2014年12月

夫婦控除

このブログでも8月に書いた税制改正。

配偶者控除の廃止という話があったが、

ここにきて、夫婦控除の創設という話が出ている。

つまり、配偶者控除を廃止して、

その替わり配偶者の収入に関係なく基礎控除と別に夫婦控除として38万を控除する。

そんな感じらしい。

103万の壁が女性の社会進出を阻害しているので、

配偶者控除を廃止すれば、もっと女性が働いてくれるだろうという話があったわけだが、

それだと配偶者が働いていない場合は増税になってしまう。

それで、配偶者控除を廃止する替りに夫婦控除という話になったのだろうが、

方向としては悪くないと思う。

ただ、減税方向の改正になるので、

財源をどうするのかという問題はあって、あるいはその関係か、

法人税の繰越損失の控除についての制限を拡大するという話も出ており、

現在、大企業だけに限定されているこの制限が中小企業にまで及ぶことになれば、

影響は大きいかもしれない。

それはそれで注視していかなければならないのだが、
仮に夫婦控除ができたとしても、

では、事実婚の夫婦はどうするのかとか、

少し話はずれるが、未婚の母の寡婦控除はどうするのかとか、

寡婦控除と寡夫控除の性による取扱いの差別はどうなんだとか、

他にもいろいろな問題があり、
税理士会が税のオピニオンリーダーを自認するなら、
社会のもろもろに目を向けたうえで、今後の税制の在り方について建議できるような
存在であって欲しいと思う。
「思う」と書くのは、つまりそういう存在になりえていないのではないかという印象が
あるわけで、実際、支部で税制改正の話をしても、白熱した議論って、あまり聞かない。
はっきり言って、そういう問題意識を持った税理士というのは少なくて、
経理屋というのか申告代行屋さんというのか、そういう人が多いのかなという気はする。

ま、周囲はどうあれ、税制のあり方にしろ、今かかわっている成年後見にしろ、
社会に目を向け、意識を持った税理士として、
来年も元気に動き回っていきたいと思っている(^^

今年の「つれづれ日記」への書き込みは今日で終わります。
来年は5日から業務を開始します。
今年一年ありがとうございました。
良い年をお迎えください。

IMG_1149
   横浜三塔 キング  
   ちなみに、横浜三塔は、 
   キング  神奈川県庁  クイーン 横浜税関  ジャック 横浜市開港記念会館

納射会

アーチェリーの射場の納射会。

今年一年の射ち納めである。

午前中はコースを回り、

お昼からは餅つきをする。

試合ではないので、和気藹々とコースを回る。

というか、試合のときも和気藹々としているのだが(^^;

天気がいいので気分がいい。

鮮やかだった公孫樹の黄葉もすっかり落ちてしまった。

のんびりコースを歩いて射場に戻り、餅つき。

会員の子供達も来ているので、順番に杵を持たせたりして餅をつく。

つきたての餅はやわらかくて美味しい。

この味を覚えるとスーパーで売っているパックの切り餅など、味気なく感じてしまう。

豚汁に入れたり、餡子や黄粉、大根おろしで食って、

ついつい食べ過ぎてしまう。

今日の晩飯が食えないくらいに食って、

腹ごなしにもう一度コースを回るのだが、

なにやら腹が重い(^^;;

141221_122136

ちなみに今年の射場には楽しみがひとつ増えた。

キノコ。

昨年買って射場に置いた榾木からシイタケが結構採れた。

ヒラタケはひとつしか採れなかったが美味しかった。

射場に来た人達にシイタケやヒラタケの収穫を楽しんでもらえるよう、

来年は榾木を増やそう。

倒木に菌を植えればナメコも採れるかもしれん。

今の季節、射場の上の畑のダイコンも美味い。

来年も射場で、アーチェリーをして気の置けない仲間と他愛ない話をして、

タケノコ採ってキノコ採ってダイコン採って楽しもうと思っている。

 DSC_0183

   先月末の今年一番の収穫。
  ちなみにこのとき、シイタケ榾木のオーナーはカンボジアに行っていて、
  このときのシイタケは食べられなかった。
  常連仲間達がシイタケもらうねと写真だけ送ってよこした(^^;

カンボジア余談 キリング・フィールドで思ったこと

大学での専攻はマルクス経済学だった。

当時ですら経済学の主流はケインズ流の近代経済学で、

今はどうなんだろう、マルクス経済学を学ぶ学生って、絶滅危惧種的には

生き残っているんだろうか?

で、マルクス経済学を一通り学んで思ったのは、

「共産主義が可能なのは原始共産制だけだ」

ということ。

社会主義は共産主義への発展段階であり、

プロレタリアート独裁ののち階級闘争が終わり、すべての人が平等になる。

雑に言ってしまえば、これが共産主義の理想社会である。

しかし、それは健全な抑止機能を失った社会である。

三権分立のシステムも社会的な各種の抑止機能も、

階級が否定され、知識階層もなにも存在しなくなった社会では存在しえない。

原始共産制ならば可能である。

小規模な共同体としての原始社会は血縁がものを言う社会であり、

共産主義の理論をいくら振りかざしたところで、血縁が抑止力として働く。

少なくとも理想としての共産主義はそういう欠陥を持っている。

これは目新しい指摘ではない。

ひと通りマルクス経済学や共産主義理論を学び、

人並みの洞察力があれば誰でも気づくことである。

この共産主義の欠陥ゆえに、

冷戦下の東欧諸国では共産主義から社会民主主義への志向が生まれ、

社会主義帝国ソヴィエトがそれを弾圧したのが、ハンガリー動乱でありブラハの春だった。

で、この実現不可能な共産主義の理想を実現しようとした男がいる。

ポルポト。

カンボジアの農村に生まれ国費留学生としてフランスに留学したエリートである。

しかし彼は、クメール・ルージュの指導者として1975年、カンボジアの全権を掌握して
以降、実現不可能なはずの共産主義の理想をカンボジアで実現しようとする。

都市部の住民を農村に強制移住させ、すべての知識階級を抹殺しようとした。

なぜなら原始共産制の実現に邪魔だからである。
医者も教師も技術者も知識階級として殺された。

眼鏡をかけていた者、本を読んでいた者も知識階級として殺された。

恋人のいた者も殺されたらしい。知識階級とどう関係があったのかは知らない。

失脚するまでにポルポトによって殺された人の数は100万とも200万ともいう。

カンボジア最終日、シェムリアップ市内のワット・トメイを訪ねた。
ポルポト時代の刑務所跡でここだけで4万人の人が殺されたという。

その後、鎮魂のため、その場所にワット・トメイ寺院が建立され、

境内に虐殺の記録が残されている。

いわゆるキリング・フィールドのひとつ。

IMG_1143
  ワット・トメイ

境内に当時の写真が掲示されている。

殺された人々の写真があり、一角には殺された人々の髑髏が塔のなかに積まれている。

どうすれば、人はかくも残酷になれるのか?

しかし、そういう疑問を持つのは人間を知らない者なのかもしれない。
人の精神のたがは案外簡単に外れるのかもしれぬ。
ポルポトは毛沢東思想の影響を強く受けた。
その同じ毛沢東思想の影響を受けたのが60年安保の学生達である。
その時代、安保闘争の只中にあった清原日出夫は詠っている。

   国会デモをめぐる反目に会議終う帰らん帰りて毛を読むべく

                         /清原日出夫『流氷の季』

清原ほどの知性があれば共産主義が持つ欠陥に気付くはずである。

しかし、気付かなかった。

それは彼が陶酔のなかにあったからである。

時代の雰囲気に呑まれ、思考停止につながる情緒性に身を委ねた。

それは清原に限らず、あの時代の多くの若者に共通したことで、

そしてそれは彼等が否定した戦前の軍国青年のそれとなんら変わるところはない。

彼等は一時の雰囲気と情緒のなかに陶酔していた。

だからこそ、安保闘争が終わったとき、彼等は流行りの服に着替えるように変身し、
高倉健のヤクザ映画に熱中し、忠良な企業戦士となりこの国の高度成長を支えた。
陶酔がもたらすものを思うとき、
ポルポトの兵士もアウシュビッツの看守も
731部隊の軍医達も、
時代の陶酔のなかにいた者とそれ程遠くないところにいるのかもしれぬ。

ワット・トメイに積まれた髑髏。
有刺鉄線の前に並ばされた子供達の写真。
共産主義でもウヨクでもサヨクでもなんでもいいのだが、
何かを人に語ろうと思うなら、
時代の雰囲気に呑まれ情緒に身を委ねるのではなく、
自分の目で見ろと言いたい。
殺された子供達の写真を見てこい。
埋められた人々の髑髏を見てこい。
赤ん坊がそこに叩きつけられ殺された木を見てこい。
自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考え、
それから語れ。
キリング・フィールドを歩きながら、そんなことを思ったのである。

IMG_1139

IMG_1140

IMG_1142

IMG_1141

カンボジア トンレサップ

アンコール遺跡の3daysパスを使い切ったのでカンボジア最終日はトンレサップへ。

ちなみにアンコール遺跡の入場料は1dayパスが20ドル、3daysパスだと40ドル。

それぞれの遺跡の入り口でパスをチェックする仕組みになっている。

で、トンレサップ。

東南アジア最大の湖、伸縮する湖と言われ、雨季には大きくなり乾季になると縮む。

シェムリアップを出て30分以上走ったろうか、道の両脇が低くなり、

道の高さに合わせて高床式の建物が建っている。

あるいは雨季だとこの辺までトンレサップの湖面が来ているのだろうか?

かなり前だが、NHKを見ていたらカンボジアを紹介していた。

真面目に見ていたわけではないのでよく覚えていないのだが、

雨季だったか、カンボジアのあちこちからトンレサップに人が集まってきて魚を採り、

その魚でその年に自分達の使う魚醬を作るとか。

外国人観光客が使いそうな感じもしなかったので、そういう人達が使う建物なのかも

しれないと思った。

その辺をしばらく行った先で湖畔の船の乗り場に着く。

クルーズの受付に行ってみると、130ドルだと言う。

? ガイドブックには115ドルと書いてあったぞと言うと、

2000何年からチェンジしたとか、我々は会社でやっているんだとかそんなことを
言っている。しばらく話すが面倒くさくなって、なんでもいいやということで払う。

後で調べてみると、トンレサップのクルーズは幾つかの場所があって、
一か所では
ないらしい。当然、料金は違うだろう。それに、大きな船に団体で乗る場合と
我々のように小さな船に貸し切り状態で乗るのと
では料金も違うようで、
調べてみて、ぼったくられたわけでもないのかなとは思った。

乗った船の案内人、随分若い。

高校生ぐらいかなと思っていたら、本人曰く21歳だという。

東南アジアの人って童顔の人が多い。

船着場を出て、水路の左側にちょっと高い土手のように道が続いているのだが、

雨季にはその道の高さまで水位が上がるとか、湖岸の森には猿がいるとか、

その若い案内人、一生懸命説明してくれる。

IMG_1112
  船着場から沖へ
IMG_1134
  雨季は向こうの土手まで水がいくらしい

ドラム缶を浮きにして水上に浮いている建物の集落の間を抜けて沖に出る。

トンレサップ、大きな湖である。

対岸が見えない。

案内人が、乾季で一番水が少ないときは、あそこまで水がなくなると言って指さす

のだが、遥か沖である。

エンジンを止め、ひととおりトンレサップについての説明を聞く。

トンレサップは五つの州に接しているとか、クメール人、ベトナム人、中国人など

幾つかの民族が住んでいて、不法入国で住み着いている人達も結構いるらしい。

この説明を聞いている間に小さな子供達の操る舟が近づいてきて、物乞いをする。

するとその案内人が、金をやらないでくれと言う。

金をやると働かずに物乞いすることを覚えてしまう。子供達のためにならない。

だからやらないでくれ、と言うので、仕方なくまだ口を開けていないペットボトルを

あげたら、小さな女の子がしっかり合掌してから受け取り、舟はすぅーと離れていった。

IMG_1119
  ドラム缶を浮きにした水上集落
IMG_1122
  トンレサップは大きい 対岸が見えない
IMG_1125
  近づいてきた小舟
IMG_1126
  写真撮っていいかと聞いたらVサイン

説明が終わってから、このあと三通りのプランがあると言う。

ひとつは、マングローブのなかのカヌーイング。

沖縄で何度かやっているのでノー。

ふたつめは、クロコダイルの養殖場。

ワニ革の財布はいらないのでノー。

アナザーワンはなんだ?と聞くと、

スクールだと言う。

学校?

高校生みたいな案内人、説明してくれた。

トンレサップでは、漁で死ぬ人が大勢いる。だから、未亡人や親のない子供が沢山いる。

学校にそういう子供達も沢山いる。

学校に行くなら米を買ってくれ。子供達が学校で食べる米だ。

と言うので、学校に行くことにする。

エンジンをつけ、まず米屋というのか雑貨屋というのか、やはりドラム缶で水上に

浮いている店に行く。

店に入ると主人が説明してくれた。

30Kの米で子供達が2日食べることが出来る。50Kなら4日食える。

30K30ドル、50K50ドル。日本円でもいいと言う。

ひと通り聞いて50Kの米を買う。

その米を船に積んで学校へ行く。

IMG_1127
  米屋の主 腕をかけているのが30Kの米。50Kの米は右側。

学校もドラム缶を浮きにした水上学校である。

米を運び込むと校長先生だろうか、出てきて挨拶をしてくれた。

例の案内人が、ここで食事を作るんだとか、水はこれを使うと言って説明してくれたが、

ドラム缶に入ったその水はトンレサップの茶色い水をそのまま汲んだものである。

薬かなにかを入れて濾過するのかどうか知らないが、そうだとしても、

これはかなり厳しいなと思った。

そのあと教室を案内してもらう。

子供達が大勢いて、駆け寄ってきて写真を撮ったりする。

ひとり救命胴衣を着た小さな女の子がいたが、その子は泳げないのだそうだ。

教室は3部屋あって、一番奥に接続しているフロートは事務室かなにかなのか、

そちらには入れなかった。

帰国してから調べたら、親のない子供達は学校でそのまま暮らしているらしいので、

あるいはその子達の居住スペースだったのかもしれない。

子供達は明るい笑顔だった。

我々のあと、中国系の二人と欧米人の二人が来たが、

どうもそちらは米を持ってきていなかったようで、

たぶん、米を買わなくても学校に行きたいと言えば案内してくれるのだろう。

どうも最後まで、ボランティアしたのか米をぼったくられたのか分からない微妙な

気分はあったのだが(^^;

学校に運んだ50Kの米は子供達の口に入るのだろうから、それで良しとする。

IMG_1117
  学校の写真撮り忘れた。これは沖に出る途中にあった他の学校。
  教会が運営している学校らしい。
  我々が行った学校も基本的な形は同じ。
  ドラム缶を浮きにして水上に浮いている。
IMG_1130
  子供達の食事、この壁の向こうが台所
IMG_1132
  子供達
IMG_1133
  この向こうに教室が3部屋

学校訪問を終えシェムリアップに戻り、しばらく市街を見て歩き、
オールドマーケットの土産物屋の
店員と値切りバトルをやってTシャツなどを買い、
宿に戻る。
オールドマーケットから帰るとき雷がなって雨に降られたのだが、
朝、レイトチェックアウトを頼んでおいたので、

シャワーを浴びて着替えてから空港に行くことが出来た。

ちなみに宿泊したのはチェンラーゲストハウス。

最初、ゲストハウスの専属かと思ったトゥクトゥクの運ちゃんはそこの家族だった。

一泊1000円の部屋ってどんな部屋かなと最初は思ったが、

ベッドでちょっと虫に刺された以外は問題なかったし、良心的だった。

空港でアンコールビールで乾杯し夕食を摂る。

カンボジアはまた来たい気がする。

今度来るときは観光だけではなく、

カンボジアの子供達のためになにか出来たらいいなと思う。

そんなことを思いつつ、夜遅い帰国便に乗った。

      追記
     この記事をアップしてから、シェムリアップの食堂「かぐや姫」の
    Sさんからメールを頂いた。
    トンレサップの乗船料はやはり1人15ドルとのこと。
    たはは、やっぱ、やられた(^^;
 

 

カンボジア ベンメリア

ベンメリア遺跡はアンコールの東、直線距離で40k。

実際に走ると60kくらいあるのだろうか。

アンコールよりも古く、ジャングルに包まれ、遺跡自体はかなり倒壊している。

廃墟と言っていい。

発見された当時の様子がそのまま残っているらしく、

そういう意味では探検気分の味わえる遺跡である。

宮崎駿の「天空の城ラピュタ」のモデルになったとかいう遺跡といえば、

雰囲気が伝わりやすいか。

アンコール三日目、今日はトゥクトゥクでベンメリアへ。

シェムリアップの市街を抜けていくのだが、東南アジア的渋滞にしばし巻き込まれる。

しばらく行って道が空いてくると、あとはひたすら走る。

途中から舗装していない道に入ったが、

この道が面白かった。

いかにも東南アジアの農村という感じの風景のなかを走ってゆく。

水田があり、高床式の家があり、裸の子供が遊んでいる。

椰子のジャングルがあり、牛や痩せた鶏がいる。

カンボジアの原風景という感じだろうか。

どうもトゥクトゥクの運ちゃん、ショートカットをしたらしい。

道は赤土のでこぼこ道でところどころに架かる橋が狭いので大型車は通れない。

見えた限りでは、我々の他にはトゥクトゥクが一台走っているだけだったので、

大抵は舗装路を走って、この道は通らないのだろう。

走ること1時間半くらいでベンメリア着。

土産物屋などが並んでいるところから橋を渡って遺跡に入る。

ずぅっーと歩いてゆくと、向こうに崩れた大きな石の門が見えてくる。

見事に崩れている。

結構大きな遺跡だ。

IMG_1047
  ベンメリア
IMG_1052

崩れた壁に階段が架けられていて、そこを登って遺跡に入る。

しばらく見ていると、係員みたいな服をした男が、こっちだと手招きをする。

行ってみると、片言の日本語で、コッチ、コッチと案内してくれる。

崩れた建物の中に入るときは頭を指さして「オツケテ」と言う。「気を付けて」という

ことだろう。第三回廊とか、いろいろ案内してもらう。

壁のレリーフの神像が削られているのを指さして「ポルポト」と言っていた。

ポルポトの兵士が壊したのであろう。

最後に暗い回廊のなかで「フィニィッシュ」と言うのでチップを1ドル渡したら、

えっ! という顔をするので、もう1ドル渡したらニコッとした。

IMG_1061

IMG_1063

IMG_1068

そのあともいろいろ見て歩くのだが、結構広い、面白かったのは空中回廊のような一角。

間違いなく言えるのは、足腰の弱った向きには見て回ることの出来ない遺跡である。

崩れた石の上を歩いたりするのだが、たまにぐらりとする石もあったりして、

気を付けていないと怪我をする。

正直歩いていて「こんなふうに遺跡の上を歩いていいのだろうか」とも思う。

遺跡の保護という点からいうとどうなんだろう?

IMG_1070
 空中回廊のような一角
DSC01071

IMG_1073
  東門
IMG_1075

ちなみにこれは後で知ったが、遺跡の修復が進まないのは、

虎や象が出てきて危険だということもあるらしい。

歩いているときはそんなことつゆ知らず歩き回っていた。

ちなみに遺跡の周囲のジャングルにはまだ地雷が埋まっているので、

安易に周囲を歩き回らない方がいいらしい。

歩いていると、崩れた壁の上に子供達がいて、何か話しかけながら、こっちだという感じで

手招きをする。案内してチップをもらおうということなのだろうが、

この子供達、やたら狭いところに入っていくのでついていけない。

崩れた壁の上をひょこひょこと身軽に歩いていった。

あの子達にとって、周囲に地雷が埋まり、虎や象が出るこの遺跡は遊び場なのだろう。

ひと通り見て、再び赤土のでこぼこ道のショートカットを戻り、

途中、ロリュオス遺跡群を見てシェムリアップに戻った。

トゥクトゥクの運ちゃんも結構疲れたらしいが、

でこぼこ道で座席に尻を何度も打ち付けながら辛抱している方も大変だった(^^;

IMG_1081
  帰り道にあったペットボトルのガソリンスタンド
IMG_1084
  こんなふうに給油する
IMG_1137
  ちなみにこれは市街にあったドラム缶のガソリンスタンド 青い傘の下
IMG_1082
  ベットボトルのガソリンスタンドにいた犬
  犬は結構多いが、みな痩せている
  飼われているのか野良犬なのかよく分からないが、
  どうも、生ゴミの始末を引き受けて人間と共存しているようにも見える
  道路で悠々と寝ていたりして人を怖がらない。人の方も気にしていないようだ。
IMG_1083
  豚肉を切っていた路上の肉屋のあんちゃん 人懐っこい笑顔だった
IMG_1088
  ロリュオス遺跡群
DSC01127

宿で休んでから夕方、オールドマーケットに出かけテキトーに歩いて夕食。

オールドマーケットは土産物屋や食堂が沢山並んでいて見て歩くだけでも面白い。

欧米人の観光客が多く、東洋系が少なめなのは、
東洋系は団体ツアーが多く、夕食はホテルで食べる向きが多いということだろうか。
どうも欧米人の方が旅を楽しんでいるという気がする。
シェムリアップの夜を楽しみながら、ぶらぶらと歩いて宿に戻った。

IMG_1110
  オールドマーケットの屋台 バイナップルシェイク1ドルだった
IMG_1111
  オールドマーケットでの夕食

カンボジア プリア・カン~東メボン

アンコール2日目、今日はまずプリア・カン。

アンコールトムの北側にある遺跡で12世紀に建てられた寺院。

ジャヤバルマン7世がベトナムのチャンパとの戦いに勝った記念に建てたそうで、

王の父の菩提寺でもあるらしい。

かなり崩れている。トゥクトゥクの運転手が建物の左右には行くなと言っていた。

まだ地雷でも埋まっているんだろうか?

規模はそれ程大きくはないが、

廃墟の美しさのようなものがある遺跡だ。

IMG_0969
  プリア・カン
IMG_0970
  堀に架かる橋のナーガ
IMG_0972

IMG_0979
  いたるところ崩れている
IMG_0981

寺を反対側に抜けたところで、小さな女の子が土産を売っていた。

ここに限らずアンコールの遺跡では大抵、小さな子供が物売りをしている。

絵葉書やマグネット、あるいはシルクの布や扇子を売っているのだが、

2コ、2ドル」と日本語で言ってくる。

一人から買うと回りにわっと集まってきそうで買わないでいたのだが、

ここでは他にあまりいなかったので、扇子を買った。

これは帰国してから思ったことだが、

もっとそういう子供達からいろいろ買えば良かった。
1ドル2ドル、子供達には大切な金なのである。
盛者必衰ではないが、
50年後、日本の子供達がそうやって物売りをしていないとは限らない。

DSC00705
  寺院を抜けたところで堀の蓮の花を見ていた少女。
  遊びたい年なのだろう。この子から扇子を1ドルで買った。
  暑いカンボジアでこの扇子は重宝した。

買った扇子を扇ぎながらそのまま歩いていくと正面に水面が広がる。

プリア・カンのバライ。

バライとは人工の貯水池である。
大きいのは西バライと東バライ。東バライは今は干上がっている。
プリア・カンのバライは小さくて地図にもバライとしては載っていない。
あるいは、雨季に水を溜め、乾季になるとだんだん少なくなり最後にはなくなるので、
地図に載らないのかもしれない。

IMG_1001
  プリア・カンのバライ

このバライのなかの島にニャック・ポアンがある。

橋の手前に土産物売りが並んでいるのだが、その端に地雷の受難者達が楽器を奏でていた。
布施を入れる器が前に置いてある。

橋を渡り島に入る。小さな寺院で、治水に対する信仰と技術を象徴する寺院であるとか。

IMG_1005
  ニャック・ポアンの島へ続く橋
IMG_1004
  ニャック・ポアン

ここからタ・ソム、さらにバンテアイ・スレイと見て歩く。

バンテアイ・スレイはアンコールの遺跡よりも古い寺院。10世紀のものらしい。
赤っぽいレンガが使われていたりして、ちょっと他の遺跡と雰囲気が違う。
歩いていて気付いたのだが、建物の配置や形が日本の古い神社に似ている。
例えば出雲の古い神社。本堂の形も大社造りにちょっと似ている。
どっちが古いという話になれば出雲の方が古いのだが、
日本から伝わったとは考えにくいわけで、
基本的な構造のモデルがどこかにあり、それが東南アジアや中国、日本に伝わったのだろう。
あるいはインドの祇園精舎か
?

IMG_1016
      タ・ソム
IMG_1021
  バンテアイ・スレイ
IMG_1017
  これは途中の道にあった蟻塚、結構たくさんある

最後に東メボン。

ここは今は干上がっている東バライの中心部で、
昔は広大な貯水池に浮かぶ島にあったらしい。
これもかなり古く、ヒンズーの寺院である。
寺院を囲む壁の四隅には大きな石の象が寺を守るように外を向いていて、
その内側にはストゥーパを思わせる赤茶けた塔が幾つか建っている。
空が晴れてきて、青空と赤茶けた塔のコントラストが美しい。

IMG_1032
  東メボン
DSC00801

DSC00793

それにしても暑い。

午前中はいいのだが、昼過ぎになると熱中症の一歩手前かなという気がしてくる。
遺跡の日陰に座ってしばらく休んだりしないと体が持ちそうにない。
ひと通り見てゲストハウスに戻り、シャワーを浴び、昼寝して疲れを取る。
夕食はトゥクトゥクの運転手が案内してくれた店で、
民族舞踊のアプサラを見ながらのビュッフェ。
席料と食事で一人12ドルということだったが、アルコールは別、
結局2人で40ドル。カンボジアでは結構な晩飯代だ。
このアプサラの踊りはアンコールの遺跡のレリーフにもある。
ポルポトの時代、アプサラの踊子や踊りの先生も殺された。

生き残った数人がアプサラを復活させた。

DSC00903

DSC00894

踊りが終わると観客が舞台に上がって踊子と一緒に写真を撮ることが出来るのだが、

随分大きな白人の爺さんが踊りが終わるや否や舞台に駆け登って、
小さな踊子の隣りに嬉しそうに立ったのを見て、思わず笑ってしまった。

アーカイブ