2014年06月

歌会

久しぶりに湘南での歌会。

結社の選者である真中さんも出席して参加者は13名。

例によって誌面発表前なのでここには出せないが、当日、選歌した歌は、

形象として比喩として選んだ道・・・躓いただけ

そんな歌意の歌。

一読、意味が分からなかった。

で、二読しても三読しても意味が分からない。

しかし、なにか惹かれるものがあったので選歌した。

よく分からない上句からはじまって下句の屈折というのか断念というのか、

そこにつながるわけだが、その下句に惹かれたのと、

句割れ句またがりの多用が生きている気がした。

私はあっさりと「意味は分かりません」で済ませたが、

歌会では意味についていろいろと意見が出た。

歌人が詠むのだから、「形象として比喩として選んだ」のは短歌であろう、道とは

短歌の道のこと、という方向の意見が主流だった。

しかし、私はその意見に違和感を抱いた。

まず、歌人が詠んだのだから道とは短歌の道だろうという推測はいささか単純では

ないだろうか?

安易な推測がむしろ歌の鑑賞を狭くしないか?
それに具体的な答を探すように意味を考えなくてよいと思った。

作者はなにかしらの選択をした。しかし、躓き、それだけだった。

そこにある作者の思いをくみ取れば、あるいはなにかしら感じ取れば、それでいいので

あって、それ以上に空想を広げても仕方ないと思うのである。

歌会では、ことさらに歌の意味を考える人がいるものだが、

私はそういう読み方には違和感を持っている。

歌を読んで意味が分かればそれでいいし、意味が分からなければそれでもいい。

詩を鑑賞するとき、意味は絶対必要条件ではない。

意味が分からなくてもなにかしら響いてくる、なにかしら心に引っ掛かる、

そういう歌はあるのであって、

そういう歌はそういう歌として鑑賞すればいいと思っている。

で、歌会終了後、作者の弁によれば、ヘルマン・ヘッセの詩であるそうだ、

   内面への道を見出したものには、

   熱烈な自己沈潜のうちに、
   知恵の核心を、つまりは、 
   自分の心は、神と世界を、形象として比喩として、
   選ぶに過ぎぬ、ということをほのかに感じるものには、
   すべての行為と思考とは、
   世界と神とを含む
   自己との魂との対話となる。

      (ヘッセ詩集「新潮文庫」高橋健二訳)

なんか難しくてこれもよく分からん詩ではある(^^;
いずれにしろ、見る前に跳べではないが、
意味を考える前に感じろ、短歌もそれが大事である気はする。

歌会終了後は近くのバーミヤンで歓談。
こちらの歌会に出たのは半年ぶりだったのだが、
話を聞いていると、なんでも最近、こちらの歌会も酒癖が悪くなったようで(^^;;
歌会が終わったあと、夕方から夜の11時あたりまでバーミヤンに居座って飲んだり
しているらしい。
ドリンクバーで居座る高校生じゃあるまいし...。
バーミヤンは食事処であって居酒屋ではない。
蕎麦屋で酒を飲むのも、注文した蕎麦が来るまでの時間に軽くひっかけるから粋なので
あって、そこまで飲みたいのならしかるべき場所に席を移して飲めばいい。
いい歳した大人が何時間もバーミヤンに居座って酒を飲んでいるというのは、
いささか無粋だよね。
自分も立ち上げにかかわった湘南の歌会、いい歌会であってほしい。
無粋はやめましょうよ(^^

そんな話や全国大会の話などをして7時くらいには店を出る。
店を出ながら「酒もこのくらいに飲むのが丁度いいね」と言ったら、
前を歩いていた真中さんが苦笑いして振り返ったのだった(^^;;;

 140628_114755
  45m射ちおろし  4・4・2  2本目が緩んで落ちた(^^;



鎌倉

午後から藤沢で歌会があるので、ついでに午前中、鎌倉を歩く。

バスと電車を乗り継いで家から一時間で鎌倉。西口から御成通りへ入る。

鶴岡八幡のある東口と違って、こちら側は観光客が少なくて歩きやすい。

ここをそのまま行きバス通りにぶつかったところを右に行けば、突き当りが長谷寺である。

長谷寺や大仏に行くには大抵の観光客は鎌倉から江ノ電に乗り換えるのだが、わざわざ

混んでいる江ノ電に乗らなくても、鎌倉駅から落ち着いた感じの街並みを歩けば30分

くらいで着く。道の途中には鎌倉文学館もあるが今日はパス。

長谷寺の紫陽花を見ようと思ったのだが、長谷寺の参道に入る信号のところでやめた。

信号の向こうは凄い人。これじゃ境内も行列になっているだろう。そこまでして見なくて

もいい。あっけなく長谷寺をパスして海の方へ。しばらく行ったところから右の細い道に

入れば奥に御霊神社がある。

御霊神社というのは平安時代の創建で、鎌倉権五郎景政を祀っている。

鎌倉景政は後三年の役で武勇の名をとどろかせたらしいが、ただの武辺者ではなかった

ようで、相模最大の御厨である大庭御厨を開拓したのは彼である。

関東で生まれた武士とは、すなわち武装開拓農民の子孫であり、

戦闘員であると同時に農民であり経営者だった。

鎌倉景政も、未開地を開拓する農民であり、巨大な荘園の経営者であったわけで、

律令制度の外にある彼ら開拓者達は、開拓した土地を守るために、中央の貴族や神社などに荘園を寄進し、その権威によって自分達の財産を守ったわけだが、鎌倉景政も開拓した

巨大な荘園を伊勢神宮に寄進し、ゆえにその荘園は大庭御厨と呼ばれたわけである。

当時の制度のもとでは、自分が汗水流して開拓した土地を守るために、他人にその土地を

寄進するという形をとらざるをえなかったわけで、

やがてその矛盾と体制への不満が、鎌倉幕府成立への道を開く。

ま、それはそれとして今日は紫陽花である。
長谷寺の下を巻くように細い道を歩き、御霊神社の脇の鳥居からなかに入る。

静かな小さな神社で正面の鳥居を入ったところにある大きなたぶの木がちょっと目を引く。

140622_110548
  御霊神社

本殿で手を合わせ、周囲を歩いてみる。本殿の後ろの方に紫陽花が少しあるのだが、

はなやかという感じではなく落ち着いた美しさ。少し雨が降ってきたが紫陽花はそういう

ときの方が風情があっていい。正面の鳥居の向こうには江ノ電の線路が横切っていて、

その辺にかなり人が集まっている。線路沿いに紫陽花が咲いていて、走ってくる江ノ電を

入れて写真を撮ろうという連中が沢山いるのである。なかには写真に夢中になって線路に

入り込み、江ノ電を停めてしまう不届き者もたまにいるらしい。

140622_111147
 神社前の紫陽花と江ノ電の線路 写真を撮ろうと電車が来るのを待っている

神社を出て少し行くと、なにやら行列している。見ると力餅屋という和菓子屋に凄い行列

が出来てる。以前、ここを歩いたときはまったく客がいなかったのだが、これはどうした

ことだと帰ってから調べてみたら、「最後から二番目の恋」とかいうドラマで主演の

中井貴一がこの力餅屋で力餅を買ったのだそうで、それで客が増えたらしい。

そう言えば若い女性客が多かった気がする。

それにしてもまあ、以前はずいぶんと空いていたのにメディアの力とは凄いものである。

ここから極楽寺の切通しの方に歩く。ここにある成就院の紫陽花も見事で、今の時期は

ここも行列である。昼からは藤沢で歌会なので時間を考えて、ここもパスしてそのまま

切通しを抜ける。

極楽寺をちょっと覗いて、近くにある極楽茶屋で昼飯を食べることにする。

以前、来たことがあって、どう見ても場末のスナックにしか見えない店に「しらす丼」と

いう幟が出ていたので、そこで釜揚げしらす丼を食べたのだが、

これが意外に美味しかった。

それを思い出して行ってみたら、入り口を改装したのか、

場末のスナック感はなくなって場末の食堂ぐらいの感じにはなっていた。

以前はママがひとりでやっていたが、人も2人ほど使っていて、繁盛しているらしい。

メニューは相変わらず釜揚げしらす丼だけ。

スナックは廃業したらしく、以前は生ビールがあったのだが、瓶ビールだけになっていた。

それはよしとして肝心の釜揚げしらす丼。

ひさしぶりに食べたがなかなか美味しかった。

鎌倉の中心あたりの店で食べるしらす丼とか、たいして美味くないのが結構あるのだが、

ここのは美味い。ただ、御飯はもう少し多くして欲しい。

場末のスナック的なときに見つけた店がその後繁昌しているのを見ると結構嬉しいもの

がある。うん、俺の味覚もそう外れてはいないなという感じで(^^;

食べログとか、はっきり言ってあてにならん。

今月、短歌のシンポジウムで大阪に行ったとき、とんかつが美味いということで

食べログの評価の高かった店に行ってみたのだが、たいしたことなかった。
一方、通天閣の通りで何気なく昼飯に入った店のホルモン定食はなかなか美味かったが、
あとで食べログみてみると、その店の評価は低いのだった。

結局、歌会で票のあつまる歌が必ずしもいい歌でないのと同じで、
食べログの評価もあてにならん。
いい歌は自分で見つける。美味い店も自分で見つける。それが一番いい。
しらす丼に満足して店を出ると極楽寺の祭りの準備で山車を引っ張り出していた。
しばらくそれを眺めて極楽寺の駅から江ノ電に乗る。
車窓の海を眺めながら藤沢に向かった。

 140622_114733
  極楽寺、祭りの準備

パワハラ

御同業のブログを読んでいたら面白い記事があった。

税務調査、社長さんは女性らしいのだが、

調査官がセクハラ・パワハラをしたとかで国税局に電話をかけ、

ひと悶着あったらしい。

どういう言動があったのかそこまでは書いてないので詳細は不明。

セクハラはある意味分かりやすく、そういう調査官いるかもねと思ったが、

興味を引かれたのはパワハラの方。

パワハラというのは、職場などで正常な業務の範囲を超えて継続的に人格や尊厳を侵害

する行為をいうわけだが、

はてさて、調査官殿は何を言ったのか?(^^;

以前、納税者から聞いた話で、それはちょっと失礼だろうと思ったのは、

税金を滞納した納税者が納付の相談に税務署に行ったら、

「ああ、〇〇さんね。おたくは税金たくさん滞納してるって税務署内で有名ですよ」

と言われたとか。

滞納している税金をなんとか支払おうと思っている人間に言わなくてもいい発言で、

その税務署員の資質に首は傾げるわけだが、ではこの発言がパワハラに該当するかと

いう話になったら微妙なのだろう。

個人攻撃がどの程度のレベルになったとき、パワハラになるのか?

その辺はどうなのだろう?

ちょっと調べてみたい気がする。

別に、国税局に電話して調査官をちくった女社長を面白がっているわけではない。

「ふ~ん。パワハラという手があるか・・・」

そう思っているのである(^^;;

たまに脇が甘いというのか勘違いをしているというのか、

不必要な言動をする調査官というのは確かにいるのであって、

今度そういうヤツに試してみよう。

「あなたのその態度、パワハラじゃないの? え? どうなんだい?」

税務調査でそう言われたら調査官どんな顔するんだろう(^^;;;

いずれにせよ、税務調査でパワハラが問題になる。
これも時代なのかもしれぬ。
 140622_104453
  由比ヶ浜のTHE BANK
  旧鎌倉銀行の由比ヶ浜出張所
  昭和2年に建てられ今はその当時の建物のままでBARになっている

ザイル祭

ひさしぶりに山岳会のザイル祭に参加。

属している山岳会では年に一度、現役とOBが山小屋にあつまり宴会をし、
翌朝、山の神にその年一年の山行の無事を祈るという行事をしていた。
それがザイル祭。
名称は違え、昔は多くの山岳会で似たような行事をしていたものだが、
今はどうなのだろう。
山岳会結成以来、丹沢の山小屋でやっていたが、
その山小屋が半分土砂に埋まったり、復旧後は経営者が変わって疎遠になったりで、
最近は山岳会のOBが経営している山梨の山荘でやっている。
山岳会の活動も、若い現役にはもう体力的についていけないわけで、
実質OBになっている。
ザイル祭ももう長く出ていなかった。
山の他に短歌やアーチェリーなど週末の予定はいろいろあるし仕事も忙しいので、
山の神に祈る行事とはいえ、宴会のために泊まりがけで出かけるということはしなく
なっていた。
で、今年も出ない予定だったのだが、OBから電話がかかってきて、
今年はOBの出席が少なくて寂しい寂しいと電話の向こうでピーピー鳴くのである。
仕方ないので週末の予定を変更し、山梨の山荘に行くことにした。
午前中に用事を済ませ、昼過ぎから出発。
中央高速に乗り勝沼で降りてフルーツラインに入る。
葡萄が採れる時期は葡萄狩りの観光客で渋滞する道だが、この時期はすいている。
今はさくらんぼが採れるようで、ところどころ、道端に店が出て売っていた。
確か、こっちだったなという何年も前に行ったときの記憶を頼りに走り、
途中に日帰り温泉があったような気がしたので、そこでひとっ風呂浴びてから行こうと
思っていたのだが、結局、日帰り温泉はなかった。
あとで聞いたら記憶違いで、
もう少し甲府寄りの方から走ってこないと日帰り温泉は
ないのだった。

IMG_0646
  フルーツラインからの眺め

山荘に集まったのは10人くらい。

昔、若く現役だった頃のザイル祭は30人くらい集まった気がするが、
今年はOBが少ないのと現役も仕事やらなんやらで出られないのが多かったりで、
確かに出席者が少ないのだった。
ま、それでもひさしぶりに山の仲間と会うと話が弾むもので、
まだ明るいうちから飲み始め、いろいろな話で盛り上がった。
モンブランに登りに行こうとかいう話もあるらしく、まだ体力のある向きは羨ましい
限りである。自分が行ったときはグーテ小屋から頂上に向かう日、もろ吹雪で、
他の登山者もみな途中から引き返していた。引き返していく登山者達とすれ違いながら、
吹雪のなかをさらにしばらく登ったのだが、さすがにこのまま行くと死ぬなと思って
自分も引き返した。その時点でさらに登り続けていたのは私の先を歩いていたもう
1パーティーだけで、彼等も私がグーテ小屋に戻って休憩しているうちに戻ってきた。
結局あの日、頂上に登れたのは1人もいなかったのだろう。
そんなことを思い出しながら夜更けまで飲んだが、それでもみな12時には布団に
入った。昔は12時過ぎても延々と飲み続ける猛者が何人もいたのだが、
押し寄せる高齢化の波から山岳会も無縁ではない。おとなしくなったものである。
二日酔いになることもなく翌朝、しっかり朝食を食べて横浜に帰った。
やはり山の仲間と会うのは楽しい。

 IMG_0652
  朝、山荘から

著作権

税理士会の支部の総会で、支部報の原稿を頼んでいた先生と会ったので、

原稿の件でちょっと確認。

その先生の少年時代の思い出などを支部報に書いてもらったのだが、

昭和30年代に活躍した野球選手の大下弘に子供のとき球場でサインしてもらったとかで、

大下弘の写真他何枚かの写真が原稿と一緒に送られてきていた。

本の表紙とその本の中の写真を写したような写真。

「原稿と一緒に入っていた写真ですが、著作権は大丈夫ですか?」

「あの本、絶版になってるから大丈夫なんじゃない?」

「えっ! 絶版と著作権あるなしは別ですよ」

「へえ~そうなの?」

勘弁してよ、へえ~そうなのじゃないよ、著作権侵害になったらどうすんの(^^;

翌日、気になっていたのかその先生から電話があり、

「本屋に電話したらやっぱり絶版だって、なんなら文藝春秋に電話してみたら?」

ということで、文藝春秋に電話。

用件を伝えると、そういう問い合わせは多いのか要領よく宣伝プロモーション部につない

でくれた。支部報の内容を話して使用の可否を問うと、表紙の写真についてはあっさりと

「使って頂いて構いません。ただし、写真の下にクレジットを付けてください」とのこと。

ただ、本の中にあった大下弘の写真については他の出版社が著作権を持っているとかで、

そちらの了解を取って欲しいとのこと。結構、面倒である。

大下弘の写真とは別に、「紅梅キャラメル」の写真もあったので、

これは再度、原稿書いてくれた先生に確認。

「うん、あの写真はネットから持ってきたんだ♪」

マジ?...著作権は?...(^^;;

ネットで検索してみると、確かに送られてきた写真と同じものがあった。

ちなみにこの「紅梅キャラメル」、巨人軍の選手のシールがおまけに入っていたらしく、

そのシールを集めるために巨人ファンの子供達はせっせと紅梅キャラメルを買ったらしい。

昭和20年代~30年代の話。

送られてきた写真は、その懐かしい「紅梅キャラメル」について書いた自費出版の本の

表紙だった。

ということは、著作権は出版社ではなく著者が持っている?

出版社から著者を追っかけて著作権使用の許諾をとらないといけない?

この忙しいときにそんなことしてられないよ(^^;;;

「先生、とりあえず大下弘の本の表紙写真については使用許諾とったから、

あとの写真は載せなくていい?」

ということで、写真は一枚だけにしてもらった。

ちなみに支部ではなく本会の会報では、写真を出す方が前もって使用許諾を取ってくれと

言われる。

ま、それがホントなんだろうな。そうでなきゃ写真そのものをそういうふうに他のところ

に持ってゆくこと自体、問題になる可能性もあるのかもしれん。

著作権については基本、著作権者の死亡から50年は保護される。

広報を担当していると、こういう仕事もせにゃならん(^^;
このブログを読んでいる支部の皆さん、
そういうことで、広報担当者の仕事が楽になるよう御協力のほどよろしく(^^

 IMG_0611
  向島あたりからのスカイツリー

大阪 百舌鳥古墳群

御堂筋のホテルをチェックアウトし、今日は伊丹から帰るのだが、また道草。

電車を乗り継いで堺の方に。

阪和線の百舌鳥の駅で降りてしばらく歩けば道の右手に現れる。

仁徳天皇稜。

敷地規模としてはギザのピラミッドや始皇帝陵よりも大きい世界最大の墓である。

濠に架かる橋を渡るとその向こうにまた濠があり、その向こうに鳥居が見え、

さらにその向こうに前方後円墳があるのだが、木が生い茂ってまさに自然の山である。

ちなみに、橋からは見えないのだが、その鳥居と自然の山の間にはもうひとつ濠があり、

三重の濠になっている。

長い年月の間に自然の山のように変わっているが、

作られた当時は葺石に覆われ埴輪が並べられていた。

倭国に到着した外国からの使節は海上から、葺石が陽を反射して輝く巨大な王墓を

見たはずで、そういう立地を考えて作られている。

堺市の百舌鳥古墳群。

仁徳天皇稜やミサンザイ古墳など、5世紀から6世紀にかけて作られた古墳が狭い範囲に

集中している。100以上の古墳があったらしいが現在でも40ぐらい残っているらしい。

巨大な王権がこの地域にあったわけで、奈良の纏向遺跡や山の辺の道周辺の巨大古墳を遺

した勢力が河内の平野に勢力を伸ばして建設したのか、それとは別の王家が作ったものか、

その辺は寡聞にして知らない。

万世一系を唱える論もあれば、三輪王朝、河内王朝の交代という論もある。

IMG_0622
 仁徳天皇陵 正面から

それにしても巨大古墳というのは、いくら見ていても地上からは山にしか見えず、全容は

分からないので、仁徳天皇稜と道路を挟んで反対側にある大仙公園の堺市博物館に行って

みる。ちなみにこの公園内にも小さな古墳が点在している。仁徳天皇稜の陪塚である。

博物館で百舌鳥古墳群についての展示を見る。

埴輪の兜には鳥の羽をつけるところがあり、

兜の頭に雉の羽をつけたのだろうという説明があったが、

兜に雉の羽を付けるのは高句麗でもやっていたことで、

なにか関連があるのかなと思った。

古墳群の周辺には古墳を作る仕事をする人々の村もあったらしい。

一通り見て博物館を出、再び電車に乗り堺市役所に行く。

別に市役所に用はない。ここの21階に展望ロビーがあり、休日も開いているという
ことなので行ってみた。
大きすぎる古墳の全容を見るには上から見るしかない。

IMG_0629
 堺市役所 高層館

で、期待して行ってみたのだが、思ったほどの俯瞰ではなかった...(^^;
世界最大の王墓はさらに高いところから見なければ俯瞰は出来なかった。
ま、仕方ない。

IMG_0624
  期待した程の俯瞰にあらず... 仁徳天皇陵 奥にニサンザイ古墳

ぐるり360度展望できるので、しばらく風景を眺める。
仁徳天皇稜の向こうには履中天皇陵やニサンザイ古墳が見える。
東の方に回ると反正天皇陵があり、こちらの方は少し俯瞰できる感じ。
仁徳天皇稜と反正天皇陵の間の遥か向こうに見える山並みは奈良との境の
二上山や金剛山である。
さらにぐるっと西側に回ると六甲山、大阪湾、淡路島も見える。
市役所の展望ロビーなので、観光スポットというわけではないのだろうが、
知る人ぞ知るビューポイントというところだろうか。

IMG_0626
 反正天皇陵
IMG_0627
 東に遥か奈良との境 二上山金剛山の山並み

現在、百舌鳥古墳群については世界遺産へ登録しようという話があるらしい。

世界遺産になった暁には、観光用の熱気球が良さそうだ。
世界最大の王墓と宣伝しても地上から見れば山にしか見えぬ。
付近には俯瞰できる場所がない。
大仙公園あたりに係留して、観光客を熱気球に乗せて巨大古墳を俯瞰するサービスを
やればいい。着陸地点とか...うーん、市街地に降りるわけにはいかないから、ロープを
つけて元の場所に戻れるようにするか...その辺はプロが考えればいい(^^;
海外からの客も増えて経済効果ありそうだ。
風景を眺め、しばしアイスコーヒーなど飲んで涼んでから暑い地上へ。
また分かりにくい鉄道の乗継を何度かやって伊丹空港。
土産を買って昼過ぎの飛行機で関東に戻った。
夕方までには帰ってゴールデレトリバーのさくらを散歩させてやらねばならぬ。

アーカイブ