2017年03月

歌会

ひさしぶりに湘南での歌会。四か月ぶりくらいかな?

湘南での歌会に出るとき、いつもは午前中に鎌倉を歩いてから歌会に行くのだが、

今日は雨だったので、昼から歌会に直行した。

で、気になった歌。

例によって誌面発表前なのでここには出せないが、

エレベーターでインターホンのボタンを見つめつつ『疲れました』と救援を呼ぶ、

そんな歌意の歌。

この歌について、下句が「『疲れました』と救援を呼ぶ」だから本当に救援を呼んだ

のだろうという読みが提示され、他の出席者にも聞いてみたら、

半分ほどの人が同じように「本当に救援を呼んだ」と読んでいて、

「救援を呼んだ」派と「救援を呼んでいない」派で歌会での意見が真っぷたつに分かれた。

正直、この歌が「本当に救援を呼んだ」と読めるのかと驚いた(^^;

歌の表現は「ボタンを見つめつつ」『疲れました』「と救援を呼ぶ」である。

作者はエレベーターのインターホンのボタンをじっと見つめているわけで、

ボタンを押してはいない。

しかも、それに続く『疲れました』は『』であって「」ではない。

つまり、「疲れました」という普通のカッコ書きならば、それは台詞であるかもしれず、

作者がインターホンに向かって話しているという読みも出てくるかもしれないが、

あえて「」ではなく『』を使っているのは、

これが作者の独白あるいは心の声であることを示しているのではないか?

エレベーターのなかでインターホンのボタンをじっと見つめている作者、

次の瞬間、歌は作者の心象に変わり、

心のなかで作者は『疲れました』と救援を呼んでいる。

それはあくまでも作者の心の中の話であり、

作者が具体的行動としてインターホンのボタンを押して外部に救援を求めているわけ

ではない。

そう読むのが妥当である気がして、

「本当に救援を呼んだ」という読みにはかなりの違和感を覚えたのである。

で、なんで、そういう読みが出てくるんだろうと考えた。

なんというか、歌を散文のように読んでいるのではなかろうか?

簡明に事実を伝えるような文章として歌を読んでしまえば、

そういう読みは出てくるのかもしれないが、

歌は単に31文字で情報を伝えているだけなのではないわけで、

その表現から伝わってくるなにものかを「感じ取る」ことが大切なはずである。

そして、その表現のなかに「感じ取る」なにかがあって、

初めて短歌は31文字以上のことを伝えることが出来る気がする。

詩と散文は違う。

短歌を散文のように読んでもそれでは短歌を鑑賞できないと思うわけである。

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   アーチェリーの射場で今年初めてのタケノコの収穫

月岡温泉

誕生日、子供が旅行に連れて行ってくれるとのことで、朝、駅に集合せよと。

で、言われるままに出かけてゆき、行く先も教えられぬまま横浜から東京駅に行き、

二階建新幹線のMaxに乗る。新潟に行くということだけは分かった(^^

ちなみに、二階建新幹線というのは初めて乗ったけど、やはり視点が高い気がする。

上越の雪景色を抜けて2時間くらいで新潟着。

若い頃、上越の山々をホームグラウンドとして歩いていたので、

新潟県には年中来ていたのだが、新潟市というのは初めて。

というわけで、しばらく新潟の町をぶらつく。

観光循環バスというのがあったのでそれに乗って白山神社。

境内には梅が綺麗に咲いていた。そのあと神社を出て古町通りというところを散策がてら

歩いていたらドカベンがいた。そういえば、ドカベンの作者の出身が新潟で、

この古町通りにはドカベンのキャラクターの銅像が並んでいる。

通りの風景に馴染んでいるような浮いているような...ちょっと微妙ではある(^^;
天気がいいのでぶらぶらしながら信濃川を渡り、歩いて新潟駅に戻った。

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  白山神社
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  古町通りのドカベン
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  信濃川 向こうは日本海
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  昼食は新潟のへぎそば

在来線に乗り、豊栄という駅、そこからシャトルバスに乗って月岡温泉。

ようやく目的地が分かった(^^

大正時代、石油を掘っていたら50度の温泉が噴き出したという月岡温泉。

温泉街は鄙びた雰囲気のなかに新しい店が出てきているような感じのところで、その

月岡温泉の端にある華鳳というホテル、そこの別邸・越の里というのが今日の宿だった。

本館から別邸に行く途中の通路の大きな窓の向こうに雪の山なみが見える。飯豊だろうか。

仲居さんに案内されて部屋に行ってみると、

和室二間とコーナー、着替え室と洗面、客室露天風呂があって、なにやら贅沢な部屋。

「無理しやがったな...」とつい思ってしまう(^^;;

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  華鳳の庭園
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  部屋のコーナーからの眺め、写真では見えにくいが
 遠くに雪山が見えた、朝日連峰か。
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  広くて感じの良い部屋

まずはのんびりさせてもらい、温泉に入る。

ここの温泉は硫黄臭があって雰囲気のいい風呂である。一時間以上入ってしまい、

風呂から出たら個室で夕食、新潟の美味しい酒と食事を楽しんだ。

翌朝、早い時間に部屋の露天風呂に入る。

月岡の田園風景に朝靄がかかっていて綺麗だった。

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まさか、子供が誕生日に温泉旅行をプレゼントしてくれるとは思わなかった。

生きていれば、たまにはいいこともあるもんである(^^

 

ネパールの祭り

確定申告真っ盛りの日曜、気晴らしにアーチェリーの射場に出かけると、

なにやら放送が聞こえてきて賑やか。

しかも日本語ではない。

なんだ? と思って行ってみると、ネパールの人達が大勢きてお祭りをやっていた。

何年か前からネパールの人達が射場に来るようになった。

なんでも、年に一度のお祭りをやりたいんだそうで、

そのお祭りのとき、弓を射って競うらしい。

大勢で集まれて弓がうてて祭りが出来る場所って、そうやたらあるはずもなく、

彼等もずいぶん探したのだろうが、

たまたまアーチェリーの射場がちょうど良かったわけである。

最初の頃は若い男達が集まってわいわい言いながら弓を競っているだけだったのだが、

そのうち、女性達もやってきてお祭りらしきことをやるようになった。

時期的には3月から5月くらい。

男達は弓を競い、女達は民族衣装を着てあつまりネパールの料理を作ったりして

楽しんでいた。

そのうち、あそこなら大勢で集まれる、弓も出来る、料理も作れる、という話が

口コミで広がったのだろう。だんだん人数が多くなり、

とうとう今年は拡声器を持ちこみ、正装した男性がなにやら祭りの挨拶らしきものを

やっていて、そのあともいろいろ歓声はあがるし、すっかり本格的な祭りになってし

まった。はっきり言ってちょっとうるさいのだが(^^;

故国を離れて異郷で暮らし、年に一度、国でやっていたのと同じ祭りで集まりたい

のだろう。眉をひそめることもあるまい。

民族衣装を着た女性達や子供達も集まって、いったい何人来ているんだと

常連仲間が試しに数えたら80人くらいいたらしい。

回りから聞こえてくるのはネパールの言葉と音楽。

東南アジアのどこかにでもいるような感じで、日本にいる気がしない(^^;;

一方では大鍋でネパールの料理を作っていると思えば、

一方では民族衣装を着た若い女性達と若い男達が話をしている。

祭って、昔から出会いの場なのであって、

なんか素朴な風景を見ている気がして微笑ましい。

射場の常連のなかに、ネパール人のうちのひとりと他の射場で知り合いになっている人が

いて、その人の話では、ネパールのムスタンの人達だとのこと。

ムスタンって、1990年代あたりまでムスタン王国というネパール内の藩王国で、

外国人は簡単に入れない場所だったんじゃないかな?

古き良きチベットが残っている場所とか聞くが、

そういえば祭りで集まっている人達は東洋系の顔立ちが多く、

あるいは民族的にはチベット系の人達なのかもしれぬ。

最近、ネパールから日本にやって来る人達が増えているらしい。

ネパール国内の政情不安や雇用の問題で、海外で働く人が多いのだろう。

移民をとやかく言う人もいるが、

言葉も通じない外国に来て人生を切り拓こうというのは立派である。

この列島は古代、大陸からの難民のフロンティアだった。

いろいろな人達が安心して暮らせる国であって欲しいと思う。

そんなことを思いつつ、祭りの喧騒のなか、弓を射った。

とても日本とは思えない射場の春の一日ではあった(^^;;;

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   練習場の向こうの方で集まって挨拶なのか儀式なのかやっていた。
  ちょっと人がはけたときの写真なので少なく見えるが周囲には大勢。
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  民族衣装の女性達

1600円

NHK出版から手紙が来て、なんだろうと思ったら、

短歌の掲載許可の依頼だった。

雑誌に短歌一首を載せてくれるそうで、

著作権料1600円の振込先を教えよと。

短歌一首1600円。

そんなもんなんだろうな(^^;

別に、短歌で飯食おうと思っていないので、どうでもいいのだが、

この短歌一首1600円って、高いんだろうか? 安いんだろうか?(^^;;

昔から、短歌は食えないが俳句は食えるというらしい。

俳句は作る人が多いので、俳句教室とか沢山あり、そこの講師みたいな仕事が

あるということなんだろうか?

あるいは俳句人口が多いのでそのぶん句集が売れるということ?

それに対し、短歌は食えない。

歌集が売れる人って、短歌をやっている人の文字通り一握りである。

俳句と比べ、短歌人口は少ないから、つまり市場も小さい。

ま、短歌をやっている人って、

短歌で飯食おうと思ってないだろうから、別にどうでもいいのだが、

一首1600円というなんともいえない微妙な金額が面白い(^^;;;

で、1600円はどうでもいいのだが...。

その手紙を読みながら、思ったのである。

本当に書きたいのは短歌ではなかった。

本当は別のものを書きたかった。

しかし、仕事もしなければならないわけで、

そういうことに割ける時間はなかった。

石川啄木が短歌を「悲しき玩具」と言ったのが良く分かる。

啄木は本当は小説が書きたかったわけだが、

小説は芽が出ず、合間に作っていたのが短歌である。

ちなみに私が本当に書きたかったのは小説ではない。

高校生あたりまでは多少小説を読んでいたが、

それ以降あまり読まなくなった。

小説は結局作り話、そういう感じがしたのである。

仕事をし、短歌もやり、しかし、時間は限られる。

自分が本当に書きたかったものは書かず、

そのまま人生を終わるのか...。

手紙を読みながらそんなことをふと思ったのである。

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  こぶしが咲き始めていた。画像が悪くて見えないか...。

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