藤沢での歌会、例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

春が立つ開く駆け出す・・・あこがれの扉を・・・響かせて、

そんなような歌意の歌。

なんというか、若い感覚の歌というのか、人によっては苦手とする種類の歌である(^^;

この歌について批評を指名されたのだが、

考え込んでしまった。

たぶん、風で扉がばたんと開いたか閉まったか、そんなシーンなのだろう。

それを「春は立つ開く駆け出す・・・」と表現しているのだろうが、

「あこがれの扉」というのがどうも気になった。

この歌、具体を感じないのである。

風で扉が開いたか閉まったかしたシーンだと想像できるのだが、なにやら具体を感じない。

たぶんそれは「あこがれの扉」だからである。

これが歌を抽象的なイメージにしてしまっている気がする。

それに、「立つ開く駆け出す」だと扉の外に出ていくような...。

春がやって来るのでなく、外に行ってしまう。

その辺の微妙な違和感。

どうもその辺が気になり、否定的なコメントに終始した。

その日の歌会には、吾が師匠の岡部史さんと選者の真中さんが来ていたのだが、

岡部さんも私とほぼ同意見だった。

しかし、選者の真中さんは違った。

まず、「立つ開く駆け出す」のリズムがいいと。

「立つ」2音、「開く」3音、「駆け出す」4音と順番に並んで音が増えていく、

これが春の躍動のリズムを感じさせると。

なるほど。

こういう視点があったか...。

新鮮な指摘だった。

こういうリズムの効果を狙って作っていたのなら、ちょっと見直さなければならない。

で、「あこがれの扉」もこれでもいいのではないかという話だったが、

その辺はやはり疑問が消えない。

たとえば、少年が扉をばんと開けて出ていくような構成だったらどうだろう。

春の巣立ちのイメージを表現できる気もするわけで、

「あこがれの扉」という抽象的なイメージから抜け出せる気がする。

ただ、少年の巣立ちと春を結びつけることが、やはりパターンである気もするわけで、

この辺をどうするか。

難しいところかな...。

あるいは、この歌はこれでいいのか、
真中さんか指摘したリズムの効果に気が付かないのは、
自分が若い感性についていけなくなっているのか...。

そんな気もしてなんとも言えない気分でそのあとの歌会の時間を過ごしていたのだった。

いずれにしろ、久しぶりに出席した湘南の歌会、刺激のある有意義な歌会だった。

数ある歌会のなかには刺激の乏しい歌会もたまにあったりするわけだが(^^;;

こういう歌会なら月に何度出てもいいと思った(^^

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  藤沢市民会館の桜