韮山反射炉。幕末に大砲鋳造のために作られた溶鉱炉である。
幕府に反射炉築造を命じられたのは旗本の江川太郎左衛門。
海防の重要性を説き、お台場を作ったのも江川太郎左衛門であり、
この反射炉で作られた大砲はお台場に設置された。
明治期日本の産業革命遺産として他の遺産とともに世界遺産に登録されているが、
登録されているもののなかで、韮山反射炉だけは明治ではなく江戸時代のものである。
現在は伊豆の国市になっているが、田圃のなかを走っていった先に韮山反射炉はある。
広い駐車場に車を停めると木立ちの向こうに反射炉が見える。
幕末に作られた西洋式溶鉱炉としてそれなりの大きさを思い浮かべていたが、
行ってみると思っていたより小さい。
そのあとボランティアガイドであろうか、係の人のあとについていくと、
反射炉のところでいろいろ説明してくれる。
反射炉の仕組みなどを聞き、中を覗き込む。
炉で溶かした鉄を傾斜に沿って鋳型に流し込み、
一カ月くらい冷やして大砲の原型を作る。
それを取り出し、水車の動力で機械を回し加工していく。
一門の大砲を作るのにかなりの日数が必要だったらしい。
写真で見る反射炉の大部分は煙突である。
反射炉そのものは下にあって、そこで石炭を燃やし、熱い空気は高い煙突に流す。
空気は細いところを通すとスピードが出る。その熱い空気を高い煙突に通すことで
上昇気流が生まれ、それが炉の入口から空気を吸い込む力になる。
それによって、ふいごのような人工的なものを使わなくても
炉のなかに酸素を供給することが出来る。
そのために反射炉には高い煙突がついている。
反射炉本体の構造も、熱の反射を利用して炉のなかの一点に鉄を溶かせる高温を
集められるよう内側にカーブをつけて作っているわけで、
原理はいずれもいたってシンプル。
しかし、そのシンプルな原理を用いて鉄を溶かす高熱を出せる反射炉を作り出した
煙突は4本
この土の部分に大砲の鋳型を埋め、そこに溶けた鉄を流し込んだ
作った大砲が展示してある。
司馬遼太郎は明治をこの国の青春ととらえたが、
160年前、この国の将来を憂いた男たちが試行錯誤しながら大砲を作っていた跡に立つと、
それが分からなくもなかった。
反射炉のかたわらにあるレストランで地ビールを飲みながら、
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