歌会

新型コロナのためしばらく対面での歌会は実施していなかった福島歌会が

ひさしぶりに対面で歌会をするというので行ってきた。

どのくらいひさしぶりかブログの過去記事を見てみたら、

福島歌会が出てくるのは2019年の4月、福島市郊外の花見山で吟行して以来。

その年の暮れから新型コロナが広まったわけだから、ほぼ3年ぶりである。

で、早速、気になった歌。

ちなみに今回の歌会は三首の連作を出し、それを批評するというもの。

当然、気になった歌も三首連作の中の一首である。

誌面発表前なので、そのままここに出せないが、

川の面は流れ流れいつだって濡れた緑が新しい。

そんな歌意の歌。

気になったのは「いつだって」。

いつだって濡れた緑が新しいはずはない冬はどうなる、とかいう冗談はさておき、

歌のなかで作者にとっては「いつだって」濡れた緑が新しいのであろう。

三首連作なので、他の二首も読みながら、それを読み取ろうとするのだが、

なかなか読み取れなかった。

連作は「東京」という題で、窓の水滴でぼやけるピルを見つめる一首目と、

子供の声が聞こえるのに子供の姿を見なかったホテルを出る二首目、

それとこの歌の三首からなる。

一首目、二首目と読んできて、作者の心の中に何かがあるのであろうという

感じはするのであり、そして三首目の「いつだって」。

あるいは作者は仕事かなにかでたまに東京に行くのかもしれない。

その時に「いつだって」濡れた緑が新しい、と思うなにかがあるのだろうか?

ただ、いかんせん三首というのは連作としては短すぎて、読み取れない。

この歌について、川面に映る緑が流れてゆく、それはいつだって濡れて新しい、

という読みも出されたのだが、私は同意できなかった。

流れる水に映った緑だから濡れて新しいのだ、というのは合理的なのである。

その合理的なところが嫌なのである。

歌会でたまにあるのだが、歌を読み取ろうとして合理的な解釈を試みる。

しかし、詩は合理性とは別のところにある。

合理的な解釈は歌をつまらなくすることがある。

第一、  水に映った緑も同じではない。

6月になり緑が濃くなり、夏になり緑はさらに深くなる。

水に映る緑の色も変わるのであり、

それを「濡れた緑が新しい」で片づけているのなら安易である。

たぶん、そうではないと思うわけである。

しかし、それを読み取れなかった。

いかんせん、三首というのが連作として短すぎるのであって、

この歌のせいではないのかもしれない。

連作を批評する歌会って難しい。

しかるべき歌の数でなければ連作としては作りにくいわけで、

やはり三首は少なかったのではなかろうか、

さりとて増やせば時間の制約がある。

ちなみに、その難しさを歌会の取りまとめ役は承知していたのであろう。

取りまとめ役本人はオムニバスで出してきた。

つまり、題に関連があるだけで中身は全く関係ない別々の歌三首を出してきた。

こっちは連作だと思って読み取ろうと悪戦苦闘するわけだが、

実は全く関係のない三首の歌だったという、、、。

ま、オムニバスも分類としては連作なのかもしれんが、

悪戦苦闘させられた方としては反則に近くないかと言いたくなる(^^;

歌会のあとは軽く飲む。

短歌でつながった人間が青森、山形、仙台、福島、横浜から来てわいわいと

歌の話をする。楽しからずや(^^

今日中に帰らないといけない人もいるのでテキトーなところで切り上げ、

飯坂線の二両電車に乗って飯坂温泉。

ホテルに入り温泉にどっぷりつかりぐっすりと寝る。

しばらく忙しかったので体をしっかり休ませ、

翌日、飯坂の温泉街を少し歩き、福島で土産を買って横浜に帰った。


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  飯坂温泉 堀切邸
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 外湯の鯖湖湯 

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  摺上川沿いの外湯 波来湯

伊豆

忙しかった5月が終わり、伊豆に行ってきた。

税理士にとって5月は法人の3月決算の申告月で確定申告の時期と同じくらい忙しい。

それに加えて相続とか事業復活支援金とか他の仕事が重なり、さらにブライベートでも

いささか時間を取られることがあって、正直、かなり忙しい思いをした。

それがようやく一段落。

忙しいのはいいのだが、人間、仕事だけしていたらつぶれる。

だから、よく働いたらよく遊ぶ、これ信念。

月末、午前中だけ仕事をして昼から車で出かけ2時間くらいで修善寺に着く。

とりあえず温泉に入り疲れを癒す。

なにはともあれ忙しかった,,,。露天風呂から仰ぐと山の緑がすっかり濃くなっている。

のんびりしたあと夕食に出かける。

修善寺の温泉街、平日のせいか人通りが少ない。

新型コロナが始まってから何回か修善寺には来ているが、観光客は決して多くはなかった。

週末とかはそれでも観光客は増えているのだろうか?

そろそろ回復してくれないと観光で食べてる人達は大変だろう

修善寺に来るとたいてい「いきぶし」という居酒屋に行くのだが、

行ってみると「3031日臨時休業」という貼り紙がしてあった。

ありゃりゃ、感じのいい母娘がやっている店で気に入ってるんだけど、仕方ない。

他の店もみな閉まっていて、一軒だけ開いている店があったので、そこで夕飯を済ませた。

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 修善寺の修禅寺 夕方、人影なし
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 修善寺の街も人影なし...
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  夕食の山独活の酢の物が美味しかった。天ぷらはアシタバ

翌日、天城越えから河津に抜ける。

天城越えの道は何度走っても楽しい。

緑のなかに続くコーナーに突っ込んでいくのはなんとも言えない快感。

頭のなかは石川さゆりの天城越えがオートリバースで聞こえている(^^;

河津で海に出て海沿いにしばらく走り、途中から伊豆スカイラインに入る。

あとはスカイラインを突っ走る。

修善寺から帰るなら素直に沼津から東名に乗ればいいだけだが、

わざわざ伊豆半島を北から南、さらに南から北へ走る。

いい歳して走るのが楽しいのである(^^;;

スカイラインを80kくらいですっ飛ばしていると、

このままあの世に行けそうな気がして楽しい(^^;;;

ま、まだあの世に行くのは早いので、テキトーにセーブして無事に横浜に帰った。


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 伊豆スカイラインから駿河湾、手前に連なっているのは沼津アルプス
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 反対側は相模湾 熱海の街と沖の島は初島
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 スカイラインは走っていて楽しい
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 走りの相棒、シビック
 

射場キャンプ

ゴールデンウィーク、前半は上越に出かけ、後半はアーチェリーの射場でキャンプ。

子供達が小さいころ、春と夏はキャンプに出かけていたのだが、

新型コロナで海外に出かけられないので、ならば再びキャンプでもしてみようかと思い、

かつて使っていたテントやタープが使えるか試してみようと思ったのである。

常連仲間の何人かもキャンプするということで、

ならばテントを張ってバーベキューをしようということになった。

幸い天気も良く、テントとタープを設営、常連仲間の変人はティピーを設営している。

ネイティブアメリカンの使っていたティピーを使うやつなんてそうはいないと思う。

そういうやつがいるのがうちらのアーチェリーの常連仲間(^^;

設営が終わったらとりあえずコースを回ってアーチェリーを楽しみ、

夕方からはバーベキュー。

肉を焼き酒を飲み、とりとめもない話をして楽しむ。

ダンボールで作る燻製もなかなかである。

燻製を作るキッドも売っているが、そういうものを使わなくても、

なるほど、ダンポールと針金と網があれば燻製は作れるわけで、

結構美味しい燻製を楽しめた。

夜は灯りを消して酒を飲みながら談笑。

射場の木々の間から星が見える。

帰ろうと思えば車で30分で家に帰れるのだが、自然のなかで過ごす夜は楽しい。

談笑ののちそれぞれのテントで寝る。

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  射場のキャンプ風景

翌朝、5時過ぎに鳥の囀りで起こされて歩いていたらコジュケイの番いだろうか、

餌をついばんでいるのに出くわした。

射場を歩いていると「チョットコイ、チョットコイ」とうるさい連中であるが、

なかなか可愛い。

横浜の真ん中の自然の真ん中で朝を過ごしているのだが、

あるいは結構贅沢をしているんだろうか。

起きだしてきた常連仲間との朝食は、

昨夜、燻製のダンボールで作ったベーコンを使ったベーコンエッグ。

なかなか美味くて朝からビールを飲みたくなるが、そういうわけにもいかぬ(^^;;

朝食のあとはアーチェリーを楽しみ、春の一日、まったりとした時間を過ごして、

使ったテントとタープを撤収。ついでに今シーズン最後のタケノコを収穫。

射場のタケノコもすっかり大きくなっている。

10年以上使っていなかったテントとタープもまだ充分使えそうだ。

海外に行けないなら行けないで、またキャンプでもして楽しもう。

そんな気分になれる春の休日だった。


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  ダンボールの燻製器

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  生卵とチーズの燻製
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  カーバイトの照明、昔、祭りの夜店で使われていた
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  翌朝のコジュケイ ピンボケ

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  朝食 前夜に作った燻製のベーコンを使ったベーコンエッグ。
 途中で撮ったので食い散らかした感じあり
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  翌日、コースを回る

歌会

ひさしぶりに横浜歌会に出席した。

以前は毎月出席していたのだが、

通っているアーチェリーの射場の営業終了を受け、有志で立ち上げたクラブで

その射場の運営をするようになってから歌会に出にくくなった。

毎月第一日曜が射場整備、第二日曜が射会というスケジュールで、

第一日曜の横浜歌会と重なってしまうのである。

射場が営業していた頃はお客様として行っていればよかったわけで、

さぼろうと思えばいくらでもさぼれたわけだが、

クラブで運営するようになるとそういうわけにいかなくなった。

なぜか射場整備も射会も皆さぼらずに真面目に出てくるのである。

さぼろうものなら何言われるかわかったもんじゃない(^^;

そんなわけで、かつて歌会で他人の歌をぽろくそに批評していた毎月の第一日曜、

今では、汗だくになって草刈り機振り回して雑草と格闘したり、チェンソーで木を伐り倒し

たり重労働をしている。

で、日程の関係でたまたま久しぶりに出席できた横浜歌会。

早速、気になった歌。

子を抱いた50年前のパスポートの写真の視線の先にひかりが見える、

そんな歌意の歌。

好評な歌で、私もいい歌だとは思ったが、

「視線の先に」と「ひかりが見える」が気になった。

おそらくは自分のバスポートだろう。

パスポートの写真は正面を向くので、50年前のパスポートの写真の自分と

その写真を見る今の自分とは目が合うわけである。

目が合った状態で「視線の先に」と言われたとき、違和感は否めない。

で、その「視線の先に」「ひかりが見える」。

自分と目が合った50年前の自分、その目には問いかけるものがあるかもしれない。

それは「ひかりが見える」だけだろうか? それだけでは言い表せないものがある気がする。

詠わんとしていることは分かるのである。

子を抱いている若々しい自分、これからの人生、前に進もうとする意志、

「視線の先に」50年前の自分は未来を見ているのであり、

「ひかりが見える」という表現もそうやって作者に寄り添って読めば分かる。

この歌について吾が師匠・岡部史さんは、作者に寄り添って読んでいた。

あまり作者に寄り添わない(^^;; 私の批評に対して岡部さんはかなり否定的だったが、

私はあくまで表現を追求したいと思う。

視線が外れていれば岡部さんの読みに同意するが、視線が合った状態でこの表現はどう

なのだろう?

私と岡部さんの批評のあとでそれ以上批評が深められなかったような気がして、

その辺はちょっと残念だったが、ま、時間の制限もあるから仕方ない。

それにしても吾が師匠・岡部史さんと真っ向から意見ぶつかったのは久しぶりである。

なにアホな批評していると思ったかもしれないが、

出来の悪い弟子ほど可愛いと思ってもらうしかないな(^^;;;

歌会のあとは軽く飲み会。

短歌の話をしながら飲むのはやはり楽しい(^^

スケジュールやりくりしてまた横浜歌会には出たいと思っている。


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  紫蘭 

平標山

ゴールデンウィーク、久しぶりに平標山に登りに行った。

カーナビがなぜか関越トンネルではなく、三国峠越えの道を指示するので、

素直に従い何十年振りかで三国峠を走った。

この季節、三国峠越えの道は新緑と残雪と桜が綺麗である。

元橋の駐車場に車を停め登山靴に履き替えて出発。

一時間ほどで尾根の上の送電線の鉄塔に出る。

ここからさらに尾根を辿っていくとようやく残雪があらわれ、

その先に松手山のピークがある。

前線が近づいていて昼あたりから雨が降る予想、向こうの平標は雲に包まれている。

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   松手山のピークと向こうの平標山
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  松手山ピーク
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  松手山から平標山、上の方は雲に覆われている。残雪が少ない。

休憩しているとぽつぽつと降り始めたので、今回は松手山までということで引き返す。

それにしても残雪が少ない。

雪は多かったという話だが残雪は少ないというのは、

暖かくて雪が融けるのが早いということか。

結局、松手山まで2時間で登り、Ⅰ時間半で元橋の駐車場にくだり登山終了。

残雪期の上越の山は若い頃好きで毎年登っていたところ。本当はもう少し歩きたい

のだが、いかんせん天気はどうにもならぬ。

駐車場で後片付けをしている間にもだんだん雨が強くなってきた。

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  下山途中、苗場山
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  元橋の駐車場の周囲には桜が咲いている

このあとホテルにチェックインして温泉で汗を流し一休みてから越後湯沢駅の

ぽんしゅ館に出かける。

越後の酒がずらりと揃っていて利き酒ができる面白い場所である。

何種類か飲み比べていい気分になって土産を買い、あとは夕飯。

ちなみに、夕飯なしで宿泊し地元の美味しい店を探してそこで夕飯を食べるというのも

旅の楽しみのひとつであり、今回は「五郎」という店に入ってみたのだが、越後の日本酒が

たくさん置いてあり、注文した食事もみな美味しくて、いい店を見つけた。


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  越後湯沢駅のぽんしゅ館
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  夕飯を食べた「五郎」
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  舞茸のバター炒め、美味しかった。酒は「鶴齢」と「高千代」

翌日、天気が回復してきたなか、塩沢の牧之通りにある青木酒造に行き酒を仕入れ、

トミオカホワイト美術館でかつて子供達と毎年この時期に登った八海山を眺めながら

コーヒーを飲み、
道の駅で今夜の晩飯の天ぷら用に山菜を買い、

再び、新緑と残雪と桜を眺めながら三国峠を越えて横浜に戻った。


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  塩沢の牧之通りの青木酒造
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  青木酒造の店内にあった、昔の雁木に看板として付けられていた飾り。
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  トミオカホワイト美術館から八海山

歌会 桜の歌2

湘南の歌会、桜の歌の続き。

心にとどめている桜の短歌をいくつか

 

さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて

 山中智恵子

確かに桜の花を見上げると「泡立つ」ように見える。

しかし、山中のこの歌のために桜を「泡立つ」と詠ってももはや二番煎じに

しかならなくなってしまった。そういう罪深い歌である。

 

  さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり 

馬場あき子

再生と死、幾春のさくら、老いゆく身。水流の音は己の中の命の音だろうか。

 

あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ 

永井陽子

難しい歌である。あまり意味を追求しなくていいのかもしれないが、

固定した観念のようなものを否定する若々しさを感じる。

心地よいリズムに惹きつけられる歌である。

この歌は「はなびら」としか言っていないが、私は桜の花びらと解釈している。

 

  ほれぼれと桜吹雪の中をゆくさみしき修羅の一人となりて

                            岡野弘彦

桜吹雪という言葉はなかなか短歌で使えない。

その使いにくい言葉を持ってきて「さみしき修羅の一人となりて」という下句で

一首を支えている。ほれぼれとする歌である。

 

  ただ一度生まれ来しなり「さくらさくら」歌ふベラフォンテも我も悲しき

                            島田修二

ベラフォンテの「さくらさくら」の歌声。ただ一度生まれきた人生。

生きる者の悲しみ、しかしそこには静かな喜びも感じられる。

 

  生き死にの境もいつか美しからむ津波到達ラインの桜

                            関野裕之

名歌に並べてついでに自分の歌を一首(^^;

三陸の津波の時、津波到達ラインまで逃げられた者は行き、逃げられなかった者は死んだ。
その生き死にのラインに沿って桜が植えられた。
いつかその津波到達ラインの桜は美しく
咲くのだろう、そう思って詠んだ。

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  かつて人であったものが輪廻の末に桜の木になったような。
 桜の森を歩いているとそんな気がすることがある。  

歌会 桜の歌

新型コロナのため湘南歌会もしばらくメールで歌会をやっていたが、

久しぶりに対面での歌会が開かれた。

集まったのは8人といささか少なめ。

新型コロナ前は常連だった人の何人かは欠席。

対面での歌会が開かれないのが常態化し、人間、常態化するとそれに慣れるもので、

こういうことがきっかけで短歌から離れていく人も出てくるかもしれぬ。

新型コロナは短歌の世界も変えるのだろう。

それはそれとして、いつものように気になった歌。

春ということで桜の歌がいくつかあった。

例によって誌面発表前なのでここには出せないが、ひとつは、

昏い流れにほつほつと桜の花びらが浮かび流れゆく午後、

そういう歌意の歌。

こういうのもあった、

物狂いしているように咲いていた桜が森に消える、

そんな歌意の歌。

桜の歌は難しい。

取り上げた2首は決して悪い歌ではない。

しかし、この国に春になると咲き満ちる桜は万葉の時代から歌い継がれてきた。

ありとあらゆる類歌がある。

桜には死のイメージがある。

華やかさと裏腹の昏さがある。

桜の樹の下には屍体が埋まってゐる、と書いたのは梶井基次郎だった。

「これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。

桜が死のイメージを纏うようになったのはいつからなのだろう。

命が消える冬が終わり桜が咲く。

桜は再生の象徴である。

再生は死とともにある。

死があり再生があり、再生があり死がある。

桜は再生とともに死を孕んでいる。

日本人はそこに桜の美を見出してきた。

死、再生、昏さ、狂おしさ、

それは桜がもともと纏っているもので、

それをそのまま歌っても桜の歌は成功しない。

歌会に出されていた桜の歌は、決して悪い歌ではないが、

あまたある類歌の域を出ていない。

桜を歌うには自らが狂おしくなるまで歌と格闘しないといい歌は詠めない気がする。

私自身があまり桜の歌を詠めない理由である。

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  歌会当日の午前中に歩いた鎌倉の英勝寺の白藤。
 まだ咲き始めだった。


うん? 差額は還付済み?

年の中途で亡くなった人の申告はその人の相続人がする。それが準確定申告。

一度申告したが、申告の内容が違っていた場合にするのが、修正申告あるいは更正の請求。

簡単に言えば税額が増える場合が修正申告、減る場合は更正の請求である。

去年、準確定申告の更正の請求を依頼された。

普通のサラリーマンの被相続人で、ごく普通の準確定申告だった。

今年になってその人の家族から封書が届いた。

あけてみると、給与計算の代行会社から家族あてに送られてきた書類が入っていた。

被相続人の勤めていた会社では給与計算代行会社に給与の計算をアウトソーシングして

いたわけだが、つまりその会社が年末調整を間違えたらしい。

拠出型企業年金を社会保険料に含めずに年末調整してしまったということで、

年末調整の再計算をした源泉徴収票が入っていた。

既に申告している場合は更正の請求をしてください、ということで、その場合の

問い合わせ先も書いてある。

一緒に入っていた家族からの手紙には、「勤めていた会社に連絡したら、亡くなった人に

は年末調整の還付はできないので自分で更正の請求をしてください」と言われたとあった。

ひと通り読んで、入っていた源泉徴収票を見て違和感を覚えた。

源泉徴収票に記載されている源泉徴収税額は年末調整の再計算がされたあとの金額である。

つまり、送られてきた源泉徴収票を見る限りは、年末調整の再計算の差額はすでに本人に

還付されていることになる。

還付していないのなら、還付前の税額を記載し年末調整未済の形で作らなければならない。

その給与計算代行の会社のHPを調べると北海道に本社のある上場している会社。

電話してみた。

送られてきた書類について聞きたいと電話で言うと、

電話の向こうの声が途端にキンキン声に変った。

「お客様!  お勤めの会社を通してください!  お勤めの会社以外からの問い合わせには応じません!

なんか、凄いなと思った。

言ってること分からなくはないんだけど、年末調整間違えて更正の請求をしてくれと

手紙よこしといてその問い合わせ先も書いてあるのに、この対応?

あるいはクレームの電話多いのか?

そのあと家族に電話してそのことを伝えると、「やっぱり対応悪かったですか」と言っていた。

家族が電話してもそういう感じだったのかな?

一応、問い合わせ先のアドレスに、再計算の還付前の源泉徴収税額を記載した源泉徴収票を

発行して欲しい旨メールしたが、あの電話の応対からして対応してくれないかなと思った。

案の定、なしのつぶてだった。

一番悪いのは、被相続人の勤め先である。

亡くなっている人に還付できないというのなら、差額を還付していない形の源泉徴収票を

交付しなければならないのに、給与計算代行会社に丸投げでなにもしない。

給与計算代行会社も悪い。

わざわざ家族に手紙で説明してくるぐらいだから、会社が還付しないのは分かっているの

だろう。それなら差額を還付していない源泉徴収票を作って送ればいいのに、

フツーに年末調整して差額は還付済みと読める源泉徴収票を送ってきた。

仕方ないので、その給与計算代行会社が送ってきた手紙等をコピーして

参考資料として添付して更正の請求をした。

ついでに、差額が既に還付されている形の源泉徴収票なので、

もし、更正の請求を棄却する場合は、

亡くなった人の家族に差額を還付せず源泉徴収義務を果たしていない被相続人の勤め先と

年末調整もまともに出来ない給与計算代行会社をしっかり指導して欲しいと書き添えた。

税理士長くやっていてこういうケースは初めてである。


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   こぶしの若葉 

横浜の水芭蕉

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横浜のとある自然公園に自生している水芭蕉。大きな葉の下に白い花がある。

最初に気付いたのは20年以上前。

子供を連れて公園を歩いていて、公園の隅の湿地に生えている葉の大きな草が

目にとまった。

「あれは水芭蕉か…?

花が終わっている時期だったし、まさか横浜に水芭蕉が咲いているとは思って

いなかったので、葉だけ見ても確信は持てなかった。

気になって翌年行ってみたら水芭蕉の花が咲いていた。

正直驚いた。

横浜に、それも家から歩いていけるところに水芭蕉が自生しているとは思わなかった。

自然公園の隅の湿地で当時は流れに沿って古い柵だけがあった。

手入れされている様子はなく、

自然に生えているものか、あるいは植えられたとしたら、かなり前に植えられて

その後放置されていた、そのいずれかなのだろう。

水芭蕉の分布を調べてみると南限は兵庫県の日本海側であるらしい。

飛び飛びに自生地があるらしいので、つまり昔はもっと広い範囲に分布していたはず。

あるいは昔、横浜の谷戸の水辺には水芭蕉が咲いていたのだろうか。

その横浜の水芭蕉の最後の生き残り?

かなり以前に植えられてそのまま放置されたのか、最後の生き残りなのか分からない

のだが、最後の生き残りと考えた方が楽しいのでそう思うことにした(^^

その自然公園には子供が小さいときよく連れて行った。

その後はゴールデンレトリバーのさくらを連れて歩きに行ったりしたのだが、

さくらが年とってあまり散歩できなくなり、ここ数年行ってなかった。

先日、数年ぶりに桜を見に行き、水芭蕉の咲いている湿地を訪ねた。

花が終わりかけていたが水芭蕉は咲いていた。

しかも株が増えている。

ひと株だったのが五株になっていた。

なにやら嬉しかった。

この水芭蕉のことは人に話さなかった。

横浜の水芭蕉の最後の生き残り、横浜で唯一自生している水芭蕉、

他の人はあまり知らないだろうが自分は知っている、

それって子供っぽい優越感だった(^^;

株が増えたのでもう気付いて知っている人は結構いるのだろう。

踏み荒らされたり盗掘されたりしないで、これからも咲き続けて欲しい。


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  株が増えていた
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 桜はちょうど満開

タケノコ

通っているアーチェリーの射場、いよいよタケノコの季節。

まだ地面の上には殆ど出ていないので、

目で探すのではなく足で探す。

足で地面を踏んでいって、

地上に出るか出ないかのタケノコの先端が足裏にかすかに当たるのを見つけるのである。

出始めでまだ小さいが、柔らかくてあく抜きも必要ない美味しいタケノコが採れる。

午前中にコースを一回りしてお昼からはタケノコ採りに専念。

ひとつ見つけると、その周囲にあることが多いので辺りを集中的に探す。

小振りだが3本ゲット。

これだけあればタケノコ御飯が作れる。

射場のタケノコは美味しくて、ここのタケノコの味を知ってしまうと、

スーパーで売っているタケノコを買おうという気がしなくなる。

実際、ここ十年くらいお店でタケノコ買ったことがない。

あと一週間もすればタケノコが大きくなってさらに見つけやすくなる。

4月末あたりまでタケノコ三昧である。

スミレ、ハナニラ、射場には花が増えてきた。

射場はすっかり春。

今年はひとつ計画がある。

射場の山にタラの木を植えようと思っている。

タラの芽の天婦羅は美味しい(^^

今年植えれば来年の春には芽が採れるのではなかろうか。

タケノコを採りタラの芽を採り

いい年をしたオヤジ達がこんなふうに射場で季節を楽しんでいる。


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  今日の収穫
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  スミレが咲いていた
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  ハナニラあるいはベツレヘムの星
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 午前中はコースを一回り、25mの的、6・6・3 三本目反省しています(^^;
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   射場の枝垂桜も咲き始めた