2016年01月

自虐ポスター

あまり政治に関係することは書きたくないのだが、

今日の新聞を読んでいて思わず笑ってしまったので書く(^^

民主党が今年の夏の参議院選挙に向けて作成したポスターが面白い。


  「民主党は嫌いだけど、民主主義は守りたい」


さらに下の方にはこんなキャッチがある。


「そんなあなたへ。すぐに信じなくてもいい。

野党として、止める役割をやらせてください」


結構笑えた(^^;

ついにここまできたかという感じ。

まあね、ようやく民主党も地に足をつけて状況判断をすることが出来るように

なったのかなという気はする(^^;;

そういえば税理士会にも政治の季節みたいなものがあった。

自民党から民主党への政権交代のときである。

あの頃、支部の例会に行くと、お偉いさんが「鳩山さんが〇×△」「管さんが△〇×」と

熱く語っているのをよく見かけた。

こちらは斜めに構えてそれを見ていたのだが、

結局、あの政権交代の選挙のとき、私は民主党に投票しなかった。

別に自民党のシンパではない。

理由はいたってシンプル、

出来ないことを出来ると言うヤツは信用しない。

それだけである。

あのときの民主党のマニュフェストは実現不能だということは分かっていた。

それでも投票した人に聞いてみたら、

「あのときは政権交代が必要だったんだ」と言う。

確かに政権交代はどこかで必要だったのだろうが、

しかし、出来ないことを出来るという民主党がその担い手でないことは明らかだった。

出来ないことを出来るというヤツは信用しない。

これは人間社会では当たり前のことである。

それを忘れて政権交代という祭に乗った有権者にも、

民主党政権3年間の不毛についてなにがしかの責任はあるのかもしれん。

一番基本的な部分を見逃さない。

世の中のもろもろのことに対応するのにそれは重要なことである。

バブルも政権交代も、今となってみれば祭だった。

祭のなかで多くの人は基本的な部分を忘れる。

過ぎた祭はどうでもいいが、

これからもいろいろな祭があるのだろう。

そういえば、最近の祭ではプロパガンダが多用されるようで、

正直、平和を語る人達にはプロパガンダという手法に頼って欲しくないなという

気はする。プロパガンダはその根底において民主主義を否定する。

いずれにしろ、基本的な部分を見逃さないという姿勢、大切にしたいと思っている。

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  無患子


 

天園ハイキングコース

鎌倉の天園に歩きに行った。

今年か来年、再度の海外登山を考えていて、

それに備えて体を絞っていこうと。

本当なら丹沢あたりに登りに行けばいいのであるが、

やはり一日がかりになるわけで、半日しか時間がとれない時は行きにくい。

で、考えたのが鎌倉の天園ハイキングコース。

鎌倉というのは中世から、南は海、他の三方は山に囲まれた要害の地だったわけで、

そのぐるりと鎌倉を囲んでいる尾根の一角を歩くのが天園のハイキングコース。

北鎌倉の建長寺の裏から鎌倉を囲む尾根に上がり、その尾根を瑞泉寺まで歩く。

鎌倉周辺には他にもハイキングコースはあるのだが、天園が一番長い。

一番長いといってもしょせん低山である。

家で朝飯食べてからゆっくり出かけても昼過ぎには鎌倉の町に下り、

そのあとは他の用事が出来る。

ちょっと体を動かしたいときにはちょうどいい。

家を9時半に出て、一時間かからずバスと電車で北鎌倉。

ここから円覚寺、東慶寺の前を歩いて建長寺へ。

観光客を尻目にさっささっさと寺の奥の方へ向かう。

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  建長寺 三門
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  建長寺 法堂

建長寺の後ろの半
僧坊に登り、そこから鎌倉外縁の尾根に取り付く。
そこが天園のハイキングコース。
振り返ると下の方に建長寺の伽藍とその向こうの海が見える。
ちょっと曇っているのだが、天気が良ければいい眺めだろう。
ここから尾根を歩く。円安の効果か、外国人のグループも歩いたりしている。
木々に覆われた柔らかい尾根である。
すたすたと歩いていくと、ところどころ鎌倉の町が見下ろせたり、海が見えたりする。
トレーニングなので休憩しないでどんどん歩く。
途中、大平山というところがあり、結構開けていて、家族連れがあちこちに座って昼食を
食べている。ちなみにここは標高159m。鎌倉で一番標高の高いところである。

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  半僧坊への登り口、寺のはずだがなぜか鳥居
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  大平山
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  天園峠の茶屋

ここから瑞泉寺に続く尾根の道には中世の鎌倉の墓である「やぐら」の跡があったりして、

歴史を感じる道である。
紅葉の時期ならば綺麗であろう尾根道を歩き、瑞泉寺の方に下りる。
花の寺といわれる瑞泉寺だが、あそこの梅はちょっと遅いので、今日はパスして、
尾根道から下の道路に出たらそのまま、鎌倉宮、荏柄天神、鶴岡八幡と歩いて駅に向かう。
ちなみに、建長寺の裏の半僧坊から天園の尾根に登ったところに、
「瑞泉寺 3,8k 2時間」と標識に書かれていたが、
半僧坊からしゃかしゃかと歩けば瑞泉寺まで1時間20分で着く。

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  やぐらの跡
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  今も花が手向けられているやぐらもある。

駅の近くで昼飯を食べ、そのあとは他の用事に。

天園のハイキングコース、半日しか山歩きのトレーニングが出来ないときには
丁度いいコースである。

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   鎌倉西口 仲の坂で昼食。あじのさしみとフライの定食

虹の断片

虹の歌といえば斎藤茂吉も虹の歌を詠っている。

  最上川の上空にして残れるはいまだ美しき虹の断片
                        /『白き山』

茂吉の名歌と言われる歌である。

山形の大石田に疎開していた茂吉は敗戦後の昭和21年、最上川の畔でこの歌を詠んだ。

ただ、どうなんだろう。この歌、茂吉の歌と分かっているから皆、

「いい歌ですね~」「情感が伝わります」と言うわけだが、

茂吉の歌ということを外してこの歌が歌会に出されたら、

「『の上空にして』という辺り、ちょっと説明的な感じもします。そもそも虹は上空にある

に決まっているので、わざわざそんなことを言わず違う言葉を持ってきて欲しかったです」

そんな批評が出てきそうな気がする。

同じ茂吉の最上川の名歌

  最
上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
                                       /『白き山』
こちらと比べても、
やはり「の上空にして」の辺りひっかかり感は消えない。

あるいは、当時の詠い振りとか、そういうこともあるのかな・・・。

なにしろ70年前の歌である。詠い振りが現代と違うのは当然で、

例えば茂吉に傾倒した現代の歌詠みが、「なりにけるかも」とか詠っても、

現代の歌のなかでそれを生かすのは少し難しい気がする。

それともうひとつ、

茂吉が詠った情景すなわち茂吉が見た最上川の情景は、

現代の我々には決して見ることの出来ない情景である。

茂吉が見たのは、国破れて残った山河である。

戦争に協力的だった茂吉は、どういう思いでその山河を見ていたのか。

現代の我々には決して見ることの出来ない情景を思い浮かべ、

茂吉の心情を忖度するのも難しいわけだが、

虹の断片を見ている茂吉の姿からはなにかしら伝わってくるものがある。

完全な虹ではなく、いまだ美しき虹の断片であることが、この歌を成功させている。

そんなことをつらつら思うと、あるいは「の上空にして」というちょっと引っ掛かるような

表現も、それはそれで生きているのかな・・・正直疑問は消えないんだが(^^;

ちなみにこの歌、大石田町民歌になっているらしい。

ネットで探すと楽譜が出てくるが、楽譜を読むほどの教養はないので、

どういう歌かは分からぬ。

それにしても茂吉の最上川の歌を読んで分かるのは、

斎藤茂吉という歌人は自然を観察する確かな目を持っていたということ。

しかし、そういう目が必ずしも時代や世の中を見通す目にはつながらなかったのも

事実で、そこに、ひとりの歌人の悲劇があるわけである。

我ら現代の歌詠みもそのことをしっかり頭に入れた方がいいのかもしれない。

いま多くを語っている者が本当に時代を見通しているのか、

そういうことを茂吉と重ねて考えてみた方がいいのかもしれない。

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   ネットにあった最上川のフリー写真

螢田

水原紫苑の虹の歌を読んで思い出した。

そういえば虹といえばこの歌があった。

螢田てふ駅に降りたち一分の(かん)にみたざる虹とあひたり

                         /小中英之

螢田という駅に降り立ち、つかのまの虹を見た。

詠っていることはそれだけである。

この歌の虹は一分の間に満たず消えてしまう。

虹の消えたあと、

読者の心には、「螢田」という印象的な地名がもたらす、はかなさ、寂しさ、

そしてそのなかに立つ作者、それだけが残る。

小中英之はそれを計算してこの歌を作っている。

「螢田」という地名にはそういう効果があるわけで、三連休の一日、その螢田に行ってみた。

螢田は小田急線、新宿から行って小田原のふたつ手前の駅である。

西には箱根の山があり、東に500mも行けば酒匂川がある。そういう平坦な土地。

駅に降り立ってみると、はっきり言って周囲にあるのは何の変哲もない町である。

戦後の高度成長に伴い、都市の近郊の田畑に無秩序に住宅地が広がっていった。

まさにその典型のような雑然とした住宅地。

それが現在の螢田である。

「螢田」という地名から浮かぶ抒情のかけらもない(^^;

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   螢田駅のホーム
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  東側改札口
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  螢田駅
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  駅近辺 早い話フツーの住宅地

見るべきものも特になさそうなので、線路沿いにテキトーに歩けば小田原に出るだろうと

思い歩く。歩いていくと狩川に架かる橋があり、そこから螢田を振り返る。

振り返れども雑然とした町があるのみ。

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  狩川の橋の上から螢田方面

小中英之がこの歌を詠んだ昭和
50年頃は、おそらくこの辺りは今より住宅も少なく、

酒匂川と狩川に挟まれたこの土地には田圃が広がっていたはずで、

季節になれば当たり前のように螢が飛んでいただろう。

江戸時代からこの土地は螢田と呼ばれていたらしい。

駅の近くに蓮正寺という寺があり、小田急が駅を作ったとき、「蓮正寺」と「螢田」が

駅名の候補だったらしい。

「螢田」にしてくれてよかった。

「蓮正寺」という駅名だったら、小中英之の名歌は生まれなかっただろう。

小中英之は蓮正寺の駅で降りて一分の間に満たざる虹を見たとしても、


   蓮正寺てふ駅に降りたち一分の
(かん)にみたざる虹とあひたり


そうは詠わなかったはずだ。

「螢田」という駅名だったからこそ、この歌は生まれた。

そう考えたとき、小中は螢田の駅で降りなかったのかもしれないと思った。

あるいは小中は、車窓から「螢田」という駅名を見ただけで、

この歌を作ったのかもしれない。

「螢田」という駅名にインスピレーションを得て一首を立ち上げた。

自分が実際にその情景を見ていなくても、

その見たこともない情景をわずか31文字で読者のなかにまざまざと浮かび上がらせる。

歌詠みというのはそういうことが出来るのである。

小中もそうやって「螢田・・・」の歌を作ったのかもしれない。

そんなことを考えつつ小田原へ歩く。

道を知らないのでテキトーに歩いていくのだが、この辺りの家はまだ正月飾りをつけて

いる。都会では正月7日で大抵はずすのだが、地方では結構、小正月の15日まで飾りを

つけていることがある。以前、仙台の歌会に行ったとき、一月の第二日曜だというのに、

商店街のあちこち正月気分のままなのに驚いたことがある。

螢田も小田原も小正月までは正月なのだろう。

一時間くらいで小田原に着き、

ついでに小田原城を見て、蒲鉾だの干物などを土産に買って帰った。

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  小田原城の梅

北のくちなは

岡部史さんのブログを読んでいたら、水原紫苑の歌が紹介されていた。


  君と見し北のくちなはその虹を我が知らぬ愛の言葉とおもひき

                              水原紫苑『光儀』

最初読んだとき、微妙にひっかかるものがあった。

岡部さんはブログで「くちなはとは蛇のことである」と書いているが、

それはブログを読んでいる一般の読者向けの用語の説明で、

この「くちなは」は虹の比喩であろう。

というか、たぶん、「北の蛇」と読んではいないと思うのだが...(^^;

で、「くちなは」が虹の比喩だとすると、そのすぐ後ろに「その虹を」と出てくるわけで、

そこに微妙なひっかかりを感じたのである。

例えば、「月」を他界の窓のように比喩することがあるが、

「他界の窓その月の・・・」というような表現があったらどうだろう?

比喩しておいてそのすぐあとに比喩の対象をそのまま出してくるというのは、

どうなんだろう? 比喩の効果はどうなるのか?

そんな気がしたわけである。

だから、ちょっと考えた。

あるいは虹じゃない?

オーロラ?

北欧の神話ではオーロラのことを「世界を囲む蛇」という。

実際のオーロラを見たことがないのだが、あるいは虹のようにきらめくオーロラも

あるのだろうか? そういう歌?

はたまたひょっとしたら比喩じゃなくて本当の蛇?

しかし、本当の蛇だとしたら、「北の〇〇」というのが、演歌とかで良く見かける

安っぽい修飾語という感じが否めない。

そんなふうに何度か読み直していたのだが、

やはりこれは虹だと思うようになった。

で、「北のくちなは」という虹の比喩のあとに「その虹」と比喩の対象がそのまま

出てくる、そういう表現もこれでいいのだと思えるようになった。

作者はかって君とふたりで北の地の大きな虹を見たのだろう。

その虹を見たとき、作者は素直に「まるでくちなは」と思ったのだろう。

「君と見し北のくちなは」と「その虹」の間に一拍入れる感じで読むと、

作者のそのときの感動が素直に伝わってくる気がする。

そうやって読むと、分かりにくい歌が多いという水原紫苑の歌だが、

この歌は結構すんなり入ってくる。

この歌、スペース入れるとどうなるのだろう。

  君と見し北のくちなはその虹を我が知らぬ愛の言葉とおもひき


  君と見し北のくちなは その虹を我が知らぬ愛の言葉とおもひき


スペース入れると分かりやすくなるがちょっと目立つ気がする。

こう読んでくださいと作者が指示しているような...。

歌を読むとき、ツッコミを入れるのは簡単である。

しかし、そこからさらに一歩入って歌を読まないと、

歌を鑑賞することは出来ない。

この歌を読んでそんなことを思ったのだった。

それにしても水原紫苑がこれだけ感動するような虹、

さぞかし大きな虹だったんだろうな(^^

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   ネットにあった虹のフリー写真

初射ち

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


正月2日、通っているアーチェリーの射場の初射ち。

例年、地元の獅子舞がくる。

獅子舞って子供の頃は見かけたが、最近では獅子舞というと、

中華街の獅子舞が浮かんで日本の獅子舞はあまり浮かばない。

この辺りでは地元の保存会で受け継がれて、

正月に獅子舞を演じながら地域を歩くらしい。

ちなみに獅子舞、二人で演じる獅子もあるが、この辺りの獅子は一人で演じる。

で、獅子が途中でひょっとこに変わる。

獅子舞の原型というのを知らないので、

獅子がひょっとこに変わる獅子舞が多いのかどうか知らないのだが、

中華街でやっているちょっとアクロバチックな獅子舞と違って、

日本の獅子舞って、収穫の祭で演じられていたような素朴な感じがある。

獅子はたぶん中国から入ってきたのだろうが、
あるいは獅子が入ってくる以前の古代から、

鹿とか熊とか猪とか猿とか、
そういう動物の面をかぶって収穫の祭で踊るようなものが
あったのかもしれない。
ひょっとこも、祭に出てくるキャラクターのようで、
そういう祭で演じられていたと考えると、

獅子舞とひょっとこが同時に演じられるのも分かる気がする。
あるいは、この地域の獅子舞、日本の古代の伝統を継ぐものなのかもしれぬ(^^;
大切に守り伝えて欲しいと思う。

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  獅子舞 焚き火の煙でぼやけてしまった

獅子舞が終わったあとは雑煮。

昨年射場でついた餅と射場で採れた大根と、あとは鶏肉・人参・里芋を買ってきて
焚き火で
雑煮を作る。美味い、なかなかいい味が出ている。
獅子舞を見て雑煮を食って、コースを回る。天気が良くて気分がいい。
さて、今年一年また頑張ろう(^^

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   焚き火で作った雑煮

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