たいして下調べもしないでやってきたベトナム。
ホテルでスマホで調べてタンロン遺跡に行ってみる。
タンロン皇城ともいわれベトナムの歴代の王朝が居城としたらしい。
ホテルを出て見当をつけて歩いてゆく。
途中に軍事基地があってそれを回りこまないと行けないのが面倒である。
途中、路面電車が走っていたところがあり、店の鼻先を電車が走ってゆく観光地に
なっているらしい。
路面電車のレール
大使館などがある通りを歩いていくと先の方にホーチミン廟が見えた。
間違えたなと思い、大使館の警備をしている警官に聞いてみると、
身振り手振りとベトナム語で、
「ここを行くと交差点がある。そこを左にゆけばタンロンだ」と教えてくれた。
ベトナム語はさっぱり分からないが、たぶんそういうことを言ったんだろうと思い、
その通りに行ってみるとタンロンに着いた。
広い敷地のなかを歩いていくと瑞門がある。
瑞門の脇から入ってゆくと、幾つかの建物がありいろいろな展示がある。
その中のひとつに入ってみると会議室のような部屋があり、名札が並んでいる。
その名札の中に、ヴォー・グエン・ザップを見つけた。
あっ! と思った。
そうだ、ここはベトナム戦争のとき、北ベトナム軍の司令部があったのだ。
ベトナム戦争は私の中学高校の時代、リアルタイムの戦争だった。
新聞にはベトナム戦争の記事が載っていたし、悲惨な写真もたくさんあった。
サイゴンが陥落するとき大統領官邸に北ベトナム軍の戦車が突入する映像も
その日のニュースで見た。
ヴォー・グエン・ザップ。
フランス植民地からの独立戦争ではディエンビエンフーでフランス軍を敗北させ、
その後、ベトナム戦争では北ベトナム軍総司令官として戦った。
彼は士官学校で学んでいない。
独学で学びベトナム軍を指揮し、幾つもの戦場で勝利をもたらし、
「赤いナボレオン」と言われた。
彼は2013年に亡くなったが日本の新聞には小さな記事が載っていた。
年老いた彼は「孫はドラえもんに夢中で戦争の話は聞いてくれない」と笑っていたそうだ。
ヴォー・グエン・ザップはここに座っていたのか…。
なんにも調べないでベトナムにやってきて、思わぬものを見つけたような気分だった。
タンロン遺跡 瑞門
北ベトナム軍総司令部
ヴォー・グエン・ザップはここに座っていた
案内があった。右から2人目がヴォー・グエン・ザップ
地下の通路
タンロンを出て旧市街に戻る。途中、タンロンの北門があるのだが、結構大きい。
少し遅い昼飯を食べ、荷物を預けてあるホテルに戻り送迎サービスで空港に向かった。
ちなみに空港まで30万ドン。空港からのエアポートタクシーは50万ドンだったから、
ハノイの空港と市内のアクセスはタクシー使うよりホテルの送迎サービスの方が安い。
夕方の飛行機でカンボジアのシェムリアップに向かった。
昼飯で飲んだベトナムの赤米で作った酒。美味しかった。