無言館

美ヶ原から下山して上田の別所温泉に泊まり、

翌日、横浜に帰る途中で無言館に立ち寄った。

無言館、上田にある戦没画学生の遺作や戦地からの手紙などを展示している美術館。

駐車場に着くと木立ちの向こうに無言館がある。

余計な装飾のない建物である。

中に入るとすぐに展示室である。入館料は出口で払うと書いてある。

ひとりひとりの画学生の簡単な案内があり、その作品と使っていた画材道具、

手紙や葉書が展示されている。

恋人の裸像を描いた絵があった。説明書きを読むと、

「帰ってきてこの絵の続きを書く」と言って出征したが、帰っては来なかった。

他にも妻を描いた絵、家族を描いた絵、自画像、風景、いろいろな絵があった。

戦地からの葉書はみなびっしりと字が書かれていた。

手紙や葉書を書くとき、人は相手のことを思いながら書くのだ。

しかし、この葉書の書き手は、その相手のところには帰って来られなかった。

夢があつたはずであり、愛があった。

しかし、彼らは帰って来られなかった。

戦争がなければ、すぐれた芸術を生み出した者もいたかもしれない。

戦争の愚かしさ、虚しさを感じないではいられない静かな小さな美術館である。

なんで、あんな愚かな戦争をしたのだろう。

時代のせいだったとか、軍国主義のせいだとか言う人がいるが、

時代とか軍国主義というバケモノがいるわけではない。

時代も軍国主義も人間が担ったのである。

一部の人間が、というのは違うだろう。

普通の国民が担ったのである。

軍人のせいだというのも問題の本質から目を背けている。

当時の軍人の大部分は徴兵された普通の国民であり、

将校以上はその時代のエリートだった。

戦後のエリートが大蔵省、通産省を目指したように、

戦前のエリートは陸軍省、海軍省、内務省を目指したのである。

普通の国民はなぜ容易く軍国主義に流れたのか。

そして、普通の国民は同じ容易さで戦後は平和を唱えたのではないか。

容易く語られた平和主義が、今、お花畑と揶揄されているのであろう。

戦争への反省は当たり前である。

しかし、容易く「戦争反対」とシュブレヒコールを口にしても仕方ないのである。

どうすれば平和を守れるのか、どうすれば過ちを繰り返さないのか、

そういうことを真摯に考えなければ、死んだ若者たちは浮かばれないのであろう。


DSC_4235
   無言館

美ヶ原

美ヶ原、日本の中央高地の2000m級の高原、夏は牛が放牧されている。

日本百名山のひとつ。

なんで、車で来られる高原の牧場が百名山なんだと思うわけだが、

深田久弥が『日本百名山』を書いた頃は、車では行けず下から登ったのであろう。

圏央道が故障車で渋滞していて到着が遅れ、山本小屋の手前の町営駐車場に着いたのが

1040分。山登りのスタートとしては随分遅い時間だが、実質は高原のトレッキング

なので、たいして気にもせず出発。高原の牧場のなかの道を歩いていくと山本小屋があり、

その先に美しの塔がある。向こうには王ヶ頭の電波塔とホテルが見える。


DSC_4220
 美ヶ原、牛が放牧されている。
DSC_4221
 美しの塔、向こうに王ガ頭の電波塔とホテル。残念ながら曇り

王ヶ頭まではたいした登りもなく1時間ほどで着く。ここのホテルで昼飯と思っていたが、

まだ早いので素通りして王ヶ鼻へ。

山の地形で「鼻」というのはたいてい尾根の先端とかを言うのだが、

王ヶ鼻もその名の通り、美ヶ原の台地状の尾根の端っこでこの先はストンと落ちている。

そういう地形なので見晴らしが良く、

天気が良ければ百名山の三分の一の山がここから見えるらしいのだが、

あいにく天気がイマイチで蓼科、八ヶ岳方面が見えるだけで、あとは雲の中だった。


DSC_4222
 王ヶ鼻
DSC_4224
 蓼科山、八ヶ岳方面
DSC_4225
 王ヶ鼻のレンゲツツジ

それにしても鳥の囀りが綺麗だ。

ウグイス、ホトトギス、カッコウは分かるのだが、

チーチョッチョ、チーチョッチョと澄んだ声で鳴いているのはなんの鳥だろう。

そういえば、ビーナスラインの森のなかで運転を変わるために車の外に出たら、

鳥の囀りがすごかった。走っていると分からないのだが、

こんなに鳥が鳴いているのかと思った。

王ヶ鼻から王ヶ頭に戻り、ここのホテルで昼食。

そのあと、来た道を戻らず、アルプス展望コースという、高原の縁を歩いていくような

ルートを歩いて王ガ頭と美しの塔の間の草原に戻る。

このルートはなんとかいうトレイルコースになっているらしく、

牧場のなかの道という感じではなく、少しは山歩きの感じが楽しめる。

出発してから3時間くらいで駐車場に戻り、今日の泊まりの別所温泉へ。

上田の別所温泉は源泉かけ流しで体の温まるいい温泉だった。


DSC_4226
 王ヶ頭のホテルでカレーライスの昼食

DSC_4228
 アルプス展望コースから戻る

DSC_4229
 高原の牧場に戻り、広々としたなかを駐車場へ。

DSC_4233
 別所温泉の夕食は居酒屋で。信州はやはり馬刺し。美味しかった。


総会

年に一度の税理士会支部の総会。

今年はもうひとりの監事が監査報告を担当するので出番はなし。

暇を持て余しながら会場に座っていたら、

議案説明のあとで会場から質問が出た。

ただ、聞いていてちょっと首を傾げた。

支部が出す支払調書が届かなかったので申告のときに困った、

担当部長からはなんの説明もないが、どういうスタンスで仕事をしているのか?

という内容の質問で、そのあと、担当部長と担当副支部長が説明していたが、

総会で議案を審議しているわけである。

当然、質問は議案の内容についての質問であるべきではないのか?

しかし、その質問は議案とは全く関係なかった。

議案と全く関係ない質問は普段の例会ですればいいのである。

総会でそういう質問が次々と出たら議案審議ができなくなる。

本来なら司会が、議案について質問してくださいと促して質問を変えさせる

べきだったのではないかと思う。

それに、これはそのあとの休憩のとき他の会員も言っていたが、

質問というより質問に名を借りたクレーム

クレームも健全なクレームなら遠慮することはないわけで、

それもやはり普段の例会で言うなり、直接、担当者に言えばいいのである。

普段の例会は会員に情報を伝えるだけでなく、会員の声を聞く場でもあるはずだ。

それを総会でそういうことをするのはどうなんだろうと思ったわけである。

来年からは、質問は議案についての質問に限定すると、

前もって示すべきなんじゃなかろうか。

そんなこと思いつつ、総会は無事終了した。


DSC_4200
  射場のホタルブクロが咲いた

松江から鳥取、岡山

短歌結社の全国大会、一般公開のプログラムだけ参加して、

翌日は松江を歩く。

泊まったホテルから松江城の堀沿いに歩いて武家屋敷のあったあたりを歩いていくと、

小泉八雲記念館がある。

小泉八雲は明治の時代、ついこの前まで国を閉ざしていた極東の国にやってきて、

英語教師をし、大学で教え、多くの著作を残した。

彼が『怪談』を書かなかったら、我々は子供のとき、どういう形で

「耳なし芳一」や「雪女」の話を聞いたのだろう。

記念館の隣りが小泉八雲が住んだ旧宅。小さいながら綺麗な庭のある旧武家屋敷である。


DSC_4151
  小泉八雲記念館 武家屋敷の並びにある
DSC_4152
 小泉八雲の旧居
DSC_4153
 小さいながら感じの良い庭がある

このあと一日遅れで島根に来た息子と松江城で合流し、

尼子氏の拠点だった月山冨田城を見て三朝温泉で泊まった。

ちなみに三朝温泉は今回泊まった温泉のなかで一番良かった。


DSC_4160
 松江城
DSC_4164
 昼飯は出雲蕎麦
DSC_4173
 尼子氏の拠点だった月山富田城
DSC_4168
 上に登るとこんな感じ 山中鹿之助はここからの風景を見たのであろう

翌日は鳥取に行き、そこから岡山に入り、5世紀初めの頃の吉備の国の王墓なのであろう

巨大古墳の造山古墳を見に行った。


DSC_4178
 鳥取城の石垣、日本でここだけの丸い石垣がある。
 ちなみにこれは下の石垣の上に石垣を増築したら構造上無理があったらしく、
 ここの部分がせり出してきたのでそれを修理補強して丸くなったらしい。
DSC_4179
 鳥取のすなば珈琲 鳥取砂丘の砂を使って焙煎する砂焼き珈琲なんだそうで、
 美味しかった。以前、鳥取の知事が「鳥取にはスタバはないが日本一の砂場がある」と
 ギャグを言ったのをもらって鳥取の御当地珈琲チェーン「すなば珈琲」が出来たらしい。
DSC_4191
 造山古墳 ビジターセンターからの写真。正面が後円部分、前方部分は左。
 雨が降っていたので古墳には登らなかった。

吉備の国の王墓なのであろう、というのは、被葬者について記録がなにも残っていない

のである。宮内庁の陵墓にも指定されていないので、天皇家と関わりのあるものとは

認識されていないのであろう。しかしながらヤマトの天皇の陵墓に匹敵する巨大古墳、

日本で4番目に大きい古墳である。

それが記録が残っていないというのは、

ヤマトと吉備の間でかなりの戦いがあったのかもしれない。

実際、日本書紀には吉備の乱が記録されている。

夕方、台風が近づいていたが無事に飛行機は飛んで、岡山空港から羽田に戻った。





全国大会 島根

全国大会の会場は宍道湖のほとりのホテルで、会場の外の受付のあたりからは

宍道湖が綺麗に見えた。参加者は200人くらいだったのかな?

京都や東京あたりで開く大会と比べると地方での大会はこじんまりとした感じはある。

物価高の昨今、交通費もかかるので仕方ない。


DSC_4130
 会場からの宍道湖

一般公開のプログラムの最初は「歌集の空間を楽しむ」という吉川宏志と花山多佳子に

よる鼎談。アンソロジーで読む場合と歌集で読む場合の違い、歌集は名歌・秀歌だけが

並ぶわけではなく、何気ない歌が入っていることの良さがある、という話はその通り

だろう。確かに、一連の中に何気ない歌が入っていることでその歌群が良くなるという

ことは当たり前にある。

鼎談のあとは「わたしたちの第一歌集 時代と社会の中で」という題の座談会。

出席者がそれぞれの第一歌集について話をし、裏話などもあって面白かった。

なかでも座談会の司会をした澤村斉美の話が良かった。

もともと話が上手いのだが、話の内容も一番あったような気がする。

彼女の第一歌集は『夏鴉』。2008年出版の現代短歌新人賞などを取った歌集だが、

なぜか結社に入って数年しか経っていない自分にも批評会の招待状がきて、

行ってみたら錚々たる顔ぶれの評者達の話していることが殆ど理解できず、

力の差を見せつけられた気がして、

そのあとの懇親会には出ないで悄然として帰ってきたのを覚えている。


DSC_4132
 座談会

最後の挨拶は永田和宏、この人も相変わらず話が上手い。

挨拶のなかで、若い時に好きな歌集を一冊書き写したという話をして、

歌集を書き写したことがありますか? と会場に問うたら数人、手を挙げて、

永田さん「えっいるの!?」と驚いていた。

実はその時に手を挙げなかったが、自分も歌集一冊書き写したことがある。

自分の場合はワードで書き写した。

ワードじゃ駄目か?

一首一首手書きで書き写すくらいの熱がないと駄目かな?(^^;

初日のプログラムが終わり、そのあとは懇親会。

懇親会には出ないので、しばらく知った会員と話をして会場を出、

20分ほど歩いて宿泊するホテルに入った。


DSC_4140
 夕飯はひとりで飲みに出かけた。地魚の刺身と地ビール。
 

伊賦夜坂 黄泉比良坂

短歌結社の全国大会、今年は島根の松江。

全国大会は例によって一般公開のブログラムだけ参加する。

出席者が多すぎて不完全燃焼に終わるのが見えている歌会の方には参加しない。

溜まったマイルで出雲空港。

空港からバスで松江、そこから山陰線の各駅停車で揖屋に行く。

ちなみに山陰線の各駅停車は二両編成でドアはボタンを押さないと開かない。

鉄道の旅がしたくなるような電車だ。

松江から二駅目の揖屋は静かな出雲の田舎である。

駅前にも特別なものはなにもない。

地図を見ながらそこから歩く。

道を曲がり小さな川を渡り小学校の脇を通ると国道9号に出る。

そこを渡り、しばらく行った先の二又を右に入ると目的の場所に着く。

伊賦夜坂。

日本神話の黄泉比良坂、その原型になった坂である。

周囲に家も建っていて、どうということのない山道の入り口である。


DSC_4100
 国道から右に入るのだが、黄泉比良坂は左という案内がある。
 これは車で行く場合は中海側の駐車場に行くため。
DSC_4102
 伊賦夜坂の入り口、以前、反対側から歩いたときは手前左の土地に家があった。
DSC_4103
 伊賦夜坂、黄泉比良坂の入り口

そこに入り、森のなかをしばらく登ると下り坂になり、坂の向こう側に出る。

向こう側には鳥居と大きな岩と黄泉比良坂の案内がある。

いつ頃からか亡き人への手紙を届けるというポストが置かれ。

毎年かなりの手紙が入れられるらしい。

駐車場もあって車で来られるようになっている。

黄泉の国に続く坂にしては割とあっさり抜けてしまうのだが、

どうなんだろう、古代、海はもっと内陸に入っていて、

揖屋から伊賦夜の坂を抜けると海はかなり近かったのではないか。

そしてその海、現在の中海の向こうの弓ヶ浜半島は古代では陸続きではなく、

夜見の島という島だった。

今でも弓ヶ浜半島には夜見(ヨミ)という地名が残っている。


DSC_4107
 森のなかの坂を登り、反対側に下る
DSC_4111
 反対側、岩と案内板と亡き人への手紙を入れるポストがある。
 地本の人の話ではこの岩はあとから置かれたものらしく、最初からあった
 ものではない。千引の岩ということなのだろうが、だとしたら置く場所が
 逆である。黄泉比良坂の入り口すなわちこの世の側はおそらく揖屋の側、
 そちらにあるはずのもの。
 整備するとき駐車場の作れる中海側に作ったのでそうなったのだろう。

ここからは私の推測だが、古代、伊賦夜坂を越えた中海側、あるいは夜見の島は

葬送の地だったのではなかろうか。

伊賦夜坂は死者を送る古代の葬送の道だったのではないか?

それが黄泉比良坂の神話の原型になったのではないか、

そんな気がするのである。

海に続いていたであろう道は今は谷沿いの田園の道である。


DSC_4114
 古代、伊賦夜坂をくだると海はすぐそこだったのではなかろうか。

山陰線の下をくぐり揖屋の方に戻るとその先に揖夜神社がある。

黄泉比良坂をくだり会いにきた伊邪那岐と千引の岩で決別した伊邪那美を祀っている。

静かな出雲らしい神社である。

結構マニアックな場所なので観光客はあまり来ない。

揖夜神社は昔から婦人病に霊験があると言われ、そういう参拝者が多かったらしい。

恐ろしい力のあるものを鎮魂し、その異形の力にあやかる。

日本には古代からそういう信仰がある。

菅原道真の怨霊を鎮め、学問の神として崇める。

平将門を鎮め、神田明神で厄除けを祈る。

それと同じである。

黄泉の国に自分を迎えにきた愛する夫に醜い姿を見られ、

千引の岩の別れで日に千人を殺すと呪った伊邪那美、

その怒りと悲しみを鎮魂し、あるいは封印する。

そして原初の女の異形の力を崇め、病の治癒を祈る。

そういう信仰が古代から揖夜神社には長くあった。


DSC_4116
 揖夜神社 古くは伊布夜の社 建立時期も定かでないが出雲国造の時代には既にあった。
DSC_4117
 境内の荒神 仏教が入る以前の神だが、以前来て最初に見たとき八岐大蛇を連想した。

それにしても伊邪那美を鎮魂し封印したのはいつの時代なのだろう。

神話の原型は弥生の頃だろうか。

3000年~2000年前から現代まで黄泉比良坂の原型になった伊賦夜坂は同じ場所にあり、

今も住宅地に続いているということか。

それも出雲らしくて凄い。

揖屋の駅に戻り、二両電車の各駅停車で松江へ。

まだ時間があったので宍道湖まで歩き、全国大会の会場のホテルに向かった。

長くなるので全国大会についてはまた後で。


DSC_4124
 宍道湖
DSC_4126
 全国大会前に昼食、歌会の前には一杯飲んで戦闘態勢に切り替えるのだが、
 今回は歌会はなし。しかし、黄泉の国に行ってきたのだから、
 やはり禊ぎの酒は飲まないといけない。

 

 

ベルト

アーチェリーの常連仲間からベルトを頂いた。

普段、ジーンズ履いているときベルトをしていないことが多く、

ベルトがないとクイーバー(矢筒)を腰にぶらさげられないので、

ベルトをし忘れてくるとクラブハウスに置いてある他の人のベルトを

借りたりしていた。

それを見て、古いベルトをくれたのである(^^

インディアンと鷲の金具のバックル、ベルト本体は牛革で結構厚い。

バックルの裏を見るとMade In the USAとなっている。かなり頑丈な感じ。

まだまだ充分使える。

それにしてもこんな立派なベルトを頂いてしまうと、それに見合うズボンを

履いていないといけない気がする。

いつも膝が擦れたようなジーンズを履いていて常連仲間にも、

「赤いスポーツタイプの車が来たと思ったら運転席から膝に穴が開いたジーンズを

履いたオヤジが出てきた」と言われたことがある。

ま、着るものとかあまり気にしない性格だからね…(^^;

せっかくいいベルトを頂いたのだから、それに見合うジーンズでも買うことにしよう。

ベルトありがとうございます。

大切に使わせて頂きます(^^


DSC_4091

DSC_4081
 射場風景

選定委員会

横浜市の某選定委員会に行ってきた。

税理士は税理士会を通して公的な機関に派遣されることがある。

たとえば、固定資産評価審査委員会。

固定資産評価額に不服がある場合、一定の期間内に審査の申し立てをすることが

できるわけだが、その審査をするのが固定資産評価審査委員会。

行政から独立した機関として学識経験者・市民・税の専門家などから委員が

選ばれて審査するわけである。

他にも公的な施設の管理受託者の選定について、やはり行政から独立した

委員会がそれを審査したりする。

今回派遣されたのはそういう委員会のひとつ。

もちろん守秘義務があると思うので内容は書けない。

あるんだろうな…?   守秘義務についての説明はなかったけど?(^^;

委員の紹介のあとさっそく審議。

今後の進め方を確認して、

このあと応募業者の審査選定をすることになる。

税理士が派遣されるのは、応募業者の財務状況の審査ということであろう。

人間、たまにはそういうパブリックに係るようなこともした方がいい。

自分の金儲けばかりしていてはダメである。

少しは社会の役に立ちたいと思うわけである(^^;;

5時過ぎ、初回の委員会が終わって庁舎の外に出ると、

まだ明るい五月の日差しがあった。


DSC_4082
  樟の木の若葉

守門岳敗退

残雪の季節、日本の山が一番美しい季節である。

20代の頃、残雪期は上越の山を歩いていた。

雪がなければ藪漕ぎしなければ歩けない尾根も残雪期なら雪を踏んで登れるわけで、

越後三山、利根源流、谷川連峰、この辺の主な稜線はほぼ歩いた。

残雪を踏んで里に降りてくると、辛夷も梅も桜も桃もいっぺんに咲く雪国の春があった。

夏や秋はこのあたりの沢を登り、ビバークの谷から星を見上げた。

上越の山は青春を過ごした場所だった。

今年は残雪がかなり少なく、GW、最初は平標を予定していたのだが、

頂上まで夏道歩きで終わりそうなので守門岳に予定を変更した。

奥只見まで行けばもう少し雪があるかと思った。

4時に横浜を出て関越道をひた走る。

8時過ぎくらいに守門岳の麓に着いて登山口の保久礼を目指すのだが、

道の向こうに車両通行止めの標識があらわれた。

事前に調べて、林道の除雪終了点まで車が入れるということは分かっていた。

しかし、目の前の通行止めはネットで見た除雪終了点にしては雪がなさ過ぎる。

どういうことだ? と思いつつ車を停め、靴を履き替え出発。それにしても守門岳が遠い。


DSC_4019
 最初の通行止め
DSC_4020
 守門岳が随分遠い

周囲は雪解けの田園風景。そのなかをしばらく行くと再び通行止めがあらわれた。

田園風景のなかから川沿いの林道に入るところで道は塞がれていた。

どういうことだ?  ネットに出てた除雪終了点の写真はなに?

道は合っているはずだけどこの林道のまだかなり先だよね?

たぶん、なのだが,,,

最初の車両通行止めの標識には工事関係者以外立ち入り禁止と書かれていた。

保久礼への林道は栃尾に抜ける道であり、冬が終わると除雪作業をする。

除雪作業をしている平日は一般車通行止めで、

除雪作業をしていない週末は除雪終了点まで登山者の車が入れるのかもしれない。

今日は平日である。こういう事情、ネットで調べてもあまり出てこない。

このまま歩いても林道歩きで時間がかかり守門岳には登れそうにない。

諦めて引き返すしかなかった。

苦笑いしながら早春の田園風景のなかを車に戻った。

DSC_4021
 ふたつめの通行止め

このまま帰るのもなんなので、八海山に立ち寄ってみた。

下から見上げる八海山は例年と比べてもかなり残雪が少なく、

これじゃ上は雪がないなとスニーカーのままでロープウェイに乗った。

ところが上に着いてみると少ないけれど思ったよりは雪がある。

登山靴履いてきていれば少し登ったのになと思うわけだが、

足元はスニーカーである。

仕方ないので少し残雪の上を歩いてロープウェイに戻った。

DSC_4026
 トミオカホワイト美術館からの八海山。かなり残雪が少ない。
DSC_4044
 八海山スキー場から見上げてもまるで雪がない。
DSC_4034
 しかし、上に行ったら少ないけれどもそれなりに残雪があった。
 登山靴を履いてこなかったのを後悔するしかない。
DSC_4037
 向こうは奥只見の方かな
DSC_4041
 ロープウェイの横から巻機山方面

そのあと十字峡にも行ってみたが、

かつて残雪の利根源流の山を越えて越後側にくだってきたとき、

辛夷や桜や桃がいっぺんに咲いて桃源郷のようだった野中の里も、

既に花が終わってフツーの山里にしか見えなかった。

温暖化で雪解けが早くなり、

青春の頃歩いた山も変わってきてしまっているのだろう。

なんだか寂しい気分だった。

DSC_4049
 三国川ダムからの野中の里
 辛夷も桜も桃も終わっている。

時間が余っていたので新しく作られた「魚沼の里」に立ち寄ってみた。

日本酒の八海山を作っている八海山醸造がテーマパーク的に作ったところらしく、

いろいろな店があってちょっと面白いところである。

DSC_4047
 魚沼の里の菜の花
DSC_4046
 ビールの試飲とノンアルコールビール。
 ノンアルも美味しかった。

残雪の山を登れなくて不完全燃焼だったが、

春の上越を楽しんで越後湯沢の温泉でゆっくりして帰ってきた。


DSC_4060 
 夜は越後湯沢の五郎で夕飯、関東ではあまり売ってない「さわがに」
 それほど高い酒ではないが美味しい。
  

歌会

一年振りに福島の歌会に行ってきた。

花咲か爺ではないが、桜が咲く季節になると福島に行く。

歌会のついでに桜を見に行くのである。

というか、桜のついでに歌会かな

ま、そんなこと言うと福島の歌会の人に怒られるので、

あくまでも建前は歌会のついでに桜である(^^;

横浜を6時過ぎに出てシビックで東北道すっ飛ばして福島についたのが10時半。

桜の季節ということだろうか、東北道が割と車走っていて時間かかった。

福島駅の駅ビルで土産を買って横浜に送り、昼飯を食べて午後1時に会場へ。


DSC_3985~2
 福島駅前、「ミニ花見山」の展示、桜が咲いている

DSC_3986
 歌会前の昼食、禊の酒を一杯ひっかけて戦闘モードに切り替えて歌会へ行く


出席者は8人。今回は連作の歌会。15首くらいの連作を出しての歌会なので、

8人でも40首くらいあるわけで、時間を考えながらの歌会になった。

いずれの作品もなかなか面白くて、いい歌会だったのだが、

結社の選者でもある梶原さい子の連作が良かった。

短歌の批評は、その歌の良いところあるいは歌の問題点を理由を示して分析し、

それを言語化して、その歌の鑑賞を他者と共有、あるいは議論できるように

することである気がするのだが、

現実の歌会ではえてして、理由を示したくてもそれをうまく言語化できないことが

ままあるわけである。

例えば、梶原さい子の連作のなかの一首、

風の日の・・・道を急ぎつつ・・・春に研がれている

というような歌について(発表前なので一部変えて、一部・・・にしている)

三句の「急ぎつつ」が気になると発言したのだが、

「自分がこの歌を作ったとしたら、この言葉が最後まで気になる気がする」という

理由にならないような理由を言っていた、というか、気になる理由をうまく言語化

できないでいるのである。

で、歌会が終わってあらためて読み直してみると、

この歌に続く連作の最後の歌にも「風」が出てくるのだが、

この連作のなかで問題の歌の初句の「風」は無視できない言葉であり、

一方、三句の「急ぎつつ」は「春に研がれている」につながりやすく、

むしろ、連作のなかで大切な「風」を微妙に邪魔しないだろうか。

「急ぎつつ」「春に研がれている」のではなく。

「風の日の」「春に研がれている」のではないのだろうか。

もちろん、これは私が感じたことであり、

梶原さい子の表現しようとしたこととは違うかもしれない。

そういうところの意見を戦わせるのが歌会だと思うのだが、

自分に力が足らず、言語化できないまま意見を戦わすことが出来なかったのは残念だった。

それにしても今回の梶原さい子の連作は歌会のなかで1ランク上という感じだった。

さらなる彼女の活躍を期待している。

歌会のあとは懇親会、

そのあとは飯坂線で飯坂温泉へ。先に飯坂に行っていた息子と合流し夜の飯坂で再び一杯。


DSC_3987
 歌会風景

DSC_3988
 夜の飯坂温泉


翌日は東北道沿いに、二本松城、白河小峰城の桜を見て横浜に帰った。

去年は三春の滝桜を見に行ったが、今回は息子の百名城めぐりに付き合うついでの

桜になった。


DSC_3990
 二本松城と桜

DSC_3992
 白河小峰城と桜

アーカイブ