金継ぎ依頼 北陸2

金継ぎを頼んでそのあとは金沢へ。
金沢城の桜は場所によって違ったが五分咲きくらい?
二回ほど来たことがあるのでさくっと桜を眺めて七尾に向かう。
家族から、金沢に行くなら普段使いの器を買ってきてくれと頼まれていて、
同じ買うなら地震で影響受けたところで買った方が少しでも応援になるかと、
七尾に向かったのである。

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 金沢城の桜

金沢あたりは地震の影響はなさそうだが七尾あたりからは地震の影響があるみたいで、
立ち寄った漆器店も仮店舗での営業だった。
輪島塗と山中塗、九谷焼などが置いてあったが、
気に入ったのは山中塗。
どうも優雅な輪島塗より木の地を生かした山中塗の方が自分の好みには合っている。
ということで、山中塗の汁椀と九谷のマグカップを購入。
ちなみに息子は輪島塗のぐい呑みを買っていた。

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 普段使いに買った山中塗の汁椀 木の木目が生かされていて気に入った。

そのあとは富山の氷見へ。
氷見の温泉に泊まり、夕飯は氷見の美味しい寿司を食おうというわけで、
ネットで調べた「すしやの城光」にホテルから歩いて行く。
海岸沿いの道を歩いていくのだが、ブルーシートのかかった家が結構目に付く。
「危険」と書かれた張り紙のされた家もあり、壊れた家を取り壊したらしい更地もある。
地震の影響がかなりあるようだ。

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 ホテルの窓からの氷見の街並み。
 ここから見える範囲では地震の影響は見えないが、
 北の海岸沿いの道を歩いていくとブルーシートで覆われた家が目に付くようになる。

寒い中20分ほど歩いて城光に着く。
カウンターに座り、刺身をつまみに酒を飲み暖まってから寿司を頼む。
醤油を使わずに食べる寿司でなかなか美味しい。握りも小さすぎず大きすぎず程よい。
寿司を食べながら大将から氷見の町のことも聞く。
やはり地震の影響でこのあとも取り壊す家が増えるそうで、人も減るだろうということ。
復興はまだ遠いようである。三陸の地震との違い、なんなんだろう。

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 すしやの城光
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 飲みながら食べているので、なんの寿司だったか忘れた。
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 これもなんの寿司だったか忘れた。美味しかったことだけは覚えてる(^^;

美味しい寿司を食べ、タクシーを呼んでもらってホテルに戻り、
温泉で暖まってゆっくりと寝る。
翌日は日本海沿いに親知らずを通り新潟に入り、上杉謙信の居城・春日山城を訪ね、
まだ雪深い妙高の横を抜け、3日間の北陸の旅を終えて関東に戻った。

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    上杉謙信の居城 春日山城 名前のとおり山城。
 しかし、城域は麓の方にかなり広く広がっていて下の方に柵や堀がある。
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 春日山城から見た越後の山と平野

金継ぎ依頼 北陸

やってしまった…。
息子が就職して初めてもらった給料で買ってくれたバカラのロックグラス。
酔って割ってしまった…。
なんというアホな親爺だ…。

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     やってしまった...。

破片は揃っているので金継ぎで直せないかとネットで調べてみた。
陶器の金継ぎはたくさん出てくるのだが、ガラスの金継ぎは少ない。
それと趣味の延長で金継ぎ教室みたいなのをやっているようなところもありそうだ。
そのなかで目にとまったのが加賀の山中温泉の金継ぎ工房・八木。
とりあえず割れたグラスの写真をラインで送って問い合わせしてみると、
修理できるとの返事があった。
金継ぎ、プラチナ継ぎ、銀継ぎの見積もりも出してもらい頼むことにした。
郵送してくださいとのことだったのだが、
割れてピラー状になった部分が送るときに雑に扱われると粉々になりそうな気がする。
破片があれば金継ぎできるんだろうが粉々になってしまっては難しいんじゃなかろうか?
で、持っていくことにした。
場所が山中温泉なのだから温泉に泊まりがてら行けばいい。
息子にそう言ったら、「その金で新しいのを買った方が安いんじゃないの?」
とえらく健全なことを言う。
息子よ、人生は健全なばかりでは面白くないのだ(^^;
ということで3月の仕事が終わったところで出かけた。
横浜から加賀の山中温泉まで530k。
東名から名神、北陸道と走って福井、ここで一乗谷に立ち寄る。
戦国の時代、越前を支配した朝倉氏の拠点として栄えた一乗谷。
京都から戦乱を逃れた貴族や僧侶もやってきて北陸の小京都と呼ばれたが、
織田信長に滅ぼされ一乗谷は灰燼に帰した。
その後、田畑となり遺跡は土に埋もれていたが、
現在は発掘されて国の特別史跡に指定されている。
一乗谷川の両側に広がる遺跡はまだ春浅く小雨がやんだあとでちょっと寒々しい感じ。
街並みが復元されているエリアを歩いたあと川を渡り高いところから遺跡を見下ろして
みる。結構ひろい範囲に街並みが広がっていたのだろうが今は田園風景である。

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  一乗谷遺跡の街並みが復元されているエリア
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  川を渡って復元エリアを眺める
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  この辺に朝倉氏の館があった
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  堀と向こうに見えるのが唐門

一乗谷から山中温泉へ、源泉かけ流しの湯でのんびりして一泊。
翌朝、金継ぎ工房を訪ねる。
ホテルから車でほんの数分、電話番号をカーナビに入れて行ってみるが普通の住宅が
あるだけで分からない。よく見るとそのうちの一件の玄関に「ぬしや」という看板があり、建物の一角が作業場になっているようだった。玄関のチャイムを鳴らして場所を確認し、
割れたロックグラスを預ける。修理の依頼が多いらしく3か月くらいかかるということ。
修理が終わったら連絡をもらって代金の振り込み後に郵送してもらう。
3か月後を楽しみにしてそのあとは金沢に向かった。

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 「ぬしや」あるいは金継ぎ工房「八木」
 お父さんが山中塗の塗り、息子さんが金継ぎをやっているらしい。
 大きな看板が出ているわけではないので初めて行くとわかりにくい。

建物の取得費

確定申告が終わった。今年の確定申告はかなり忙しかった。
毎年いろいろあるのだが、今年もちょっと面白い話があった。
しばらく前、相続があったところ。
相続で相続人の共有になっていた土地を売ったので、
その譲渡所得を申告しなければならない。
売った物件については、うちの顧問先ではない相続人が管理していたので、
あちらの顧問をしている税理士法人が譲渡所得の内訳書を作成し、それを送ってきた。
計算はしましたからあとは共有持ち分で申告してください、ということである。
それ自体は構わないのだが、その譲渡所得の内訳書を見て首をひねった。
譲渡所得は譲渡の収入金額から取得費と譲渡費用を引いて計算するのだが、
送られてきた内訳書を見ると、どうも取得費の計算がおかしい。
賃貸していた物件の減価償却、その未償却残高を取得費として計算しているのだが、
どうみても建物の修繕費だろうというのが含まれている。
例えば、建物の外壁塗装修理、退室のときにかかったのであろうリフォーム代、
その他もろもろ、内容からして修繕費と思われるものが減価償却に計上されている。
建物の外壁塗装修理とかは建物が大きくなるとかなりの金額がかかるわけだが、
建物の修繕維持管理のものである限り、金額が大きくてもそれは修繕費であって、
減価償却の対象になる資本的支出ではない。
それを資本的支出として減価償却しているわけである。
内容で判断せず金額が大きくなるとすべて減価償却ということにする。
農協が結構こういう申告をするのだが、税理士がそれと同じことをやっている。
で、建物の修繕・維持・管理のために必要なものは毎年の必要経費になるのであって、
譲渡所得の取得費にはならないのである。
減価償却の対象にしていてまだ必要経費にしていないから取得費だという話は通用しない。
つまり譲渡所得の計算が間違っているということである。
くだんの税理士法人、ホームページを見てみると、20人くらい職員のいる事務所である。
たぶん、営業力はあるんだろう。
金融機関や不動産会社とつながって立派な事務所構えていれば、
知らない人は立派な仕事してくれる税理士事務所と思うのだろう。
しかし、取得費間違えてるよね…。
うちは職員ひとりしかいない事務所だけど、たぶんもう少しいい仕事してるな(^^;


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    確定申告の打ち上げ、今年の山崎は出来がいいらしい。

赤城山

赤城山、群馬のほぼ真ん中にある古い火山である。
カルデラ湖の大沼を囲む外輪山の一番高いところが黒檜山で、
そこが赤城山の頂上ということになっている。
なっている、というのは外輪山のような山でどこが頂上かとかあまり意味がない
ような気がするわけで、外輪山全体が赤城山という山なんだろうなと思うわけである。
確定申告の中休みということで軽い冬山登山に出かけてきた。
が、東名で渋滞に巻き込まれた。
予定では黒檜山から駒ヶ岳へ縦走して降りてくるつもりだったのだが、
登山口に着いたのが11時15分。
時間が遅いので黒檜山だけのピストンに変更。支度をしてすぐに出発。
今年は雪が多そうだが、先行のパーティーがいて結構トレースがついているよう
なのでワカンは使わずアイゼンだけ持ってゆく。
登山口から急登が続く。ぜいぜい言いながら登り続けると氷結した大沼が見える。
てんてんとワカサギ釣りをしている人がいる。
さらに登ると駒ヶ岳へ続く稜線が近づいてくる。
渋滞に巻き込まれていなければあの稜線行けたのになと思う。
幸い天気が良く小さな雪庇のできた雪の尾根を登り続けるとやがて駒ヶ岳への
稜線に出た。ここを左に少し行けば黒檜山の頂上。
登山口から1時間40分で頂上に着いた。
頂上からは谷川岳や上州武尊、尾瀬、日光の山々が見える。


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    氷結した大沼を見下ろす。真ん中あたりてんてんと見えるのがワカサギ釣りの人
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 こんな雪の尾根を登ってゆく
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 駒ヶ岳へ続く稜線
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 黒檜山山頂
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 拡大すると向こうに上州武尊山が見える

景色を眺めながら昼食を摂り、登ってきたルートをそのまま下山。
アイゼンに雪玉がついて歩きにくく下山に時間がかかり、ちょっと疲れた。
下山後は赤城南面の滝沢温泉へ。
日本秘湯の会の温泉であるらしく、山のなかの小さな一軒宿の温泉だった。
緑色がかった濁り湯のいい温泉だった。
さて、休養が終わったら確定申告後半戦である。

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 滝沢温泉 滝沢館

もっと戦えってば(^^;

先日の税理士仲間の勉強会でのこと。
最近の税務調査って変わりましたね~、というので、なんの話かと思ったら、
質問応答記録書のことだった。
税務調査で必ず作成されるというものではなく、
審査請求や訴訟になる可能性がある税務調査や重加算税をかける場合に作成される。
その税理士さんの話では、修正による増差税額もたいして出ない調査で、
調査官は「重加算税たいして金額出ませんけど一応作らせて頂きます」と言って作成し、
社長に署名させたらしい。
内容は、社長の実家への交通費を認定賞与にされたという事案。
その実家は、以前は会社の相談役としていろいろ相談にのってもらい、支援もして
もらっていたということで、そういう相談や支援の要請のために実家に行く交通費を
費用計上していたらしい。
で、そういう相談や支援が少なくなってからも、
実家へ行く交通費を引き続き費用計上していたらしい。
その税理士さんの言うには
「まったく仕事に関係ないということないんですよ、今でも少し相談にのって
もらっていて」
とのことだが、どうなんだろ、ちょっと弱いんじゃないかな(^^;
交通費の経費否認、認定賞与自体は妥当なところのような気がする。
しかし、気になったのはその程度の内容で重加算税を課すということ。
重加算税が課されるのは「仮装または隠蔽があった場合」である。
この例の場合、仮装または隠蔽はあったのか?
会社は実家への交通費について交通費精算の明細書を作っていたわけである。
その交通費精算の明細書には行く先は実家が記載され金額等も事実を記載している。
つまり、隠蔽の事実はない。
税務署の指摘は「そういう交通費の清算明細書を作った時点で仮装だ」ということ
らしいが、会社は実家への交通費を費用として認識し、それをありのまま記載して
経理処理していたのであって、費用として認識したことに問題はあるかもしれないが、
仮装の事実はないのではないか?
少なくとも日本語の「仮装」にあたるものを見出すことは出来ない。
「質問応答記録書は署名を拒否してもいいんですよ、納得できないものに署名する
義務はありません」
「署名を拒否できるんですか?  そういう説明もまったくありませんでした。
たいした税額は出ないからと言われて…」
「重加算税の課税要件を満たしていないんじゃないですか?  そんなの放っといて、
向こうが重加算税かけてきたら争えばいいのでは?」
「でもたいした金額じゃないし…」
いや、だから、それが良くないんですよ(^^;;
戦わない税理士が多すぎるんだよ。
国税になにか言われると易々と従うような…。
納税者の権利を軽視するようなことを平気でやる調査官が散見されるのは、
ひとつにはそういう戦わない税理士の存在が背景にあるわけである。
この事案でも調査官の成績稼ぎで重加算税をかけようとしているのは見えすいている。
それを、たいした金額じゃないし、で済ませてどうする。
必要があれば税理士も国税も戦うのである。
納税者の権利が侵害されていれば税理士は戦わなければならず、
不届きな納税者がいれば国税は戦わなければならない。
互いに戦うことで租税正義は実現するのであって、
そういうところで安易な妥協はしなくていいのである。
もっと戦いましょうよ(^^;;;


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   立春の朝に搾ったという日本酒
 毎年この時期、アーチェリーの常連仲間から買っている。
 美味しかった。

上高地

1月はかなり忙しくてブログが書けなかった。
その忙しい仕事をなんとか終わらせて上高地に行ってきた。
冬は上高地は釜トンネルで通行止めなり、一般の観光客は入れない。
この時期の上高地に入るには釜トンネルから雪に埋まった車道を歩かなければならない。
冬山装備でのスノートレッキングである。

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     中央道を松本へ 途中、八ヶ岳が見えるが嘘のように雪が少ない。
 日本海側は大雪だが太平洋側は雪が少ないのだろう

安房峠への道の途中にある中の湯温泉に泊まり、
翌朝、そこの送迎サービスで釜トンネルの入口まで送ってもらい出発。
1.3キロの登り勾配のトンネルを抜けると上高地に続く雪の世界が始まる。
その先にあるもうひとつのトンネルを抜け、歩き続けると大正池が現れ、
大正池ホテルに着く。ここまで約1時間。
上高地のホテルはみな11月15日で営業を終えて冬季休業になるので、
当然ここも閉まっている。

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 釜トンネルの入り口
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 トンネルを抜けると雪の世界が始まる
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 大正池
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 大正池ホテル

ここから先は普通なら田代湿原に入り、雪に覆われた湿原と森のなかのルートを
河童橋目指してゆくのだが、中の湯で聞いた話では、昨年の大雨でそのルートが流され
通行禁止になっているので車道をそのまま河童橋へ行ってほしいとのこと。
素直に従い、そのまま車道を進む。
こちらのルートはつまらないかなと思ったのだが、無雪期に沢渡からのシャトルバスの
車窓から見る風景とは全然違う雪の世界が広がり、こちらのルートも悪くないなと思った。
車道は雪に埋もれているので雪の森のなかを歩いてゆくという感じである。
そのうち左側の木の間に赤い建物が見えてくる。帝国ホテル。ここも冬季休業中。
その先をしばらく行くと上高地バスターミナルに着く。ターミナルのところは
雪原になっている。

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 こんな感じでひたすら雪のなかを歩く
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 冬季休業中の帝国ホテル
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  上高地バスターミナル

その先に河童橋がある。
釜トンネルから2時間20分だった。
人気のない冬の上高地は雪に埋もれた異世界のように見える。
観光客のいる時期の明るい上高地を知っているので余計そういう気がするのだろう。
残念ながら天気は曇りで河童橋から穂高連峰を見ることは出来ない。
岳沢の下の方が見えるだけである。
橋の上から南を見るとそれでも焼岳が見えた。
去年、あの頂上直下でホワイトアウトになり引き返した。
岳沢の方に少し行って持ってきたテルモスのお茶とパンで昼食。
先の方にトレースはなく、岳沢湿原の方に人は入っていないのだろう。

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 河童橋
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 南を向くと焼岳が見える
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  明神・横尾へはこの谷をゆく

食事を終え、ここから引き返す。
今回は河童橋から明神まで行ってみようと思っていたのだが、
ガスっていて景色は見えないし、さらに雪も降ってきた。
来た道を戻り、途中、大正池の湖畔に下りてみて、そのあとは雪の車道を釜トンネルへ。
ここに来る度に思うのだが、雪景色のなかにトンネルの口がぼかりと現れると、
異世界から娑婆に戻る口のように見える。
黄泉比良坂の入り口もこんな感じだろうか(^^;
中の湯に戻り、翌日ロビーから穂高の吊尾根を眺めて横浜に帰った。
ここ数年毎年この時期に来ているのだが、なぜかいつも帰る日が一番天気がいい(^^;;

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 大正池 モノクロの世界
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 娑婆への入り口がぽかりと口を開けている
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 翌朝、中の湯温泉のロビーから穂高連峰 吊尾根が見える
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 中の湯温泉

新年おめでとうございます

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今年の初詣は大山の阿夫利神社。
新東名のインターが出来て近くなった大山、家から1時間かからないで行ける。
心配していた駐車場もタイミングよく入れて両側に店が並ぶ参道を登り、
ケーブルカーで下社へ。
このケーブルカーも昔と比べると随分綺麗になった。
7~8分で下社。天気が良くて相模湾が見渡せる。
やはり正月に天気がいいのは気持ちがいい。
お参りしたあとは茶屋で甘酒を飲んだりしてのんびりしてから参道に下る。
大山豆腐が有名で豆腐料理の美味しい店もあるのだが、まだ時間が早いので
テキトーに土産を買って帰る。昼近くになると案の定、下の駐車場は一杯。
大山の初詣に車で来るなら時間を考えなきゃダメである。

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 大山阿夫利神社 下社
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 阿夫利神社の鳥居から相模湾

さて、9連休といわれた今年の年末年始、
5日の日曜は今年初めてのアーチェリーの射場の整備とそれが終わってからの新年会。
去年のうちに伐り倒しておいた竹を山の斜面から下に降ろし、
射場の整備に使う竹と燃やす竹に分けて片づける。
結構、重労働である。
山の斜面を利用して伐り倒した竹を下に滑らせて落としたりするのだが、
気を付けていないと怪我をする。
いい歳してよくやるよなと思う(^^;
そのうち怪我人でるんだろうな…(^^;;

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 山から降ろした竹を区分けして片付ける

午前中で山の整備は終わらせて昼からは新年会。
火を起こして豚汁を作り、寿司を取り持ち寄った酒を飲む。
気の合った仲間とわいわい話をしながら飲んで食べるのは楽しい。
今年もいろいろ楽しみながら頑張ろうと思う(^^

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  豚汁を作る
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 岐阜と山口の日本酒とワイン
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 寿司、美味しかったです(^^

餅つき

アーチェリーの射場恒例の年末の餅つき。
幸い天気も良く、重たい臼や蒸し器を運んで準備。
蒸し器でもち米を蒸してそれを臼で搗く。
一方では囲炉裏に火を起こし、雑煮の支度。
射場が営業を終え、それ以降はクラブを立ち上げて有志で運営してきたが、
今年一年も楽しく続けることが出来た。
いい仲間に恵まれたことが大きいだろう。
搗いた餅を、あんこ、きなこ、おろし、雑煮で食べる。

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    臼の準備
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 蒸し器でもち米を蒸す
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 餅つき、交代で搗くのだが結構疲れる

搗きたての餅というのは柔らかくて本当に美味しい。
スーパーで売ってる切り餅なんて食べる気がしなくなる。
臼で三回、餅を搗き、皆で食べたあと最後の三回目の臼は
射場のオーナー家族の正月用の伸し餅にする。
食べ終わったあとは腹ごなしにコースを回る。
コースの銀杏もすっかり葉が落ちている。
来年もこの射場でアーチェリーをして、タケノコを掘って、自然薯作って、
囲炉裏で焼き芋作って、キャンプもして楽しもう。
仕事は仕事で頑張って、遊びは遊びで楽しむ。
いい遊びが出来ないヤツにいい仕事は出来ない、これ信念(^^;
さ、来年も頑張ろう(^^

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  45mの射ちおろし

今年のブログへの書き込みは今日で終わりです。
また来年、お目にかかります。
それでは良い年をお迎えください。

さくっと台湾 2

台湾三日目は台湾新幹線で台南へ。
ネットで前もってチケットを購入して当日、駅の窓口で受け取る。
台湾に何度も行っている知人に聞いて、ちょっと面倒なのかと思っていたが、
どうということもなくスムーズだった。
台北から台南まで1時間半。
車窓の眺めは割と変化に乏しいという感じがしたが、
地形が複雑な日本が変化に富んでいるということなのだろう。

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  台南駅

台南に行くのはゼーランディア城を訪ねるためである。
オランダの東インド会社が17世紀、台湾に作った貿易の拠点。
最初、オランダはマカオを占領しようとしたがポルトガルの抵抗にあい断念した。
台湾海峡の澎湖諸島に拠点をつくるがこれも清に撤去を求められ、
結局、台湾に拠点を作った。それがゼーランディア城である。
1627年、朱印船の船長・浜田弥兵衛がオランダが課した10%の関税に反発し、
総督ノイツを捕らえて人質にし長崎まで連れてきて関税を撤廃させ、
台湾を自由貿易地にした。その現場。
日本が引きこもりしていなかった時代の話である。
台南に着き駅からタクシーでホテルへ。
チェックインすると日本語の話せるスタッフがいたので、
安平古堡(ゼーランディア城)に行くにはどう行くのが一番いいか聞いたら、
バスでも行けるが時間がかかるのでタクシーが一番いいと言う。
200元くらいというので、とりあえずタクシーを呼んでもらい、部屋に荷物を置いて
すぐに出発。ホテルからまっすぐな道を走って4時に安平古堡に到着、170元だった。
ちなみに史跡公園の入場は5時までだった。
史跡はそれほど広くはなく、オランダの時代の古い城壁と砲台が残っていて、
あとは小さな展示館があるくらいのものである。
ゼーランディア城の時代は周囲は海だったのだが、今は埋め立てられて海は
少し遠くなっている。展示館の資料を見ながら、オランダ人はよく地球の裏側まで
やってきて商売をしようとしたもんだなと感心した。
海の向こうに目を向けた西洋と、鎖国あるいは海禁政策をとった東洋。
この違いはどこからきたのかなと思った。
城内には鄭成功の銅像が立っている。
1662年、清によって大陸を追われた明の遺臣・鄭成功はゼーランディア城を攻め落とし、
ここを安平城と改名し鄭氏政権の王城にする。
鄭成功はここで大陸への反攻を企図し、当時の徳川幕府にも派兵を要請したりしたが、
結局1683年、清により安平城は攻め落とされ、鄭氏による清への抵抗は終わる。
近松門左衛門の「国姓爺合戦」はこのあたりの話を題材にしている。
ちなみに鄭成功の母親は日本人であり弟は日本人として日本で暮らした。
台湾の南の端に日本ともかかわりのある古い城跡があることを、
あまり日本人は知らないかもしれない。
ホテルには結局歩いて戻った。
タクシーで帰るつもりだったのだが、真っすぐな一本道だったので歩いても
帰れそうな気がしてそのまますたすたと歩き、
途中、祭りの行列と出会ったりしながら1時間でホテルに着いた。
翌日、のんびりチェックアウトして再び新幹線で台北に戻り、
一晩過ごしてから帰国した。
10年以上前に訪れて2度目の台湾だったが、
相変わらず行きやすくて楽しい近場の海外である。

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  ゼーランディア城 安平古堡
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 レンガ造りの城壁
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 ガジュマルの木が多い
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  砲台
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 鄭成功の銅像
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 帰り道で出会ったお祭り
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 台南の夜 神農街
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 夕食の火鍋 辛かった
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 台北に戻り、その日の夕食は寧夏夜市
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 日本に帰国 写真を拡大すると富士山が見える

さくっと台湾

さくっと台湾に行ってきた。
本当は去年行ったヒマラヤトレッキングに再び行きたかったのだが、
日程の都合で今年は行けなかった。
で、代わりにどこか行こうというわけで台湾。
台湾は10年以上前に行ったことがある。今回が2回目。
夕方、台北の松山空港に着きタクシーでホテルへ。
翌日、午前中は故宮博物院、午後は九份に行った。
故宮博物院はMRTで士林に行き、そこから路線バスで行く。
10年以上前来たときはバス料金は後払いだったが、今は前払いに変っていた。
故宮博物院の展示物は割と小さいものが多い。
国民党が内戦に負けて台湾に逃げてくるときに北京の故宮博物院にあるものを持って
きたわけだが、慌てて逃げるときなので小さなものしか運べなかったわけである。
そのなかでも有名なのが翡翠で作った白菜。
もともとの翡翠の色をうまく使って白菜を見事に掘りだしているわけだが、
貴重な翡翠を使うのである。フツーならもっと高貴なイメージのものを作りそうだが、
庶民の食べ物である白菜を作ったのが凄い。
あるいはこれを作った職人は翡翠の原石のなかに白菜を見たのだろうか。

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    故宮博物院
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  中央が翡翠白菜

再び路線バスで士林に戻りMRTで台北駅。
午後からはツアーで九份に行く。
ツアーを使わなくても行くのは簡単である。バスやタクシーを使えばいい。
ただ、九份は帰りが大変なのだ。
台湾でも有名な観光地である九份。
観光客が多くて帰りのバスはかなり待たされるだろうし、
タクシーもつかまえられるかどうか分からない。
だから九份は日帰りのバスツアーを使う。帰りの足の確保が目的なので安いツアーで充分。
我々が使ったのは午後からの半日ツアーで1人5000円しない。
台北駅から出発して1時間弱で九份。
残念ながら雨。
ガイドの話では九份は1年365日のうち300日雨が降るそうで、
雨の多いところなので仕方ない。
下の駐車場から九份の有名な階段の道を登る。結構急である。
九份が金の鉱山だったころ、台湾で初めて作られた映画館とか、
「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋のモデルになったという阿妹茶楼もこの階段沿いにある。
ちなみに、実際には湯屋のモデルになっていないらしい。
宮崎駿は九份に行ったことがない、阿妹茶楼って知らないと言ったそうである。

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  九份の階段の道
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  金の鉱山だった時代の映画館
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  階段の道が続く
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  阿妹茶楼

階段の途中には何本か横道が入っていてその道沿いに店が並んでいる。
食べ物と雑貨の店が多いので、食べ歩きが好きな向きには九份は楽しいところだろう。
あまり食べ歩きには興味ないので途中の店で中華をつまみにビールを飲み、
あとはお茶を買ったり阿妹茶楼でお茶を飲んで過ごしてバスに戻る。
現地3時間くらいの短いツアーだったが、それくらいで充分である。
帰りは士林夜市で降ろしてもらい、夜市で夕食を食べてホテルに戻った。
長くなるので続きはまたあとで。

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  帰りの駐車場から夜の九份
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  台湾最大の夜市 士林夜市

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