を散策する。

大川沿いの東海館は木造三階建ての老舗旅館だった建物で今は観光施設になり、

なかを見学できる。感じの良い和風旅館で営業していた頃に泊まってみたかった。


DSC_1602
 東海館

DSC_1605
 客室

外に出て駅の方に歩く。キネマ通りというアーケードの商店街があり、昔は映画館が

あったらしい。今も映画館のような外観の建物があって昔の映画のポスターが掲示されて

いるのだが建物の中は映画館ではない ? のかな

居酒屋に入って飲んで夕食。すっかり更けた街をぷらぷら歩いてホテルに戻る。


DSC_1607
 キネマ通り 昔の映画ポスター 今は映画館ではない ? 

1711368117121
  夕食 タカノハダイと地魚の刺身

翌日、商店街で土産を買ってから昨日、霧に包まれていた大室山の麓の

桜の里に行ってみる。

伊東桜と札のついた桜がぽつぽつと花を咲かせていたがまだまだ満開はこれから。

ピンクの花が綺麗に咲いているのはエドヒガンだろうか。

点々とある白い桜は大島桜である。

ここしばらく冷え込んだせいか思ったより咲いていなかったのが残念。

この時期は熱海の海浜公園あたりの方が大寒桜や大島桜が咲いているかもしれない。

伊豆高原で昼食を摂り、土産の干物を買って、

スカイラインからターンパイクと走りを楽しんで横浜に帰った。

さ、休養が終わったらまた仕事である。


DSC_1612
 向こうのピンクの桜はエドヒガン かな?

DSC_1613
 こちらは大島桜

忙しいときに引っ掻き回すな

確定申告がようやく終わった。

インボイス制度がスタートして消費税の申告をする人が増えたからだろう、

今年の確定申告は忙しかった。

そのインボイスがらみでちょっと驚いた話があった。

一年に一回、確定申告を頼まれているお客さんのところに行ったら、

インボイス発行事業者の登録通知が来ていた。

「これ、どうしたんですか?」と聞くと、

「いや、税務署から届いたんです。みんなに送られてくるんですか?

「申請したところだけです。申請しました?

「いや、なにもしてないです」

「は!?

仕方ないのでインボイス登録センターに電話して聞いたら調べてくれて、

某税理士法人から申請が出されているとのこと。

これでようやく分かった。

お客さんのところでは昨年、相続があり、相続税の申告は他の相続人が以前から

頼んでいたその某税理士法人が引き受けている。

そのあと某税理士法人の担当者と電話で話したが、

「相続で消費税の納税義務者になったので登録申請を出しました」とのこと。

しかし、その辺の細かい説明はなかったらしく、

インボイス発行事業者の登録をすると消費税の申告が必要になることを

本人に説明すると驚いていた。

しかも、某税理士法人の担当者の説明は間違っていた。

相続があった場合、被相続人の基準年の課税売上の金額によって

消費税の納税義務の有無を判定するのだが、

遺産が未分割の場合は法定相続分に応じた金額で判定する。

それで判定すると本人には消費税の納税義務はない。

さらに聞くと、相続税を支払うため今年に入ってから物件を売却したわけだが、

つまり、売却に際してインボイスが必要だったから本人にたいして説明もしないで

登録申請したのだろう。

某税理士法人の担当者は電話で、

「売却は終わりましたから登録は取りやめて頂いて結構です」と言っていたが、

6年に入ってからのインボイス発行事業者の登録は2年縛りがあり、

今回のケースでは取りやめをしても本人は8年分まで消費税の申告をしなければならない。

それを説明すると、本人はえぇっ~という顔をしていた。

物件を売却するとき買い手はインボイスを欲しがるわけだが、

そのために発行事業者の登録をすると売り手の方は消費税の申告義務が生じて、

申告の手間と消費税の負担が発生するわけである。

ならばインボイスがないと買い手で仕入れ税額控除できない分を考慮して売却価額を

決めればいいのではないのか?  そのくらいのことは交渉でできるはずである。

おそらくその辺の売却も某税理士法人が不動産会社を紹介してすすめたのであろうが、

どうやら某税理士法人の顔は以前から頼まれている相続人の方を向いていて、

他の相続人のことはたいして気にしていないらしい。

そういうのどうなんだろうね、税理士の姿勢として

おまけに消費税の納税義務の判定は間違えるし、

2年縛りも分かっていなかったんじゃないのか?

忙しいときにこういうことで引っ搔き回されるといささかいらつく

町田の某税理士法人、HPを見ると職員が25人くらいいて手広くやっているようだが、

もう少しいい仕事した方がいいな。


DSC_1587
 沼津港の大衆食堂せきの、以前から気になっていたので行ってみたが、
 なかなか美味しい。ちなみにうちの親戚ではない。

 

 

確定申告

確定申告が始まった。

税理士になりたての頃は、税理士会でやっている無料相談に引っ張り出され、

相談者の話を聞きながらせっせと申告書を書いたものである。

まだ電子申告など始まっておらず紙の申告書の時代。

当時は医療費控除の下限も5万円だったので還付の申告が多かった。

相談者が多く相談会場の外まで行列が出来て会場はいささか殺気立っていた。

担当部長が会場を整理しようとして押すな押すなの混乱のなか税理士バッジをなくして

しまったと言っていたのを覚えている。

なかにはろくに資料を持ってこないであーだこーだと言う不届き者もいて、

仕方ないからそういうのは追い返すのだが、

そういうことをしていたら税理士仲間から「あいつは一日に一人は追い返す」と言われた。

当たり前だ。不届き者の申告書なんか作るか。

そういう無料相談で、随分驚いたことがある。

私の前に座った女性の相談者。

ひと目見てすぐに気付いた。

同じ小学校の同じクラスにいた女性だった。

小学校の近くの市営住宅に住んでいた少女。

税理士になりたてだから向こうも30そこそこだったはずだが、

ひと目見て気付くくらいに面影は残っていた。

旦那さんの年末調整をしていない源泉徴収票を持ってきて、

会社の方から自分で申告するように言われたというのが相談の内容。

源泉徴収票は手書きで住所も書いていない。

本来しなければならない年末調整をせず、こんな源泉徴収票を渡して、

自分で申告しろという会社というのは、決していい勤め先ではあるまい。

私は黙ってその源泉徴収票を受け取り、

相談票に書いてある住所をその源泉徴収票に書き込み、

そのまま黙って申告書を作った。

還付になった申告に彼女は喜び、笑顔で礼を言って帰っていった。

私は父親の仕事の関係で小学校を5回転校している。

彼女と同じクラスだった小学校も6年の一学期で転校した。

その後、父親の仕事の関係で大学生のときに横浜に帰ってきたが、

小学生のときの友達がどこでどうしているのかは分からなかったし、

特に知ろうともしなかった。

小学生で5回の転校って子供には結構負担大きいのである。

親しくなった友達とある日突然分かれることになる。

失った者は覚えている。

その学校でどういうことがあったか、どういう友達がいたか。

しかし、失わなかった者はたぶん覚えていないだろう。

だから私は黙って彼女の旦那さんの申告書を書いた。

可愛かった少女がどういう暮らしをしているのか、余計なことを考えても

しょうがない。私は会場を出てゆく彼女を黙って見送った。


DSC_1565

  河津桜が咲いた

焼岳

北アルプス焼岳、かつて大噴火して梓川を堰き止め大正池を作った2455mの火山。

今も噴煙はあげているが比較的落ち着いているので登山の対象になっている。

昨年、一月の末に中の湯温泉に泊まり冬の上高地を歩いてきた。

今年は中の湯から焼岳を目指した。

冬は四駆スタットレスの車でなければ入れないという中の湯に夕方チェックイン。

まずはゆっくり温泉に入り明日に備える。


DSC_1540
 中の湯から穂高方面、霞沢岳に雲がかかっている


翌朝、朝食を済ませて宿を出発したのが810分。

宿の後ろの急斜面を上の林道までショートカットで登る。

林道に出るとその向かいが焼岳の登山口。

ここから雪の樹林のなかを登っていくのだが、しっかりトレースがついていて、

3時間ほどで焼岳の北峰と南峰が望める広場に出る。

無雪期はここから沢を渡り北峰に登るのだが、

冬は沢筋が雪崩で危ないので広場から左の尾根に取りつき南峰を登る。

朝のうちは天気が良くて、登っている最中も木の間から穂高の吊尾根が見えたりして

いたのだが、だんだん天気は悪くなって広場に着いたときは北峰は見えたが南峰は

雲の中だった。ここでアイゼンを着け南峰を目指す。


DSC_1544
 雪の樹林


斜面を登ってゆきやがて火口の縁に出る。

というか、天気が悪くなって周囲が見えなくなってきているので地形からして

そうなのだろうという話。ここから右の雪の斜面を登れば頂上のはずである。

ちょうど上から下りてくるパーティーがいたので見当をつけて我々も登る。

もともと上の方は雲のなかだったのに加え、天気も悪くなってきているので状況は

あまりよくないのだが、それにしてもここから先、上に向かっているトレースが少ない?

先行していた登山者の数からしてもっと歩いた跡が雪の上にあっていいはずなのだが、

やけに少なくなっている。なんで?と思いながら斜面を登り、

ふと後ろを振り向くとホワイトアウトのなか、

風に吹かれて自分達のトレースも消えてゆき登ってきたルートが見えなくなっていた。

自分の後ろには白い世界があるのみである。

これはヤバイと思った。早くくだらないと下山ルートを見失う。

少し先を登っていた息子を呼び戻しすぐに降り始めたが、

広場が見えるあたりまで下るまではルートがわかりにくかった。

頂上近くでトレースが少なくなったのはホワイトアウトで引き返したバーティーが

多かったのであろう。

ある程度くだれば頂上付近を覆っていた雲の外に出て風も弱まり、

回りの視界が開けてきた。


1706426312944
 ホワイトアウトのなかの焼岳南峰、頂上はすぐそこだったが引き返した。


広場に着いてアイゼンを外し簡単な食事を摂って下山。

雪の樹林を2時間ほど下って3時40分中の湯に戻る。

頂上は踏めなかったが頂上のすぐ下まで行っているので今回の山行はこれで良しとする。

冬山は天気次第、天気には勝てない。

それにしても中の湯はいい。

ここの温泉は無色透明な温泉である。

去年来た時、雪に包まれた露天風呂を見たせいか温泉が白いイメージがあった。

人間の記憶って結構いい加減なものである。

濁り湯ではないが中の湯の温泉はいい。

雪と森を眺めながらゆっくり温泉に入る。

夜は酒三昧。

翌朝起きてみれば雲一つない好天気である。

穂高の吊尾根が綺麗に見える。

去年もそうだったがここに来る度に最終日が一番天気がいいのは何故なのだろう。

来年また冬の北アルプスを歩きに中の湯に来よう。


DSC_1554
 最終日、中の湯のロビーから穂高連峰


DSC_1555
 中の湯

能登半島地震 税制上の支援

能登半島地震が起きて3週間経った。

インフラが復興せず、避難所での生活を余儀なくされている人たちが今も大勢いる。

被災した人たちのために税制上の支援が幾つか打ち出されている。

5年分の確定申告については石川県と富山県については申告期限が延長される。

611日以降のすべての申告・納付についての延長なので確定申告だけでなく、

他の申告・納付も延長である。延長される期限は発表されていないが、

状況が改善するまでは延長するだろう。

災害によって損害を受けた場合にその損害を所得から控除する雑損控除についても、

令和5年分の所得から控除できるよう法律の改正案がだされる。

本来、令和611日に起きた地震による損害は令和6年分の所得から控除される

のだが、それでは減税の効果を受けられるのは令和7年になってしまう。

被災者支援のため、すぐに減税効果を受けられるようにするため、

令和5年分の所得に遡って控除できるようにしようということである。

県外に避難している人もいるだろう。申告は住所地を管轄する税務署だが、

電子申告でできるので地元の税務署に行かなくても大丈夫である。

電子申告をしたことのない人も各地の税理士会に問い合わせしてもらえれば

対応するだろう。

我々税理士がこういうときに出来ることは少ないのだが、

被災地の復興を願ってやまない。


DSC_1537
  花を買いに行く
 

 

京都 2

京都2日目、寺町を歩いて本能寺へ。

それにしても寺町というだけあって、この界隈、寺が多い。

寺町通りが御池通りにぶつかるところに本能寺はある。

といっても信長が討たれた本能寺ではない。

当時の本能寺はもう少し南の方にあった。

本能寺の変のあと再建されたが、そのときにこちらに移されたらしい。

門を潜ると正面に本堂があり、その右奥に信長公廟がある。

信長の骨は本能寺の猛火のなかで焼けてしまい見つからなかった。

ゆえにここは墓というより信長を祀る場所である。

人間というのは大抵、自分の生まれた時代の制約から逃れられないものだが、

信長という人間は時代をやすやすと超越してしまったように思える。

NHKの大河ドラマなどに何十回と出てくる信長であるが、

本当の信長というのはどういう人間だったのだろう。


DSC_1512
  本能寺

DSC_1513
  本堂
DSC_1514
  信長公廟

本能寺を出て鴨川の方に歩く、幕末に尊王攘夷の浪士と新選組が切りあった池田屋の

前を通り少しいけば三条大橋、ここから鴨川を南へゆき祇園へ。

花見小路を抜けて若い女性達で混んでいる安井金比羅宮、そこから少し行けば

八坂の塔である。なんとなく歩いてきたがふと見ると八坂の塔の入り口が開いている。

ここは閉まっていることが多い気がするが、開いているのでひさしぶりに入る。

昔は法観寺という飛鳥時代からの大きな寺であったらしいが、

応仁の乱で焼けてしまい、今は塔しか残っていない。

この塔、なかに入ることが出来て急な階段で二階に登ると小さな窓から京の街を眺める

ことが出来る。昔、京が荒れた時代にはこの塔に悪党が潜んで、小さな窓から

狙う家屋敷を物色していたかもしれぬ。そんな空想が出来て面白いところである。

昼過ぎの新幹線で帰るので、しばらくその辺を歩いて京都駅に戻る。


DSC_1520
  八坂の塔

DSC_1523
  塔の中、二階に登る階段はかなり急である。
DSC_1521
  二階の小さな窓から京の街

歩いていたら風花のように雪が舞ってきた。

帰りの新幹線、関ケ原のあたりは雪かもしれぬ。

京都駅で土産と今日の夕飯にいづうの鯖寿司を買って帰った。

そういえば、いづうの鯖寿司、ウクライナの戦争から始まった物価高で、

値段を据え置いているが大きさが小さくなってしまったのがちょっと残念である。

プーチンはウクライナに攻め込んで日本の鯖寿司を小さくした。

次に京都に来るのは短歌結社の全国大会で今年の9月あたりかな。

 

 

 

京都 社員総会

22日までの源泉事務に追われてブログを書く暇がなかった。

先週の話だが、短歌結社の社員総会で京都に行ってきた。

社員総会そのものはシャンシャン総会なので別にどうでもいいのだが、

総会のあとに講演会をやる。仕事に追われて歌会に出ることもままならなくなった

今日この頃だが、短歌との接点を失いたくはなくて、

結社の社員総会や全国大会はなんとかして出るようにしている。

ひさしぶりの京都、ネットで調べると、

一月最初の週末は七草粥を振る舞う神社があるらしく、

調べたら若一神社がそれをやっているというので午前中そこに行ってみた。

新幹線で京都、そのあとJRで九条。

若一神社は平清盛の別邸の跡に建てられた由緒ある神社であるらしいが、

今は市街地のなかの小さな神社である。

で、行ってみたら七草粥はしていなかった。

鳥居の脇に「七草粥は奉仕していません」という張り紙があった。

社務所の人に聞いてみたら七草粥を手伝ってくれる人たちが

80歳~90歳で出来なくなったのだという。

「若い人が手伝ってくれれば」と言っていた。

なるほど、そういう感じで伝統が消えていくんだろうな


DSC_1497
 若一神社

DSC_1498
 鳥居、 鳥居の端に七草粥は奉仕していません、という張り紙がある。
DSC_1500
 平清盛像

午前中、若一神社で七草粥を食べてから社員総会に行くつもりだったのだが、

食べられなかったので錦市場の方のお粥の店に行ってみたのだが、

そちらも今日はお粥は売り切れということだった。

よっぽど今年はお粥に縁がない年なのであろう…(^^;

そんなことをやって時間がかかってしまい、

そのあと社員総会に行ったのだがとっくに終わっていて、

社員総会のあとの講演会だけ聞いた。

澤村斉美の「働く日々の歌」という講演と、

そのあとは2023年の歌集を読むという前田康子・千葉優作・中井スピカによる鼎談。

澤村の講演は自ら校閲女子をやっているだけあって面白い内容だったし、

鼎談は、よくこれだけ歌集を読む時間あるよなと感心させられた。

短い時間だったが、短歌と触れ合う時間がとれて良かった。


DSC_1502
 結局、七草粥は餅ぜんざいに変った。これがこの日の昼食

DSC_1503
 社員総会&講演会風景 出席者は30人くらいで少なかった。

そのあとは今日の宿泊のホテルへ。

京都で泊まるときはたいてい先斗町の近くに宿を取り、夕食は先斗町で食べる感じ。

この日もホテルにチェックインしてから先斗町へ。

先斗町はいつもより閉まっている店が多い感じだったが、

正月が過ぎてお休みの店が多かったんだろうか?

いつものように夕食を食べ、

いつものように先斗町の端のヌエストラカーサでテキーラを飲み、

いつものように木屋町の大豊で〆のラーメンを食べる、いつものコース。

旅に出かけてその地で気に入った店で飲むのは楽しい。

そのあとはほろ酔い加減でホテルに戻り、ぐっすりと寝た。


DSC_1504
 先斗町

DSC_1506
 おばんざいで飲む
DSC_1507
 先斗町の端のヌエストラカーサ。
 なぜか見つけてしまった先斗町でテキーラの飲めるバー。
DSC_1508
 とりあえずテキーラ
DSC_1509
 二杯目はマルガリータ
DSC_1510
 〆はヌエストラカーサの常連に教えてもらった一番京都らしいラーメン
 木屋町の大豊ラーメン。関西で味うすいかと思うが意外と濃い。


 

 

 

 

 

 

 

あの音は...?

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

元日は天気も良くて初詣に行ったりしてのんびり過ごしていましたが、

夕方、地震のニュースが入り驚きました。

被災した方々のご無事を祈ります。

 

3日、アーチェリーの射場に初射ちに行ってきた。

以前、射場が営業していた頃は2日が初射ちで獅子舞が来たりしていたのだが、

射場が営業を終了して有志で自主運営をするようになってからは、

特に初射ちというのは決めておらず、

正月に行き所のない連中が三々五々集まるという感じ(^^;

年始の挨拶をしてしばし雑談ののちコースを回る。

今年はしっかり狙って射とうとか、

毎年恒例のように思って結局変わらないことを思いつつ、

それでも一応新年の抱負を抱いてコースを回るわけである。

銀杏の葉が落ちて裸の枝が冬の空に立っている。

年の初めの清々しい雰囲気である。

一緒に回ったのは射場一のビッグマウスSと場違いなパルチアンショットをするM

そもそもパルチアンショットというのは馬上から振り向きざまに射つ射法で、

ローマと戦ったパルチアの騎兵が用いてパルチアンショットの名前が付いた。

高句麗の遺跡にもパルチアンショットをしている壁画があり、

騎馬民族がやっていた射ち方である。

それをなぜかMは馬に乗っているわけでもないフィールドアーチェリーで

パルチアンショットをするのである。

つまり的に対して後ろ向きに立ち振り向くように構えて矢を射る。

その効果のほどはよく分からんが、

毎年モンゴルに行って草原を馬に乗って走り回るMは、

あるいは自分のことを海を渡った匈奴の末裔くらいに思っているのかもしれず、

譲れないスタイルなのであろう(^^;;

コースを回り終えて下の練習場に戻ってくる最後の12番の射ち降ろしの的の

ところに来たところで、下で弓を射っている音が聞こえた。

矢が的に当たるバシッという音。

「誰か来てるね」と言いながら我々は45mの射ち降ろしを射って下の練習場に戻った。

誰もいなかった。

休憩所に入っているのかと思ったが、そちらにも誰もいない。

「確かに射っている音聞こえたよな

三人で顔を見合わせた。

ひとりが聞いたわけではなく三人とも聞いている。それも結構大きな音で。

しかし、誰もいなかった。

我々はそのあと昼飯を食べフツーに話していたが、

あの音はなんだったのだろう、ということはずっと気になっていた。

木が乾燥して罅が入る音というのもあるかもしれないが、

周囲はおおかた生木だし昨日は雨が降ってそんなに乾燥していない気がする

それに、確かに聞きなれた的に矢が当たる音だった。

亡くなった仲間が新年の挨拶に来たのかなとか、

冗談半分にそんなことを話していた。

用事があったので昼過ぎに帰ったが、昨年の暮れから始めたコンパウンドを少し

射ってから帰るというビッグマウスSに、

「気をつけろよ、射っているとき後ろから肩たたかれるかもしれんぞ」と言うと、

Sは笑っていたが笑顔の隅が少しビビッてた(^^;;;

ま、世の中には不思議なことがある。

世の中のことは全部説明できるんだと思っているより、

不思議なことがあるんだと思っている方が、

世の中深みがあっていいかもしれん。

さ、そんな世の中でまた今年一年頑張ろう(^^



DSC_1494
  45mの射ち降ろし 6・6・2
 新年そうそう6点が二本というのは凄いけどもう一本の2点は?
 ちなみに場違いなパルチアンショットよりいい点だった(^^;

DSC_1495
  場違いなパルチアンショットのMが射場の畑で超太い大根をゲット
 太すぎだろ...おまけに尻尾が付いているような...(^^;;

伊豆山稜線歩道

先週、今年最後の山登りで伊豆山稜線歩道に行ってきた。

修善寺駅の近くのパーキングに車を停めてバスで大曲茶屋へ。

今月は忙しくて出発前あまり調べている暇がなく、

ネットで見つけた山行記録をさっと読んだだけでやってきたので、

大曲茶屋でバスを降りて、

はて?  ここからどう行けばいいんだ?(^^;

登山口の案内もなにもない。

とりあえず山の方に行けばいいんだろうと歩き始める。

大曲の名前のとおり大きく曲がる車道を延々と歩いていくと

「舩原峠入口」という
バス停があった。

えっ!?  ここにバス停あんの?  ここまでバスで来れば良かったんじゃないか?

あとで調べてみたら今年の41日に出来た新しいバス停で、

それでネットの古い山行記録は大曲茶屋から歩いていたわけである。

舩原峠入口までバスで来れば20分くらい短縮できただろう。

道路挟んで向かい側には西伊豆スカイラインから下りてくる車道がつながっている。

たぶんこちらだろうとその車道に入る。登っていくと西伊豆スカイラインが行く手を

横切っていて、我々は右に入ってくる車道をさらに登ってスカイラインに出たが、

これもあとで調べたら、スイカラインの下をくぐり左側にある階段を登って

スカイラインに出るのが一番早かったらしい。

10月からのインボイス、来年1月からの電子取引データ保存、

それで仕事に追われてろくに調べもせず山に来るからこういう失敗をする(^^;;

ま、いいや、気を取り直して歩き始めるとすぐに標識が現れた。

その標識に従って山稜線歩道を達磨山方面に進む。


DSC_1460
 車道を登って西伊豆スカイラインに出たところ。
 事前の情報収集不足でだいぶ時間ロスした。

DSC_1461
 少しいくと伊豆山稜線歩道の標識があった
DSC_1465
 穏やかな山稜線。一番右が達磨山。向こうの海は駿河湾。


いかにも伊豆らしい明るい穏やかな尾根道である。

やがて展望が開け、行くてに達磨山に続く山稜、左てに駿河湾が見える。

富士山も見えるが頂上あたりに雲がかかっている。

天気はいいのだが、風が強い。

駿河湾から相模湾への風の通り道になっている峠のあたりは、

歩いていて飛ばされそうなくらいに強い風だった。

伊豆山稜線歩道はところどころ西伊豆スカイラインの車道を歩くのだが、

車の方に飛ばされそうでガードレールにつかまって歩く感じ。

伊豆の山でこんな強い風に吹かれたことはない。


DSC_1467
 土肥が見える。


登山道の両脇の笹の丈の高いところで風をよけてお湯を沸かして昼食。

さらに風のなかを進んで達磨山。頂上で写真を撮っただけですぐに歩き始める。

なにしろ休憩していると風に叩かれる。

それにしても風が吹いていなければ気持ちのよいトレッキングコースである。

そのまま金冠山まで歩き、達磨山高原レストハウスに降りる。大曲茶屋から4時間半。

バス停に着いてすぐにバスが来た。そのバスを逃していたら次のバスは3時間後だった。

バスで修善寺駅に戻り、停めてあった車で今日の泊まりの修善寺温泉へ。


DSC_1470
 達磨山

DSC_1472
 達磨山から山稜線歩道を北へ
DSC_1474
 戸田が見える
DSC_1476
 金冠山


温泉で汗を流したあとは修善寺に来るといつも行く居酒屋で今年の山行の打ち上げ。

感じのいい母娘がやっている居酒屋で、場末感たっぶりだが気に入っている。

酒を飲んで今年の山行を振り返り、いい気分でホテルに戻ってからは記憶にない(^^;;;


DSC_1483  
 年末年始は特別なお酒という案内があり、飲み比べセットがあったので頼んだら、
 小さいグラスじゃなくて普通のコップで三杯きた。 
 一杯ずつ頼むより100円安くなるんだそうだ。
 それって飲み比べセットっていうの? 飲み比べって普通小さいグラスだろ(^^;?  
 左から八海山、酔鯨、白隠正宗。


 

今年のつれづれ日記はこれで終わりです。

また来年お目にかかります。

それでは皆さん良いお年を。


日本年金機構の取り立て

新型コロナの特別融資の返済猶予が終わり、

始まった返済のために資金繰りが悪化している中小企業が結構ある。

国はそういう中小企業のために、特別融資や再度の返済猶予等の支援を

おこなっているが、そういう支援を受けた顧問先が、銀行の担当者から

「日本年金機構の取り立てに気を付けてください」と言われた。

資金繰りが悪化している中小企業は社会保険料の未納もあったりするわけだが、

再度の返済猶予で月100万の返済がなくなると、

日本年金機構は、その100万を未払いの社会保険料の支払いに当てろと言ってくる。

会社が潰れれば金融機関は融資が貸し倒れになるし、

失業者が増えることは国も防ぎたいわけで、

国の指導のもとに銀行や保証協会がそういう中小企業を支援しようとしているときに、

日本年金機構は、そんなことお構いなしに取り立てをしようとするわけである。

返済猶予で月100万浮いたとしても、既に資金繰りが悪化している会社が

その分をすべて未払いの社会保険料の支払いに充ててしまっては、

支援はなんの意味もなくなるのである。

支援を無にしない範囲での分割支払いにすればいいものを、

日本年金機構は「未払いの保険料を払えないなら会社を潰せ」ということすら言う。

日本年金機構にとっては会社が潰れてくれれば、回収不能確定ということで、

保険料徴収の対象から外れるのでそれで仕事は終わったことになる。

会社が潰れ失業者が増えても自分達の仕事がそれで終われば、

担当者にとっては好都合なのであろう。

中小企業支援が財務省の管轄で、社会保険は厚生労働省の管轄という縦割り行政が

こういう結果を招いているわけであるが、

それだけではない。

日本年金機構、前身の社会保険庁の時代から組織自体が問題を抱えている。

ゆえに独立行政法人になったわけだが、

人間が変わらない以上、組織の問題は解決しないのである。

年金記録問題で膨大な年金の記録を不明にしてしまった組織。

その原因についてはもろもろあるわけだが、

社会保険庁の職員の多くが自治労に加盟していて彼らは職場にパソコンが導入

されることが過重労働や人員削減につながるとして激しく反対した。

民間企業でパソコン導入反対などという話は聞いたこともないが、

一日のパソコンへの入力作業にも制限をつけさせるようなことをしたわけである。

それが多くの年金記録を失わせる原因のひとつなのだが、

なぜか当時の報道は国の責任は問うても労働組合の責任は問わなかった。

その後、独立行政法人になってからも問題を次々と起こした。

マイナンバー制度が始まるとき、税理士仲間では、

「個人情報は洩れるだろう、日本年金機構あたりがやらかすよ」と話していた。

そしたらホントにやらかした。

中国の会社を情報入力の下請けに使ったりして多くの個人情報を流出させた。

そして今、未納社会保険料の柔軟さの欠いた取り立てで中小企業を危機に

追い込んでいる。

社会保険料の取り立ての件では私自身、異常な経験をした。

社会保険料の未納を抱えている顧問先の社長から電話があり、

「社長の役員報酬を過年度に遡ってなかったことにして修正申告をしろ、

それが出来ないのなら会社を潰せ、と日本年金機構に言われました」という。

実際に支払った役員報酬をなかったことにしろというのは、

なかったことにすればそれで未納の保険料が消える、

消えれば担当者の仕事は終わるということなのだろうが、

修正申告が出来るのは、計算違いがあったとき、法令の適用に間違いがあったときである。

実際に支払っている役員報酬をなかったことにするという虚偽で修正申告を

することは出来ない。

その旨、社長に答えると数日後、また社長から電話がかかってきた。

「その税理士はどういうつもりなんですか?  修正申告はできるはずだから!

と日本年金機構の担当者は言ったらしい。

「また電話かかってきたら録音してください。それと私に電話するように

言ってください。虚偽の修正申告をしろ、それが出来なければ会社を潰せと

いうのはどういうつもりか直接聞きます。日本年金機構の職員はみなし公務員

なんですよ。みなし公務員の不法行為を許さなくていいです」

その後、その担当者から電話はかかってこなかった。

2024年に日本年金機構の柔軟さを欠いた取り立てで、

支援すれば立ち直れる中小企業が潰れることがないよう祈りたい。

そろそろ日本年金機構の職員は、

年金記録問題から幾つも続いてきた不祥事がなぜ起きたのか考えた方がいい。

自分達の仕事ぶりが国民に多分の迷惑をかけているということにも気づいた方がいい。


DSC_1424

 クチナシ

アーカイブ