2021年07月

どじょう

休日、ふらりと浅草に出かけた。

どじょうを食べたくなったのである。

子供の頃、夏休みに祖母の家に行くと、祖母がたまに田圃で取ったどじょうを鍋で煮て

食べていた。それを見て食べてみたいなとは思ったのだが、食べたことはなかった。

短歌結社の歌会を浅草橋でやっていて、

その歌会に出るときは浅草あたりを歩き、そのあと蔵前を通って浅草橋に行っていた

のだが、途中、駒形にどじょうの店があり、夏休みに祖母が食べていたのを思い出し、

気になっていたのである。

で、夏の盛り、少しは精をつけてみようかと思い立ち出かけてみた。

地下鉄の浅草で降りて地上に出るとスカイツリーが見える。

東京の歌会も新型コロナで開かれておらず、この辺に来るのも久しぶり。

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   スカイツリー

蔵前の方にしばらく歩くと「どぜう」の看板が見えてくる。

駒形どぜうの浅草本店。

外見はかなり古い感じ、なんでも三月十日の東京大空襲で全焼し戦後建て直して再開

したというから結構古い建物なのだろう。入口左に名入りの赤い提灯が幾つか吊るされ

ていて、永六輔や林家三平の名前がある。

入ってみると、一階は座敷、二階はテーブル席らしいのだが既に一杯ということで、

一階に入る。

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  駒形どぜう
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  店の入り口左に名入りの提灯がぶら下がっている

店内見渡すと昭和そのままである。店員さん達の浴衣姿がいい。

早速、なべ定食を注文。

どぜう鍋、どぜう汁、田楽、御新香と御飯である。

酒は飲めないのでノンアルコールで我慢する。

ホントはどぜう鍋とかは酒飲みながらの方が美味いんだろうが仕方ない。

そう時間かからずに鍋がでてきた。

小さな七輪の上に底の浅い金属製の鍋が乗っかっていて、その上にどじょうが

びっしり並んでいる。上に牛蒡と葱を乗せてしばらく煮てから食べる。

夏休みに祖母が食べていたどじょう。

初めて食べたが柔らかくて泥臭さもなく、なかなか美味しい。

牛蒡と葱がどじょうによく合っていて、ぱくぱく食べてしまう。

なんというか庶民の美味しい食べ物という感じがする。

たぶん、昔、墨田川こと大川の周辺には田圃が沢山あって、そこで取れたどじょうを

普通に食べていたのが、どじょう鍋とか柳川鍋になったのだろう。

来る前に、暑い盛りに鍋はどうかなとは思ったのたが、気にならずに食べられた。

店も繁盛している。やはり暑い盛りのどじょうは精がつくというのはホントなんだろうか?

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  店員さん達の浴衣姿がいい
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  一階の座敷の端には小さな庭がある。座敷はお客さん沢山いたので写真は遠慮
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  どぜう鍋 当日の写真はピンボケだったので、店のHPから頂いた写真

祖母の記憶につながるどじょう、美味しく食べてお勘定。

店を出たあとは浅草寺のあたりをしばらく歩いて横浜に帰った。

今度は酒が飲めるときにどじょうを食べに行きたいと思う。 

成年後見

税理士会でおこなっている成年後見の相談室、

今日はその相談員に行っていた。

成年後見に係ってもうかなりになる。

成年後見制度が作られたのが平成12年だから、

かれこれ20年くらい係わっていることになる。

制度がスタートした頃、家庭裁判所は成年後見の担い手として税理士に期待していた。

研修会にも家裁から担当者が来ていたのだが、

税理士会は家裁の期待に応えなかった。

司法書士会は、司法書士会とは別にリーガルサポートを設立し、

成年後見の仕事をする司法書士の指導監督をしているわけだが、

家裁にしてみれば、そういう仕組みが税理士会にも欲しいわけである。

そういう仕組みがなければ、なにかトラブルがあったときの対応に困るわけで、

家裁の要望は当然のことである。

しかし、税理士会の上の方が全く動こうとしなかった。

動く気がないのに会としては成年後見に係ろうというのが、矛盾も甚だしいのだが、

税理士の社会貢献のひとつということで成年後見を捉えているわけで、

司法書士会のリーガルサポートのような団体を作ってまで係ろうとはしない。

税理士の仕事として本腰をいれて捉えていないのである。

そもそも税理士会の上の方の目は国税の方を向いている。

成年後見は法務省の管轄。

税理士会の幹部に勲章をくれるのは財務省であって法務省ではないのである。

しかし、税理士の顧問先も高齢化するのである。

そういう顧問先を守るために任意後見は必要だし、

これから新しく税理士の世界に入ってくる若い人は、

かつての高度成長の時代のようには顧問先を増やせないのだ。

新しい仕事として法定後見も必要だったはずである。

しかし、税理士会は動かなかった。

成年後見制度がスタートした頃、税理士会の支部の大御所の先生方が

言った言葉を覚えている。

「成年後見は仕事の柱にならないよ」

司法書士会は成年後見を仕事の柱にしたではないか。

時代、社会の要請、そしてなにが仕事になるか、そういうことが分からなかった

大御所の先生方は私の前で二度と経営とか時代とか語るな、まったく…(^^;

成年後見制度がスタートし家裁が税理士会に期待していた頃、

私も家裁から法定後見の委嘱を受けた。

今から思えば良い経験をさせてもらった。

法定後見を経験している税理士は今でも少ない。

しかし、家裁の期待に応えなかった税理士会に対し、既に家裁は冷淡である。

税理士会がチャンスを掴まなかった。

仕方ない。

今年の春、長くやっていた税理士会の関係の成年後見部の運営委員を

辞任させてもらった。

動かない税理士会に失望したからである。

支援センターの相談員だけは続けている。

税理士会とかかわりなく成年後見は税理士にとって重要なのであって、

顧問先の任意後見も視野に入れている自分としては、

個人として今後も成年後見には係っていきたいと思っている。


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  アーチェリーの射場のヤマユリ

黒斑山

浅間山、標高2568m、日本百名山のひとつだが、現在、噴火警戒レベル2で、

火口周辺は立ち入り禁止、登頂できない。

で、本峰に登れないので規制範囲の外の外輪山の一角、黒斑山に行ってきた。

2万年以上の昔、今の浅間よりも高い富士山のような成層火山があり、

これが爆発して山体崩壊を起こした。

この時に発生した火山泥流は今の高崎前橋あたりまで埋め尽くしたらしい。

その山体崩壊のときに残った山の西側が現在の黒斑山を含む外輪山。

小諸から高峰高原に登り、車坂峠から登るのだが、

車坂峠のビジターセンターに着いたのは昼過ぎで空はどんより曇っていた。

そもそも山に登るのに昼過ぎに登山口に着くということ自体、計画が杜撰である。

それは分かっているのだが、要介護犬を抱えていたりすると、

なかなか早い時間には出られないのである(^^;

ま、それはそれとして登り始める。

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  登山口のビジターセンター

登って30分くらいで視界の開けたガレ場に出る。ここで下りてきた人と話す。

「この天気じゃ頂上なにも見えませんよね」

「そうでしょうね。午後から降ってくると言ってましたから下った方がいいかも

その後そこで昼飯を食っていたらホントに降ってきた。

小雨だったが、どうせ登っても天気悪いという気持ちであっさり撤収。

下っている途中でこやみになったが、駐車場に戻って片付けしていたら本降りに

なってきたので、やはりやめて正解だった。

というか、昼過ぎくらいから登り始めるのって、やはりテンションあがらない(^^;;

山はやはり早出しないとダメである。


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 昼食を摂ったガレ場から高峰高原を望む
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 足元に咲いていたオンタデ 地味だが高山植物
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 石楠花
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 高峰高原のニッコウキスゲ
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 同じくノハナショブの群落

高峰高原から万座へ。

カーナビの案内通りに走るとしばらくダートな道が続く。

ときどき林道の地面から出っ張ってる岩があったりしてそれをよけながら走る。

今日はシビックで来ているのだが、

シビックを買うとき、シビックタイプRにしようかと迷った。

しかし、タイプRだと、このダートな道は厳しかったかもしれん。

そのあと万座ハイウェイを走って今日の泊りの万座温泉。

万座は硫化水素の匂いが立ち込める硫黄の谷の周辺に広がる温泉地。

本来、人が住むような場所ではなくホテルや旅館だけで一般の家は見当たらない。

湯は濁り湯。日光の湯元も濁り湯だが、ここの濁り湯もなかなかいい。

ゆっくり白い湯に浸り翌日は志賀草津道路を走って横浜に帰った。

万座ハイウェイも志賀草津道路も走って楽しい道である。

普段は箱根や伊豆のスカイラインを走っているが、

こういう火山のハイウェイも楽しい。

泊まったホテルの駐車場はあちこちのナンバーの車であふれていた。

県境を越えるななどという無粋な言葉を聞かなくてもいい時代が早く来て
くれればいいと思う。


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 万座の空吹 硫化水素が噴き出す硫黄の谷

丸の内 天政

所用あって東京へ。用事が終わってから丸ビルの天政。

昭和11年創業の老舗の天麩羅屋。

友人に美味しいと教えられて行ってみた。

人間めいっぱい働いたらブレイクを入れるのがいい。

仕事だけしているようなヤツは駄目だよ。

よく働いたらよく遊ぶ。

どんなに忙しくても鬱にならずに働くコツである。これ信念。

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  東京駅の前、オリンピックまで11日というカウントダウン


丸ビルの35階。

店に入ると揚げ場を囲んでテーブルがある。

20代の頃、仕事関係の人に連れられて初めて目の前で職人が揚げた天麩羅を

食べたときは、天麩羅というのはこんなに美味しかったかと驚いた。

やはり目の前で揚げたばかりの天麩羅は美味しい。

今では当たり前の、天麩羅に塩をかけて食べるというのも、その時初めて教えてもらった。

ちょうど今日から再びの緊急事態宣言で、ランチビールも飲めなくなっているのが残念。

アルコール0.5%の微アルコールビールを頼む。

アルコール0.5%の微アルコールビールは酒税法上の酒類に該当しないので、

緊急事態宣言下でも制限なしである。

飲んでみるとノンアルよりはビールに近い気がする。

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  丸ビル35階のラウンジから国会議事堂
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  アルコール0.5%の微アルコールビール


先付けのあとに才巻海老の天麩羅。

車海老の小さいのが才巻海老。小さいほうが甘いのだそうだ。

続いて天麩羅の定番キス。

箸を入れると簡単にほぐれて美味しい。

そういえば息子が子供の頃に釣ってきたキスは美味しかったななんてことを思い出した。

青唐辛子、オグラ、稚鮎、海老の足、穴子の骨、とうもろこしのかき揚げと続いて穴子。

魚系の天麩羅は天つゆより塩の方が美味しい気がするが、穴子はやはり天つゆが美味い。

追加で蓮根とウニを頼む。蓮根はほくほくしてるしウニは甘くて美味しい。

締めは天茶。

夏なので冷たい天茶である。天麩羅の最後はこれでなきゃいかん。

ひさしぶりに美味しいものを食った。

勘定をすませ、「緊急事態宣言が終わって飲めるようになったらまた御出でください」と

いう店員の声に送られて帰る。そんなに飲みたそうな顔してたのかな(^^;

久しぶりに美味しい天麩羅を食べ、いい気分で横浜に帰った。

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  才巻海老
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  キス
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  青唐辛子
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  稚鮎
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  穴子
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  蓮根 
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  ウニ
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  天茶

歌会雑感

新型コロナのために生の歌会が開かれなくなって久しい。

メールかズームでの歌会になるのだが、

どうもズームでの歌会には違和感があって、そちらには参加していない。

PCの画面に参加者の顔があって、それを見ながら歌会をするというのが

なにやら嫌なのだ。

自分のスペースに他人の顔がずかずかと入ってくるような

生の歌会では参加者の顔などあまり見ていない。

詠草を読んでいるか、窓の外や会場風景を眺めながら取り上げられている歌について

考えたりしている。参加者の顔も視野のなかにはあるのだが、

それは歌会の風景の一部であって、特に意識して見ているわけではない。

もちろん、顔を見る時もある。

意見を戦わせているときや、意外なコメントが出てきたりしたときは、

自然に相手の顔を見るわけで、相手の反応とかも見ながら話したりしている。

そういう時、言葉では伝わらないものを感じ取ることもある。

相手の表情から、「ああ、俺の言ったことでカチンときているな」とか(^^;

いろいろある。

そういう自然なやり取りは生の歌会でないと難しい気がして、

それもあってズームの歌会とかはあまり気乗りしないのである。

世の中、テレワークとかリモートとか盛んに言っているが、

その一方で、顔を合わせて仕事しないことによる効率の低下ということも

実際に起きているわけで、どうもそれと同じような気がする。

で、ズームの歌会は出ていないが、メールの歌会はちょっと出ている。

メールの歌会もズーム同様、面白みには欠けるが、

雁首眺めながら歌会やるよりいいかなと(^^;;

ただ、メールの歌会って、全員が同時進行で歌会をやっているわけではなく、

自分の都合のいい時間にメールを読んでいるので、そのせいか、

タイムラグはあるし参加する人の姿勢にも濃淡あって、不完全燃焼な感じはある。

先月もメールの歌会がひとつあったのだが、

歌会が終わってから総評の人や取り纏めをしてくれた人に、礼のメールの

ひとつもなくて、「こんなものかなと」と思ったものである。

ま、参加者の気持ちに濃淡あるのだから、

それはそれでとやかく言うことでもないかもしれぬ。

メールの歌会はメール特有な問題もあって、場合によっては行き違いが

生じたりするので、不完全燃焼くらいの方が無難ではあるかもしれない。

いずれにしろ、歌会はやはり顔突き合わせての生歌会が一番いい。

歌会が終わって酒を飲みながらの短歌談義も楽しい。

いつになったら、そういう楽しい歌会が出来ることやら



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  関内のとんかつ屋 勝烈庵の勝烈定食
 勝烈庵は棟方志功と親交があったらしく、店の「勝烈庵」の題字も
 棟方志功が書いたらしい。店にも棟方志功の版画が飾ってある。

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