2019年06月

さくらの手術

ゴールデンレトリバーのさくら、手術をした。

子宮蓄膿症。

人間の都合で避妊させるのが可哀想で避妊手術はしなかった。

避妊していない犬が高齢になってくると子宮蓄膿症にかかる確率はかなり高くなるらしい。

10歳を超えているので手術中の死亡ということもあるかもしれない、

そう言われた。

避妊させなかったのがいけなかったかと苦い気持ちだった。

手術の当日、病院につれていき昨日あたりから少し元気を取り戻したという話をしたら、

医者が首を傾げた。

元気になるというのは、あるいはそれ程、症状は悪化していないのかもしれず、

ならば、もっと設備の整った病院でCTをとってみますかと言う。

実際、超音波で診察すると、どうも子宮以外のところになにか影のようなものがあり、

それが気になるという。

どっちがいいのかしばらく話した。

もう歳である。いずれにしろ尿に混じって膿が出てきていて蓄膿症であることは間違い

ない。ここで手術を先延ばしして、さくらはこのあと手術に耐えられるだろうか?

最後は、「元気が少し戻ったところで手術してください。おなかを開けてみれば

子宮以外のそれもはっきりするでしょう」

そう決めた。

「分かりました。手術します。術中死もありますから、それは頭に入れておいてください」

最後にまた脅された。

手術が終わって動物病院に行ってみると、さくらは酸素室のなかで寝ていた。

先生の話では、子宮蓄膿症は思ったより進んでいたらしく、

取り出した子宮に針を差してみたら膿があふれ出てきたそうだ。

子宮以外のなにかの影に見えたのは、結局、子宮体の一部だったらしい。

「手術を決断したのは正解でした」

先生はそう言っていた。

今日また行ってみた。

昨日は寝たままだったが、今日はさくらは酸素室から出てきて一緒に帰ろうとした。

まだ点滴つながっているし、細菌感染を防ぐため、3日程は入院が必要だという。

さくら、もうしばらく我慢しろ。

それにしても手術が無事に終わって良かった(^^

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     今日のさくら

 

歌会

ひさしぶりの湘南での歌会。

以前は湘南の歌会に行くときは午前中に鎌倉を歩いてから行ったものだが、

午前中にゴールデンレトリバーのさくらを動物病院に連れて行っていたりしていたので、

鎌倉を歩けなかった。さくらも歳を取って、これから介護が必要になるのかもしれない。

30kあるゴールデンが歩けなくなったらどうなるんだとか、

考えると暗くなるので考えないようにしている(^^;

世の中なるようになるし、なんとかなるもんである。

そういう楽観というのか開き直りというのか、人生には必要である(^^;;

閑話休題、歌会である。例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

東北に地震があるとなきものを母を思う実家を思う、

そんな歌意の歌。

選歌で票こそ入らなかったが、歌会の批評では概ね肯定的だった。

気持ちがよく伝わってくるいい歌という批評もあったのだが、

私は幾つかのところが引っ掛かった。

地震があるとなきものを

「あるとなきものを」

この言葉のつながりが微妙に引っ掛かる。

意味的には全く問題ない表現なのだが、

「ある」と「なきもの」、この対比的な言葉がストレートにつながり過ぎていて、

ここに一言でもワンクッション入れたい気がする。

それと、これはオーソドックスな表現手法の話として、

下句の畳みかけはどうなのか?

母を思う実家を思う。

畳みかける表現は一般的には後ろに持ってきたものの方に重点があるのではないのか?

すると作者は母よりなくなった実家の方を思っている?

だふん、そうではあるまい。

作者は、今はもうなくなってしまった実家を思い、そこに住んでいた母を思っている

のではないかの?

ならば、「母」を結句にもってきた方が有効ではないのか?

言葉の順番はこれでいいのか?

出された詠草の表現のままで4句と結句を入れ替えると違和感がある。

そこは3句を工夫することで解決するはずである。

言葉の選び、配列、そういう吟味が突き詰められていない、

そういう気がした。

そういうことを思いつつ、歌会の流れのなかでなにも言わず黙って聞いていた(^^;;;

歌会終了後は軽く一杯ひっかけて帰る。

店を出て外に出たとき、まだ空が少し明るかった。

そういえば昨日は夏至である。

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  歌会会場

相続現地調査

依頼された相続の仕事で土地の現地調査。

相続の仕事の場合、出来るだけ土地の現地調査はすることにしている。

路線価地域の場合は現地調査は必須だし、

評価倍率地域の場合でも出来るだけ現地は見に行くようにしている。

評価倍率地域でも宅地比準の土地は現地調査した方がいいし、

行ってみて気付くことって結構あるのである。

しかも今回は立木の評価があった。

山林に木が生えていればそれも財産で評価しなければならない。

市街地にぽつんと残った狭い山林とかは、

木を売ろうとしても、ある程度の量がなければ業者は買い取らないわけで、

逆に木を伐り出して宅地にするのに費用がかかったりして、ほとんど立木の評価はしない。

しかし、ある程度の規模の山林、そこにある立木となると話が変わる。

その山林を管轄する農林事務所に行って、森林簿や森林計画図を入手する。

ついでに保安林に該当するかどうかも確認。

係りの女の子に国土地理院の地図を示して

「この山林は場所どこですか?」と聞くと、

「さあ~(^^;

森林計画図に乗っている林道の形状と国土地理院の地図のそれを照らし合わせて、

どうにか場所を特定。

林道走って行けるところまで行ってみることにする。

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  森林計画図

谷筋の集落から里山の方にはいり林道を走ってゆくと、なんと行き止まりになっている。

仕方なく行き止まりの前で車を停めて歩く。

ふと見ると木立ちのなかに大きな金属製の箱罠がある。

猪か熊の駆除であろう。

そういえば林道の脇の土の上に猪らしい足跡があった。

地図を見て15分くらい歩けば該当の山林かなと見当をつけて歩く。

しばらく行くと林道が小さな沢を横切っていて、地形からしてたぶんこの場所。

林道の脇を見ると境界石がある。

見ると境界石の左と右でまるで違う。左は植林された木が育っているが右は放置されて

いる感じ。仕事に関係なく山を歩いているとまったく見過ごしてしまう違いだが、

なるほど、こんな山のなかでも持ち主によってこれだけ森は変わるんだと感心する。

生えている木の種類や密度を確認。

森林簿には書いてあるのだが自分の目で確認する姿勢が大切。

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  見つけた境界石 境界石の左右で森の感じが違う

森を確認したあと、ふもとに降りて別の土地の確認に行く。

集落のなかの土地でひとつは雑種地、もうひとつは市街化畑。

いずれも評価倍率地域で相続税評価は宅地比準で評価しなければならない土地。

ネットに出ている説明とかには大抵次のように書かれている。

「宅地比準の土地は近傍宅地の評価額を調べ、それをもとに比準して評価する」

ま、教科書にはそう書かれているわけだが、世の中、教科書通りにはいかないわけで、

近傍宅地の評価額って調べられないのである。

評価したい土地の近くで評価したい土地と同じような形状の土地とか言われても、

そういう土地は個人の所有地で個人情報になるので評価額は役所は教えてくれない。

地価マップがあるが、そこに出ている標準宅地というのは大抵、四角整形の土地だったり

して、評価したい土地が四角整形でなければ評価額は異なるのである。

で、固定資産評価については総務省で定めているので、それを調べた。

市街化畑は宅地としての評価額から1㎡あたりの造成費を引いて評価しているはずであり、

雑種地については宅地としての評価額から一定の減額をして評価しているはずである。

ならば、評価したい市街化畑の固定資産評価証明の1㎡あたりの金額に造成費を加えた

金額が宅地としての評価額であり、

雑種地については、現地に行ってみた土地の状況からして宅地の80%評価?

そうであるなら、その雑種地の固定資産評価証明の1㎡あたりの金額を0.8

割り戻した金額がその雑種地の宅地としての評価額、

になるはずである。

試しに、その土地の固定資産の路線価に奥行補正等の補正率をかけて計算してみた金額と

上記の方法で計算してみた金額を比較してみたらかなり近似した。

最終的に市役所の資産税課で確認。

「この市街化畑は宅地としての評価から造成費引いているんですよね?

「はい、この場所については1㎡あたり2,600円引いて計算しています」

「この雑種地は宅地としての評価から一定の減額していると思うんですが、どのくらい?

「宅地の80%で評価しています」

ピンポーン♪

推測ぴったり一致(^^

これで近傍宅地の評価額とかは調べる必要ない。

その土地そのものの宅地としての評価額が計算できるわけで、

それをもとに比準計算すればいい。

出張の成果充分ありで帰りは浜名湖の鰻を食べて帰ってきた。

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   浜名湖の鰻 美味しかった これは出張経費にはならんなぁ(^^;

慰安旅行

顧問先の慰安旅行に招待して頂いて会津に行ってきた。

サロンバスに乗ってとりあえず朝から一杯。

飲んでいる我々を乗せてバスは東北道から磐越道に入り猪苗代湖へ。

雨が降っているので遊覧船はパスして、野口英世記念館と末廣酒造へ。

野口英世という男、なかなかポジティプな男だったようで、

子供の頃に伝記で読んだ、貧しい生活から刻苦勉励して世界的な医学博士になったと

いうのとは現実はちょっと違うらしいが、

でもまあ、そのくらいポジティブな人間でないと、時代背景もあるわけで、

あれだけのことは出来なかったのかもしれない。

末廣酒造は1850年創業の会津の造り酒屋。

会津市内ではここともう一軒しか残っていないという木造3階建ての趣きのある建物で、

日本酒を造る工程を見学できて試飲も出来る。

試飲を楽しみ土産の日本酒を買って、今日の泊りの東山温泉へ。

会津若松市内からそれほど離れていない渓谷沿いの静かな温泉である。

露天風呂から滝が見えて気持ちが良かった。


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  野口英世記念館に復元されている野口英世の生家
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  今まさに囲炉裏に落ちようとしている赤ん坊の野口英世、誰か止めてやって!
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   末廣酒造
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  末廣酒造の2階、松平容保と徳川慶喜と野口英世の直筆の額がある。

翌日は会津若松城を見て大内宿へ。

会津若松城は以前来たことがあるが、屋根の色が少し変わった気がする。

落ち着いた色になったように思うのだが、気のせいだろうか。

昔、本丸御殿があった芝生の広場も文字通り広々としている。

現代に残っている日本の城は、天守閣とか櫓とか城壁とかそういう部分ばかりで、

城の機能のかなりの部分を担った本丸御殿は一部の城を除いて殆どなくなっている。

姫路城も天守閣の下に広場があるが、本来はそこに本丸御殿があり、

政治の中枢かつ領主の住居として使われていた。

ここ会津若松城も天守閣の下に広がる広々とした芝生に本丸御殿があったわけで、

本当の城の風景というのは今われわれが見ているものとかなり違ったわけである。

明治になって多くの城が取り壊され、復元するとき見栄えのする天守閣は復元しても

本丸御殿は復元しなかったという例が多いわけでこれは仕方ない。


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  会津若松城

会津若松から一時間くらいで大内宿。

会津西街道の宿場町だった大内宿は昔の宿場の雰囲気が残った集落。

ここで昼食にネギ蕎麦を食べる。

なぜ箸を使わずネギで蕎麦を食べるのかは分からぬ。

その辺の木の枝折ってくればいいだけで箸はそんな高価なものでもあるまい。

忙しいときにそこにあったネギで蕎麦をかき込んで食べたのが始まりなのか、

あるいは他になにか由来があるのだろうか。

昨夜の宴会でコンパニオンの女の子に教えてもらったネギ蕎麦の食べ方で食べてみる。

女の子曰く

「ネギの先をちょこっと曲げてそこにひっかけるようにして食べると食べやすい」

試してみたら確かにそうやって食べると思ったより食べやすかった。

ただ、ネギを齧りながら食べるので最後はネギが短くなってしまい、箸の出番になる。

そのあと、塔のへつりに立ち寄り、会津西街道をそれて東北道の方へ。

渋滞するかと思ったが割とスムーズで6時には横浜に着いた。

梅雨入りの天気も思ったほど悪くはならず会津の旅を楽しめた。

楽しい慰安旅行、ありがとうございました。


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   大内宿
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  ネギ蕎麦

ビンゴ

税理士会の支部の総会とそのあとの懇親会、

いつもアトラクションにビンゴをやっている。

これが滅法だめなのだ。

自慢ではないが子供のときからくじ運はない。

開始早々、ビンゴが出る強運者がいる一方で、

自分のカードの穴は一向につながらない。

最初からそんなもんだと思っているので、

周囲と飲んで話しながら読み上げられている番号を聞いているわけだが、

リーチは4つもできたのに一向にビンゴしない。

そろそろアトラクションも終わりだなというそのとき、

ビンゴ!

やった!

景品くばっているところに行こうとした次の瞬間、

「景品がなくなりましたのでビンゴは終了します、皆さんありがとうございました」

….

ま、子供の時からくじ運はないからね…(^^;

で、総会と懇親会も無事に終了して何人かで二次会。

そこで話が出たのは「今年は韓国の人達来なかったね、確か1年おきに来てたよね」

支部と韓国の税務士会との交流があって、

昨年は自分が担当の部長だったこともあって韓国に行ってきた。

順番からすれば今年は韓国の税務士会がこちらに来るはずなのだが、

今年は来なかった。

そういう話はしばらく前からあったのだ。

「こういう日韓関係で交流してもね

「支部の予算を使ってするのもどうなんだろ」

今回、結局、呼ばなかったのではなかろうか。

韓国の税務士会との交流で嫌な思いをしたことはないし、

韓国で一緒に酒を飲んだあちらの税務士さん達は感じのいい人達だった。

しかし、国と国との関係が影を落とすのも仕方ないのかもしれない。

支部のなかに反韓とか嫌韓とかそういう雰囲気があるわけではない。

ただ、ここ数年、そういう反韓とか嫌韓とか関係ない常識のある会員の間で、

否定的な意見が多くなった。

草の根の交流や友好の大切さを説く人はいるのだが、

同じ土俵で語れないと難しい気がする。

違う土俵に立って「こっちの土俵が正しいのだ」と言われても疲れるだろうし、

その土俵をあっちこっちに移されても困るだろう。

ビンゴが出ないのは仕方ないのだ。

いつか穴がつながってビンゴが出るのを気長に待つ方がむしろいいのかもしれない。

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  4リーチの末にやっとビンゴ!   されど景品終了

白神

もののけ姫の森のモデルになったという白神山地。

世界最大のブナの原生林で、世界自然遺産になっている。

青森の西目屋から白神山地を抜けて日本海に出る県道28号線は、

白神ラインと呼ばれるかなりダートな林道である。

西目屋からその白神ラインを走る。

暗門の滝の入り口のアクアビレッジまでは舗装されているが、

そこから先は狭い林道になる。

道は鮮やかな緑のなかに続いている。

津軽峠の手前に車を停め、そこからしばらく森の中を歩いたのだが、

車から出たとたん、物凄い蝉の声に包まれた。

林道から森に入りブナの巨木の道を歩く。

ひたすらひたすら木があるばかりの緑の世界である。

ところどころ木の間から向こうの山なみが見える。

ときどき、タニウツギやトチノキの花が咲いている。

足下の土は落ち葉が積もった土なのだろう、柔らかい。

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  緑があるばかり

一時間くらい歩いて津軽峠に出るのだが、その前にマザーツリーを見に行く。

津軽峠から少し行ったところにマザーツリーがある。

ブナの巨木で推定樹齢400年。

ブナは通常300年くらいが寿命らしく、400年というのはかなり古い大木であるらしい。

残念ながら昨年の台風で幹の途中から折れてしまい、かつての大きさは想像するしかない。

巨木が倒れると暗かった森が明るくなり、新しい芽が育つ。

森はそうやって何千年という時を生きてきた。

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  マザーツリー
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  津軽峠

津軽峠からは林道を車に戻る。

さっきまでは森のなかを歩いていたので見通しはあまりきかなかったが、

林道からは白神の森が見渡せる。

夕暮れになったら、だいだらぼっちが歩いてきそうな森である。

車に戻り再びダートな道を走って西目屋に戻る。

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  白神山地

思ったより早く戻ったので岩木山神社に寄り道した。

鳥居の横でアイスを売っていたので有名な東北のババヘラかと思って聞いたら、

それとは違ってカランカランアイスというのだそうだ。

鈴の形に似ているからカランカランアイスというのだとおばちゃんは言っていたが、

帰ってから調べたら、鈴を鳴らして売りに来たからカランカランアイスという話もある。

どっちがホントなんだろ?(^^;

冷たくて美味しかった。

翌日、弘前城にさくっと立ち寄って広やかな新緑の世界から帰ってきた。

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  岩木山神社 正面に岩木山が見える
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  カランカランアイス
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  弘前城と岩木山

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