ベトナム 2

たいして下調べもしないでやってきたベトナム。

ホテルでスマホで調べてタンロン遺跡に行ってみる。

タンロン皇城ともいわれベトナムの歴代の王朝が居城としたらしい。

ホテルを出て見当をつけて歩いてゆく。

途中に軍事基地があってそれを回りこまないと行けないのが面倒である。

途中、路面電車が走っていたところがあり、店の鼻先を電車が走ってゆく観光地に

なっているらしい。

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  路面電車のレール

大使館などがある通りを歩いていくと先の方にホーチミン廟が見えた。

間違えたなと思い、大使館の警備をしている警官に聞いてみると、

身振り手振りとベトナム語で、

「ここを行くと交差点がある。そこを左にゆけばタンロンだ」と教えてくれた。

ベトナム語はさっぱり分からないが、たぶんそういうことを言ったんだろうと思い、

その通りに行ってみるとタンロンに着いた。

広い敷地のなかを歩いていくと瑞門がある。

瑞門の脇から入ってゆくと、幾つかの建物がありいろいろな展示がある。

その中のひとつに入ってみると会議室のような部屋があり、名札が並んでいる。

その名札の中に、ヴォー・グエン・ザップを見つけた。

あっ!  と思った。

そうだ、ここはベトナム戦争のとき、北ベトナム軍の司令部があったのだ。

ベトナム戦争は私の中学高校の時代、リアルタイムの戦争だった。

新聞にはベトナム戦争の記事が載っていたし、悲惨な写真もたくさんあった。

サイゴンが陥落するとき大統領官邸に北ベトナム軍の戦車が突入する映像も

その日のニュースで見た。

ヴォー・グエン・ザップ。

フランス植民地からの独立戦争ではディエンビエンフーでフランス軍を敗北させ、

その後、ベトナム戦争では北ベトナム軍総司令官として戦った。

彼は士官学校で学んでいない。

独学で学びベトナム軍を指揮し、幾つもの戦場で勝利をもたらし、

「赤いナボレオン」と言われた。

彼は2013年に亡くなったが日本の新聞には小さな記事が載っていた。

年老いた彼は「孫はドラえもんに夢中で戦争の話は聞いてくれない」と笑っていたそうだ。

ヴォー・グエン・ザップはここに座っていたのか

なんにも調べないでベトナムにやってきて、思わぬものを見つけたような気分だった。


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  タンロン遺跡 瑞門

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  北ベトナム軍総司令部

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  ヴォー・グエン・ザップはここに座っていた

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  案内があった。右から2人目がヴォー・グエン・ザップ
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  地下の通路

タンロンを出て旧市街に戻る。途中、タンロンの北門があるのだが、結構大きい。

少し遅い昼飯を食べ、荷物を預けてあるホテルに戻り送迎サービスで空港に向かった。

ちなみに空港まで30万ドン。空港からのエアポートタクシーは50万ドンだったから、

ハノイの空港と市内のアクセスはタクシー使うよりホテルの送迎サービスの方が安い。

夕方の飛行機でカンボジアのシェムリアップに向かった。


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  昼飯で飲んだベトナムの赤米で作った酒。美味しかった。

 

ベトナム

7月の暑い盛り、ベトナムとカンボジアに行ってきた。

カンボジアのシェムリアップに知り合いがいて、

10年前に訪ねたときに「また来ます」と言って帰ってきた。

それから10年経ってしまった。

また来ますと言った以上、行かねばならんなと気になっていたので、

今回カンボジアへ、ついでにベトナムという感じで行ってきた。

成田からハノイ。

ノイバイ空港からタクシーで旧市街のホテルへ。

ネットで取ったホテルだが、行ってみると入口が随分小さく、

「え!? ここ?」と思ったが、

ま、結果としては家族経営らしい小さいながらちゃんとしたホテルだった。


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  ハノイ ノイバイ国際空港

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  真ん中の日よけの簾? がかかっているのが泊まったホテル。
 最初は入口にバイクが並べられていて、どこから入るの? という感じだった。
 ちなみに宿泊費は2人1泊で6400円ほど。

部屋に荷物を置いて早速出かけてみる。

ホテルに来る途中で見えたロンビエン橋に取り合えず行ってみる。

歩道にはバイクが停まったり人が座って食事していたり、車道は車とバイクがどんどん

走ってくるし、交差点は信号もついていないので歩きにくいのだが、

ホテルの部屋に置いてあった注意書きに書いてあった、

「ゆっくり歩く。ドライバーを見る。後ろにさがらない」を頭に入れて

歩いているうちにだんだんコツが掴めてきた。

一番大切なのは「後ろにさがらない」ことであるらしい。

ロンビエン橋はフランスの植民地時代に作られた橋で、ベトナム戦争のとき

何度も爆撃されたらしいが、今も現役の橋として使われている。

優美と言われた橋もさすがに古くなってトラス構造の鉄骨はだいぶ錆びている。

長い橋なのでとりあえず少し歩いてみて途中から引き返してきた。

そのあとは旧市街を歩いて夕飯。ホアンキエム湖の方に行ってみるが、

ハノイの景勝地という割には井の頭公園の池みたいで、どうということもなかった。


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  ロンビエン橋

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  ホアンキエム湖


ビールを飲みながら夕飯。

今回の海外、航空券と宿泊を取ったあとは仕事が忙しく、支度をしたのは出発前夜。

ほとんどなにも調べず、どこに行こうという予定もなく出かけてきた。

そんな調子でなぜ海外に行くのかと問われれば、漂泊の魂とどめ難く、としか言えない。

明日の夕方の飛行機でカンボジアに行くのだが、それまでハノイでどう過ごすかも

決めていない。食べながら調べてみると明日の月曜は博物館などは休みである。

う~ん、とりあえず今日は疲れているので食事がすんだらホテルに戻って寝る。

明日のことは明日考えればいい。


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  ベトナムのローカルな食事であるらしい

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  主食はフォー
 

ザイル祭

山岳会の現役とOBが年に一度集まるザイル祭。

かつては裏丹沢の神の川ヒュッテで開いていたが、神の川ヒュッテが使えなくなり、

山梨の方で開いていたこともあるが、昨年から表丹沢のどんぐり山荘を使うようになった。

山登りを始めた頃、はじめての沢登りをしたのが表丹沢。

水無川の本谷や勘七の沢、源次郎沢など、初級から中級の日帰りで登れる沢があり、

このあたりの沢を登って技術を身につけ、

上越やアルプスのより大きな谷を登りに行った。

自分達にとって表丹沢はそういう場所である。

夕方、大倉のバス停のすぐそばのどんぐり山荘に集まり、宴会開始。

現役とOB25人くらい集まっただろうか。

SNSの時代、山登りをする若者はネットでつながるようになり、

山岳会には人が集まらなくなってきた。

かつて先鋭的に活動していた山岳会が会員の高齢化で活動が変容していたり、

山岳会というもの自体が過去のものになりつつあるのかもしれない。

そんなこんなの時代ではあるが、

若い頃ともに山を登った仲間とひさしぶりに会うのはやはり楽しい。

鹿児島から駆け付けた仲間も加え夕方から飲み始めて宴会は日付けが変わるまで。

飲んで話して楽しい時間を過ごした。

それにしてもみな歳をとった。

病気の話などが多くなるのは仕方ないのであろう。

疲れた者から三々五々眠り、翌朝、鳥のさえずりで目を覚ます。

宴会の片づけをして朝食を食べ、全員で記念写真を撮って、

そのあとはこりもせず朝から再び飲み始める者もあり、

思い出話に花を咲かせる者もあり、

寝不足解消に帰るまで寝る者もあり、

そんな感じでそれぞれ過ごし、

来年の再会を約束して帰路に着いた。

ちなみに新東名ができたので表丹沢から横浜に1時間で帰ってしまう。

若い頃とは違い便利になったものである。


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  どんぐり山荘

歌会

ひさしぶりに歌会に出席。

毎月第一日曜が歌会だったのだが、

アーチェリーの射場を自分達で運営するようになって第一日曜は射場整備の日になった。

木を伐ったり草刈りしたりコースの的や階段を修理したり、

春夏秋冬、月に一度、山仕事にいそしんでいる。

そんなわけで歌会に出にくくなったのだが、今回は天気予報が雨だったので、

雨なら射場整備が中止ということで横浜歌会へ。

ちなみに、調べてみたら最後に歌会に出たのが2年前の7月の湘南歌会だった。

実に2年ぶりの歌会である(^^;


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 歌会前の昼食は会場近くのライブ喫茶イマジン。たまにライブやるらしい。
 とりあえずは禊のビールを飲んで戦闘モードに切り替えて歌会に行く。


で、気になった歌というか、気になったこと。

例によって誌面発表前なのでここに出せないのだが、

カラスが雨のなか小枝を運んでいる、子が待つケータイ基地局の上に。

そんな歌意の歌。

前評者は好意的な批評をしていた。

で、次に指名された私は

「前の人は好意的だったけど、私には作ったような歌に思える」と発言した。

歌会はそのまま進行していったが、ちょっと後悔した。

作ったような歌に思える、というのは表現のリアリティーに問題があるという

ことである。そうであるなら一首の表現のどこにその問題があるのか、

それを指摘するのが批評であるはずで、

「作ったような歌に思える」だけでは感想に過ぎないのである。

今まで自分自身、歌会でそういう批評を何度か聞いて、

「それ感想だろ、表現のどこがそうなんだよ」と不満を覚えたものである。

2年ぶりに出席した歌会で自分がそれをやってしまった。

後悔してちょっとそのあと考えてみた。

まず、情景としては、雨のなかカラスが小枝を巣に運んでいるわけである。

その巣はケータイ基地局の上にあり、そこには雛がいる。

「子の待つ」がいけないのではなかろうか?

雨のなか子のために巣の補修であろうか小枝を運ぶ親ガラス。

絵に描いたように健気な親ガラスである。

そのいかにもの健気さに作った感が出てしまう気がする。

あるいは実景そのままなのかもしれないが、実景をそのまま詠っても、

ほんとにそういうことあったの? と思われることはあるわけで、

表現のリアリティーをどう確保するかは実景か否かとは別問題である。

さらに言えば、巣作りではなく既に雛が生まれているときに小枝を運ぶ?

巣の補修をしているのか? とか、

高いところにあるカラスの巣に雛がいるのをこの作者知っているのか? とか、

余計なことを考えてしまう。

雛が生まれてから巣の補修をすることはあるのかもしれず、

高いビルやマンションからカラスの巣を見下ろすこともできるのかもしれない。

しかし、そういうことを考えさせてしまうこと自体が、

一首のスムースな鑑賞を妨げている気がする。

歌会を終わってから作者に聞いてみた。

ケータイ基地局の上の巣にカラスが雨のなか小枝を運んでいたのは実景だそうである。

雛がいたのかどうかは分からないとのこと。

ま、実際に雛がいたかどうかは関係ない。表現の問題なのだから。

他にも気になった歌があって書こうと思っていたのだが、

長くなるのでやめとく。

いずれにしろ2年ぶりの歌会は刺激になって良かった。

印象としては、横浜歌会、おとなしくなっちゃったかな

もっと発言したかったのだが、今回の出席者は18人。

これくらいの人数になると歌会の進行としてはギリギリで、

実際、司会の人は時間に間に合わせるために当人の歌は批評なしで終わりにしていた。

そういうことが分かっているので指名されない限り、あまり発言しないようにしている。

なにしろ、歌会に来ると言いたい放題言って毒を撒き散らすとか言われているらしいので、

これでも遠慮しているのである(^^;;


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 歌会風景
 

下田

法人の3月決算に追われる5月の週末、下田に行ってきた。

リタイヤした税理士の友人が下田のリゾートマンションに住んでいて、

以前から他の友人と連れ立って一年に一度は遊びに行っていた。

温泉付きのマンションに泊めてもらい、そこから伊豆の山々を登ったり、

大島や神津島、さらには八丈から絶海の孤島といわれる青ヶ島と、

伊豆の島々を訪ねたりした。

新型コロナでしばらく行っていなかったが、去年ひさしぶりに下田を訪ね、

今年も下田へ。

横浜で友人を拾って東名で長泉沼津、そこから伊豆縦貫道。浄蓮の滝で休憩し、

石川さゆりの歌が頭の中に聞こえてくる天城越えの道を走って下田。


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 浄蓮の滝、冬は上から滝がよく見えるが葉が茂る季節になるとあまり見えなくなる。


友人宅のリゾートマンションに着き、とりあえず温泉でのんびりする。

鳥のさえずりを聞きながら毎日温泉に入れる生活が羨ましい。

夜は港の一角にあるレストランでライトアップした遊覧船を眺めながらの夕食。

いい暮らしのようだが、友人の話ではマンションの修繕積立金が値上がりし、

管理費などと合わせると月に67万かかるようになり出費が増えたとのこと。

一階に大きな共用の温泉があり庭にはテニスコートがある、

そういうリゾートマンションなので経年とともに修繕積立が増えるのは仕方ないと

しても、安い賃貸と変わらないくらいの月々の負担は住んでいる人には大変だろう。

新潟の湯沢あたりにも景気のいいときに売り出された温泉付きのリゾートマンションが

たくさんあるが、おそらくみな似たような状況なのだろう。


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 ライトアップされた遊覧船
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 レストランからはこんなふうに見える

翌日は幕末、アメリカ領事館になった玉泉寺に行ってみる。

総領事のハリスが滞在したところで、近くの海岸にはハリスの小径という散策路がある。

その散策路の向こうには、黒船に乗ってアメリカに密航しようとした吉田松陰が船から

送り返されて上陸した地の碑がある。

幕末、この小さな港は歴史の舞台だった。

友人はしばらく体調が思わしくなかったようで、海岸沿いの散策路を歩いていて

ちょっと疲れたようだった。

マンションに戻り、しばらく話をして温泉に入り、来年また来ると約束して別れたが、

友人は疲れがとれないようで寂しそうな顔をしていた。

彼は私より年上だが、いずれにしろ、みなそれぞれ歳を取った

毎年訪れていた下田、友人が元気になって来年また訪ねることが出来ればいい。

そんなことを考えながら天城越えの道を走って横浜に帰った。


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 玉泉寺


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 本堂


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 ハリス記念館がある


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 ハリスの小径


射場キャンプ

GW後半はここ数年恒例になったアーチェリーの射場でのキャンプ。

午前中に集まって、まずは射場の山の整備。

自分達で射場を運営するようになって、つくづく思うのは山の整備の大変さである。

冬は竹の伐採、春から夏は草刈り、倒れそうな木があれば伐り倒し、コースの階段が

壊れていれば修理する。かなりの重労働であり、歳取った会員が多い状況でこのまま

いくと怪我人がでるかもなと思ったりもする(^^;

ま、自分達の遊び場である。やれるとこまでやるしかない(^^

山の整備が終わったら買い出しをしてバーベキュー。

射場でとれたタケノコは天婦羅にし、傍らではダンボールで作った燻製器で

チーズや卵の燻製を作る。

高い金出して燻製器を買わなくてもダンボールと針金と網があれば燻製は作れるのである。

肉を食い天婦羅を食べチーズや卵の燻製で飲んですっかり出来上がる。

天気が良くて回りの新緑が気持ちいい。


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 タケノコの天婦羅 
 バーベキューの方は食べるのに忙しくて写真撮り損ねた。

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 キャンプ風景、手前にあるのがダンボールの燻製器
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 燻製器のなかはこんな感じ。ダンボールと針金と網だけで手作り。

日帰りのメンバーは三々五々引き上げて、キャンプするメンバーだけが残ったところで、

車で10分ほどのところにある日帰り温泉に出かける。

飲まないメンバーがひとりでもいると、こういう時便利である。

風呂から帰り、今度は夕食。

昼食べきれなかった肉を焼き、帰る時間を気にしなくていいので、ゆっくりと飲む。

気分良くなったところでそれぞれのテントへ。

翌朝、鳥の囀りとなにか獣の鳴き声? で目が覚めた。

消え残っている焚火に木を放り込み、コーヒーを淹れる。

見上げれば新緑の向こうに青空がある。

昨日、ダンボールの燻製器で作ったベーコンでベーコンエッグを作って朝食にする。

ゆっくりしていると、ひとりふたりと日帰りで帰ったメンバーがやってきて、

揃ったところでコースに入りアーチェリーを楽しむ。

新緑のコースが気分良かった。

そのあとタケノコを掘り、春を満喫して家に帰った。


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 朝の射場


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 ダンボールの燻製器で作ったベーコンで朝食のベーコンエッグ

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 50mの射ちおろし

至仏山

尾瀬の至仏山に行ってきた。

残雪期の上越は好きな山域で、至仏から残雪の奥利根の山稜を歩き、

利根川の源流の大水上山まで数日かけて縦走したこともある。

若い頃から歩いている思い入れのある山域である。

雨のなか関越道を走り沼田。戸倉に行く前に上発地の枝垂れ桜を見に行く。

ひと気のない山里の棚田のほとりに大きな枝垂れ桜があった。

根元には赤い布をまとったお地蔵さんが立っている。

霧雨ふるなかの大きな枝垂れ桜は花の盛りは過ぎていたが美しかった。


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 上発地の枝垂れ桜

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 お地蔵さんがいる

その日は戸倉の温泉に泊まる。

例年この時期1週間ほどだけ鳩待峠まで一般車が入れるので、

そのつもりで予定を立てていたのだが、

4月に入ってからHPで今年は通年で一般車通行止めと発表された。

仕方ないので戸倉の駐車場に車を停めて朝6時半の鳩待峠へのシャトルバスに

乗る。20分ほどで鳩待峠、平日なので登山者は数えるくらいしかいない。

尾根伝いに登るがガスっていてルートは分かりにくい。

木の枝の赤布を見失わないように登っていく。

オヤマ沢田代らしき広いところでつかのま青空が広がったが、

その後もガスで視界のきかないなかで、小至仏のトラバースは長く感じた。

トラバースを抜けてようやく至仏の頂上。

スキーを担いできている人が結構いるが、相変わらずガスで景色は見えない。


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 頂上直下

しばらく休憩したあと、山の鼻にくだる。

至仏の登山道は高山植物保護のため、山の鼻からの登りだけの一方通行に

なっているが、残雪の時期だけ山の鼻にくだることが出来る。

くだっている途中、ガスが流れ残雪の尾瀬ヶ原と燧が見えた。

雪の尾瀬を歩くのは何年ぶりだろうか、雪原を歩くのは気持ちがいい。

山の鼻から鳩待峠に登り返し14時半のバスを逃したが、

乗り合いタクシーがいて、しばらくの待ち時間で戸倉にくだれた。


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 至仏のくだりから残雪の尾瀬ヶ原と燧岳

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  雪原を歩く

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 鳩待峠への道、水辺に水芭蕉が咲いていた

今日は戸倉から越後湯沢へ。温泉に泊まり汗を流し、

湯沢で気に入っている居酒屋で美味しい日本酒を飲む。

翌日、日本酒と山菜を仕入れ、

関越トンネルをあえて通らず桜の咲く三国峠を走って後閑に出、

学生時代から知っているドイツ料理の店で昼飯を食べ横浜に帰った。


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 湯沢の滝沢で夕飯 お造り

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 この季節は山菜 こしあぶらの素揚げ
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 翌日、関越トンネルをあえて通らず三国峠の峠越えを走る。桜が咲いている
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 後閑のドイツ料理店「夢」。店猫のチャパが膝の上に居ついてしまった。
「夢」は美味しいのだが、料理に時間がかかるので、前もって予約して注文
しておくか、早くできるものを聞いて注文した方がいい。
 


雑種地の評価

相続の仕事で別荘地の現地確認に行ってきた。

土地の相続税評価のなかで雑種地の評価は割と面倒である。

雑種地というのは未利用地や駐車場のような土地で、

別荘地で既に建物が建っている土地は地目が宅地になり、

倍率方式の地域ならその土地の固定資産税評価額に倍率を乗じて評価は簡単にできる。

しかし、同じ別荘地でも建物の建っていない土地は地目は雑種地になる。

で、宅地と違って雑種地は倍率が定められていないのが殆どなので、

近傍宅地の固定資産税評価額を調べ、それに倍率を乗じ、その金額をもとに

奥行価格補正など通常の宅地としての評価をして地積を乗じる。

さらに宅地とするために整地費や伐採・伐根費、土盛り土止めの費用がかかるようなら、

それを計算する。土地が傾斜していれば傾斜地としての宅地造成費が別途定められている

わけで、その辺は現地を確認しなければ分からないのである。

たまに税理士でも「倍率地域の土地なら現地見なくても簡単に評価できる」と言う人が

いるのだが、それは雑種地の評価を知らない向きの言うことである。

ま、そんなわけで現地確認。

朝、事務所で少し仕事をしてから出発して現地に着いたのは2時過ぎ。

別荘地の管理事務所で場所を確認、ついでに現在の売買価格の相場を聞く。

もらった地図を見ながら現地へ。

春になったばかりの高原の別荘地は人影がなく、

閉まった別荘の間に目的の土地はあった。

土地の道路側は笹に覆われていて奥の方には木が生えている。

とりあえず歩いてみる。

向かって左隣りの別荘との境界にだけ境界石があった。

たぶん、その別荘の持ち主が自己負担で境界石を設置したのだろう。

他の別荘との境界には境界石がない。

隣地との境界には木が並んで立っているだけである。

造成されたのは50年以上前。

たぶん当時は境界の印に木の苗を並べて植えて売ったのだろう。

奥の別荘との境界にはその木もなく、枯れてしまったのか、あるいは抜かれたのか?

造成されてから50年以上放置した状態で、だいぶ木が生えてきてしまっている。

奥の方にはかなり太い木が数本あるし

土地の真ん中あたりにも人の背丈より高くなったクヌギがある。

あらためて道路から見ると、電信柱の右側にあった木も境界の木ではなく、

自然に生えて大きくなった木である。


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 目的の土地

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 奥の方は結構木が生えている
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 手前、赤い印がついているのが隣地との境界石。
 50年以上前、境界の印に植えられた木の中心線にある。

歩いてみて土地の凹凸はないので整地費は控除できない。

傾斜もしていないので傾斜地としての宅地造成費もなし。

しかし、土地の半分くらいは伐採・伐根が必要な土地でその分は控除することになる。

土地の凹凸・傾斜・伐採の有無・さらには土地の湿潤等、

こういうことは現地で確認しないと分からないのである。

必要な写真を撮り、何か所かメジャーで測って現地確認終了。

このあとしばらく走って今日は小諸で泊まる。

風情のある温泉で鳥の囀りがよく聞こえる宿だった。

翌日は軽井沢町役場に立ち寄って仕事の用を済ませ、

そのまま碓氷峠を走って群馬へ。

走り屋の聖地といわれる碓氷峠は途中に鉄道遺構もあって走って楽しい道である。

峠を越えると桜が綺麗だった。


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 仕事を終えて今日の泊まりの宿で風呂上りのビール

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 碓氷峠を越え、鉄道遺構のめがね橋

横浜の水芭蕉

以前にもこのブログに書いたことがある横浜の水芭蕉、今年も咲いた。

昔、横浜の谷戸に咲いていた水芭蕉の生き残りなのか、

あるいは植えられたあと放置され自生している水芭蕉なのかは分からない。

しかし、横浜の水芭蕉の最後の生き残り、と思った方が楽しいので、

勝手にそう思っている。

家から歩いて30分ほどの自然公園にある湿地、

最初に水芭蕉があることに気付いたのは子供が小さかったときだから、

もうかなり前である。その当時は放置されたような湿地だったが、

今では湿地の周りの柵が整備されている。

最初に見つけたときは一株だけだったので、なくなってしまうのではないかと心配したが、

今では株も少し増えている。

始めて水芭蕉を見たのは高校1年、山岳部で尾瀬に行ったときだった。

今までに見たこともない湿原に広がる水芭蕉の風景は15の少年の目には鮮やかだった。

あれ以来、山にはまった。

ちなみにこの横浜の水芭蕉の写真、以前、アーチェリーの常連仲間に見せたら、

「これは小松菜でしょ~」と言った。

確かに花が終わって葉っぱが大きくなった写真だったので、分かりにくかったのだが、

それでも下に萎れた白い花がかろうじてあったんだけどな

今回、はっきり花が写っている写真をその人に送ってやった。

これで横浜に水芭蕉が咲いているということを信じてもらえるだろう(^^


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 水芭蕉
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 株が増えた
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 桜も咲いている

事前確定届出給与

法人の必要経費で落ちない役員賞与。

その役員賞与を事前確定届出給与を使うと必要経費に出来る。

一定の要件のもとに必要な手続きをすれば、

届け出た支払期日・支払金額の役員賞与を必要経費に出来るわけだが、

私は顧問先にはあまり勧めていない。

これに限ったことではないが、妙に宣伝する連中がいるのである。

ネットを見ると、事前確定届出給与を使えば利益調整が出来るとか、

そういうことを書いている税理士がいる。

どういうつもりだ?

役員への報酬は経営の委任の対価だから必要経費になるのではないのか?

利益調整って、経費じゃないだろ!?

税理士ならそんなこと知っているはずだ。

そういうことをどういうつもりで自分のHPに書く?

うちの事務所なら利益調整できますって宣伝か?

通常、役員賞与は必要経費にならない。

しかし、従業員と同じように役員に賞与を支給できればインセンティブになるだろうし、

それを必要経費に出来て社会保険料の節減にも使える。

そのために事前確定届出給与という制度はあるわけであり利用価値もあるわけである。

上手く使えば会社にとっても有効な制度なのだが、

それを利益調整に使えるとか宣伝する連中がいて、国税もそういうことに目をつける。

だから、顧問先には使うなら注意して使うよう説明している。

制度を使うことに遠慮はしなくていいのである。有効に使えばいい。

同時に、そういう宣伝をする連中がいる以上、

痛くもない腹を探られないですむよう気を付けていた方がいいということである。


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  野毛の沖縄民謡酒場 わらゆん
 横浜で美味しい海ぶどうが食べられるところはそう多くないがここはそのひとつ。
 曜日によって三線の演奏で沖縄の歌が聞ける。

 

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