アンナプルナトレッキング 2

翌朝、車でポカラからサムロン、3時間くらいで着く。

途中、山道に入ると車一台しか通れない細いところがあり、そこで登る車と下る車が

詰まってしまう。結構な時間動かないので、最初は崖崩れがあって通れなくなって

いるのかと思ったのだが、登りと下りのドライバー達がああだこうだと言いあいながら、

なんとか通れるようにしている。これは帰りも同じだったが、交通整理がいるわけでも

ないのに不思議となんとかする。カトマンズ市街での運転もそうなのだが、

ここを通るのか? ここすれ違うの? というところをネパール人達は怒鳴りあうことも

なくやってのける。ネパール人は日本人より大人かもしれぬ。

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 途中のチェックポイント、ここでトレッキングの手続きをする
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 これは帰りの写真だが、途中すれ違いの出来ないところで30分くらい待つ。
 このあと下から車列が登ってきた。それが通り過ぎたら今度はこちらが下る。

サムロンで車を降り、ガイド1人、ポーター1人、我々2人のメンバーでトレッキング開始、

大きな吊り橋で川を渡り、対岸の尾根を少し登るとジヌー、ここで昼食を摂り、

チョムロンまで登る。

標高差で400mほど登るのだが、その大部分が階段。

アンナプルナのトレッキングは下半分は階段が多い。

下から見上げると尾根に延々と階段がついているという感じで階段の上が見えない。

アンナプルナの階段に比べれば金刀比羅さんの階段などお子様向けの階段である。

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 サムロン、ここから下っていって吊り橋で川を渡る。
 向こうにアンナプルナが見える。
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 吊り橋
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 結構長い吊り橋

ふうふう言いながら登り終えてとりあえず今日はチョムロンのロッジで泊まり。

この日は曇りだったが、その夜から雨が降ってきた。

明日以降の天気予報はかんばしくないみたいで、

ガイドが「今年のヒマラヤの天気はおかしい」と言っていた。

夕食のあと、庭にいたら「日本人ですか?」という綺麗な声が降ってきた。

上を見ると2階にいる若いネパール人の女性だった。

そのあと、その子とその仲間達と少し話したが、彼女は1年ほど日本にいたらしい。

ネパールは外国への出稼ぎの多い国で日本にも結構働きにきている。

だからたまに日本語を少し話せるネパール人に会うことがある。

ちなみに彼女と仲間達はアンナプルナBCまで行って降りてきたらしい。

いろいろ聞くと若いネパール人のトレッカーは、欧米や日本からのトレッカーが

一週間くらいかけて歩くアンナプルナBCまでのトレッキングを、34日程度で

歩くらしい。最後に「おやすみ」と言ってテーブルを離れたら「おやすみなさい」という

綺麗な日本語が返ってきた。

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 チョムロンのロッジ
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 周囲はこんな感じ、段々畑がかなり高いところまである。

翌日、小雨降るなかバンブーへ。昨日、吊り橋で川を渡ったのに再び尾根の反対側に

降りて川を渡り、向こうの尾根に登り返す。ランタン谷と違ってアンナプルナは

登り下りが多い。ここでも上が見えない階段である。

ずぶ濡れでバンブーに着いたら、なんと宿が取れていないとガイドが言う。

どうも、このバンブーの宿泊がアンナプルナトレッキングの鬼門であるらしく、

予約しておいても団体ツアーが入ってくるとそちらの方を優先してしまうらしい。

ま、経常的に客を連れてくる団体ツアーの方が大切ということなのだろう。

ガイドとポーターで手分けして他のロッジもあたるのだが、どこも一杯。

次のドバンまで登るしかない。

ずぶ濡れで疲れていたが、バンブーから一時間半、雨に打たれて登る。

ドバンでは幸い部屋が空いていて泊まることが出来た。

空いていなかったらどうする気だったんだ(^^;?

翌朝起きて外に出ると、前の日は雨で見えなかったが、

晴れるのか曇ってゆくのか分からない微妙な空の向こうにマチャプチャレが見えた。

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 ドバン マチャプチャレの双耳峰が微妙に見える

アンナプルナトレッキング

アンナプルナのトレッキングに行ってきた。

アンナプルナ(8091m)登山のベースキャンプ(4130m)まで行くトレッキングで、

人によるが、たいていは登山口から一週間くらいの日程でゆく。

ちなみに10月から11月がヒマラヤトレッキングの最適期で、

この時期は好天が続くのだが、今年のヒマラヤは異常気象だったらしい。

例年なら雨の降るモンスーンの時期にあまり雨が降らず、

例年なら好天が続く10月から11月が梅雨のような天気で雨が降ったりやんだり。

最悪だったのはエベレスト街道の方で、

インドで発生したサイクロンの影響で大雪が降り、玄関口のルクラ空港は

1028日から111日まですべての飛行機が欠航した。

帰国便に乗れない人が続出しただろうし、大雪で動けなくなったトレッカーを

救出するためにヘリコプターが出動したりしたらしい。

で、エベレスト街道に入れないトレッカーが方向転換してランタン谷に向かい、

ランタン谷は激混みになったらしい。

ランタン谷の鬼門、ラマホテルの宿泊は相当混乱したんじゃなかろうか。

それと比べればアンナプルナの方は平穏だったのだが、

それでも冷たい雨と雪に見舞われた。

ネパール航空の直行便でカトマンズ。

2年前にも泊まったフジホテルに宿泊。

カトマンズは9月に特権階級への反発から激しいデモが起き、

死者が出たり車が2000台くらい焼かれたりとかなり混乱したので、

その跡があるかと思ったが、行ってみると混乱の跡は感じられなかった。

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  成田からネパール航空の直行便でゆく
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 カトマンズ到着前、ヒマラヤが見える。
 右の高いのがエベレストだと思うのだが。
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 フジホテル

夜、フジホテルの近くのレストランで飲んでネパールの定食ダルバートを食べる。

ネパールの人は結構日本に働きに来ていてレストランとかやっているのだが、

たいていインド料理という看板を出していてカレー料理が中心。

このダルバートは日本ではあまり食べられない。

しかし、ネパールの食べ物といえばダルバート。

日本でも出してくれれば食べに行くのだが。

翌朝、カトマンズの空港から国内便でポカラへ。

空港を出たところで現地ツアーのガイドと合流。ホテルに送ってもらう。

明日からアンナプルナトレッキングである。


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 ボカラへはプロペラ機
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 ボカラ空港からアンナプルナが見える、一番左。
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  ネパールの定食ダルバート。地域、店により少しずつ異なるが美味しい。
 インドにも同じような食べ物があり、郷にいれば郷に従って手づかみで食べたが、
 ネパールでは普通にスプーンを使う。
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 ポカラのホテルのベランダから見えたマチャプチャレ(6993m)
 特徴的な双耳峰だがポカラからはマッターホルンのような形に見える。
 聖なる山とされ登山禁止である。

瀬谷フェスティバル

横浜市が毎年各区で開いている区民祭り、

瀬谷区では瀬谷フェスティバルということで、今年は瀬谷区役所の周辺で開催。

税理士会では毎年、税務と成年後見の相談のブースを出しているのだが、

成年後見の相談ができる人が少ないということで、

相変わらず相談員ということで引っ張り出されている(^^;

天気がイマイチだったので、どうかなと思っていたのだが、

駅から近いということなのか相変わらずかなりの人出。

区役所の外の広場に食事系の屋台が並び、それ以外のブースは区役所の建物内で

やっていたので、これだと屋外の屋台の方に人がいってしまい、

相談に来る人は少ないだろうなと思っていたのだが、

あにはからんや今までの区民祭りで一番多い相談事績になった。

結局、駅から歩いて来られるということで、相談者が多かったのかも知れぬ。

それはいいのだが、相談員が終わってから口々に言っていたのは、

今年は難しい相談が多かったということ。

確かに今までは年金の申告とか医療費控除の申告とか、

そういうのが多かった気がするが、

今年は相続がらみの相談が多かった。

それも、二次相続を考えた相続とか、空き家の3000万控除とか、

具体的な資料を見て検討しないといけないような相談。

そういう相談が来ること自体はいいのだが、

税理士の税務相談にしろ弁護士の法律相談にしろ、

無料の相談って一定の時間内でやるもので、

おのずから一般的な相談といいうことを前提にしているのである。

神奈川県がやっている弁護士の無料法律相談とかははっきりしていて、

30分たつとチャイムが鳴って話の途中でもそれで終了である。

具体的な事案って、限られた時間内でするのは結構厳しい。

それで終わらないような相談は有料。

なぜなら、公的な負担で個人の個別の相談にそこまでかかわること自体が

おかしいわけである。

今回の相談も一人で1時間以上かかっている人がいたが、

区民祭りのような場での税務相談とかは、出来るだけ多くの人の相談に応えるという

スタンスでするわけで、一部の人の複雑な事案のために時間をつぶすことは

前提にしていない。

その辺は理解してもらわないといけない。

「一人30分までということにしないといけないんじゃないの?

終わってから担当部長や副支部長とそういう話をしていのだが、

ま、今までと比べてかなり相談が多かったということ自体はいいことで、

今後の課題とすべきところかな。


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 開会直後くらいの会場、向こうのステージでブラスバンドが演奏していた
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   国税のキャラクターのイータ君。職員に手を引かれてやってきた、
 なんでもこの着ぐるみ、前があまり見えないそうで、ちょっと危険なのである(^^;;
  着ぐるみ来てる担当者は大変。

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 隣りの法人会のブースにあつた一億円の札束。
 重さは10キロ。ただしレブリカ。
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  2年後の花博の宣伝。地元としては道路混みそうで複雑なのだが...(^^;;;

平治物語絵巻

今度の日曜は仕事が入っているのでその代休ということで今日は上野に行ってきた。

東京国立博物館で今月の26日まで国宝の平治物語絵巻を展示している。

平治の乱を描いた絵巻物で、現存するのは3巻。

三条殿夜討ちの巻はボストン美術館にあり、信西の巻は静嘉堂文庫、

六波羅行幸の巻が東京国立博物館にある。

幽閉されていた二条天皇が女装して内裏を抜けだし平清盛のいる六波羅に入る。

これにより藤原信頼のクーデターは失敗するわけだが、

その様子が描かれた絵巻物である。

常設展での展示だが、国宝は年間の展示日数が制限されているので、

常に展示されているわけではない。

今回は922日から1026日の間だけの展示である。

とりあえずひさしぶりに東博。

上野で公園口の改札を出て歩いていくが、インバウンドで外国人観光客が結構いる。

広場を抜けていくと東博。

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運慶の特別展もやっている。ついでなのでこちらも見ていく。

奈良興福寺北円堂の弥勒像や四天王像。

滅多に興福寺から出ない仏像である。

興福寺というと八部衆の立像が浮かぶが、こちらも力強い造形でなかなかいい。

平日だったが会場はかなり混んでいた。

ただ、今日は平治物語絵巻を見に来た。運慶をひと通り見て常設展の方に向かう。

常設展のどの辺にあるのかなと思いながら歩いていると、あった。

平治物語絵巻。

描かれてから700年くらい経っているはずだが、鮮やかな色である。

武士が集まっているあたりの描き方とか、建物の真っすぐな線とか、構図も優れている。

絵巻物は右から左に時系列を追って描かれているのだが、

こういう描き方って、現代の漫画やアニメの描き方にも通じるところがある気がする。

撮影禁止になっていなかったので、人のいない時を見計らってスマホで写真を撮る。

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美しい絵巻物だった。

いいものを見た気分で東博を出て御徒町へ。

なぜかは知らないが上野はトンカツ屋が多い。

そのうちの一軒の井泉へ。

インバウンドで外国人観光客が結構食べにきていたが、座敷の方が空いていて

スムーズに入れた。ひさしぶりに井泉のトンカツを食べ、

たまにはこんな休日があってもいいなと思いつつ横浜に帰った。


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  井泉のヒレかつ定食

歌会

ひさしぶりに歌会に出席してきた。

東京の平日歌会。

かつては多い時には月に3回くらい歌会に出ていたが、

仕事が忙しくなったり、アーチェリーの射場を自分達で管理するようになって

休日の用事が増えたりで、あまり出席できなくなった。

4月の福島の歌会以来だから今年はこれで2回目の歌会出席。

それはそれとして、例によって気になった歌。

誌面発表前なので詠草そのままは出せないが、

ぬばたまのブルカのように肌を覆う女がいきかう長い夏、

そんな歌意の歌。

日焼け防止に黒いベールのようなもので顔や首のあたりを隠す女性が増えて、

それを表現しようとしたのだと思うのだが、

表現としては、「ぬばたまの」はいいとして、「ブルカのように肌を覆う」が気になった。

日焼け防止のファッションの比喩としてブルカが使われているわけだが、

ブルカというのはイスラムの女性が全身を隠すように纏うロングな服であって、

作者が今年の暑い日本の夏に見ているのは、

顔や首のあたりを隠す日焼け防止のフェイスカバーだろ。

比喩だからいいといえばいいのかもしれないが、ちょっと違う気がする。

ブルカというより女盗賊の覆面だよね(^^;

それと、「のように肌を覆う」がまどろっこしい。あとひとつ気になったのが

「ブルカ」というとき、イランやアフガニスタンの女性達が着ている黒い服が浮かぶ

のだが、それは同時に女性達の抑圧された姿でもあるわけである。

2か月前、ウズベキスタンに行ってきたが、ウズベキスタンの女性達は割と自由な

服装をしていた。ウズベキスタンの南はアフガニスタンである。

国境の北と南、生まれた場所が僅かに違っただけで、

一方には抑圧されて生きなければならない女性達がいる。

ブルカにはそういう抑圧の象徴という一面がある。

そんなことを思ったとき、

比喩としてのブルカが少し安易な使われ方をしている気がした。

言葉が纏うものについて作者が考えた気がしない。

ただ、この辺は割と時間的にそれほど経過していない見聞があるゆえの、

個人的な印象かもしれない。

そんなこんなで全16首の批評をして歌会は定時に終わった。

平日歌会は新しい人が増えたみたいで、

批評慣れしていない人も割といる感じだったが、

ベテランの人達がいい批評をしていくことで

そういう人達も力をつけていくんじゃなかろうか。

歌会に出るとやはり刺激があって楽しい。

時間やりくりして出来るだけもう少し歌会にでるようにしようと今更ながら思った。


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 歌会前の昼食は上野のぽん多でトンカツ。
 上野はトンカツの美味しい店が多い。

退職金課税の改正

顧問先の社長から電話がかかってきた。

「今年の税制改正で退職金の課税変わったんですか!?

「令和7年の税制改正で変わったのは確定拠出年金を先に受け取った場合ですよ、

そちらの会社では関係ないでしょ」

「小規模企業共済を受け取った場合も同じ扱いだって、知り合いの社長から聞いたんです。

税理士さんにそう言われたって。私も小規模企業共済受け取ってますよ、

関係ありませんか?

とりあえず来客中だったので、一度、電話を切りあとでかけ直したのだが、

令和7年の税制改正での退職金課税の改正は、

確定拠出年金の老齢一時金を、会社から「退職金を受け取る年の前年以前4年以内」に

受け取った場合の退職所得控除の重複期間の調整を、

「退職金を受け取る年の前年以前9年以内」に延長するというもの。

今までは5年経過していれば調整計算が不要だったのが10年経過しなければ

調整計算をしなければならなくなったので、それだけ税負担は増えるわけである。

働き方改革で定年を70まで延長しようという動きがあり、

確定拠出年金の老齢一時金は60から受け取れるので、

受け取ってから退職金を受け取る70までの10年間について、

退職所得控除の重複期間の調整が必要ということで改正された。

つまり、確定拠出年金の老齢一時金を受け取ってから会社の退職金を受け取る場合に

ついての改正であって、小規模企業共済は確定拠出年金とは別のものであり、

今回の10年への延長には関係なく、

従来通り、複数の退職金を受け取った場合の退職所得控除の調整期間は5年のままである。

知り合いの社長さんのところの顧問税理士、この辺を混同したらしい。

ま、この辺いろいろ複雑だけどね

しかし、その年の税制改正の内容についてはその顧問税理士さん、

もう少し押さえておいた方がいいね。

そうしてもらえれば、こちらも他の話をしているときに、

いきなり焦ったような電話をもらわないで済むというものである(^^;


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  アーチェリーの射場の彼岸花が咲いた

ウズベキスタン・タジキスタン 5

サマルカンド4日目、夕方の列車でタシケントに戻る。

それまでどこに行くという予定もなく過ごす。

なんとなく歩いていると、交通規制がされていた。

なんだろうと思って見ていると、自転車競技をやっている。

競技用のウェアを着ているので体のラインがはっきりするわけで、

走ってくる選手を見ていて女性の選手がいることに気付いた。

ここサマルカンドから270k南に行けばアフガニスタンである。

女性の権利が否定されているアフガニスタンでは、

ああいう体のラインがはっきりするような服を着ることはできるのだろうか。

ウズベキスタンは世俗主義の国である。

あるいは宗教を否定したソ連時代の影響が大きいのかもしれないが、

街中でもあまりコーランは聞こえてこない。

270kといえば日本なら東京と名古屋の距離である。

日本に当てはめれば、東京に生まれた女性と名古屋に生まれた女性が、

その生まれた場所ゆえに全く違う環境で全く違う人生を生きることになるのである。

その不条理はなんなのだろう。

サマルカンドの街を疾走していく女性の選手を見ながら、そんなことを考えた。

そのあと、少し日の陰ったレギスタン広場に座り込んでぼんやりとマドラサを眺める。

サマルカンドでの過ごし方はこれが一番いい。

なにをするでもなく、有料エリアの外の広場の敷石の上に座って、

マドラサが三つ並んでいる風景をぼんやりと眺めていると、気持ちがいい。

思えば遠くへ来たもんだ、そんな気持ちになれる。


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  レギスタン広場、こんなふうに座ってぼっーとしているのが一番いい。

夕方、サマルカンドから列車でタシケントに移動してホテルに入る。

最終日、深夜の飛行機で帰国するので、それまでの時間ホテルに荷物を預けてタシケント

の街を歩く。暑いなか歩いたのでこれが結構きつかった。

そのあとタクシーで空港に行き帰国。

帰国前にタシケント国際空港で土産を買ったのだが、これが失敗だった。

なぜか空港の店の価格はみなユーロ表示。

その国の首都の国際空港である。普通なら自国通貨とドル表示とかしそうであるが、

ここはユーロ表示のみ。買い物するときはユーロをスムに換算するのだが、

土産を買ってから気付いた。どうもレートがおかしい。

銀行以外で両替するとかなりの両替手数料がとられるということか…?

20%くらいの両替手数料と考えると計算がほぼ合う。

高すぎだろ(^^;

ネットにはタシケント国際空港の土産屋が充実していてとてもいい、などと書かれて

いるが、土産は市中で買った方がいい。ただでさえ市中より高く、

しかも高い両替手数料がかかるらしい空港の土産屋で買わなくていい。

たいてい帰国する人は使わなかった現地通貨を空港の土産屋で使い切ろうとするわけで、

そういう観光客から両替手数料で稼ごうというわけか?

もうひとつ言えば、空港や駅のような公的なところに入っている店は怪しい。

空港タクシーはぼったくりだったし、お釣りをごまかすのもそういう公的なところに

入っている店だった。旧社会主義国の名残りかもしれない。

そんなこんなで楽しい、しかし気の抜けない、そんな中央アジアの旅を終えて日本に帰った。


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 タシケントのナヴォイ劇場。シベリア抑留の日本兵捕虜が建設にかかわった
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 ナヴォイ劇場の横の鈴懸の道 タシケントもサマルカンドも胡桃と鈴懸が多い
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 タシケントのティムール公園のティムール像 かってはスターリンの像があった
 

 

ウズベキスタン・タジキスタン4  タジキスタン

サマルカンド3日目、日帰りで隣国のタジキスタンに行ってきた。

現地ツアーを使って車で国境へ、ここで荷物検査、出国審査、入国審査とやって、

歩いて国境を越える。

タジキスタン側に入ると客引きが沢山いて声をかけてくるが、

なんとか現地ツアーのタジキスタン側のドライバーと会えて車に乗る。

タジキスタンといえばパミール高原が浮かぶが日帰りでは行けないので、

近場の通称セブンレイクといわれるファン山脈の渓谷に向かう。

ウズヘキスタンはどこまでも茶色い大地が広がる平野の多い国だが、

隣りのタジキスタンは平野は国土の7%、あとの93%は山である。

車は古代都市のあったパンジケントを抜けて山の方に向かってゆき、

やがて道は禿山に囲まれた渓谷にはいってゆく。

ここから南に200k行けばアフガニスタンである。

テレビの映像に出てきたムジャヒディンが潜んでいる荒々しい岩だらけの大地、

まさにそれと同じ風景が広がっている。

かなり走って最初の湖が出てきた。ここで標高1500m

一番上の七つ目の湖は標高2400mであるらしい。

ひとつひとつの湖は決して大きくはない。

禿山の荒々しい渓谷に湖がつらなっている。

途中の道はかなりダートで対向車来たらどうするんだ? 落ちたらイチコロだ、という感じ

のところもあるが、一昨年行ったヒマラヤのそれと比べれば安心して走れる道である。

一番上の標高2400mの湖でしばらくのんびりする。

見ていると湖面の感じが向こうからまるで生き物のように変わってくる。

たぶん風で湖面の感じが変わるのであろう。なんともいえない感じだ。

しばらくぼっーと湖を眺め、下にくだって途中の湖のほとりにあった建物で昼食を摂る。


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 岩だらけの渓谷を走る
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 最初の湖
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 この車で走った
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 何番目の湖だったか?
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  四番目か五番目か? の湖
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  一番上の湖
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 下に降りる途中、途中には道沿いに小さな集落もある。
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 途中の湖のほとりで昼食。食べているのはポロフ。ピラフの原型になった料理。
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 山羊がいたので写真を撮った。拡大して探すとどこかに山羊がいる。

そのあと渓谷から平野に戻り古代都市ペンジケントの遺跡を見に行く。

かつて繁栄したシルクロードの古代都市。

ソグド人が築いた都市で5世紀には歴史にあらわれる。

しかし、8世紀の末、この都市は放棄される。

進出してきたアラブの圧力で街は放棄されたらしい。

ペンジケントもサマルカンドの旧都城も丘の上である。

防衛上は丘の上の方が有利かもしれないが、水源を絶たれれば終わりである。

古代都市ペンジケントもそうやって放棄されたのかもしれない。

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 ペンジケントの遺跡 このままではたまに降る雨で消えるだろう。
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 建物らしく見えるのは復元されたもの。

最後にサラズム遺跡。

20世紀になってから発見された遺跡で5000年前に溯る遺跡。世界遺産である。

メソポタミアやエジプトの文明と同時期に、

中央アジアのステップに古代都市が生まれていた。

農耕と交易、鉱業生産の拠点でもあったらしい。

遺跡からは身長170㎝の女性の骨が出ている。

きらびやかな装飾を纏い殉葬者とともに葬られたその骨は、

遺跡址の博物館に展示されていて、サラズムの王女、と名付けられているらしい。

博物館にはその復元像もある。

タジキスタンは世界最貧国のひとつである。

遺跡保存の予算も少ないのだろう。ペンジケントの遺跡も風化してゆくままである。

それと比べればホラズムの遺跡はまだ保存されている方なのかもしれないが、

5000年前、このステップにどういう古代都市がありどういう生活があったのか、

荒野で思いを馳せるしかない。


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 サラズム遺跡の入り口
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 ペンジケントと違いまがりなりにも屋根で保護されている。
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 サラズムの王女の墓の跡
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 古代都市の跡は荒野があるのみ

夕方、国境に戻り主国審査・入国審査をやって再びウズベキスタンに入る。

サマルカンドに戻り夕食を食べて外に出たら、

レギスタンの前の道路がホコ天になっていて、凄い人出だ。

身動きできないくらいの人出でなんだろうと思ったら、

レギスタンの上でドローンのショーが始まった。

しばらくそれを見てホテルに戻った。

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  凄い人出で、なんだ? なんだ? という感じ
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 ドローンショーが始まった

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   国旗かな
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 玄奘三蔵か?   彼はサマルカンドに来たはず

ウズベキスタン・タジキスタン3  サマルカンド

サマルカンド2日目。

今日はシャーヒ・ズィンダ廟へ行ってみる。

レギスタンからイスラム・カリモフ通りを歩いていくとアフラシャブの丘が見えてくる。

その突き当りを右に少しいけばシャーヒ・ズィンダ廟である。

昨日のぼったくりドライバーが「Very Far Very Far」と何度も言っていたが、

なにがVery Farだ、30分くらいで着いてしまった。

ちなみにアフラシャブの丘だがシャーヒ・ズィンダへ歩きながら丘を見上げると、

大部分が墓地になっている。アフラシャブの丘はチンギス・ハーンに滅ぼされるまでは

サマルカンドの旧都城があった場所らしいが、その後は葬送の場所になったのだろうか。

その丘の一角にあるシャーヒ・ズィンダ廟は、ティムールの一族やその将軍達が

葬られている墓所である。


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 向こうに見えるのがアフラシャブの丘
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 シャーヒ・ズィンダ廟の入り口

門を入ると階段がある。

天国への階段と呼ばれているらしく、登るときに階段の数を数えて帰りに数えて

数が一致すれば天国へ行けるそうだ。ぼけていなければ一致するはずである(^^;

階段を登り門をくぐると青いタイル張りの廟が道の両側に並ぶ。

青の都サマルカンドといわれるサマルカンドブルー。

道の真ん中でポーズを取って写真を撮って動こうとしない中国人の観光客が鬱陶しく、

彼女たちがいなくなったときを見計らって写真を撮る。

奥へ進んでゆくと青い廟や未完成で青いタイルを張っていない廟などいろいろあり、

一番奥は両側も突き当りも青いタイルの廟である。

なかを見られるところもあって入ってみるが、ここもやはり装飾が美しい。

通路の長椅子に座ってしばく眺める。観光客が途切れた時は静か。

シャーヒ・ズィンダ廟は青い死者の街である。

廟を出てウルグベク天文台に向かう。


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 天国への階段
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 シャーヒ・ズィンダ廟
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 廟の一番奥
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 中はこんなふうになっている

アフラシャブの丘に沿って北東へ歩くのだが、途中、断崖になっている丘の斜面に

幾つもの穴が開いているのに気が付いた。

モンゴル軍に破壊される前はサマルカンドの旧都城があった場所というが、

その遺構なのか?  あるいは古い時代の墓かもしれないと思った。

ウルグ・ベク天文台までは少し遠かったが、ここも歩いていける範囲。

入口にティムール朝の四代目の王であり同時に天文学者だったウルグ・ベクの銅像がある。

天文台の遺跡は地下に巨大な溝状のものが作られていて、向こう側に窓があるので、

大抵の人はその窓から星を観測したのかと思うかもしれないが、そうではなく、

ここには地下部分も含めて高さ40mの巨大な六分儀が設置されていたのである。

周囲にはそれを囲む建物があって、まさに天文台だった。

今残っているのは地下構造の部分だけである。

ウルグ・ベクはここで星を観察し一年の長さを現代との誤差1分という正確さで計算した。

しかし、ウルグ・ベクの死後すぐにこの天文台は保守的なイスラム教徒達に破壊される。

日本では室町時代、応仁の乱より前の話である。


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 アフラシォブの丘 わかりにくいかもしれないが幾つも穴が掘られている
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 ウルグ・ベクの像
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 ウルグ・ベク天文台。昔は巨大な六分儀とそれを囲む建物があったが、
 今は地下構造物を保護する建物があるだけ
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 残っている地下構造物、ここに巨大な六分儀があった

天文台を出てアフラシャブの丘を北から南に抜けるようにして戻る。

チンギス・ハンに破壊される前はサマルカンドの都城だったというアフラシャブの丘だが、

今は茶色い丘で途中にアフラシャブ博物館がある。

博物館に立ち寄り発掘された壁画などを見て市街に戻る。

途中のバザールで買い物と昼飯、ビールで乾いた喉を潤す。

その後ホテルでひと休みし、夕方、食事がてら出かけてライトアップの時間に合わせて

レギスタンの中に入る。中から見たライトアップも綺麗だった。


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 バザールでの昼飯、シャシリク
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 なかから見たレギスタンのライトアップ

ウズベキスタン・タジキスタン2  サマルカンド

タシケントから特急で2時間半くらいでサマルカンド。

シルクロードのほぼ真ん中、紀元前10世紀あたりからソグド人の交易都市として

歴史にあらわれる。その後繁栄を続けるがチンギス・ハンのモンゴル軍に徹底的に

破壊された。その後、そのモンゴルの血をひくティムールによって再建される。

タシケント駅では荷物検査とかいろいろあって面倒とネットには書いてあったので

早めに駅に行ったのだが、荷物検査も簡単で列車に乗るときも駅員はたいして切符の

確認していないみたいで、いたってスムーズだった。

時間通りに出発し、どこまでも広い茶色い平らな土地を延々と走ってゆく。

時々、地平線の向こうの空が茶色く見えるのは砂漠の砂嵐だろうか。

かつてこの茶色い平野を隊商が行き来していたのである。

サマルカンドが近づくあたりから地面に起伏が見えてくるが、

見える山はすべて禿山である。

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  こんな大地が延々と続く

サマルカンド駅に着き、タクシーを探すが、

例によって客引きのドライバーが、〇〇と〇〇を案内するとか言ってくる。

案内などいらないのである。レギスタン広場に行けばホテルまで歩いていけるから

それだけでいいのだが、かなりしつこい。

レギスタンに行くだけでいいと大きな声で言ったら「10ドル」だと言う。

かなり高いと思ったので「2ドル」と答えると、相手は「8ドル」と言ってきた。

それだけならまだしも、案内するからどうのこうのといつまでもしつこい。

いい加減頭にきて「もういい、うるせんだよ!」と日本語で怒鳴って歩き始めるが

追っかけてくる。すったもんだの末にレギスタン広場まで4ドル。

もっとも最後まで5ドルと言い張ってはいたが(^^:

つまり、ぼったくりタクシーも怒鳴りつければ4ドルくらいでレギスタンまで行く。

ちなみにこれを読んで、同じことやって失敗した人がいても責任はとらない(^^;;


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  サマルカンド駅
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  ちなみにこれがタシケント-サマルカンド間の特急アフラシャブ号
 これは帰りのタシケント駅で撮ったもの。ちなみに駅や空港は撮影禁止。
 でもみんな撮ってたよな...。

とりあえず昼飯を食べてからレギスタン広場に入る。

広場の向こうに三つのマドラサが建っていて、

有料で入るところとの境に柵があり、その前まで金を払わなくても入れる。

とりあえず広場の一角に座り込んでレギスタンを眺める。

えらく遠いところまで来たなそんな気がした。

実際はアフリカとか南米とかもっと遠いところにも行っているのだが、

中央アジアは初めてだったのでそんなふうに感じたのだろうか。

そのあと、入場料を払ってなかに入り、美しいイスラム建築を眺める。

かつてマドラサ(イスラムの神学校)だった建物も内側に入ると小さな部屋の

ひとつひとつが土産物屋になっている。たまに「コンニチワ」と日本語で

話しかけてくる店員もいる。ひととおり眺めて広場から歩いてゆけるところにある

ホテルにチェックインし、しばらく休憩してからグル・アミール廟に行く。


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 レギスタン広場
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 イスラムらしいタイルの装飾に覆われている。
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 ウルグ・ベク・マドラサの内側
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 ウルグ・ヘク・マドラサの内側を反対方向から

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  ティラ・コリ・マドラサの入り口
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 すべての区画が土産物屋になっているわけではなく、祈りの場もある。

グル・アミール。チンギス・ハンによって破壊されたサマルカンドを再建し、

既に滅びていたモンゴル帝国の西半分を再統一したティムールの墓がここにある。

霊廟のなかに入ると石の棺のようなものがいくつも並んでいる。

そのなかにひとつだけ黒いものがあるのだが、それがティムールの墓標で、

実際に埋葬されているのはその地下3mあたりらしい。

周囲の壁はイスラムらしい装飾に覆われていて綺麗である。

ティムールは明への遠征の途中で病死してここに葬られた。

彼がモンゴル帝国の再統一を夢見ていたのかどうかは知らないが、

明の永楽帝はティムールの帝国と戦わずに済んだ。運が良かったのかもしれない。

夕方、風に吹かれてレギスタン広場に座ってボッーとしていたら、

日が暮れてからライトアップが始まった。

暗闇に浮かび上がったマドラサは次々と色が変わり綺麗だ。

終わるまでボッーと座っていた。


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 グル・アミール廟の入り口
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 グル・アミール廟
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 霊廟のなか。中央の黒い墓標の下にティムールの墓がある。
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 装飾が美しい
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 レギスタン広場のライトアップ
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