2017年10月

若者達の保守

衆議院選挙が終わった。

選挙権が18歳以上になったわけだが、

今回の選挙で若者達の大勢は保守だった。

「現状に満足している」とか「現状維持志向」とか、

「テレビで見ている有名な人にいれる」とか、

コメンテーター達はいろいろ言っているが、

本当にそうか?

子供達の貧困が問題になっている時代に、それを身近に見てきた若者達が

現状に満足していると?

若者達が満足できるような現状があるとコメンテーター達は本気で思っているのだろうか?

「テレビで見ている有名な人にいれる」という傾向が仮にあるとして、

それって若者達だけのことか?

コメンテーター達はもっともらしい理由を探しているだけではないのか?

思い出してみると、

国会の周辺で安保法制反対のデモがおこなわれていたのはほんの2年前である。

SEALDsという若者達がいて、彼等の活動が日本の政治を変えるだろうと言われた。

マスコミも高揚し、学者や芸能人までデモに出てきた。

ちなみに短歌の世界でもそれに呼応するような高揚があった(^^;

あれはなんだったのだろうか?

SEALDsの高揚はなぜ同世代の若者達の大勢にはならなかったのか?

今の若者達は子供の頃に民主党政権を見ている。

「見ている」というのは、そのままの意味である。

福島の原発事故も尖閣での漁船衝突事件も、

文字通りリアルタイムの映像で「見ている」のである。

彼等にとって、放射能が関東までやってくるかもしれないという恐怖も、

中国の恫喝に直面したこの国の安全保障も、

「他人事」ではなく、

自分あるいは自分の国の問題として認識することがフツーの感覚だったのかもしれない。

そうだとしたら、そういう彼等が、

冷戦構造に守られた平和の中で観念で平和を語ればよかった戦後の平和主義者と

異質なのは当然であろう。

観念で語られる平和は、実は「他人事」としての平和である。
しかし、1989年、ベルリンの壁が崩れ冷戦は終わった。
それは冷戦構造に守られた平和の終わりだった。
そのことに観念で平和を語ることに慣れた人達は気付いたであろうか?

右とか左とかいう話ではなく、

少なくとも、現実の問題に向き合うときに観念でものを語っても意味はないわけで、

現代の若者達の保守傾向というのは、

非難されるものでも失望されるものでもなく、

むしろ自然なものなのかもしれない。

今まで観念でものを語ることに慣れた向きは、

少し考え方を変えた方がいいかもしれない。

2年前の安保法制反対のデモやSEALDsの高揚はなんだったのか、

考えた方がいいのだろう。

というか、考えていれば今回の選挙の結果も多少は違っていたのかもしれない。

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  今日、木枯らし一号 木枯らしのなかで欅が揺れていた

歌会

ひさしぶりに湘南での歌会。

湘南の歌会に出るときはたいてい午前中に鎌倉を歩いてから行くのだが、

今回は台風が近づいているので、寄り道はせず歌会に直行。

で、いつものように気になった歌。

例によって誌面発表前なので、ここには出せないが、

カップよりも鍋で煮る方が美味いだろう、換気扇から夜の音を聞く。

そんな歌意の歌。

ちなみに、この日の最高得点歌。

この歌について出席者のひとりが、

「作者はカップヌードルを食べながら、『鍋で煮て作った方が美味しいだろうな』と

思っているのだと思います。そして、換気扇から風の音でしょうか、それが聞こえて

きた、そういう歌だと思います。暮らしの実感があっていい歌だと思います」

そういう批評をしたのだが、

すると他の参加者からも、

「今の批評を聞いてよく分かりました」

という意見が出、歌会の批評はその方向に染まったわけだが、私は疑問が消えなかった。
なんせ歌会は三か月ぶりである。

とりあえずエンジンを暖めないといけないので黙って聞いていた(^^;

まず、歌の情景はどういう情景なのか。

カップヌードルを食べているのなら食卓にでもいるのだろう。

すると下句の換気扇は、食べている最中に換気扇の方から音がしたということか。

私は上句から下句に素直につながる構成から、作者はガスレンジに鍋をかけてなにかを

煮ていて、作者の頭の上に換気扇があり、そこから聞こえてくる音を聞いている、

そういう情景を思い浮かべた。

「鍋で煮る方が美味いだろう」というのも、カップヌードルを食べながら

そう思っているというより、そう思って鍋で煮ているという方が自然な気がする。

で、カップヌードルなのか?

麺だとして「煮る」はどうなのかな? と思った。

カップ酒という意見もあったのだが、「酒を煮る」というのは、なにやら古典的な

表現のようで、あまり現代の歌にはそぐわない気もする。

私が思いうかべたのは、カップご飯。

カップヌードルと同じようにお湯をそそぐだけで、
いろいろな炊き込みご飯的なもの
を作れるというのがある。

山やキャンプで、クッカーにカップの中身を出して水を入れコンロにかけて煮て

作ったりすると、テキトーに他の具材を混ぜたりも出来て、

カップにお湯を入れて食べるより美味しい。

そういうものを作者は鍋で煮て作っているのではないか、そう思った。

情景がそういうものだとして気になるのは、

「夜の音を聞く」である。

夜の音とは?

鍋で煮ているのなら換気扇は回っているのだろう、その音か?

あるいは風が吹いているときに換気扇を回していると、風で少し音が変わったりするが、

そういう音だろうか?

しかし、それは「夜の音」なのか?

この歌の一番の問題点は実はここではないのか?

一見、詩的な表現に見える「夜の音を聞く」が、この歌のなかでは漠然として

生きていないのではないか?

歌会での批評は、カップヌードルを食べているのではないかという情景についての話に

集中してしまい、この歌の本当の問題点についてはあまり触れられなかった気がする。

その辺についてはちょっと残念だった。

それともうひとつ気になったのは、

「カップヌードルを食べているのだろう」という批評が出たとき、他の人達が呆気なく、

「今の批評で分かりました」と賛同したこと。

普通に読んで、鍋で煮ている情景を思い浮かべるのは難しいことではないはずで、

そういうふうに読んだ人もいたのではないだろうか?

もっと自分の読みにこだわって意見を言うべきだろう。

歌会のなかで自分と違う読みが出てきても臆さないで自分の意見を言うべきである。

歌会で話の分かる人になる必要はない。

そうやってこだわって批評をする積み重ねが作歌の力につながるはずである。

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      歌会風景

区民まつり

横浜市の区民まつり、大抵10月あたりに各区でひらかれるのだが、

税理士会の支部でも税務と成年後見の無料相談のブースを出している。

昨年度まで成年後見の担当の部長だったのだが3月で任期が終わったので、

これで区民まつりと縁が切れたと思っていたら、なんのことはない、

4月から税務の方の担当の部長で、

結局さらに2年間、区民まつりに付き合うことになった(^^;

今年は天気が悪く、これでは区民まつりも中止になるかと期待したのだが(^^;;

少雨決行で実施。

ほどがや区民まつりは、保土ヶ谷公園が会場なのだが、

下が土で雨が振るとかなり足元が悪くなるのである。

雨のなか、早い時間に車で会場に入り、ブースを設営、10時前くらいからお客さんが

入りはじめ、パンフレットを配りながら「無料の税務相談やってま~す」と呼び込みを

する。相談は若い相談員に任せ、部長をもっぱら客寄せである。

雨で祭りの人出はいまいちなのだが、それでもぽつぽつと相談者が来る。

年金のこととか医療費控除のこととか相続のこととか、相談内容はいろいろ。

客寄せもずうっとやっていると疲れるので適宜交代。ちょっと会場を歩いてみる。

いろいろな団体のブースや食いもの系の出店が出ていて、

仕事抜きできても結構楽しめそうである。

ブルガリアの物産を売っている出店があって、

店主の蘊蓄を聞きながらブルガリアワインを一本買う。

そのうち、ひとだかりが出来たなと思ったら、琴欧州が付き人を従えてやってきた。

知らなかったが、横浜市保土ヶ谷区とブルガリアのソフィア市はパートナー都市に

なっているんだそうで、その辺の関係で来たんだろうか、しばらくブルガリアの物産を

売っている店で来客に愛想を振りまいていた。それにしても琴欧州ってでかい。

この日は天気に恵まれなかったにも拘わらず、

今までで最多じゃないかという相談者数を達成して、

ほどがや区民まつりの税務相談は終了。

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   ほどがや区民まつり
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  琴欧洲あらわる
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  ブルガリア物産のブース、ブルガリアワイン美味しかった

翌日の日曜は旭ふれあい区民まつり。

旭区役所の駐車場が会場でここも朝早い時間から資材の搬入とブースの設営。

昨日と違って足元が舗装されているのはいいのだが、雨はしっかり降っている。

雨のなか、それでも祭りに人はやってくるもので、こちらもせっせと呼び込みをする。

やはりぽつぽつと相談者が訪れ、結局、昨日の保土ヶ谷と同じくらいの相談者数になった。

両日とも相談員を担当した若い会員達がよくやってくれた。

たぶん、こういう無料相談で一番大切なのは笑顔。

税理士が小難しい顔をしてブースに座っていたら、相談者も入りにくいのである。

笑顔の相談員が多かったのが相談実績の多かった理由ではなかろうか。

相談員の皆さん、御苦労様です(^^

あとまだ瀬谷の区民まつりが残っているので、よろしくです。

それにしても週末2日つぶして朝早くからの資材搬入、客の呼び込み、

ちょっと疲れた週末ではあった(^^;;;

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 旭ふれあい区民まつりの開会式
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 税理士会のブース

トローリング

誘われてトローリング。

夜明け前に横浜ベイサイドマリーナから出航し、一時間くらいで東京湾を出て相模湾。

ようやくそのくらいから夜が明ける。

海原を見て鳥山を探す。

今回はカツオを狙っている。

カツオに追われた小魚の群れを狙って海鳥が集まるわけで、それを鳥山という。

その下には当然カツオがいる。それを探す。

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  夜明け前にベイサイドマリーナを出港
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  操舵席から早朝の相模湾

遠くに鳥山を見付け、そこに向かって走るのだが、

鳥山は動くので、その動く方向を見ながら船を操っていく。

うまい具合に鳥山に近づいたら、海面が騒いでいて、

一瞬、波の間から小魚を追って飛び上がったカツオが見えた。

カツオの群れで騒いでいる海面、近くから見るとちょっと迫力がある。

群れに沿うようにトローリングをするが、

カツオ狙いの釣り船がわっと集まり、

スピーカーで客の釣り人に「いけー! 釣れー!」みたいなことを怒鳴っている船もいて、

凄い状態になる。

ただ、見ているとあまり釣れていないようで、食いはよくないようだ。

しばらく周囲をトローリングするがこちらも当たりはなく、

さらに鳥山を探して相模湾を走り回る。

大島の方に寄り過ぎたので方向を変え、江の島方面に向かう。そのあたりから

シイラが釣れはじめる。

シイラのいるところにはカツオがいるということで、トローリングを続けるが、

釣れるのはシイラばかり。

10月とは思えない日差しで暑い。

朝早く起きているので船べりでうとうとする。

竿を見ていなくても釣れると糸がきりきりきりと引かれるのですぐに分かる。

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  トローリングの竿

結局、この日3時過ぎまで走り続けてカツオは釣れず、

10時間の釣行の成果はシイラ6匹。

相模湾から東京湾に戻りベイサイドマリーナに着いたのは4時過ぎだった。

トローリングは共同作業なので、獲物は全員で分配。

眠くて疲れたが楽しい休日だった。

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  獲物はシイラ6匹

NPO

首を突っ込んでいるNPO、上部団体が新たな活動を開始しようということで、

ちょっとごたついている。

何かを始めようというとき賛否があるのは当たり前なのだが、

ついにはネット上で相手側を攻撃するようなことまで起きて、

なにやら泥まみれ状態。

今回の件について、上部団体の物事の進め方には不手際と独善が目立った。

新たな活動についての思いは分かるとしても、

その思いを下部団体に一方通行で伝えてくるだけでは仕方ない。

もっと会員の意見を聞くべきだし議論を尽くすべきである。

下部団体に対し、意見をまとめて欲しい、質問があれば答えると言いながら、

質問に対する答えが一向にないというのは、

民主的な手続きを踏んだという形だけ揃えたかったのだろうと思われても仕方ない。

結局、不手際と独善のまま事態は進みそうで、

上部団体の総会で決議するつもりらしい。

これだけ不手際と独善が目立つと総会で否決されそうなものだが、

下部団体は下部団体で事なかれ主義が目立つので、

たぶん可決されるだろう。

なにしろうちのNPOでも最初に例会で「上部団体からそういう話がありました」と

いうことで説明があり、その後、「意見を集約していきましょう」と言いながら、

一部の会員の間で話があっただけで、例会で再び議題として取り上げられることもなく、

物事だけがすすんでいるという奇妙な状況である。

議論を尽くすのではなかったのか?

結局、上部団体の言う通りにしていればいいという安直さと事なかれ主義が透けて見える。

もともと親睦団体的な側面の強い団体で、親睦団体としては良い団体なのだが...。

思い出してみれば、NPOになるときに、

「親睦団体とか懇親会みたいなのがNPOになって意味があるのか」と

言わなくていい茶々を入れたのは自分だった。

今回の件は、そのNPOとしての本来の活動に係る問題だったと思うのだが、

今回の件を通して、親睦団体的な集団の限界のようなものが見えてしまったという

気がして、ちょっと残念な気分になっているわけである。

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  20mピンポン玉、一発で命中
 また、つまらないものを射ってしまった(^^;

槍ヶ岳

槍ヶ岳3,180m、播隆上人が1828年に初登頂したということになっているが、

実際のところはどうなのだろう?

剣岳も遥か昔に修験者が登っていたようで、槍ヶ岳もその可能性はありそうだ。

少なくとも、現在の槍ヶ岳山荘のあるところまでは狩猟者などなら充分登れたはずで、

そこから数百メートルの頂上まで山慣れた者ならば岩峰を攀じ登ったかもしれない。

狩猟のような生活のために登る者にとっては無意味な頂上だが、

山岳信仰の対象として登る者にとっては決して不可能な岩峰ではない気がする。

夕方、横浜を車で出発、夜のうちに沢渡の駐車場に入り、車内で仮眠。

上高地から槍ヶ岳山荘までの約10時間を歩かないといけないので、

少々高いが始発のバスより早くタクシーで上高地に入る。

まだ薄暗い上高地から歩き始め、明神、徳沢園、横尾へ。

横尾までは若い頃に何度も通った道。

穂高はここから涸沢に入るのだが今日は横尾から槍沢に向かう。

紅葉シーズンなので横尾から涸沢に入る人が案の定多い。

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   まだ薄暗い河童橋
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  徳沢園
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  横尾

槍沢沿いの登山道をのぼり槍沢ロッジを経てさらに登る。

ここから上は稜線まで小屋がなくなるので、疲れてももう登るしかない。

大曲、坊主岩と登り、ただ愚直に登り続ける。

谷から見上げる槍ヶ岳は氷河が削った岩峰なのだということが実感できる風景である。

今年の槍沢は結構紅葉しているらしい。

3時過ぎくらいに稜線に出、槍ヶ岳山荘着。

明日の天気を考え、山荘で宿泊の手続きを済ませ荷物を置いて頂上に向かう。

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  槍の頂上が見えてきた
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  稜線直下
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  槍ヶ岳山荘 ここで標高3,080M

頂上まで
200mという立札があり、すぐに岩峰の登りになる。

一般の人にも登れるように梯子や鎖が付けられているので、高所恐怖さえなければ

どうということはない。

30分かからないで頂上着。

10畳ぐらいの岩の頂上、あまり大勢は登れない。

高度感はかなりある。

風も吹いているので回りの写真をパチパチと撮り、

ついでに中国語のグループに頼まれて写真を撮ってやり長居はせずに下山。

どうということはない岩登りだが、それでも山荘まで下ってくると少しホッとする。

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  槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳頂上
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  槍ヶ岳山荘から登ってきた槍沢を望む 赤い屋根は殺生ヒュッテ
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  頂上直下
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  槍ヶ岳3,180mの頂上
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  槍ヶ岳山頂から穂高連峰
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  眼下に槍ヶ岳山荘

翌日は朝からガスで頂上は全く見えず、

少々きつくても初日に頂上に登ってしまって正解だった。

朝食を終え、昨日登ってきた道をくだる。

下に行くとガスが晴れ周囲の景色が見えてくる。

紅葉が美しい。

あと10日もすれば新雪が降るだろう。見納めの紅葉である。

槍沢ロッジ、横尾、徳沢園、明神と下り上高地に戻る。

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  槍沢の紅葉
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  登ってきた槍沢 

人には思い入れのある土地というのがあって、

若い頃通った上高地は、そういう土地のひとつ。

一年に一度は訪れたいという気もちが今もある。

河童橋たもとの白樺荘に入り、部屋の窓から穂高を望むが釣り尾根も岳沢も雲に覆われ、

かつて登った峰々は見えなかった。

風呂に入り汗を流しぐっすりと寝て、翌日、天気が回復してきた上高地をあとにして帰った。

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   上高地
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  上高地での定宿、白樺荘の信州トマトカレー 美味しい

 

 

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