焼岳

北アルプス焼岳、かつて大噴火して梓川を堰き止め大正池を作った2455mの火山。

今も噴煙はあげているが比較的落ち着いているので登山の対象になっている。

昨年、一月の末に中の湯温泉に泊まり冬の上高地を歩いてきた。

今年は中の湯から焼岳を目指した。

冬は四駆スタットレスの車でなければ入れないという中の湯に夕方チェックイン。

まずはゆっくり温泉に入り明日に備える。


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 中の湯から穂高方面、霞沢岳に雲がかかっている


翌朝、朝食を済ませて宿を出発したのが810分。

宿の後ろの急斜面を上の林道までショートカットで登る。

林道に出るとその向かいが焼岳の登山口。

ここから雪の樹林のなかを登っていくのだが、しっかりトレースがついていて、

3時間ほどで焼岳の北峰と南峰が望める広場に出る。

無雪期はここから沢を渡り北峰に登るのだが、

冬は沢筋が雪崩で危ないので広場から左の尾根に取りつき南峰を登る。

朝のうちは天気が良くて、登っている最中も木の間から穂高の吊尾根が見えたりして

いたのだが、だんだん天気は悪くなって広場に着いたときは北峰は見えたが南峰は

雲の中だった。ここでアイゼンを着け南峰を目指す。


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 雪の樹林


斜面を登ってゆきやがて火口の縁に出る。

というか、天気が悪くなって周囲が見えなくなってきているので地形からして

そうなのだろうという話。ここから右の雪の斜面を登れば頂上のはずである。

ちょうど上から下りてくるパーティーがいたので見当をつけて我々も登る。

もともと上の方は雲のなかだったのに加え、天気も悪くなってきているので状況は

あまりよくないのだが、それにしてもここから先、上に向かっているトレースが少ない?

先行していた登山者の数からしてもっと歩いた跡が雪の上にあっていいはずなのだが、

やけに少なくなっている。なんで?と思いながら斜面を登り、

ふと後ろを振り向くとホワイトアウトのなか、

風に吹かれて自分達のトレースも消えてゆき登ってきたルートが見えなくなっていた。

自分の後ろには白い世界があるのみである。

これはヤバイと思った。早くくだらないと下山ルートを見失う。

少し先を登っていた息子を呼び戻しすぐに降り始めたが、

広場が見えるあたりまで下るまではルートがわかりにくかった。

頂上近くでトレースが少なくなったのはホワイトアウトで引き返したバーティーが

多かったのであろう。

ある程度くだれば頂上付近を覆っていた雲の外に出て風も弱まり、

回りの視界が開けてきた。


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 ホワイトアウトのなかの焼岳南峰、頂上はすぐそこだったが引き返した。


広場に着いてアイゼンを外し簡単な食事を摂って下山。

雪の樹林を2時間ほど下って3時40分中の湯に戻る。

頂上は踏めなかったが頂上のすぐ下まで行っているので今回の山行はこれで良しとする。

冬山は天気次第、天気には勝てない。

それにしても中の湯はいい。

ここの温泉は無色透明な温泉である。

去年来た時、雪に包まれた露天風呂を見たせいか温泉が白いイメージがあった。

人間の記憶って結構いい加減なものである。

濁り湯ではないが中の湯の温泉はいい。

雪と森を眺めながらゆっくり温泉に入る。

夜は酒三昧。

翌朝起きてみれば雲一つない好天気である。

穂高の吊尾根が綺麗に見える。

去年もそうだったがここに来る度に最終日が一番天気がいいのは何故なのだろう。

来年また冬の北アルプスを歩きに中の湯に来よう。


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 最終日、中の湯のロビーから穂高連峰


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 中の湯

伊豆山稜線歩道

先週、今年最後の山登りで伊豆山稜線歩道に行ってきた。

修善寺駅の近くのパーキングに車を停めてバスで大曲茶屋へ。

今月は忙しくて出発前あまり調べている暇がなく、

ネットで見つけた山行記録をさっと読んだだけでやってきたので、

大曲茶屋でバスを降りて、

はて?  ここからどう行けばいいんだ?(^^;

登山口の案内もなにもない。

とりあえず山の方に行けばいいんだろうと歩き始める。

大曲の名前のとおり大きく曲がる車道を延々と歩いていくと

「舩原峠入口」という
バス停があった。

えっ!?  ここにバス停あんの?  ここまでバスで来れば良かったんじゃないか?

あとで調べてみたら今年の41日に出来た新しいバス停で、

それでネットの古い山行記録は大曲茶屋から歩いていたわけである。

舩原峠入口までバスで来れば20分くらい短縮できただろう。

道路挟んで向かい側には西伊豆スカイラインから下りてくる車道がつながっている。

たぶんこちらだろうとその車道に入る。登っていくと西伊豆スカイラインが行く手を

横切っていて、我々は右に入ってくる車道をさらに登ってスカイラインに出たが、

これもあとで調べたら、スイカラインの下をくぐり左側にある階段を登って

スカイラインに出るのが一番早かったらしい。

10月からのインボイス、来年1月からの電子取引データ保存、

それで仕事に追われてろくに調べもせず山に来るからこういう失敗をする(^^;;

ま、いいや、気を取り直して歩き始めるとすぐに標識が現れた。

その標識に従って山稜線歩道を達磨山方面に進む。


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 車道を登って西伊豆スカイラインに出たところ。
 事前の情報収集不足でだいぶ時間ロスした。

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 少しいくと伊豆山稜線歩道の標識があった
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 穏やかな山稜線。一番右が達磨山。向こうの海は駿河湾。


いかにも伊豆らしい明るい穏やかな尾根道である。

やがて展望が開け、行くてに達磨山に続く山稜、左てに駿河湾が見える。

富士山も見えるが頂上あたりに雲がかかっている。

天気はいいのだが、風が強い。

駿河湾から相模湾への風の通り道になっている峠のあたりは、

歩いていて飛ばされそうなくらいに強い風だった。

伊豆山稜線歩道はところどころ西伊豆スカイラインの車道を歩くのだが、

車の方に飛ばされそうでガードレールにつかまって歩く感じ。

伊豆の山でこんな強い風に吹かれたことはない。


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 土肥が見える。


登山道の両脇の笹の丈の高いところで風をよけてお湯を沸かして昼食。

さらに風のなかを進んで達磨山。頂上で写真を撮っただけですぐに歩き始める。

なにしろ休憩していると風に叩かれる。

それにしても風が吹いていなければ気持ちのよいトレッキングコースである。

そのまま金冠山まで歩き、達磨山高原レストハウスに降りる。大曲茶屋から4時間半。

バス停に着いてすぐにバスが来た。そのバスを逃していたら次のバスは3時間後だった。

バスで修善寺駅に戻り、停めてあった車で今日の泊まりの修善寺温泉へ。


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 達磨山

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 達磨山から山稜線歩道を北へ
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 戸田が見える
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 金冠山


温泉で汗を流したあとは修善寺に来るといつも行く居酒屋で今年の山行の打ち上げ。

感じのいい母娘がやっている居酒屋で、場末感たっぶりだが気に入っている。

酒を飲んで今年の山行を振り返り、いい気分でホテルに戻ってからは記憶にない(^^;;;


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 年末年始は特別なお酒という案内があり、飲み比べセットがあったので頼んだら、
 小さいグラスじゃなくて普通のコップで三杯きた。 
 一杯ずつ頼むより100円安くなるんだそうだ。
 それって飲み比べセットっていうの? 飲み比べって普通小さいグラスだろ(^^;?  
 左から八海山、酔鯨、白隠正宗。


 

今年のつれづれ日記はこれで終わりです。

また来年お目にかかります。

それでは皆さん良いお年を。


ネパール ランタン谷 4

昼食ののちランタン村へ下山開始。

昨日登ってきたマニ石の道を歩き、ヒマラヤの黄葉を眺めながら下り、

U字谷の広やかな風景のなか、ヤクの放牧地を過ぎるとランタン村。

ここで一泊、夕食のときに血中酸素濃度を測ってみたら全員少し上がっていた。

300mの標高差でもやはり降りてくると高度の影響が和らぐ。


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 ランタン村への下りに振り返る

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 マニ石の続く道

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 ヒマラヤの黄葉
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 途中の小屋でヤクの皮。温かいんだそうで100ルピーで
 売ると言っていたが、売ってくれても持って帰れない。
 この小屋のオバチャンが、地震の前は日本人が大勢きたけど、
 地震のあとは来なくなった。また日本人に来て欲しいと言っていた。
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 ヤクの放牧地
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 U字谷をくだるとランタン村が見えてきた


翌日はサルの群れがいる森のなかの登山道をくだったりしてラマホテルへ。

このラマホテル、やはりランタン谷トレッキングの鬼門で、

登ってきたときよりは空いていたが、それでも結局1部屋しか空いておらず、

2ベッドの部屋に3人で泊まる。

いささか窮屈で夜中ときどき目が覚めた。


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 2ベッドの部屋に3人、夕食のときに話をしたネパール人のグループは
 同じ部屋に4人で泊まったらしい。

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 途中の小屋で、小屋の子供達と遊ぶ犬


翌日は出発点のシャブルベンシ。

途中、谷のかなり下に降りてきたところで対岸にサルが沢山いてこちらを見ていた。

まるでランタン谷から帰る我らを見送ってくれるような…(^^;

やがて向こうにシャブルベンシが見えてくる。

シャブルベンシからチベットとの国境に続く道も見える。

あの道をチベット動乱のときは大勢の難民が逃げてきたはずである。

日本の左翼が中国礼賛の陰で無視し続けてきたチベット。

そのチベットの大地はここから直線距離で12kくらい。

歩いても行ける距離だが、

たぶん途中に検問所があって、許可がないと追い返されるんだろう。

これで我々のランタン谷トレッキングは終わり。


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 シャブルベンシが見えてきた

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 チベットへ続く道


シャブルベンシまでくだったら体調不調だった仲間もすっかり元気になった。

頭痛やふらつきという症状は見られなかったが、やはり軽い高山病だったのだろう。

ホテルでゆっくりし、数日振りにシャワーを浴び、

ランタン谷最後の夜はガイドとポーターも交えて地元の酒ロキシーを飲んだ。

ロキシーというのは米やヒエで作るネパールの焼酎。結構おいしかった。

ローカルな酒でこの後、カトマンズのレストランでロキシーを注文しても置いて

いなかった。ガイドの話では自分の家で作って飲むのは構わないが、売るのはダメ

なんだそうで、そうするとシャブルべンシのホテルにあったロキシーは、

ホテルで作ったものでなければ密造酒ということになるのか(^^;;

翌朝、今までよりゆっくりして車でカトマンズへ。

6時間ほどかかってヒマラヤの大きな尾根を下り、ネパールの農村風景のなかを走り、

再び山越えをしてカトマンズ盆地。

3時頃、トレッキングに不要な荷物を預けておいたFUJIHOTELに着いた。


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 シャブルベンシでカンボジアと同じペットボトルのガソリンスタンド

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 カトマンズへの途中で最後にヒマラヤの峰を眺める。
 このしばらく前のところではシシャパンマが見えていたのだが、
 車が揺れて写真撮れなかった。
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 カトマンズへの途中で昼食 ネパールで一番ポピュラーなメニュー、ダルバード。
 最初の夜カトマンズのレストランで食べたダルバートは観光客向けのちょっといい
 ダルバートだったが、これは普通のネパール人が食べるダルバート。
 豆のスープをご飯にかけ、まわりの具と混ぜて食べる。
 

ネパール ランタン谷 3

ランタン村の朝は寒い。

ガイドの話ではランタン村は風が吹くので寒いのだそうで、

この上の標高3800mのキャンジン・ゴンパの方が風が吹かないので暖かいという。

高度馴化ということなのだろう、今日の予定は3500mのランタン村から3800m

キャンジン・ゴンパに登るだけ。予定時間は4時間。

村の後ろの斜面を一気に登るとその先はゆるやかな登りに変わる。

やがてマニ石の続く道になる。

チベット仏教のお経が書かれた石が道沿いに積まれている。

ガイドの話では、古いのもあり、大地震のあとの新しいのもあるらしい。

マニ石の左側を歩くのがルールなのだそうだが、

ヒンズー教徒とか異教の人はその辺あまり気にしていないらしい。


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 ランタン村の朝

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 朝食はチャパティとブラックティー
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 マニ石の続く道
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 キャンジン・ゴンパへ
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 ヤクは割と小さいのだが、このヤクは大きかった。道をを横切っていった。

谷は明るく向こうにはヒマラヤの高峰がつらなっている。

富士山と同じくらいの標高になってくるのだが、特に高度の影響は感じない。

ヒマラヤの美しい風景のなかを登っていくとキャンジン・ゴンパが見えてきた。

高地の寒々とした宿泊地かと思っていたが三階建てくらいの建物もあって、

想像していたのと全く違った。

聞けばランタン村の住民がトレッカー相手にホテルを作ったりして、

それなりの大きさの集落になったらしい。

キャンジン・ゴンパの後ろには明日登る予定のキャンジン・リ(4300m)が茶色く

盛り上がっている。周囲の高峰のなかにあってはキャンジン・ゴンパの裏山に

過ぎないのだが集落からの標高差は500mある。


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 キャンジン・ゴンパの手前、水力のマニ車が回っている

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 仏塔があった
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 キャンジン・ゴンパ
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 キャンジン・ゴンパの少し奥の方。正面に見えるのはヤラ・ピーク。
 キャンジン・ゴンパから一泊で登れる。
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 キャンジン・ゴンパのヤクのチーズ工房
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 ヤクのチーズ 量り売りしてくれる

日本とまったく違う風景を眺めホテルに入り明日に備える。

ただ、メンバーのひとりが昨日から食欲がない。

夕食の前に血中酸素濃度を測るとだいぶ下がっている。

一見、高山病の症状は出ていないのだが高度の影響もあるのかもしれない。

もしそうであればすぐにでも下に降りた方がいい。

高山病への対処はともかく下に降りることである。

明日はキャンジン・リに登りキャンジン・ゴンパにもう一泊する予定なのだが、

夜、ガイドを交えて話し合った末、明日の午前中に体調を崩していない2人だけで

キャンジン・リに登り昼までに帰ってきて、その日のうちにランタン村まで下ろうと

いうことになった、

翌朝、まだ暗いが天気はいい。

食堂の窓から見るとランタン・リルン(7234m)の左側に月が出ている。

朝食を済ませいつものブラックティーを飲んで出発。


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 右の白いのがランタン・リルン。左の黒い山の稜線に小さな月が引っ掛かっている。


別にどうということもない裏山なのだが、標高は富士山を越えているので、

無理すると息が切れる。

急登の連続なので効率よく高度は稼げる。

やがて稜線に出ると左の岩峰にタルチョ(チベットの祈祷の旗)がはためいている。

回りの景色はランタン・リルンと氷河、キムシュン、ヤラピーク、ナヤ・カンガ

ガイドが説明してくれるのだが名前が難しくて覚えられない(^^;

空の青は深い。

その下に聳えるヒマラヤの高峰と氷河を間近から見ることが出来て、

ただ立ち尽くしている。

しばらくののち下山。

昼からランタン村まで下りるつもりなので、そうゆっくりしていられない。

ヒマラヤの峰、ヒマラヤの谷の風景を眺めながらキャンジン・ゴンパに昼前には降りた。

ガイドから高地では止められていたアルコールだが、

もう飲んでいいですよと言われて美味しいビールを飲んで昼食。

そのあとすぐにランタン村へ下る。


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 4300mピークへの途中から

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 タルチョの岩峰

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 ランタン・リルンと氷河

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 温暖化のせいか氷河の下の方が消えている。この下に氷河湖がある。
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 キムシュンかな?
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  谷の反対側

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 4300mピークからタルチョはためいていた岩峰
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 キャンジン・ゴンパを見下ろす
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 3800mまで降りてきてまずはビール。つまみは昨日買ったヤクのチーズ。

ネパール ランタン谷 2

シャブルベンシの朝、鈴の音で目が覚めた。

ホテルの窓から見ると荷物を積んだロバの列が次々と進んでゆく。

車が入れないランタン谷の村や宿泊地に荷物を運ぶのであろう。

朝食を済ませ出発。ガイドのビルはグルカ兵みたいな精強なおっさんで日本語ペラペラ。

羅臼のホテルで半年くらい研修で働いたこともあるらしい。

ポーター2人は彼の親戚だそうだ。

谷に入り、谷沿いの上り下りする道を進む。

渓谷の道を進んでゆくと向こうに小屋が見えてくる。

ランタン谷のトレッキングルートには主な宿泊地のほかにところどころに小屋があり、

ネパール人の若者のグループは若者らしく金がないので、そういう小屋に泊まって

宿泊日数を少なくしてランタン谷に来るらしい。

そのひとつの小屋の手前、谷の向こう側に木を立て旗をつけているところがあり、

ガイドの説明では温泉だという。

入れるのかどうかは分からなかった。


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  ランタン谷に荷物を運ぶロバ
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 ホテルを出発
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 ランタン・コーラ(川)に沿って谷に入る
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 谷の道を進む
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 向こうに小屋が見えてきた
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 見えにくいが対岸の木を立てているあたりが温泉


さらに進むと対岸の崖に大きな蜜蜂の巣があった。

あれが蜂の巣かというくらいの大きさ。

一日で標高差1000m以上登るので、結構きつい。

辛抱して登ってゆくと今日の宿泊地ラマホテルに着く。

ラマホテルと言ってもホテルの名前ではない。昔、ラマ教の寺があったという場所の地名。

ここの宿泊がこのトレッキングの鬼門だった。

10年前まではネパール人はトレッキングとかしなかったらしい。

ヒマラヤトレッキングは外国からの観光客がするものだったらしいのだが、

ネパールが経済的に豊かになるにつれ、

ネパール人もトレッキングをするようになったらしい。

で、どうなったかというと、

ランタン谷トレッキングの初日の主な宿泊地であるラマホテル。

上のランタン村と違って、もともと人は住んでいないところに作られた宿泊地で

建築の制限があるらしく、宿泊できる人数に限りがあるところに、

下から登ってくるトレッカーと上から下りてくるトレッカーが集中し、

つまりパンクである。

我々はこの日2部屋予約してあったのだが、

結局、ここしか空いていないということでテント泊になった。

ま、海外ではあるだろうね、こういうこと(^^;

ちなみに帰りもラマホテルに泊まったのだが、

やはり一杯で2ベッドしかない部屋に3人で泊まることになった。

夕食のとき、隣にいたネパール人のグルーブにそれを話したら、

彼らは同じ2ベッドの部屋に4人だった(^^;;


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 対岸の崖の大きな蜜蜂の巣
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 途中の小屋で昼食 チベットの麺料理トゥクパ
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 吊り橋を渡る
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 花の名は分からない
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 エーデルワイス?
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 この橙色の花は麓の道の辺や家の庭にもあった。
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 ラマホテル
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 結局、テント泊


翌日、ラマホテルを出てさらに登る。今日も標高差1100mを登らなければならない。

だんだん高度をあげてゆくと回りの景色も変わってきて、

やがて谷の向こうにヒマラヤの白い峰が見えてくる。

この辺で標高は3000mくらいか。

道の傍らにシャクナゲの木がある。

ネパールといえば杉の木のような大きなシャクナゲの森があり遥か頭上に赤い花を

咲かせるらしいのだが、そういうシャクナゲはもっと南の方で、

この辺のシャクナゲはそこまで大きくはならず白い花を咲かせるらしい。

地形はやがて氷河が削ったU字谷になってゆく。

植生も変わり大きな木が少なくなってくる。

さらに行くと右岸から大きく崩れた斜面が谷に広がり、

その向こうにランタン村が見えてくる。

2015年、ネパールで大地震が発生し、ランタン村は岩雪崩に押しつぶされ壊滅した。

トレッカーを含む350人以上の死者が出た。

右岸から大きく崩れた斜面の下に、ランタン村は埋まっている。

多くの死者もそのまま埋まっているらしい。

その斜面の向こうに見えるランタン村は地震後に新しく再建された村である。

今日の宿泊はその新しく再建されたランタン村、標高約3500m


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 荷物を運ぶロバとすれ違うときは山側にいないと危ない。
一度、荷物ぶつけられて倒れた。谷側にいたら谷に落ちる。

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 谷の向こうにヒマラヤの峰が見えてくる。

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 登るにつれ明るい谷になってゆく

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 ヤクがいた。
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 休憩した小屋、この辺はあきらかな氷河地形、U字谷。
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 サルがいる
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 白く崩壊しているところが岩雪崩のあと。ランタン村はそこに埋まっている。
 その向こうに見えるのが再建されたランタン村。
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 ランタン村
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 ランタン村はチベット動乱でチベットから逃げてきた人が多く住んでいるらしい。
 ダライ・ラマの写真があった。
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 夕食のシェルパシチュー。これにご飯をぶっこんで食べる。美味しい。

ネパール ランタン谷

新型コロナのためしばらく海外に行けなかったが、

制限がなくなってきたので、ひさしぶりに出かけてきた。

ネパールのヒマラヤトレッキング。

201912月に雲南の麗江から長距離バスでチベット高原の東の端に行ってきて以来だから、

310か月ぶりの海外である。

成田から直行便でカトマンズ。7時間半くらいで着く。

直行便が飛ぶ前は中国や東南アジアあたりで乗り換えだったのだが、

直行便が就航してネパールはぐっと近くなった。


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 成田からネパール航空の直行便


入国審査等わりとスムースで、空港からタクシーでホテルに向かう。

宿泊はネットでとったFUJIHOTEL

日本語の話せるスタッフのいるホテルでトレッキングの前後このホテルに泊まったが、

便利でそう高くもなくいいホテルだった。

ひと休みしたあと夕食に出かける。

しばらく街を歩いてみるがそれだけでネパールは多民族の国だとわかる。

アーリア系、チベット系、インドのドラヴィタ系なのかかなり色の黒い人たちもいる。

雑然とした街の細い道を車がよくぶつからないなと感心するしかないように走ってゆく。


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カトマンズのトリブバン国際空港に着く

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 カトマンズ タメルのあたり
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 ラムを飲みながら夕食のダルバート。
 観光客向けの店なので割といいダルバート。
 ダルバートはネパールで普通に食べられているメニューで一般的なのはもっと素朴


翌日、現地ツアーの迎えの車が来てランタン谷に出発。

混雑したカトマンズの市街を抜けて、一度尾根を登り向こう側の平野に下り、

さらにその向こうの尾根を登り延々と走ってランタン谷へ。

大きな渓谷の一方の山の斜面に付けられた道を走っていると、谷の向こう側の斜面の

さらに高いところに集落があり段々畑がある。

どうやってあんな尾根の高いところで暮らしているんだ? とつくづく思う。

日本と違って風景が大きい。


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 カトマンズの街を抜けてゆく。この写真は人が少ない。もっと凄い。

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 尾根を登ってゆく
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 途中の検問所で、自動小銃構えた兵士に「写真撮っていいか」と聞いたら、
 立てた指を横に振ってノン。もうひとりの兵士が向こう側なら撮ってもいいと
 言うので撮ったのがこの写真。つまり検問所と兵士は撮影禁止。
 ちなみにこの写真を拡大すると向こうにヒマラヤの白い山なみが見える。
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 向こうから来た大型車をやり過ごす。
 さりげなく道の左端に停まっているようだが、ガードレールのない道の端を
 踏み外せば数百m下の谷底に落ちる。


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時間のドライブののちランタン谷の入り口のシャプルベンシに着く。

標高1430mの街、もともとはここから12kほど先にあるチベットとの国境交易の

ルート上にあり、交易に従事している人たちの街だったのだろうが、

今は交易と同時にランタン谷トレッキングの入り口として人々が行き来している。

ここのホテルに入り、明日からのトレッキングに備える。


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 シャブルベンシのホテル

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 街並みはこんな感じ。谷の間をチベットへの道が続いている
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 国境に向かう車が列をなして停まっていた。
 なにかの事情で通れなくなっているとガイドが言っていた。

 

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