2019年09月

カラスは歩く?

車で走っていたら、道端のゴミ置き場にカラスがいた。

ふと見ると、そのカラス、食べ物を引っ張り出そうとしているのだろう、

足を交互に出してゴミの方に歩いていった。

あっ!  と思った。

実は先日の歌会でこんな歌があった。

嘴を少しあけて庭をハシボソガラスが歩いていった。

そんな歌意の歌。

この歌を読んだとき違和感があった。

カラスは歩くのか?

鳥の歩き方には二通りある。

地上性の鳥は足を交互に出して歩く。

ハトやニワトリがそれ。

樹上性の鳥は歩かずぴょんぴょん跳ねるようにして進む。

スズメがそれである。

カラスも樹上性の鳥、

両足を前後にずらして不器用なスキップのように跳ねて進む姿が記憶にあった。

で、歌会でこの歌について指名されたとき、

「カラスは歩くのか?  歩かないのではないのか?  ちょっと違和感がある」と

コメントした。

「歩く」という表現からは足を交互に出して進む様子が浮かぶわけで、

ぴょんぴょん跳ねながら進むのを「歩く」と表現するのは違和感がある。

しかし、ゴミ置き場のカラスは歩いた(^^;

で、調べてみた。

鳥の歩き方にはやはり、地上性の歩く鳥と樹上性の跳ねる鳥があるのだが、

実はその中間があるらしい。

カラスはその中間で、樹上性なので跳ねることが多いが、

短い距離などでは足を交互に出して歩くこともあるらしい。

で、さらに調べてみて、面白い記事を見つけた。

ハシブトガラスとハシボソガラスの見分け方。

ハシブトガラスは跳ねるがハシボソガラスは歩くという。

なんだそれ!?   同じカラスでも跳ねるのと歩くのがいるのか?(^^;;

しかも、歌会の詠草は「ハシボソカラス」である。

ハシボソガラスは歩く!!

すると歌会での私の批評は的外れ、トンチンカン、ただの言いがかり、

だったということか(^^;;;

う~ん、常日頃、歌は自分の器量を越えて読めない、と言っている手前

うんつまり読めていませんでしたカラス、特にハシボソガラスは歩きます(^^;

先日の批評、訂正します。

ハシボソガラスが庭をとぼとぼ歩いていく、そのなんでもない情景がいいと思います。

嘴を少しあけて、というディテールも効いているんじゃないでしょうか(^^;;

カラスが歩くかどうか、短歌やっていると、こういうフツーの人なら目にとめないような

ことにも目をとめるようになる。

フツーの人から見たら変人ではあるかもしれないが(^^;;;

publicdomainq-0019418nqlkxm

   雪の上を歩くカラス  ネットのフリー写真より
 嘴が細いのでハシボソガラス?

歌会

ひさしぶりに湘南の歌会。

例によって気になった歌。

誌面発表前なのでそのままでは出せないが、

ジンベイザメがゆったり泳いでいる空を見て自分の転生を思う、

そんな歌意の歌。

歌会では「沖縄の美ゅら海水族館のようなところでジンベイザメを見ているのでしょう。

大きな水槽で下から見上げるようなので、それを泳いでいる空と表現したのでしょう」

概ねそういう批評。

ただ、私は疑問を感じた。

「歌の表現のとおり、ジンベイザメが空を泳いでいるんでしょう。

それを見て自分の転生を思ってる、そういう歌なんじゃないですか?

と発言したが、歌会ではほぼ無視(^^;

歌会での批評は、水族館の歌という前提で進む。

我慢できなくなって、

「短歌を鑑賞するとき、合理的に読もうとしなくていいと思うんです」

と再度発言したが、やはり無視(^^;;

歌会終了後、作者にこの歌について聞いたら、

やはり水族館ではなく、空をゆったり泳いでいるジンベシザメを思い浮かべての歌だった。

もちろん、歌の批評というのは作者の作歌意図を当てることではない。

作者の意図とは全く違う読みが出て当たり前なのが短歌である。

しかし、この歌は水族館の歌としてしか読めない歌ではなかった。

空を仰ぎ、そこにゆったり泳いでいるジンベイザメを見ている、あるいは思い浮かべている、

そういう歌として読めたはずである。

ジンベイザメが空を泳いでいるなどということはありえない。

しかし、そういう合理的思考は詩には関係ない。

あり得ないことが起こり、見えないものが見える、それが詩の世界であろう。

水族館にしろ空を泳ぐジンベイザメにしろ、

一首がそれを表現しえているかどうかが肝心なところではないのか。

合理的に歌を解釈してみせることだけが批評ではないはずだ。

作者は自分の転生を思っているのである。

空を仰ぎ、そこにいつか見たジンベイザメのゆったり泳ぐ姿を重ね、物思いにふけっている。

私はそういうふうに読んだ。

水族館の大きな水槽を泳いでいるサメなどを見て、空を泳いでいるように見立てるのは、

たまに見かける表現で、そうだとすればもう少し工夫が必要な気がする。

歌を合理的に解釈しようとせず、もっと自由に読んでいいのではないか?

水族館で固まった批評を聞きつつ、

「つまらない読みにこだわる連中だな」と心密かに思ってそのあとは沈黙していた(^^;;;


DSC_0008

   白い彼岸花

助成金ビジネス

顧問先で助成金について相談された。

「取引先から紹介されたんです。補助金が何千万も入るとかで、おまえのところも

使ったらいいぞと社長に言われたんです」

なんでも、その取引先では仕事の関係で、今までひとり親方だった外注を社員にしなけれ

ばならなくなり、その関係で雇用助成金がもらえると社会保険労務士法人の営業マンの

売り込みがあったらしい。全部正社員にすれば総額数千万の助成金がもらえるという話

だったんだそうで、その取引先の社長はすっかり舞い上がってしまい、

「おまえのところも使った方がいいぞ」という話になったらしいのだが、

その話を聞いて首を傾げた。

顧問先で受け取れると言われたのは新規雇用に関する助成金だが、

適用要件がありそれを満たしていないはず。

そもそも、数千万の助成金がもらえるという取引先の件も、

話を聞く限りでは適用対象外のような気がする。

「話がおかしい。やめた方がいいですよ」とアドバイスした。

月々の顧問料の他に、助成金が受け取れるとその何十%かの成功報酬を取るんだそうな。

助成金や補助金で成功報酬って、どういうことだ?

いずれも適用要件さえ満たしていれば手続きすれば受け取れるわけで、

弁護士の成功報酬のように、交渉や訴訟の技量で結果が変わるものとは違う気がする。

受け取れるように社内の体制なり制度を整えなければならない場合はあるわけで、

そのためのサポートなりコンサルは必要になるかもしれない。

しかし、それはそれで通常にコンサル料を請求する仕事ではないのか?

その社会保険労務士法人は月々顧問料を取るというので、

そういうコンサルをするのかと思ったら、

その取引先の話では、助成金の申請書に押印して送り返してくれというだけで、

コンサルらしいことはなにもないらしい。

しかも申請している最中は顧問契約を解約できないという。

取引先が申請の結果を聞くと「順番がまだ回ってこない」とか意味の分からない返事

しか返ってこないと。

で、何もしない社会保険労務士の月々の顧問料だけは引き落とされる。

厚生労働省も注意を喚起しているが、こういう助成金ビジネスが横行している。

本来あるべきコンサルなら理解できるが、

相手がそういう方面について知らないことにつけ込んで成功報酬と称して金を取る。

申請内容に不正があった場合、社会保険労務士が勝手にやったと言う話は通用しない。

申請したのはあくまでも会社であり、

助成金の不正受給ということでペナルティーが生じる。

注意した方がいい。

DSC_0001
  人のハートは射抜けなくても20m先に吊るしたビニール紐は射抜けます(^^;
DSC_0004
   先日の台風で射場も木が倒れたりしていた。
 この日は昼からはチェンソーで倒木を切ったりの重労働、疲れた。

ペルー サクサイワマン

ペルー最終日、今夜の飛行機で帰国するので今日はクスコ周辺を歩く。

まず、サクサイワマンの遺跡に行ってみようということでアルマス広場に行くと、

なにかパレードの準備をしている。

しばらく見物しようとカテドラル前の石段に座る。

兵隊が整列していて閲兵したりしているのだが、

手順が悪いのかこれがペルー式なのか、

閲兵が終わったあとで次の儀式があるんだろうが、その次に移るのに時間がかかり、

整列した兵隊達もなにやら手持無沙汰にしている。

独立記念日ではないし、なんの行事かついに分からないまま、ことが進まないので、

見物をやめてサクサイワマンに向かった。

サクサイワマンへはアルマス広場から石段を登ってサン・クリストバル教会へ行き、

その脇の道を少し登れば入り口がある。アルマス広場から30分かからないくらいか。

DSC_1945
  アルマス広場での閲兵 手順が悪いのかリハーサルだっのか分からん
DSC_1947
  サン・クリストバル教会への石段の道から振り返る
DSC_1952
  サン・クリストバル教会
DSC_1948
  クスコの街が見渡せる
DSC_1951
  教会の山側、インカの石積み

上の平坦なところまで登ってみると結構広い。

インカの時代、クスコの街はピューマの形に作られたというが、

ピューマの頭の部分にあるのが、サクサイワマンの砦。

歩いてみると、オリャンタイタンボと違い、ここは確かに要塞だったのだろうと思った。

石積みの壁には凹凸がつけられていて上から見ればぎざぎざになっている。

攻め寄せた敵は凹凸の間に入れば正面だけでなく側面からも攻撃されるわけで、

函館の五稜郭や日本の中世の城の構造にも共通している。

スペインに征服され、インカの建物に使われていた石は征服者達が作る建物に使う為に

運び出されたので、遺跡の上の方は建物の一番下の部分しか残っていない。

遺跡からはクスコの街が見渡せる。

最後の皇帝マンコ・インカ・ユパンキがクスコの奪還のためにここサクサイワマンに

数万の兵を率いて入った。しかし、インカの兵士らのなかに天然痘が蔓延し、

インカ・ユパンキはビルカバンバに退く。

それから約40年、ビルカバンバにインカ帝国の残滓は存在したわけだが、

インカ・ユパンキとその兵士達はどういう思いでここからクスコの街を見たのだろう。

DSC_1956
  サクサイワマンの遺跡は結構広い
DSC_1957

DSC_1969
  遺跡の上部
DSC_1971
  石積みに凹凸がある
DSC_1972

遺跡の上からクスコの街と反対側の方を見ると広場の向こうに岩山がある。

岩山の裾には石積みが残っていて、他にも構造物がある。

端の方には円形の競技場のようなものがある。

競技場ではなにかしらの競技が行われたのだろうが、

古代、競技とはたいてい神に捧げるものだった。

岩山の裾を囲むような石積みの跡を見ながら、

まるで、日本の神社の御神体みたいだなと思った。

要塞の一部なのかもしれないが、あるいは宗教的な施設だったのだろうか。

DSC_1960
  広場の向こう側の岩山
DSC_1977
  岩山の端の方の円形競技場 向こうに囲ってある大きな石があるのだが、
 あるいはアステカのように競技で負けた者を生贄にしたのだろうか

サクサイワマンからクスコらしい石段の道を街に戻り、

有名な十二角の石とか、カテドラルのなかなどを見て歩く。

ちなみにカテドラルの中は撮影禁止なので写真はなし。

アルマス広場の近くのレストランでゆっくりしながら昼食を食べていたら、

やってきた欧米人の観光客がいきなり高山病で倒れるというハプニングにも遇い、

そのあとインカの太陽神殿の跡に建てられたサント・ドミンゴ教会に行ってみたが、

入り口で行列していたので、やめてコリカンチャ博物館へ。

ところが、サクサイワマンで買った周遊券1では入れないという。

周遊券2を買わないと入れないのだそうで、

ここだけの入場券はないのかと聞くと、ないと言う。

あらためて130ソルで周遊券2を買わないと入れないというので、

ならやめようと、そのあとはクスコの街をぶらぶらと歩いた。

博物館なども見たい向きは最初から周遊券2を買った方がいい。

周遊券1で見られるのは郊外の遺跡だけだった。こちらは70ソル。

最初にそういう細かいことを調べていかない自分達がいけないのだが、

そこだけの入場券くらい売っていてもよさそうなもので、

これだけは観光客にちょっと不親切だと思った。

DSC_1984
  サクサイワマンから街に戻る 
DSC_1987
  十二角の石のあたり
DSC_1985
  これが十二角の石 写真を撮っている人が大勢いる
DSC_1992
  昼食のときのカクテル マチュピチュ
 このレストランで欧米人の観光客が高山病で倒れた。店の人は慣れていて、
 すぐに酸素ボンベを持ってきて、そのあと救急車で運ばれていった
DSC_1993
  サント・ドミンゴ教会 下の石積みはインカの太陽神殿
DSC_1942
  サント・ドミンゴ教会 コリカンチャ博物館はこの芝生の地下にある

夕方、流しのタクシーを拾って空港へ、

ちなみに英語のエアポートは通じなかった。スペイン語のアエロプエルトで通じた。

リマで乗り換え、帰りはロサンゼルス経由で帰国。

成田で空港の外に出たとき、かすかに東南アジアに似た匂いを嗅いだ。

しばらくしてそれが湿気の匂いだと気づいた。

乾燥した大地にしばらく行っていて鼻が湿気の匂いを忘れていたのだろう。

かすかな匂いで東アジアの国に帰ってきたことを実感したのだった(^^;

DSC_1998

   ロサンゼルスの乗り継ぎで軽く食事 
  ドラゴンロールだったかな? やはり、ジャポニカ米は美味い

ペルー ヴィニクンカ

ヴィニクンカ5036m。ウルバンバ渓谷を囲む山稜のピークのひとつ。

日本ではレインボーマウンテンといった方が通りがいいのだろうが、

我々を案内したガイドは「ヴィニクンカ」とか「レインボー」とかは言っていたが、

「レインボーマウンテン」とは言わなかった。

観光向けにあとから付けられた名前は気に入らないのだろうか。

地層に含まれた鉱物により山肌が七色に見える。

その美しさで最近有名になりトレッキングで行く人が増えた。

昨年メキシコの山に登りにゆき、中南米って面白そうだなとネットで調べていたら、

このレインボーマウンテンが出てきたのである。

「なにこのわけのわからない山?  面白そうじゃん」

というノリで地球の反対側までやってきた。

何を隠そう今回の旅の主目的、聖なる谷もマチュピチュもそのおまけである。

クスコを5時に出、ヴィニクンカへ。

車で走っていると何気ないところにインカの遺跡があり、

ガイドが「あれはインカのチェックポイントだ」と教えてくれる。

ペルーには日本では知られていないインカの遺跡が幾らもある。

クシパタの手前で朝食。

何気なく朝食を食べているのだが、店から見える風景は結構雄大である。

DSC_1868
  朝食を食べた店からの風景
DSC_1930
  クシパタ村

クシパタから車は山を登り始める。

大きな谷をどんどん登ってゆく。アルパカが放牧されている広やかな谷である。

日本ではおよそ想像できない大きな風景。

谷の斜面に縞模様の段差がいくつも出てくるのだが、それは自然の地層の露頭で

ガイドの話では、露頭の段差によって自然に出来たそのテラスにジャガイモを植えたり

するのだそうだ。インカの段々畑は地層の露頭が作った自然のテラスにジャガイモを

植えたことから始まったのであろうか。

さらに登るとヴィニクンカの登山口に着く。

ここから5036mの頂上まで登るのだが、既にここで4600mくらいある。

DSC_1879
  写真大きくしないと見えないので 
  車窓から見た野生のラマ(リャマ) ガイドは「ラーマ」と言っていた
DSC_1881
    山肌の縞模様は地層が表面に出ているもの、ここに出来る自然のテラスにじゃがいもを
 植えたりするとのこと。インカの段々畑の原型?
DSC_1883
    これも写真大きくしないと見えない
  車から見た谷底 アルパカの群れが放牧されている
DSC_1892
  ヴィニクンカ登山口

天気も良く気分のいいトレッキング。

谷の向こうに見える氷河の山はアウサンガテあたりの山群だろうか、

6000mを越える山々がつらなっている。

ウルバンバ川はアマゾンの源流のひとつで、あの氷河から流れ出る水はアマゾンに続き

やがて大西洋に流れる最初のひとしずくのはず。アマゾンは行ったことないが、

アマゾンの源流のひとつはしっかり見たということになるだろうか。

人気トレッキングルートなのでともかく人が多い。

黙々と登ってゆく、さすがに5000mなので風が吹いていると寒い。

天気さえ良ければ防寒着は上にヤッケをはおるくらいでいいが、

手は凍えるので手袋があった方がいい。

トレッキングなんてたいしたことないとたかをくくって手袋持っていかなかったので

手がかじかんだ。鞍部に着き、そこからもうひと登りすれば頂上である。

DSC_1895
  登山道 まわりの景色は雄大
DSC_1894
  アウサンガテあたりの山群 氷河から流れる水はアマゾンの数ある源流のひとつ

頂上から振り向くと虹色の山肌がある。

ちょっと曇っているのでいまいち鮮やかさに欠けたが、確かに綺麗なレインボーである。

周囲の光景も凄い。氷河を抱いたアウサンガテの山群と茶色いアンデスの山なみ。

もともとここは万年雪に覆われていた。

それが温暖化で雪が融けたことでこの虹色の地層があらわれ、

人気トレッキングコースになった。

地球が温暖化しなければ人の目に触れることのなかった光景と思うと、

ちょっと複雑ではある。

寒いのでしばらく頂上からの風景を眺めたあとすぐに下る。

我々が行ったのは現地の週末だったからか、ともかく人が多かった。

週末を避けて平日に登るようなスケジュールで行った方が人がすくなくて

いいかもしれない。

鞍部でケチュアのおばちゃんが料理を作って売っている。

せっかくなのでひとつ注文、骨付きの肉とジャガイモで10ソル。

ちなみにこのおばちゃん、あるいは世界で一番高いところで煮炊きして商売している

おばちゃんかもしれない。犬も一緒に登ってきているので肉を分けてやる。

下山は高度の影響だろうか、ちょっと疲れた。

DSC_1919
  ヴィニクンカ5036mの頂上
DSC_1909
  晴れていればもっと鮮やかなレインボーが見えたのだろう、ちょっと曇っていた
DSC_1912
    頂上から見える6000m級の山々
DSC_1928
  5000mくらいの鞍部で食べ物売ってるオバチャン
DSC_1927
  骨付き肉とジャガイモ 10ソル 美味しかった
DSC_1929
  オバチャンのところにいた犬 肉をやると指をかまないように上手に食べた
 あるいは世界で一番高いところで残飯食っている犬か?

それにしても虹の山ヴィニクンカ、日本では想像もつかない風景を見ることが出来た。

車に揺られながら登ってきた大きな谷をくだる。

疲れていたのでうつらうつらしながらその風景を見ていた。

美しい谷である。

4時過ぎくらいにクスコに戻った。

今夜は今回の旅の主目的達成ということで祝杯である。

DSC_1934

    クスコに戻りアルマス広場へ
  立っているのはインカの皇帝パチャクテイの銅像
DSC_1939
  暮れてゆくアルマス広場を眺めながらペルーの酒ピスコサワーで乾杯
 

ペルー マチュピチュ

マチュピチュは「インディ・ジョーンズ」のモデルになったという

ハイラム・ビンガムによって発見されたインカの古代都市、

ということになっている。

なっているのだが、こういう話、大抵、地元の人間はとっくの昔から知っていて、

それを欧米に紹介したのが、いわゆる「発見者」ということになるわけである。

ハイラムも探検の途中で諦めようとしたら出会った農夫が、

「遺跡なら向こうにあるよ~、この子に案内させてやるよ」と教えてくれて

マチュピチュを「発見」した。

朝早くアグアスカリエンテスの駅の近くからバスでマチュピチュに向かう。

結構行列しているが、遺跡への入場時間が決められていてそれに合わせてバスが

どんどん出るので、それほど待たされなかった。

DSC_1713
  アグアスカリエンテスからマチュピチュ行きのバスの行列

バスはウルバンバの川沿いに走りやがて急坂を登ってゆく。

かなりの道で、窓から下を見るとガードレールのない道の端ぎりぎりを登ってゆく。

外したらこの崖転げ落ちるんだろうなと思うのだが、

ドライバーは自信があるのだろう、スピードも緩めずぐいぐいと登ってゆく。

ペルーに限らず発展途上国で車に乗っていると、ハングリーな奴は運転上手いよなと思う。

変な意味ではない。

そういうハングリーさを感じなくなった国から来るとそう思うということである。

DSC_1717
  バスの窓からワイナピチュとマチュピチュの遺跡が見えてきた

遺跡に着きゲートを通り中に入る。

ちなみに遺跡内は遺跡を守るため飲食禁止、トイレもない。

入ると、マチュピチユである。

ああ、遠かったけど、やっと来たなという気になる。

石組みの通路を通り左右に折れながら上に登る。

遺跡と反対の方向の山の尾根に少し凹んだところがあり、そこが太陽の門、サンゲート。

昔のインカ道でクスコからマチュピチュまで121k、太陽の門を越えてマチュピチュに

着いた。今でもインカトレイルがあり尾根に道が見える。

ガイドの話では太陽の門から冬至だったか夏至だったかに太陽が昇るんだそうだ。

遺跡の上の方に登ると、いわゆるマチュピチュの写真に出てくる風景が広がり、

そのあとはワイナピチュの方へ遺跡を下り気味に歩く、

あとはぐちゃぐちゃ書かず写真を見てもらおう。

マチュピチュは美しい遺跡だった。

DSC_1738
  マチュピチュ
DSC_1749
  段々畑か擁壁か?
DSC_1757
   
DSC_1774

DSC_1792
  向こうに見えるピークはマチュピチュ山
DSC_1796
  手前の石は向こうの山の形と重なるように置かれている
DSC_1802
  ワイナピチュの登山口

ワイナピチュはマチュピチュの遺跡の後ろに聳える岩山。

しっかりとした登山道がついていて、頂上からはマチュピチュの遺跡を見下ろすことが

できる。見下ろした遺跡の形はコンドルに似せて作られているんだそうな。

そういえばクスコの街もインカの時代、上から見るとピューマの形に作られていたという。

ナスカの地上絵も上から見るように作られている。

インカの人達はなぜ高いところから見ることを意識して造形物を作ったのか?

誰が高いところから見る?

ナスカでは気球で上から見たという説もある。

しかし、マチュピチュは違いそうだ。山岳地帯で気球は事故を起こしそうである。

オタクだと宇宙人説を持ち出すのかもしれないが、

自然に考えると太陽なんだろうか。

インカは古代日本と同じ太陽信仰だった。

太陽はすなわち神である。アマテラスと同じである。

日本の祭の原型は、神をもてなし自分達のところに来てもらうことだった。

あるいはインカの人達は、神に見てもらい、神に来てもらうために、

高いところから見ることを意識した造形物を作ったのだろうか?

そんなことを思いつつワイナピチュを下った。

DSC_1804
  ワイナピチュ ここを登る
DSC_1818
  ワイナピチュからマチュピチュ
DSC_1835
  ワイナピチュから降りて遺跡に戻る
DSC_1852

DSC_1856

マチュピチュの遺跡からバスでアグアスカリエンテスに戻る。

ペルーレールに乗ってクスコに戻るのだが、乗る場所がよく分からん。

昨日着いたホームとクスコに向かうホームが別になっていて、

土産物屋街みたいなところを通ってクスコ行きのホームに行く。

一体どういう構造の駅になっているんだと思う。

知らないと電車に乗りそびれてしまうかもしれない。

ペルーレールはウルバンバの谷を走ってゆく。まさに谷の底を走っていく感じである。

見ていると穂高や甲斐駒よりもでかそうな岩壁が谷の両側に次々と出てくる。

ロッククライミングの聖地になりそうだが、いかんせん日本からは地球の反対側である。

クスコまでは結構時間がかかる。

日が暮れて夜のウルバンバ、気が付くと向こうの暗くなった尾根に山火事が見えたりして、

日本とはかけ離れた世界である。8時過ぎにクスコに戻った。

DSC_1858
  アグアスカリエンテスに戻って昼食 広場の銅像

DSC_1862
  ペルーレール

DSC_1863
  谷底を走るので上が見えるようになっている

DSC_1866
  インカコーラ  コーラというよりオロナミンCみたいな味

アーカイブ