神のごと魚沼三山ならびたまふ関越自動車道をひた駆けくれば

                         / 宮柊二『白秋陶像』

 

宮柊二は新潟県魚沼の出身。

魚沼三山とは越後三山の別名であり、

彼の故郷からその山なみは大きく見えただろう。

魚沼は私にとっても特別な場所である。

奥利根、越後三山、谷川連峰と続く山なみは若い頃から登っていたフィールドで、

谷や岩、雪の稜線にそれこそ通い続けた山域である。

東京から関越道を走り新潟に入ると、

塩沢のあたりから魚沼三山のひとつ八海山が見えてくる。

中の岳も見えるだろうが、駒ケ岳は八海山の向こうになってしまい、

見えないのではなかろうか。

もちろん、車を運転しながら山を細かく観察しているわけではないので断定はできない。

いずれにしろ、魚沼三山というのは、魚野川の支流、水無川の源流を囲むように立っている

山々なので、方角からして小出あたりまで行かないと、関越道から魚沼三山すべては

見えない気がする。

そう思って調べてみると関越道の川口SAの案内に、ここからの魚沼三山の眺めが

素晴らしいというような記事があった。

川口SAは小出の先、宮柊二の故郷・堀之内の近くである。

さらに調べてみたら新潟県のHPに川口の村から見た魚沼三山の写真があった。

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  左から 駒ケ岳 中の岳 八海山    出典 新潟県庁

「神のごと」と山を形容するのは、雪をかぶって白く輝く山のような気がする。

ちょうど川口の村からの写真のような雪に輝く山。

宮柊二は、そういう故郷の山を見たのではなかろうか。

ところで「関越自動車道を」の字余りはどうだろう。

11音。かなりの字余り。

「関越道を」ならば7音定型である。

なぜ、宮柊二はあえて11音の字余りにしたのだろうか?

「関越道」という省略した言い方は当時すでに普通に使われていて、

言葉としては違和感はなかっただろう。

一首として、定型に収めた方がいいか、あえて字余りをとるか、という問題である。

「関越道」と「関越自動車道」、繰り返し頭のなかで読み直してみた。

「関越道」だと定型に収まり形はすっきりする。

しかし、「神のごと・・・ならびたまふ」という高揚した上句に対し、

下句があっさりし過ぎてしまう気もする。

そのためにあえて宮柊二は字余りにしたのだろうか?

ちなみに、関越トンネルが開通し、太平洋側と日本海側が一本の高速道路で繋がったのは、

1985102日である。

それまでは東京から新潟に車で行くためには途中で高速道路から一般道に入り三国峠を

越えなければならなかった。冬は豪雪と雪崩で通行止めになることもあり、時間もかなり

かかった。東京から高速一本で行けるようになり、宮柊二はその年の冬か翌年の春、

まだ山の雪が解けない間に故郷を訪ねたのではなかろうか。

宮柊二が自分で車を運転したのか誰かに運転してもらったのかは知らない。

いずれにしろ彼は全通してまもない関越自動車道を故郷に向けてひた駆けたのである。

そして、神のごとならぶ故郷の山を見た。

宮柊二は関越自動車道が全通した翌年の198612月、急性心不全で死ぬ。

 

宮柊二が見た魚沼三山。

それとちょうど逆の視点、魚沼三山から魚沼を眺めた歌を詠んだことがある。

魚沼は若い頃から通い続けた場所であり、自分の歌集『石榴を食らえ』にも

何首か入っている。そのうちの一首。

 

  まんさくの群れ咲く尾根を登りきて振り向き見れば魚沼平野

                           / 『石榴を食らえ』

 

ちょうど今頃、魚沼三山の山にはまんさくの黄色い花が咲いている。