2015年04月

ネパール大地震

ウッドデッキパーティーを楽しんでいたその日、ネパールで大地震がありました。

山岳会の後輩がエベレストに行っていましたが、どうやら無事なようです。

現地の状況はよく分かりませんが、ニュースでは悲惨な状況が伝えられています。

国連難民高等弁務官の外郭団体である国連UNHCR協会から届いた、

被災者救援の寄付の呼び掛けのメールを紹介します。

皆様の御協力を御願いしたいと思います。

なお、メールそのままのコピーですので、画面の「今すぐ寄付する」をクリックしても、

寄付のページに入れません。国連UNHCR協会のHPを紹介しますので、

そちらも併せてご覧ください↓

       http://www.japanforunhcr.org/



メール文面が表示されない方はこちらよりご覧ください。
国連UNHCR協会

税理士関野 裕之 様

緊急事態 ネパール大地震

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2015年4月25日にネパール中部で発生した地震によって、数千人の犠牲者が出ています。
UNHCRは、ネパール当局からの要請を受けて、現地事務所を通じて、すぐに次の救援物資を輸送する準備に入りました。

ビニールシート         1万1000枚
ソーラーランタン       4000個 (携帯電話の充電にも使用可能)

東部に位置するダマック現地事務所から首都カトマンズの被災地域に向けて、26日夜、警察や軍に警護されて出発しました。

UNHCRは、長年にわたってネパールに事務所を構え、職員および救援物資を備えているため、この緊急状況において、人命救助のための救援物資の提供を中心とした活動をすばやく実施することができました。

ネパールに備蓄している救援物資をすぐに提供するとともに、ドバイにある倉庫から物資(ビニールシート5万枚、ソーラーランタン2万5000個、ソーラー発電機20機)を輸送する予定です。さらに、今後、電力供給が止まっている病院などへのソーラー発電機の提供なども予定しています。

donation_sample_nepal

「UNHCRは、長年にわたって難民を温かく受け入れてきたネパールとともにあります」と、デイジー・デルUNHCRアジア・太平洋州局長は語っています。

UNHCRは、1960年代からネパール政府と協力してこの地域の難民支援にあたってきました。東部にある2か所の難民キャンプにはブータン難民2万1000人が暮らし、首都カトマンズ近辺には難民や庇護希望者が約650人滞在しています。

皆様の温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
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(必要以上集まったご寄付は、UNHCRが最も必要とする援助活動に充てさせていただきます。)

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国連UNHCR協会
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何卒ご了承くださいますよう、お願い申し上げます。

ウッドデッキパーティー

山岳会の仲間の家でウッドデッキパーティー。

もともと酒好きだった山岳会の仲間。

酒好きが高じて、友人を招いてバーベキューをやって飲もうということで、

自分の家のガレージの上にウッドデッキを作った。

毎年この時期、仲間達でそこに集まってバーベキューをやるのが恒例になっている。

山岳会もOBにっなってちょっと御無沙汰しているのだが、

ひさしぶりに懐かしい顔が揃う。

仲間の奥さんがバーベキューの下拵えなど面倒なことを毎年してくれて、

恐縮しつつもここ数年すっかり甘えさせてもらっている。

魚屋で働いているOBからは、新鮮なトロやホタテやサザエや蛸や烏賊などの差し入れ

を毎年このパーティーに合わせて送ってもらい、今年は、新潟の十日町に移住して

コメ作りをはじめた仲間から旨い日本酒の差し入れも加わった。

奥さん、皆さん、ありがとうございます(^^

焚火のおこし方の講釈などしながら火を付け、

肉や野菜や海鮮を焼き、美味い刺身を食い、

仲間の奥さんの作ってくれたチゲ鍋を食い、たらふく飲んで、思い出話に花を咲かせる。

椅子に凭れ、4月の爽やかな風を感じながら食っては話し、話しては呑む、

若い頃の雪山の話とか、

あいつがあそこでこんな失敗したとか、

そういう他愛ない話。

そろそろゴールデンウィーク。

山は、雪と新緑と青空のコントラストが美しい季節になる。

自然は美しい、そして厳しい。

若い頃にそういう世界に親しむことが出来たことは、

人生のなかで貴重だったと思う。

ああだこうだ話しているうちにだんだん記憶がおぼろになり、

夕方、皆でわいわい言いながら仲間の家を辞し、

そのあとどう帰ったか分からないが、なぜか無事に家に帰っていた(^^;

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   ちなみに、この写真を撮った記憶なし。このタコを食べた記憶もなし、
  たぶん、食べたんだろうな...(^^;;

正夢

夢を見た。

しばらく前から抱えていたちょいとややこしい事案。

それがいい方向で結末する夢。

夢から覚めて「そんなうまくいくわけないよな~」と思いながら、

いささか重い気分で出かけた。

その日がそのややこしい事案について話をする日だった。

で、結末は...。

ほぼ、夢の通りになった。

ややこしい事案を抱えると、いろいろ考える。

しかし、考えるだけ考えたら、それ以上は考えないことにしている。

大抵の人間は、考え過ぎるといつのまにかネガティブな方向に考えるわけで、

そういうふうに考え込んでいいことはなにもない。

で、考え込んでもしょうがないので、

そういうときどうするかというと、

とりあえず最悪のケースも想定して、そのときにとる対応を考えておく。

具体的な対応を考えたら、

あとは結果を受け入れる覚悟を決める。

覚悟を決めたら、

より良い方向へ決着させるための方策を考える。

最悪のケースを考えたら、あとは前を向くだけである。
そしてそれに向けて努力する。

ここしばらく、そんなふうにちょいとややこしい事案と向き合っていたわけだが、

その面倒な話をする当日の朝、まざまざと夢に見て、ほぼその通りに決着(@@

正夢ってあるんだなと少し不思議な気がしたのだった。

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  ハナミズキ

加賀美アーチェリー

アーチェリーの仲間とひさしぶりに山梨の加賀美アーチェリーへ。

以前はフィールドアーチェリーの団体があって定期的に試合があり、

加賀美にもたまに行っていたのだが、

その団体がなくなって試合がなくなり、行かなくなった。

甲府盆地は4月になると桃の花が咲く。

中央高速の一宮御坂インターのあたりをこの時期走ると、

甲府盆地が桃色に染まって見える。

その桃と新緑のなかでアーチェリーをやろうということで、

ひさしぶりに加賀美に出かけた。

早朝出発し、仲間をピックアップしながら東名高速に。

東名から圏央道を経て中央道を走るつもりだったが、圏央道が事故渋滞という表示が

出ているのでそのまま東名を走り御殿場。ここから山中湖、河口湖を通って若彦トンネル

を抜ければ加賀美アーチェリー。途中、河口湖ではさくら祭りをしていてちょっと混んで

いたが、なるほど、湖と富士と桜、このコラボレーションは綺麗。

綺麗だ!写真撮る、車止めろ!という同乗者達の我儘に付き合いながら河口湖を通過。

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  河口湖の桜と富士

トンネルを越え、新緑の美しいヘアピンカーブの道を走り、案外早く射場に着いた。

ひさしぶりに会った射場のオーナーに挨拶。

数年前来たときと射場の雰囲気は変わっていない。

桜や花桃が綺麗である。

支度をして練習場で少し射ってから早速コースに入る。

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  加賀美アーチェリー
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  練習場
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  練習場で軽く肩慣らし

ここの射場は自然林なのがいい。

遊歩道のようには整備されておらず、落葉の積もった新緑の自然林のなかを歩いていく。

春の芽吹きのなかで弓を射るのが気持ちいい。

結構、起伏がある。足場を確かめながら歩く感じで、

矢を射るときも足場が必ずしも安定しない。

それもあってか、通い慣れている横浜の射場よりもコースを回るのに時間がかかる。

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  こんな感じで射つ
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  射ち下ろし
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  40mだったか、射ち上げを終えて
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  20mの的
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  ようやく一回り終了、橋の下の流れのなかに野生のわさびがあった
  
一回りして昼食、途中のスーパーで買ってきた弁当が小さくて物足りない気分でいたら、

オーナーが蕎麦なら出せるという。そういえば以前、試合に来ていたときは昼食に蕎麦を
予約してあって、それが美味しかった。ならば3時のおやつに蕎麦を食べようということで
人数分注文して再びコースに出る。

加賀美は的までの距離が表示されているコースと、表示されていないアンマークドの
コースがあり、このアンマークドが加賀美の魅力。
的までの距離を目測で測り、矢を射るわけである。
目測を誤れば、的をオーバーしたり、あるいは的の下を潜って石にぶつかったりして、
矢がなくなったり壊れたりする。最近のカーボンの矢は高いので、壊したりなくしたり
したら痛い。だから結構、緊張する。
目測し、狙い、射つ。
狙い通りに矢が刺さったとき、
文明人とはいささか離れたところの喜びを覚えるわけである(^^;
昼からアンマークドとマークドを一回りずつして、
3時のおやつに注文しておいた蕎麦を食べる。
行者ニンニクや椎茸の天麩羅を添えてもらい、
手打ちではないフツーの蕎麦なのだが美味しい。
「へたな蕎麦屋より美味しいですね」と言うと、オーナーが、
「水がいいからでしょう。ここの水で入れるとコーヒーも美味しいです」と言っていた。
確かに、コースを回っていると足元からこんこんと水が湧いているところもある。
加賀美の森は水源の森なのである。
蕎麦を食べ終ってから最後にもう一度アンマークド。
さっき回ったのに、同じ的の前に立っても、何十mで射ったかあまり覚えていない。
人間の記憶っていい加減なものである。

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  アンマークド 距離表示がない
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  川をはさんだりすると距離の目測が難しい、ちなみにここは35m
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  桜が綺麗

芽吹きの森が気持ちいい。

一日アーチェリーを楽しんで、射場の人達に挨拶し、今日の泊りの石和温泉へ。
途中の道にも桃の花が綺麗に咲いていた。
宿で温泉に入り汗を流し、ほうとうと馬刺しを食い、遅くまで飲んで話して疲れて寝る。
翌日はアーチェリーはやらず、信玄餅の工場を見学。結構、手作業で作ってるんだなと
妙に感心して土産を買い、高速に乗る。
加賀美の山の方は桃が咲いていたが、下の甲府盆地の桃はもう終わっていた。
もう一週間早ければ一宮御坂あたりの桃も咲いていたのかな。
桃色に染まった甲府盆地は見られなかったが、
ひさしぶりの加賀美でのアーチェリーに充分満足して横浜に帰った。

愛さんのキムチ

先日、歌会に出された詠草について、嫌韓ムードに乗っかったような批評があって、

それを聞いていて思い出した。

子供が小さい頃、アトピーがあったので、

少しでも症状を和らげればと思ってあちこちの温泉に連れていったりしていた。

ちなみに、一番アトピーに効いたのは山梨の真木温泉。

そこに行くとしばらくの間は足の関節のところのアトピーが結構消えた。

ま、そんなわけであちこちの温泉に行くために子供を連れて走り回っていたわけだが、

そこで見つけたのが、丹沢の牧野のあたりの山里のキムチのお店。

最初、見つけたとき、「こんな山里に店があるのか」という感じで立ち寄ったのだが、

韓国から嫁にきた人が店を開いているのだった。

愛さんという名前だった。

いろいろな種類のキムチとか、なんというのか知らないが韓国の辛い海鮮の漬物とか、

みな手作りのものを売っていて、いずれも美味しかった。

美味しいので温泉に行くついでに立ち寄って買うようになり、

愛さんとも話をするようになった。

背の高いすらりとした女性で、

キムチや韓国海苔を買いに行くと、

タマネギを揚げた韓国のお菓子をおまけにつけてくれたりした。

あるとき、いつものように店に立ち寄ると、愛さんの親戚らしい若い女性が来ていて、

うちの子供と片言の日本語で話を始めた。

それを見ていた愛さんがふいに言ったのである。

「大丈夫だね、戦争起きないね」

私はその言葉を聞いたとき、かなりの違和感を覚えた。

戦争? なんの話だ?

今のような嫌韓ムードが漂っている時代ならば、むしろ分かりやすいのかも

しれないのだが、当時は日韓関係はそれ程悪くはなっていなかったわけで、

殆どの日本人は韓国との関係で戦争なんてことは想像もしなかったのではなかろうか。

しかし、韓国の人は、日本という隣国との関係を常に緊張感を持って見ていたのであろう。

これは日本人にはあまり想像できないことだったのではなかろうか。

子供が大きくなり、

アトピーの症状を和らげるためにあちこちの温泉に連れて行くということもなくなり、

いつしか、愛さんの店にも行かなくなった。

嫌韓感情の原因がすべて日本の右傾化の結果だというような、

幼稚なサヨクの言説は信じていない。

さりとて、歴史を政治に利用した韓国のせいだというウヨクの単純な言い分も肯わない。

丹沢は新緑の季節である。

そろそろ藤の花も咲く。

愛さんは今でも丹沢の山里でキムチを売っているだろうか。

もし、売っているのなら、久しぶりにキムチを買いに行ってみようか、

そんなことを思ったのである。

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   先週のアーチェリーの射場でのタケノコの収穫。鶏冠の黄色い上物。
  タケノコご飯、青椒肉絲、煮物。射場での採れたての美味しいタケノコを食べ慣れると、
  スーパーで売っているタケノコは食べられなくなる。

  

任期終了

先週の話になるが、

税理士会の支部の役目、2年の任期を終えて最後の部会があった。

で、ようやく面倒な御役目が終わるという解放感からかしっかり大ポカをやらかした。

任期中に出す最後の支部報、

支部役員の交替があるので、交替前の役員に退任の挨拶を書いてもらい、

それを載せるのが慣例なのだが、しっかり忘れた(^^;

支部長から担当副支部長に「退任の挨拶書かなくていいの?」と電話があったとか。

編集の段階で、部長以下全員、退任挨拶のことを忘れていたのである。

仕方ないので、次号の支部報に載せてくれと次期部長さんに引き継ぎ。

次期担当部で決めることなのではっきりはしないが、

支部長の退任挨拶は載せないとまずいけど、

この際、各部長の退任挨拶は廃止してもいいんじゃないかという意見が多数...。

そういうことで、もし、部長さんのなかに、

退任挨拶を書くことを楽しみにしていた人がいたら、諦めてくださいませ(^^;;

部会のあとは引き続いて租税教室の反省会。

26年度の租税教室の講師を引き受けてくれた先生方に集まってもらい、

問題点などを話し合う。

租税教育については今までは、税理士のボランティアという位置付けだったが、

会則の変更により、義務化される。

当然、今までとはいろいろな点で変わるはずであり、

同じく税理士の義務である税務支援との兼ね合いはどうするんだ?

報酬は今のままでいいのか?

今後、どうやって拡充するのか?

検討しなければならないことは多いはず。

個人的には租税教育について、

これは税理士のする仕事だろうか、国がやる仕事なんじゃないのか?という疑問は持ちつつ、

租税教室を通じて、子供達が社会の仕組みなり、社会との係わりなり、そういうこと

を考えてもらう、自分で考えることを身につける、

そういう契機になればいいんじゃないかと思う。
そういうものであれば、税理士の社会貢献として意味があるとも思う。

それもすべて次期部長さんに引き継ぎ。

租税教育については26年度、租税教育への貢献ということで、

支部が納税表彰を受けたというのが、ちょっと驚きだった。

税理士会の支部が納税表彰を受けるというのはかなり珍しいことであるらしい。

それも、講師を引き受けてくれた先生方の努力の賜物である。

会議を終えて、あとは慰労会。

2年間の任期を終え、飲んで騒いでそのあとは泥のごとしも、つまり覚えてない(^^;;;

二軒目でカラオケに行って...。

次の日、「昨日、二軒目のお金払った記憶ないけど、ちゃんと払った?」と聞いたら、

「部長が全部払ってくれました、御馳走様でした」だって...(@@

どうりで、財布のなかが減ってた...。

ま、そんなことはどうでもいい。

二年間お手伝い頂いた皆様、ありがとうございました(^^

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  先週、東京での歌会の前に立ち寄った上野公園の桜

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