NHKの朝のニュースでインパール平和資料館の紹介をしていた。

昨年の4月、インパールを訪ねたが、そのときに立ち寄ったレッドヒルの麓に

平和資料館は作られた。

確か今年の6月末にオープンしたはず。

レッドヒルはミャンマーからインパールに続くティディム道の途中にあり、

インパール作戦の激戦地のひとつ。

昨年行ったときは、インド平和記念碑と少し離れた場所に日本軍の慰霊碑が

あるだけの場所だった。

そのときインパールの戦跡を案内してくれたアランバムも、

今回のインパール平和資料館の建設に係わったスタッフのひとりらしい。

アランバムは地元インパールでガイドをしながらインパール作戦の研究をしている。

個人的にも資料館を作っていて、あるいは彼の資料館の資料も多少寄贈したのだろうか?

あるいはニュースにアランバムが出てくるかと思って見ていたが彼は出てこなかった。

インパールとコヒマ、さらに飢えた日本軍が退却していった白骨街道の入り口まで

行ってきた。そのあたりはしばらく前まで外国人が入れなかったナガランド。

マニプールにはモンゴロイド系の人が多く、

インパールの空港では外国からの観光客は別途チェックを受けないといけないのだが、

なぜか私はそのカウンターの前を声をかけられることもなく素通りしてしまった。

観光客に見えなかったらしい(^^;

ナガ族と間違えられたのかもしれない。つまり、そのくらい日本人と顔立ちが似ている。

インパールは広やかな土地だった。

こんな広やかな土地で戦車も大砲もなくどうやって戦うつもりだったのか、

インパールで最初に思ったのはそれだった。

その辺のことは昨年の4月このブログに書いた。

ニュースを見ながら、インパールのその広やかな風景を思い出した。

飢えた兵士達がミャンマーに退却していったインドとミャンマーの国境の山々の

風景を思い出した。

平和を語るなら戦争を知らなければならない。

自分の足で戦場を訪ね、自分の目で戦場を見なければ、

そこで戦った兵士達の悲惨を知ることは出来ないだろう。

インパール平和資料館が平和のために戦争を記憶する場所として

あり続けることを願っている。

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   インパール平和資料館  出典 日本財団

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  昨年4月行ったときの写真 レッドヒル

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  インド平和記念碑